人殺し
「次の火曜日は進人退治に行ってくるわ」
夏の暑さもようやくマシになり、やっと秋だと実感できるようになってきた日のこと。僕が愛剣の手入れをしていた所に有希が宣言した。その宣言は氷の如く冷たい。
「随分と冷たい物言いだね。まるで僕に来てほしくなさそうな感じだ」
僕は有希の態度を指摘する。つい最近、有希の側にいることを誓ったのに、引き剥がそうとするなんてひどいじゃないか。
「できれば、あなたには背負ってほしくないから」
有希は淡々と告げる。その言い様は凍てついていた。
「僕に背負ってほしくない? それはどうして?」
「辛いだけだから」
有希は自嘲するように言い放つ。そのニュアンスは僕のことを思ってなのは分かるのだが、どこか不幸に酔った様相を感じるのは気のせいだろうか?
「背負うよ。むしろ、君だけに背負わせる方が酷だ」
素直な気持ちをそのままに伝える。酔いは覚まさないといけない。特に有希のそれは悪酔いだ。飲まれなきゃやっていられないなら、その酒を半分貰うのが僕の役目だ。
「ありがとう。でも、後悔することになるわ」
有希はやっぱり自嘲するような言い様である。進人を退治するのにここまで酔いどれる理由がわからない。
「とにかく、火曜に備えて武器の手入れをしておくよ」
有希のあの態度に引っかかるものを感じながらも、エクスカリバーの手入れを再開した。この剣は有希を護るために用意したものだ。何が彼女を苦しめているのか分からないけど、いざとなれば僕が剣のサビにしてみせる。
そう僕は決意し、剣を磨き始めた。
*
あっという間に火曜日がやってきた。
有希によると進人は午後2時頃に出現するとのことだ。そのため、午後の授業はボイコットして早退している。
「そろそろ行きましょうか」
現在、時刻は午後1時55分。後5分もすれば進人が現れる。
僕たちには言い様のない緊張感が漂っていた。普段の仕事と違って妙な胸騒ぎがしている。普段と一体何が違うって言うんだ?
「アーサー、手を」
有希の催促に従って手を握る。すると、その手にいつにも増して力が込められているのを感じた。有希を持ってしても、この仕事には嫌な気持ちになるようだ。
チラリと有希の顔を見る。張り詰めたような、追い詰められたような顔をしていた。
「大丈夫?」
あまりに異様な様子に声を掛ける。有希はハッとした表情をして我に帰った。
「大丈夫よ…… さあ、いきましょう」
そう言って瞬間移動を開始した。
気がつくと、どこかの家の中に立っていた。状況確認のため辺りを見回す。僕たちが立っているのは廊下であり、そこから1つ扉を隔てて部屋があるのが分かった。辺りの調度品はどれも平均的な代物であり、ここが一般的な一軒家なのだとわかった。
何か、嫌な予感が背中を舐めるように這うのを感じた。じっとりと背中が汗ばんでくる。
「ここは?」
「ここは雪村という一家の持ち家よ。今、この扉の向こうには母親と息子さんが寛いでいるわ」
有希は未来視で知り得た情報を開示する。表情は冷徹なまでに冷めきっており、瞳は冷ややかな輝きを放っていた。そうか、ここで進人が出るのか。いや、それって……
「もしかして、僕たちは不法侵入してるってことになるの?」
扉の向こうにいる一家に聞こえないように小声で質問する。
「そうなるわね」
有希はあっさりと肯定した。僕は自分がやってしまったことに罪悪感を覚える。
「流石に進人を倒すためとはいえ、不法侵入するのはどうなんだい?」
「まだ気づかないの? 私たちは、これからさらなる大罪を犯すのよ」
有希はイラッとした様子で忠告するように宣告する。
だが、残念ながら未だにこれからは何が起こるのか理解できていない。
「進人がこの家に襲撃してくるんだろ? だったらわざわざここで待ってなくても、来てから助けに入ればいいんじゃないかな」
僕は過去の経験から適切だと思う判断を提言する。しかし、有希はその言葉に呆れを通り越して失望したような眼差しを向けてきた。
「あなたはここで待ってて。あなたがいても役に立たない」
「そういう訳には……」
「敢えて事実から目を背けているの? もう隠しても仕方ないから言うわ。今から進人になるのは雪村家の母親よ」
有希はそこまで言って口を閉ざした。
──母親が進人に……、進……人……
「ああ……そうか……」
自分の身体が寒気に包まれるのを感じた。どうして気づかなかったのだろう?
人間が進人になることに。
自分の愚かさにがっかりする。と、同時に手が恐怖で震え出した。人を殺すという事実に身体が拒否感を覚えているのだ。自分でもこの震えを制御できない。
もしこれが、進人になる前の姿を知らなければ或いはできたかもしれない。ショッピングモールの一件では、何が進人になったか深く考えずに斬ることができていた。けど、元が人間であると知ってしまうと、ケイコのときより躊躇ってしまう。
「じゃあ、行ってくるわ」
有希はそう言い残して、扉のノブに手を掛けながら中を観察する。僕も震える身体を言うこと聞かせて中を覗く。中には、苦しみもがき始めた母親とそれを心配する息子が見えた。
その光景にズキズキと心に痛みを発していた。
苦しんでいた母親は見る見るうちに姿を変化させていく。息子はその変化に戸惑い、呆然と見つめていた。もはや母親に、人間だった頃の面影はない。醜い四足歩行の何かへと変貌してしまっていた。
僕には少年の気持ちが手に取るようにわかった。そして、彼をさらに傷つけなければならない事実が苦しかった。有希が背負わせたくないって意味がよくわかる。
覚悟が甘かった。甘すぎた。
僕にはまだ、人を殺す覚悟がなかった。
「う、うっ、ううぅ!」
母親の慟哭が聴こえる。四肢は満足に稼働せず、身体はまるで腐っているかのようにドロドロと液状化している。進化が不完全に終了した証拠だ。
こうなってしまったらもう殺すしかない。うちのケイコのような奇跡は、都合よく起きることはないのだ。
母親は苦しむようにもがきながら、あちこち暴れまわる。不格好に発達した腕で辺りをひっくり返す。その反動で落ちるお皿がパリンパリンと悲しく鳴り響いた。
息子は母親の異変に気づいて歩み寄る。まずい! その人はもう人間じゃない。君まで死んでしまう!
僕がそう思っているその最中には、有希は動き出していた。母親と息子の間に割って入り、もがく進人に一撃与えていた。攻撃を食らった母親は、キッチンを突き破って静止する。
「お姉さん、誰?」
息子は事態が掴めていない様子で有希に尋ねる。有希はその姿に哀れむような視線を向けた。
「下がってて。すぐに終わるから」
有希は冷たい口調で言った。
「ママを助けてくれるの!」
それに対して、息子は期待を込めた視線を送る。
「違うわ。殺すの」
有希は絞り出すような声音でそう言った。その言葉に少年は目を見開く。
「なんで!? どうして!?」
「……」
有希は哀しげな顔をして進人へと向き直る。どんなに言葉で繕っても結果を変えることはできない。
「待って! 待ってよ!」
少年は縋り付くように必死に引き止める。その説得には正当性がある。気持ちとしては少年の味方をしてあげたい。だけど……
僕は少年を抱きかかえて有希から距離を取る。
「な、何するんだ! ママを助けないと! ママが殺される!」
「諦めるんだ…… 君のママは進人になったんだ。もう、元には戻れない……」
「イヤだイヤだ! ママを助けてよ!」
少年はタダをこねる。だが、叫んだ所で何も変えることはできない。もう結果は確定してしまっているのだ。
「アーサーそのまま抑えてて」
有希はこちらを向かずにそう言った。その背中は悲しいほどに小さい。小さな女の子が震えているようだ。
すると、進人がこちらに突撃を開始した。その視線は真っ直ぐに少年の顔を射抜いている。ことここに至って、あの進人は母親としてこの子を守ろうとしていた。
だが母親の突撃は有希にあっさり受け止められてしまう。有希の力を持ってすれば、進人の突進を止めることなど造作もない。
「雪村輝くんのお母さん。安心して下さい。あなたの息子さんの幸せは私が保証します。だから、安心して眠りについて下さい」
有希は母親に視線を送り、しばらく見つめ合う形になっていた。母親はその瞳から、先の言葉が嘘偽りではないことを感じとったようだ。
次第に、進人から警戒心や殺意が薄れていく。
「お……がい……し……す」
母親は有希に対して拙くも言葉を紡ぐ。途切れ途切れではあるが、その意味を僕は理解することができた。
「ママ!」
輝くんは声を掛ける。母親はその声に応じるように視線を移した。そして、
「ご………ね」
そう言って微かに笑ったような気がした。表情は動物と混ざってグチャグチャになっているのに、母親の愛は最後まそこにあると感じた。
もしかしたら僕の幻視かもしれない。でも、そうであってほしいと思った。
有希は刀を上段に構える。半月を描いた美しい軌道は残酷と哀悼の象徴のようであった。
そして、一振りで袈裟から母親を斬り裂く。
母親は、ニ種の花弁を上げて倒れた。
「ママああぁああああ!」
輝くんは泣き叫ぶ。母親の死。それを目の当たりにして平気な人間なんていない。ましてやまだ小さい子どもだ。深い傷になって残り続けるだろう。
「雪村輝くん」
有希が薔薇の薫りを漂わせてこちらへとやってきた。その薫りはひどく悲しみを帯びていた。
「う、うわぁ!! 助けて!」
輝くんは有希の姿に動転して叫び散らす。恐怖から、僕の拘束を逃れようと必死に暴れ出した。
「……安心して。あなたの幸せは私が保証するから」
有希は、輝くんを元気づけようと僅かに微笑みながらそう言った。
「だったらママを返してよ! ママを助けてよ!」
しかし、輝くんから放たれた言葉は有希の表情を曇らせる。
「……ごめんね。私にはこうすることしかできなかったの」
それでも、有希は輝くんと話をしようと近づく。
「うわああああ!」
輝くんの慟哭が部屋を満たす。僕はその様子をただ黙って見ていることしかできなかった。心が我が事にように痛い。有希はそんな叫びを浴びながら
「ごめんね、ごめんね」
そう言って、首元に然気を放ち輝くんを眠らせた。
「寝たの?」
静かな声で尋ねる。有希は催眠術も使えるのか。
「ええ、然気を使って副交感神経を強く作用させると、強制的に眠らせることができるの」
「そうなんだ…… ごめん。僕は何もできなかった」
自分の不甲斐なさを恥じる。僕には有希の味方も輝くんの味方もできなかった。どっちの心情も僕には痛いほどに理解できてしまったからだ。
「いいのよ、その代わりに聞かせて。もしアーサーが輝くんと同じ立場になったら私を許してくれる?」
「……許すよ。だって君は悪くないじゃないか」
僕は自分の気持ちを正直に話した。すると、有希は目を大きく見開いていた。その眼には、涙が溜まっている。
「そっか。嬉しいなぁ」
僕には有希の心は読めない。だから彼女が内心でどう思ってるのか分からない。でも、白馬の王子様として、彼女の心を助けてあげることができたようだ。
「さて、やることをやりましょう」
有希は輝くんへと視線を向ける。そして、目を閉じると輝くんの頭へ向けて手をかざした。
「なにをしてるの?」
「ごめん。少し黙ってて」
そう言った有希はしばらくの間、黙って輝くんに手をかざしていた。やがて5分が経過した所で、有希は目を開いた。
「ふう…… これで将来安泰ね」
有希は目を開けると額を腕で拭ってそう言った。
「もしかして、輝くんの未来を視てたの?」
「うん、どこに預ければ彼が幸せになれるのか探ってた」
「探るって……お父さんはいないのかい?」
「そうみたい。お父さんは東北地方の震災に巻き込まれたみたい」
そうか…… 辛い思いをしてきたんだな。どうかこれからは、有希の加護のもとで幸せになってほしい。
「有希…… 彼はどうなるの?」
「山寄さんという所が養子になれる子を探していてね。そこに預ければ将来的に幸せな家庭を築けるわ」
「そっか、よかった」
「それからアーサー。警察に110番をしてくれる? 私の名前を出せばすぐに来てくれるから」
言われた僕はすぐに警察に通報した。有希の名前を出すと、警官はすぐにこちらへと出動する手筈となった。有希が警察とパイプを持っているのは分かっていたけど、まさかここまでとはね。
一緒に現場へとやってきた遠山刑事は母親の亡骸に手を合わせてから
「すまねえな。お前さんたちにこんなことやらせちまって。俺にはこんな芸当できねぇからよ」
と謝罪した。僕にはこの言葉を受ける資格がない。
「僕にもまだできません。今回も有希がやってくれましたから」
「そうか……」
遠山刑事は鎮痛な面持ちを浮かべて言った。
「後の処理は俺たちに任せてくれ。有希ちゃんの未来視の判断は確実に実現させてみせる」
「僕からもお願いします」
「これぐらいは役にたたないとな」
立ち上がった遠山刑事は、自分に言い聞かせるようにそう言った。
「所でアーサーくん。有希ちゃんは大丈夫か?」
「大丈夫って有希ならそこに…… どうしたんだ有希!」
僕が有希のいた方を見ると、グッタリとした様子で壁に寄りかかっていた。
「ごめん。いつも仕事をするとこうなっちゃうの。これでもまだマシなんだけど、今すぐに瞬間移動はできなさそう。悪いけどアーサー、帰りはタクシーを使いましょ」
ぐったりしながらも僕に気遣う。もっと頼ってくれてもいいのに。君が言ってくれれば、お姫様抱っこで家まで帰るぐらいいつでもするつもりだ。
「それならいつも通りパトカーを使ってくれ。乗員が1人増えたって大して変わらないからな」
「ありがとう遠山さん」
「いいってことよ。このぐらいならお安い御用だ」
「ありがとうございます」
どちらかと言えばお姫様抱っこして帰りたい所存だが、ここは好意に甘えることにしよう。
そうして、僕たちはパトカーで家路についていた。運転手はショッピングモールの一件で有希が話し掛けていた警察官だった。どうやらいつもこうなった有希を家まで送り届けているようだ。お姫様を運ぶ運転手みたいで少し羨ましい。
「聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
「やっぱり、未来視を使うと疲れるのかい?」
僕は有希が疲弊したのは未来視を使ったからだと考えている。他人の未来を覗く力だ。負担があっても不思議じゃない。
「いいえ、それはそこまでだけど。やっぱり人を殺すと精神的にすごく疲れるのよ。やりたくない、嫌な仕事だから」
「……そうだよね。これは愚問だった」
有希からの返答は予想と反したモノだった。僕は自らの質問を恥じる。復讐や快楽からの行動ではないのだ。やりたくないことをやったら誰だって疲弊する。それが殺人ならば尚更だ。
「僕もいつか、同じように人を殺すときが来るんだろうな」
「あなたは猫のケイコですら躊躇ってたものね。きっとツライと思うわ。だからこそ、今から覚悟をしておいてね?」
「わかってるよ。でも、できることなら可能な限りは奇跡を信じたい」
「ケイコは例外よ。アレを毎回期待しない方がいいわ」
僕の楽観にすかさず有希は水を差す。奇跡はそう簡単に起こらない。それは当たり前だと分かっているのに、縋りたい気持ちで一杯だ。恥ずかしいことこの上ない。
「それに……」
「それに?」
「今回のケースはまだ色々とマシなケースよ。さらに辛いことだって起こるかもしれないわ」
「それって具体的には?」
「……それは言わない。きっとあなたの躊躇いを助長してしまうから」
有希はそう言ったきり瞼を閉じてしまった。僕にはその行動が、明確な拒否だとわかった。




