無垢なる夢Ⅲ
ピンク鬼がビルから逃げたと思ったら、今度はこっちに抵抗してくるようになった。長い煙管を使って攻撃を仕掛けてくる。
それにしても、結衣のヤツはどこ行っちまったんだ? 外で何があったか分からないけど、アイツに限って逃げることはないはずだ。
私はピンク鬼を攻めたてる。何に驚いてるのか知らないが、妙に攻撃を躊躇っているように見えた。
「……」
紗友里が剣を構える。目は閉じているが、その所作は殺気で満ちていた。
そこから一呼吸、間を置いて
「っ!」
サーベルが顔前に伸びてきていた。私は刀で軌道をずらすも、それでも刃が顔を掠める。
絶え間なく迫る無数の突き。心が追いつかない私では捌ききれない。身体のあちこちに傷を作っていく。
「くっ!」
バックステップで紗友里と距離を取る……が、すぐに距離を詰められてしまった。再び突きの嵐に巻き込まれる。
このままだとまずい!
突きを捌きながら必死で考える。紗友里の殺す気で攻撃してきている。こっちも本気で戦わなければ対抗できない。
でも、それは……
脳内によぎる最悪の結末。それだけはなんとしても避けなければならない。
私は刀でサーベルを上に弾く。さらに蹴りを入れ、今度こそ紗友里と距離を取った。
腹に入った一撃が痛むのか、紗友里はすぐに動いてこない。
私は刀を正眼に構えて呼吸を整える。そのおかげか、少しばかり落ち着くことができた。
状況を整理しよう。
様子を伺いつつも思考を巡らせていく。まず、目の前の紗友里は間違いなく本物だ。何をされたのか知らないが、ピンク鬼に操られてしまっている。
狙いはおそらく同士討ち。そうして戦力を消耗したところを叩くつもりなのだ。
だから私は可能な限り消耗せず、そして傷つけずに紗友里を無力化しなければならない。上手くできるか分からないけど、刀の峰で攻撃すれば……
などと考えていると、紗友里がサーベルを頭上に掲げていた。
一体、な──⁉
するとサーベルから溶岩が噴き出し始める。さらにそれらは一つになり、真っ赤な竜へと変化した。
その巨大な体躯に私は呆然としてしまう。紗友里、これって──
「溶岩竜!」
「! 桜流し!」
紗友里がこれを容赦なく放ってきた。
すぐさま桜を飛ばして応戦する。無限とも言える薄紅の花びらが、竜の動きを堰き止めた。
くっ、重い!
桜を伝って竜の重みが、熱さが伝わってくる。ちょっとでも引けば押し潰されてしまいそうだ。
堪えろ!
私は桜の勢いを上げる。しかし、紗友里も同じタイミングで竜の体躯を一回り大きくしてきた。
互いの考えが一致したせいで、膠着状態から抜け出すことができない。両者一歩も引けず、雁字搦めになってしまった。
そのままの状態で数十秒が経過する。
ゆっくりと桜と竜を構成する然気が飽和し、それぞれの形が崩れ始める。
そうして2つの然気が混ざりあい──
瞬間、強い爆発を起こした。
私たちはその衝撃をモロに喰らう。吹き飛ばされビルの壁に叩きつけられた。
いつつ……
ぶつけた背中が痛い。今のはかなり効いた。
私は痛みを覚えつつも、刀を杖にしてなんとか立ち上がる。紗友里は?
向こうも似たような状況だった。たたらを踏みながら立ち上がっている。
紗友里が再び構えを取る。そのサーベルは灼熱に染まり、ポタポタと溶岩を滴らせていた。岩属性の然気が溶岩として現れてるみたいね。
紗友里がサーベルを大きく払う。今度は──⁉
その身に迫る溶岩の剣閃を、すんでのところで跳んで回避する。飛来した剣閃は、背後にあったビルを一瞬のうちに溶かしてしまった。
私は空中で今の攻撃を分析する。溶岩を斬撃の形にして攻撃範囲を拡大させたのか。しかもあの熱さにより、安易に受けることも難しい。
然気を覚醒した僅かな時間で、こんな使い方を編み出すなんて。紗友里も私に負けないぐらいの天才なんだ。いや、然気の使い方なら私以上かも……まずい!
私が悠長に分析している間に、紗友里は追撃の構えを取っていた。このままだと跡形もなく溶かされてしまう!
なんとか逃げないと!
私は背後のビルを蹴ってその場から離れる。すると間髪入れずに、そこに剣閃が飛来していた。足場にした箇所は完全に溶かされてしまっている。
私はビルを伝って剣閃を躱し続ける。なんとか回避できてるものの、じわじわと追い込まれていく感覚があった。溶岩によりビルがどんどん溶かされていき、足場にできる場所が目減りしていく。
私も有希さんみたいに飛べたらいいのに!
私は躱しながら嘆く。もし有希さんだったら、空中を自在に動き回り、瞬間移動で一気に間合いを詰めているはずだ。
……いや、嘆いたって何も変わらない。有希さんに追いつくためにも、私もできるようにならないと!
私は進行方向と逆に然気を放ってみる。ロケット噴射の要領で、推進力を得られないか試しているのだ。
まずい!
そんな私に突きの剣閃が迫る。ここは空中、近くに足場もない。
お願い!
私は祈りながら一気に然気の出力を上げる。
それにより、ギリギリでその場から離れることに成功した。速度も瞬間移動とまではいかずとも、高速移動ぐらいは出せている。
ってやばい! ぶつかる!
一難去ってまた一難、目の前に溶けたビルが迫っていた。私は大急ぎでビルへと然気を飛ばし静止を試みる。
ふう、危なかった……
なんとか急ブレーキがかかり、ビルの手前で静止することができた。
あとは重力と釣り合うように然気を出せば!
仕上げに、今度は空中で然気を真下に放つ。
よし! できた!
そして見事に静止することができた。さらに一連の流れで、然気の出力調整を掴むことにも成功する。
これでまた1つ、有希さんに近づけたわね。
私はその事実を噛みしめる。剣術、然気、移動と、少なくとも3つは近いモノが再現できるようになった。
空中に止まった私に何を思ったか、紗友里がじっとこちらを見つめている……ように感じる(目は閉じてるから)。
しかし、気を取り直したのかすぐに攻撃を再開してきた。私は掴んだ感覚を駆使して空中を駆け回る。
紗友里は突きを無数に放ち、剣閃を一斉掃射してきた。さっきまでの私なら、間違いなく逃げ道を失っていたことだろう。
けど今は違う。私は剣閃の合間を縫って紗友里との距離を詰めていく。
そうして一足一刀の間合いまで迫った。ここまでくれば、紗友里の剣閃は意味をなさない。
この距離ならば!
私は純粋な剣術勝負をしかける。桜花の太刀筋は、有希さんに引けを取らない自慢の逸品だ。
私はサーベル狙いで刀を振るっていく。
紗友里は私の剣舞に翻弄されながらも、なんとか反撃してきていた。器用に衝撃を受け流して、中々サーベルを手放さない。
やっぱり手強い!
改めて紗友里の強さを認識する。流石は私に次ぐ実力者、一筋縄じゃいかない。
けど、このままいけば!
とは言っても追い詰めることはできていた。反撃の手も次第に弱くなってきている。
「……」
軽い間を置いて、紗友里が大きく跳んで距離を取った。さっきの私みたいに態勢を立て直すつもりね。
ここぞとばかりに追撃を図る。紗友里は私の剣撃に眉間を寄せると、大きく横に回避した。
私はすぐに切り返して逃げた先へと追いつく。
結果、紗友里と至近距離で向かい合う形になった。
私はすぐさま剣を振り上げる。そして紗友里は防御の構えを取──
な……んで
らなかった。無防備に私の一撃を袈裟に喰らう。
斬り口から、無数の桜の花びらが飛び散った。
どうして……どうして防がなかったの?
困惑と恐怖が、私の身体に深く刻まれていく。手がどうしようもなく震えていた。
私が、紗友里を──
すると、私の肩にそっと触れる感覚がする。
顔を上げると、そこには紗友里のはにかむ顔があった。
「紗友──」
だが声を掛けようとしたその瞬間、彼女は崩れるように地面へと倒れた。
「さ、紗友里! 紗友里!!」
私は倒れた身体を揺する。しかし、ピクリとも反応を示さない。
やめて! 死なないで! 私を人殺しにしないで!
心がグチャグチャになる。イヤだ! イヤだ! イヤだ!!
「あーあ、やっちまったね。早く手当しないと死んじまうよ」
ピンク鬼は真顔でこちらに言ってくる。私はその声を聞いて───
「っ!」
有無を言わさず攻撃を仕掛けていた。ピンク鬼は斬られるとすぐに雲散霧消した。
「手当てより鬱憤を晴らすのが先なのかい?」
「うるさい!」
自分でもヒステリックになってる。わかってる。でも、叫ばずにいられない。
ピンク鬼は私の背後に現れると、倒れた紗友里に触れようとしていた。
「触らないで!」
私は反射的に斬りかかる。コイツが紗友里に触ることに対し、言いようのない不快感があった。
「まったく、手当してやろうってのに非道い女だね」
斬られたピンク鬼が、蜃気楼みたいに揺らめきながら煽ってくる。
その言葉が私の逆鱗を刺激する。誰のせいでこうなったと!
黒い憎しみが沸々と湧き起こってくる。初めて、心の底から殺してやりたいと思った。
「……!」
そうして睨みつけていると、ガバっと音が出そうな勢いで紗友里が起き上がった。
「紗友里……⁉ 紗友里!」
私は彼女が生きていた事実に喜ぶ。刀を放り出して、すぐに抱きしめたい衝動に駆られた。
ってダメ! 紗友里はまだ操られてる!
私は行きかけたところで我に返る。それに、生きているのが分かった以上、今はピンク鬼の討伐が最優先だ。
……待って、様子がおかしい。
紗友里はさっきから、何かを確認するようにキョロキョロと辺りを見渡している。
そして声に気づいたのか私の方を見る。そこからしばらく見つめ合うと、紗友里は嬉しそうにガッツポーズを取った。
どういうこと? もう操られてるわけじゃない?
私の脳内に疑問符がいくつも浮かび上がる。
「……なんだい、もう起きたのかい」
ピンク鬼がウザったげに煙管に口をつける。イライラを誤魔化すように何度も何度も口に運んでいた。
辺りが白い煙に包まれていく。
あれ? 最初は黒い煙だったような……
私はモクモクと白煙を吐き出すピンク鬼に違和感を覚える。
(アタイの武器はこの煙管だよ)
「……まさか!」
私としたことが、なんで早く気づかなかったんだ!
私は自らの鈍感さがイヤになる。ヒントは到る所に転がっていたじゃないか。
術中に嵌っていたんだ。あの黒い煙を吸った時点で。
それなら煙管が武器だというのも、ピンク鬼を斬ることができないのも、紗友里が操られたのにもすべて合点がいく。原理は分からないけどきっとそうだ。
じゃあ、今の紗友里は?
そこで生まれる新しい疑問。私には紗友里が目を瞑ったまま、正気に戻ったように見えている。
もしかして、紗友里はこれに気づいて⁉
私は一つの可能性を導き出す。もしそうなら、彼女がわざと斬られたのにも納得できる。
なら、紗友里は最初から操られてなかったってこと?
次々と疑問が浮かび上がってくる。私には何が起きているのか、いまいち理解しきれない。
立ち上がった紗友里が私にサーベルを向けてくる。本来なら、警戒しないといけない場面だ。
じっ・と・し・て・ろ・よ
だが紗友里の口元はそう言ってるように見えた。さらにはサーベルの峰をこちらに向けており、然気も一切出していない。
どう見てもむこうに戦う意志はない。
ここは、紗友里に任せましょう。
そう判断した私は両手を上げ、コクリと頷く。
紗友里は私の意志を察知すると、サーベルを大きく振りかぶり、その峰で私の頭を打つ。
その強い衝撃により、私の視界はブラックアウトした。




