無絶の罠
「シスネん所すげぇな。カレー食ってるよ」
シスネさんたちの戦いを見ていた彩華さんが、驚嘆した様子で呟いた。私としては双方死ぬことなく、かつ周りの被害も最小限に済んでよかったと思う。
「私も腹ぁ減ってきたな。アイツ、プリンとか出してくれねぇかな」
「彩華さんって本当にプリン好きよね。髪型もプリンみたいだし」
「うっせぇ、イチゴ大好き武藤ちゃんに言われたくねぇ」
「えっ、何その呼び方……確かに好きだけどいきなりどうした?」
「う、うるさい! だまれ!」
彩華さんは自分で言っといて顔を赤くする。
「みんなはさ、プリンならどんなのが好き? 私は上にホイップ乗ってるのかな」
私たちを差し置いて綾音先輩が話を広げる。
「よくプリンの上に乗ってるやつですね。見た目もよくなるし私も好きです」
「そうそう! アレが乗ってるだけでも少し豪華な感じするよね」
「確かに。けど個人的には、ホイップはそれ単体で美味いからズルいと思います」
むしろそれだけ食べたいまである。
「確かに、ケーキに塗ってあっても美味しいもんね。彩華ちゃんは?」
「私はカラメルが苦いやつだな。プリンって奴は、苦いカラメルとセットじゃねぇとダメだ。カラメルが甘いとクドくてとても食えたもんじゃねえ」
「えー、甘いのがいいんじゃーん! 私なんて甘ければ甘いほど好きだよ」
「あくまでも私個人の意見だから、別に他人の食い方にケチつけたい訳じゃない」
「それならいっそ、両方とも採用したらいいんじゃない?」
私は折衷案? 妥協案? を提案する。
「それアリだな。いやむしろ、両方かけた方が美味いかもしれん」
「甘いホイップに苦いカラメルか……ヤバイ! 想像したらお腹空いてきちゃった! 瞳先生はどんなプリンが好きですか!」
空腹をごまかすように瞳先生に話を振る。
「そうだな。私はプリンよりポテチの方が好きだ」
綾音先輩の質問に瞳先生は斜め上の解答をした。私たちの間になんとも言えない空気が流れる。
く、空気読めねぇなこの人……
私たちは多分、揃いも揃って同じことを思った。
「僕はよく、空気が読めないって言われるんだ」
仲間たちが戦いを始め、いざ我々も戦いを始めようってところで、黒い長身の鬼がカミングアウトしてきた。
「そんなことを言われたところで、我らにはどうしようもないぞ」
私は、まさしく空気の読めない発言に苦言を呈する。
「わっかるよ! 私もよく同じこと言われるもん!」
そこに同意する形でソソが肯定の意を示した。もしやこの場合、空気が読めてないのは私になるのか?
「僕はいつもそうなんだ。兄さんたちが戦うのを後ろから見てるだけ。本当は僕も戦わなきゃいけないのに、どうしてもそれができない。妹ですら、相手を惑わして戦うことができるのに」
「何が言いたい?」
「えっと、それは………」
黒鬼はオドオドするだけで中々その理由を口にしない。
「はっきり言え! このノロマ!」
私はその様子にイライラした感情を覚える。わかってる。これはきっと自己嫌悪だ。
「ひ、ひぃ!」
黒鬼が悲鳴を上げる。なんとも情けない……そんなんじゃ、戦場を生き抜くことなんて到底できんぞ。
「ぼ、僕は罠を張って待ち伏せるしかできないんだ! 正々堂々なんて無理だから断りを入れたかったんだよ! だから怒らないで!」
頭を抱えてうずくまる黒鬼。もはや戦うまでもなく勝敗が決しているように見える。
「そうなんだ! じゃあ私たちから向かっていくしかないね!」
なのに、なんにも分かってないソソが安直な答えを出した。攻め落とすなら確かにそれが正しい。
だが
「待てソソ、私たちの目的は彼らを退けることだ。向こうに戦う意思がないのなら、わざわざ戦う必要はない」
私は大局的視点から指摘する。コレは防衛戦なのだ。領土を侵されたのならともかく、そうでないのなら無為に攻める必要はない。
「分かってないなぁ美香ちゃんは」
やれやれといった様子でソソが言う。
そして
「みんなが戦ってるんだから、ここは戦うのが筋でしょ!」
とドヤ顔で高らかに宣言した。どうやらこれが、ソソの空気を読んだ結果らしい。
私は全身の力が抜けていくのを感じる。確かに、ここで戦わないのは空気が読めてないと言えなくもない。
しかし
「何を馬鹿な……これは訓練じゃない。武藤殿の言葉を忘れたのか!」
私は厳しい口調で指摘した。我らがすべきは勝つことであって戦うことではない。本質を見失っては元も子もないぞ。
「忘れてないよ〜、でもこのままジッとしててもつまらないじゃん」
ソソがブーたれた様子で文句をつける。
「お前……そんなに戦いたいのか?」
「うん! もうムラムラして仕方ないんだから! ここで戦わなかったら、3回戦はしないと収まらないよ!」
ソソが飢えた獣のような目をして言った。さらに鼻息は荒く、顔も上気させて辛抱たまらないといった様子である。
「お前の性欲は、戦闘欲にも変換されるのか……」
その様子に、私は根源的恐怖を覚えた。
「そ、その……会話終わった?」
黒鬼がおそるおそるといった様子で尋ねてくる。
「一応な。不本意だが、我らは貴校の罠を破ることを目標とする。破られれば貴校の負け。破れなければ我々の負け。コレでいいか?」
私はソソの主張に負けた。このまま放っておけば、最悪の場合、私に襲いかかってくる可能性があるからだ。それほどまでに今のソソは昂ぶっている。なぜ戦場で強姦が起こるのか、その一端を見せられた気分だ。
「い、いいの?」
「二言はない」
「いいよ! 思いっきりやって!」
私たちはそれぞれ肯定の意を示す。
「助かるよ! コレでようやく僕の罠が役立つか分かる!」
黒鬼は嬉しそうだ。まあ、喜んでもらえるのなら身体を張る意味もあるか。
「それじゃあ罠張るよ!」
黒鬼はそう言うと、大きく後ろに下がった上で手を広げた。パッと見では何もしているように見えない。しかしブラフを貼る意味もないので、おそらくは見えないように設置しているのだろう。罠を仕掛ける上での定石だな。
「ワクワク!」
ソソは目を輝かせて楽しそうにしている。ここまで能天気でいられるコイツが羨ましい。
「張れたよ!」
黒鬼が拡声器を使って設置できたことを伝えてくる。やはり、不可視で張ることができたか。
私たちのいる場所はビルに囲まれた県道の、その片側3車線。鬼までの距離はざっと70メートルほど。
よし!
「では、参る!」
「行くよ!」
私たちは声で合図を送ると、黒鬼の下へと駆け出した。いつ何が飛び出してきてもいいよう、細心の注意を払って。
ん?
どうやらさっそく何かを踏んでしまったようだ。着地した脚から違和感が伝わってくる。
後ろに跳んで回……え?
躱そうとした瞬間、視界がブラックアウトする。
そして、気がつくと空中に投げ出されていた。視線の先に欠けた月が見える。
こんな罠ありなのか⁉
私は予想外の罠に驚愕する。
いや……そうだ。コイツは鬼だから、一般的な罠を埋め込んでるとは限らない。相手が異能の存在であることを失念していた。
ダメだな。少年兵だった経験から、どうにも戦場での習わしが抜けきらない。
私は身体を捻って反転し、自分の居場所を確認する。どうやらさっきいた場所の頭上のようだ。
チャンス!
私は目下の黒鬼に鉛玉を飛ばした。触れれば爆発する特製弾。果たしてどう対応する?
鉛玉は黒鬼の頭上へまっすぐ飛んでいく。しかし、黒鬼の近くまで行ったところで勢いが削がれてしまった。結界が張ってあるのか、念力で浮いているようにその場で静止している。
そして
「なに⁉」
猛烈な勢いでこちらに帰ってきていた。間一髪で回避に成功するも、弾丸が頬を掠っていった。
私は罠の恐ろしさを実感する。いずれにしても、まずは体勢を立て直さなければ。
私は初めにいた場所に着地する。
しまっ──⁉
しかし着地した瞬間に足元に違和感を覚えた。まさか、移動──
目の前の視界が炎に覆われる。同時に、全身が炎に包まれた。
「あああああ!」
あまりの熱さに悲鳴を我慢できない。このままだと、全身が焼け焦げてしまう!
「美香ちゃん!」
そこにずぶ濡れになったソソが抱きついてきた。色々と疑問を感じるが、その濡れた身体はとてもありがたい。
ソソの懸命な処置により、なんとか炎を消すことができた。所々衣服が燃えてしまったが、見られたくない部分は燃えずに済んだ。
「大丈夫?」
「な、なんとか。それより、なぜ濡れてる?」
「聞いてよ! なんか踏んだと思ったら、いきなり水に囲まれちゃったんだよ! 泳いで抜け出せたからいいけど、危うく溺れるところだよ!」
ソソがプンスコと擬音が出そうな様子で怒っている。
「ちょっと! 罠の火力高すぎない⁉」
「ご、ごめんなさい! 全力でいいって言ったからその……」
抗議に対して黒鬼が申し訳なさそうな顔をする。そういえば、ソソがそんなことを言っていたな。
「あっ……そうだったゴメン。あの、今から弱めることはできないかな?」
今度はソソが申し訳なさそうな顔をする。
「あ、その……」
再び黒鬼が口ごもっている。その様子に、嫌な予感が頭をよぎった。
「実は設置した罠は、バリア含めて解除できないんだ……」
恐る恐ると言った様子で黒鬼が呟く。やっぱり、そんな気がしたんだ。
「う、嘘でしょ⁉ どうにかならない⁉」
「ご、ごめんなさい! ならないです!」
「なら、普段はどうやって抜け出してるんだ?」
慌てるソソを他所に私は黒鬼に質問する。
「いつもは赤兄さんが無敵の身体で突破してくれるんだよ。あの人、どれだけ攻撃されても傷一つつかないから」
それに黒鬼が答えてくれた。あの赤鬼、なんて恐ろしい能力を持っているんだ。辻本殿が対応していたが、コレは相当苦戦するに違いない。
「つまり、それ以外の人には突破できないわけか」
「そうなるね……ごめん、僕が調子に乗ったばっかりに」
黒鬼が申し訳なさそうに言う。やはり勝つためには、この罠を突破する必要があるようだ。
「いや、コレは私たちが蒔いた種だ。気にする必要はない」
私は彼を励ます。そしてソソも、ウンウンと頷いて同意してくれた。
「しかし、コレを……か」
私の目の前には、目に見えない無数の罠が蠢いている。そしてその一つ一つが、私たちの生命を脅かす威力を持っているのだ。
こうなると分かっていたら、無理にでもソソを静止したんだがな。
私の中で、考えても仕方ないことが頭をもたげる。
それぐらい、目の前の光景には絶望感があった。




