食べ物の恨みⅡ
「な、なんという気迫……」
激怒した黄鬼にシスネが慄く。チラッと見ると脚が少し震えてるようだった。どうやら異様な様子に萎縮してしまったらしい。
「シスネは下がってて。私一人でやるから」
私は手で制してシスネを下がらせる。コレは私が撒いた種だ。シスネを巻き込むわけにはいかない。
「し、しかし!」
「いいから」
「食い物を粗末にしたのはお前らかぁ!」
怒気の孕んだ声で黄鬼が問いただしてくる。その声に私も怯みそうになる。
ダメだ、ここは堪えろ!
「私だけだ! シスネは関係ない!」
それに応える形で私は一歩前に出る。
そして鞘から剣を抜いて、戦闘の意志を見せた。
「お前かぁぁぁぁ‼」
私を標的に定めた黄鬼が、雄叫びを上げながら突撃してきた。その様子は速さも相まって大砲のよう。
喰らえ!
私はそう念じて眼に力を込める。
シャッ
すると、望み通りに眼から何か飛び出すのを感じた。それが斬撃になって黄鬼に向かっていく。
「ぐわぁ!」
止まれない状態の黄鬼はものの見事に直撃した。身体がバラバラと積み木のように崩れていく。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
怒りの雄叫びを上げながら、黄鬼は猛スピードで身体を修復させていく。まずい、さっきよりも再生速度が速い!
くっ、もう一回!
私は眼に再び力を込める。再生が間に合う前に斬撃を撃ち込むんだ!
再び望み通りに飛ぶ斬撃。8割型再生していた黄鬼が再度バラバラになる。
まだまだ!
私は一定間隔で斬撃を飛し続ける。黄鬼はその斬撃を素直に喰らい続けていた。怒りで我を忘れてるせいで、単調な繰り返しに対応することができていない。
そして、斬撃を何度も見るうちにあることに気づく。この斬撃は風でできていた。これはおそらく然気の属性によるもの。いつの間にか私は、然気の属性を使えるようになっていたらしい。
「はぁ、はぁ、はぁ」
そうして飛ばし続けること数十回。際限のない繰り返しに息が上がってきていた。
さらに負荷が掛かっているのか、眼が充血したような痛みを訴えている。
「くっ!」
その沁みるような痛みに、私は堪らずまばたきをした。
瞬間、私は黄鬼の姿を見失った。飛ばした斬撃が虚しく周りの建物に傷をつける。
「え?」
そして黒い影が差すと同時に、後頭部に強い衝撃が襲ってきた。
顔が地面に叩きつけられる。頭部と顔がジンジンと強い熱を訴えだした。
「食べ物の恨みぃ!」
その声にぼんやりと振り返ると、怒った黄鬼が拳を構えていた。
そして打たれる。打たれる打たれる打たれる打たれる。
顔面に何度も拳が振り下ろされた。顔面が沸騰したみたいに熱を帯びていく。
「謝れ謝れ謝れぇ!」
黄鬼は拳を振るいながら謝るよう強要してくる。私としても、できることならすぐに謝りたい。
しかし、謝りたくても拳が止まらないから口を開けることができなかった。仮に開けられても、腫れ上がってとても喋れそうにない。
何度も殴られて腫れた瞳に、べっとりと血の付いた拳が見えた。そして、その拳が私の眼を強制的に塞ぐ。
ああ、食べ物の恨みって恐ろしい……
私は遠くなる意識の中でそんなことを考えていた。
「やめて……」
馬乗りに殴られる深琴に、私は震える声で懇願します。
「やめてください!」
そして見ていられず、遂には声を上げてしまいました。
「こちらに非があることは否定しません! しかし、ここまでされる謂れはないはずです!」
私は彼にやめてもらおうと説得を試みます。
しかし聞こえていないのか、彼は耳を貸そうとしません。一心不乱に深琴の顔を殴りつけています。
「無視しないでください!」
さらに声を張り上げて主張しますが、彼はやめようとしません。
もしかして、理性を失ってる?
あまりに聞く耳持たない様子に一つの可能性が浮かびます。もしそうだったら、深琴はいつ赦されるのでしょう? ともすれば死も……
「飛べよ、然気弾!」
その可能性に気づいたときには剣を振るっていました。白みを帯びた塊が彼に向かっていきます。
「邪魔するなぁ!」
背中に然気を受けた彼がこちらに怒号を飛ばしてきました。ビリビリとした威圧感が、身体の芯を突き抜けていきます。
目の前には生命の危機があるのを肌で感じます。彼は本気で私たちを殺そうとしているのです。
「私がお相手します! だから深琴を解放して下さい!」
「お前もかぁ! お前も食べ物を粗末にするのかぁ!」
「それは……」
私が食べ物を粗末にすることなどまずありえません。私はみなし子の身。本来であれば、ご飯を頂けるだけでもありがたいのです。
しかし
「し、します! ご飯は毎日残すし! 不味かったら捨てちゃいます!」
ここは嘘をついてでも彼の気を引くのが優先です。これでどうか、怒りの矛先をこちらに!
「お前もかぁ!」
黄鬼は怒張した声で怒りを露わにすると、一直線にこちらに向かってきました。
「食べ物の恨みぃ!」
そして、巨大な拳をこちらに振り被ってきました。
「防げ! 然気壁!」
私はタイミングを合わせて剣を掲げ、然気の障壁を展開します。今まで円卓の騎士の攻撃を防いできた私の鉄壁の守りです。
黄鬼の拳が障壁に激突します。分厚い透明な壁が、甲高い音を出して衝撃を吸収します。
これで防いでる間に、なんとか理性を!
私は彼に呼び掛けを試みます。
「聞い……」
「ぬわぁぁぁぁ!」
しかし私の声を遮り、黄鬼は叫びながら強引に障壁を突き破ってきました。
「きゃっ!」
そして私の顔を、容赦なく振り抜きます。
その一撃に、私は大きく後方に飛ばされてしまいます。練度不足の自覚はありますが、こうもあっさりと破られるなんて。
これでは呼び掛けなんてとても……
空を仰ぎ見ながら私は打ちひしがれます。
すると、そこに黄色い塊が出現しました。
まずい!
私は遮二無二になって回避を試みます。
なんとか間一髪、横に転がることで拳を回避することができました。
元いた場所を見ると、拳で地面が凹んでしまっていました。
なんて恐ろしい威力……こんな拳で深琴の顔を!
その怖気のする光景に、どす黒い感情が湧き上がるのを感じます。
許せない……彼は絶対に私が!
「逃げるなぁ!」
躱された黄鬼が不満そうに叫びます。不満があるのはこっちだって話です。
「喰らいなさい! 然気斬!」
その証明に、私はありったけの怒りを込めて十字架剣を横に薙ぎます。
すると今まで出したことのない一撃が、彼に向かっていきます。その様はまるで押し寄せる津波のよう。
「うあぁぁぁぁぁ!」
斬撃をモロに喰らった黄鬼が跡形もなく消滅します。
ぐにゅん! ポン! ずパパパパ!
おお、すごいです。粉々になったのに身体が再生しています。まさか無からも復元できるとは。
私は剣を上段に振りかぶります。再生するのなら、何度でも粉々するだけのこと!
「喰らいなさい! 然気……!」
──冷静になりなさい。そのままでは勝てないよ。
すると、私の脳内に主の言葉が響き渡りました。
えっ⁉ どうして⁉
私は思わぬことに慌てて、斬撃を誤射してしまいました。黄鬼と、そして奥の深琴の横を斬撃が抜けていきます。
──今の君にできるのはあの鬼を正気に戻すことまで。それ以上のことはできないよ。それ以上のことは、彼女と協力して臨みなさい。
容赦のない啓示が私に提示されます。しかし、それでは私の気が収まりません。
主の言葉ではありますが、私は受け入れることができませんでした。
──別に怒りを鎮めろなんて言うつもりはないよ。妖怪などという魔族は死んで正解だからね。私はただ、より確実な手段を取るよう諌めているんだ。
主は私の気持ちを慮ってくれたようです。その共感は私の心にスッと染み渡りました。
そのおかげもあり、少し落ち着くことができました。
確かにこのまま戦っても、無限の再生力にジリ貧になることは目に見えています。
──そんな悠長に考えてていいのかな?
私が平静を取り戻した所に、主は意味深な啓示をします。それは一体どういう……
すると私の目の前に怒り狂った黄鬼が迫っていました。殺すつもりの拳を振りかざして。
「ま、まと……!」
間に合わない!
私は咄嗟に剣を掲げますが、いきなりのことに思わず目を瞑ってしまいました。今に拳が!
……しかし、いつまで経っても痛みは襲ってきませんでした。
不可解な様子に、私は恐る恐る目を開きます。
これは──水⁉
視線の先には、いつの間にか水面が出来上がっていました。黄鬼の拳を水が吸収してくれているようです。
まさか! これって!
私はこのタイミングで、然気の属性を使えるようになったようです。
──よかった、みんな順調に覚醒してるみたいだね。
主の声には安堵が感じられました。すべてを見通せる存在であっても、不安に感じることがあるようです。
──人間は不完全だからね。私の予想を上回りも下回りもするんだ。それじゃあ後は任せたよ。女神のお気に入りを助けてやってくれ。
「はい!」
私は主の啓示に返事をします。
一連のやり取りですっかり目を覚ますことができました。今の私には、目的のためにすべきことがはっきり分かっています。
そのためにまずは──
「消えよ! 水面の壁!」
私は彼が拳を振るうのと同時に、障壁を取り払います。
「ぬぁ⁉」
目標の突然の様子に彼は驚きの声を上げます。そして私が横に回避することで、勢い余って前のめりに転んでしまいました。
「纏えよ! 雫の輪!」
すかさず私は剣を掲げ、輪を描くように剣先を回転させます。そうすることで水の然気を輪の形に変形させるのです。
まずい! もう起き上がってる!
しかし彼は受け身を取っていたらしく、既に起き上がっていました。そしてこちらに再び拳を向けてきます。
「うおぁぁぁぁ!」
「捕め!」
私は剣を振り下ろし、水面の輪を引き絞ります。
よし、拘束できた!
間一髪、拳が当たる前に拘束することができました。彼は両手を縛られたことで身動きが取れません。
「離せぇぇぇぇ!」
拘束された状態でもがく彼。あまりに強大な力に、油断すればこちらの拘束も解けてしまいそうです。
「落ち着きなさい!」
私は声を張り上げて呼びかけます。
「うっ、うおああああ!」
しかし彼の耳に私の言葉は届いていません。なんとか振り解こうと彼は懸命に藻掻いています。
「痛っ!」
さらに私の頭に痛みが奔ります。同時に赤く、生暖かい血液が視界に入ってきました。
どうやらさっきの拳は微かに当たっていたようです。しかも拘束に力を入れているせいなのか、血が止めどなく流れて来ています。
どうしましょう。このままだといずれ拘束が解かれてしまいます。そうすれば、今度こそ彼を止める手立てはありません。
いっ、一体どうすれば!
しゅあー
すると、私の耳に何かが焼けるような音が聞こえてきました。こ、これはなんの音でしょう?
「うぐぁぁぁぁあ!」
彼が叫びと共に力を強めてきます。それと同時に
じゅわぁぁ
私の水の然気が蒸発し始めていました。
なんという高温。よほど頭に血が上っているように見えます。
ん? 頭に血?
「コレですわ!」
私は天啓を得ます。怒り狂った者を静めるにはアレをするのが効果的です。
「黄鬼様!」
私は拘束した水とは別に新たに然気で水を精製します。
そして
「少し、頭を冷やしなさい!」
その水を彼の頭に浴びせました。『頭を冷やす』。頓知じみてはいますが私にできる最適な手段です。
「あ、え……」
しかしそう易々とはいきません。この程度では彼の意識を完全に取り戻せませんでした。
「もう一回!」
ならばと、追い打ちとしてさらに水を浴びせます。量としてはお風呂をひっくり返したぐらい。今の私が出せる最大量です。
「…………」
全身ずぶ濡れになった彼は、一言も発さずに立ち尽くしていました。今がチャンス!
「さあ、目を覚まして下さい!」
私は彼の元に近づくとはしたなくも叫びました。
「うわぁ! 一体なんだ!」
私の言葉にようやく彼の自我が戻ってきました。彼の夜叉のような形相が、元の愛嬌のある顔に変化します。
「ど、どうして僕は拘束されてるんだ⁉」
「それは……アナタが我を忘れて暴れていたからです」
「暴れてって……もしかして、僕は意識を⁉」
「はい。それでお願いがあるのです」
「お、お願い?」
私は拘束を解きながら頭を下げます。
「アナタのカレーを溢してしまったことは謝ります。しかしワザとではなかったのです。なので、どうか私たちのことを……」
「わかった、許す! 許すから教えてほしい! 僕は何か酷いことしなかった⁉」
「その……言いにくいのですが」
私は視線で深琴の方を見ます。私の意図に気づいた黄鬼は深琴の元へと走っていきました。
「怒りに我を忘れて……僕はなんてことを!」
深琴の顔を見た黄鬼が発狂します。私も深琴の様子を見てみると
「───⁉」
その悲惨さに顔を覆いたくなりました。深琴の顔はユニセックスでとても美しい顔をしているのです。それが……見る影もありません。
「ごめんね! いま治すから!」
彼が手をかざすと、緑を帯びた然気が深琴の顔に当てられます。
すると、みるみる内に深琴の顔の腫れが引いていきました。
「アナタ、怪我の治療ができるのですか?」
「うん。僕、昔からこうやって食べ物を駄目にされると我を忘れちゃうんだ。だから、お兄ちゃんたちに怪我を治せるようにしなさいって」
「なるほど……ありがとうございます」
「お礼はいらないよ……僕はただ、自分のやったことにケジメをつけるだけだから」
彼は落ち込んだような顔で言いました。
「コレでもう大丈夫」
「う、あれ?」
「深琴、大丈夫ですか」
怪我が治り、目を覚まされた深琴に声をかけます。
「顔の熱が引いてる……どうして?」
ペタペタと顔を触りながら、深琴が尋ねてきます。
「彼が治してくれたのです」
私は後ろに控えてる彼の方に手を差し向けます。
「そうなんだ……ありがとう。そして、ごめんなさい」
深琴はシュンとした様子で頭を下げました。
「いやいや、こっちこそごめんね! ……そうだ! 仲直りの印にみんなでカレー食べようよ!」
閃いた顔をした彼は、あっという間にカレーを3人分取り出しました。私たちはそれを言われるがままに受け取ります。
「戦わなくていいの?」
「実はさっき、金髪の子に拘束されてたんだよね。だから君がいなかったら僕は負けてたんだよ。それに大暴れして疲れたからね。いずれにしても休憩したいな」
彼は呑気な口調でそう言うと、さっそくカレーをがっつき出しました。
「しかし、こちらとしても慈悲をかけて頂いたので、とても勝てたとは言えません」
「なら引き分けでいいんじゃない? さっ、早く食べて! カレーは熱い内に食べないと」
彼はカレーを食べるように進めてきます。その言葉はとてもありがたいのですが、製造方法が分からないモノなので少し躊躇ってしまいます。
「あ、これ美味しい」
などと考えていたら、既に深琴が口を付けていました。
「これ、どうやって作ってるの?」
カレーを頬張りながら深琴が尋ねます。流石、なんと自然な問いかけ!
「これはねぇ、家にある厨房からだよ。僕たちの神様が教えてくれたレシピなんだぁ」
カレーをかき込みながら、彼はとても嬉しそうに話してくれました。少なくとも危険なものではなさそうです。
ぐうう
「あっ」
時間帯のせいもあるでしょうが、お腹の虫が鳴ってしまいました。そういえば、啓示を聞いてから働きづめで食事を取っていませんでしたね。
「で、では私も頂きましょう」
私はお腹の鳴ったのを誤魔化すように、カレーに口を付けました。
カレーはどこか懐かしさを感じられる味で、とても美味しかったです。
「武器、せっかくあげたのに使わずに解決してしまったね」
「そうみたいね。『風の然気で切断して、水の然気で拘束する』作戦が台無しよ。まあ、深琴が死なずに済んだんだからいいけどさ」
「やはり人間は一筋縄ではいかないな。予想通りに動いてくれない」
「不完全であるからこそ未知の可能性を引き出せる。まさに役割通りの仕事ね」
「私としては、敵は排除して欲しいけどね。未開の地だから仕方ないけど、『ファンダー』が広まってないのがもどかしいよ」
「……別にいいんじゃない? 次のために、使えるなら敵だって使えばいいのよ」
「確かに、戦力は多いに越したことないか。いくらアーサーがいるとは言っても、次を乗り越えるのは至難の業だし」
「そうそう。とりあえず今は、お気に入りたちの無事を祝いましょう」
「そうだね……と言いたいところだけど、祝杯は私の他のお気に入りが勝ってからにしよう」




