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ビックフィッシュ

作者: 序盤二

 海の中に無数に散らばる針。それは釣り人が、漁師が岩礁に引っ掛けたのか。回収することが出来なかった海の残骸。その一つに大きな魚がかかっている。その魚は誰にも釣り上げられることはない。ただ海の底で息を引き取るのを待っている。今もずっと待っている。


 ある男がいた。男は小説家だ。いくつもの雑誌に毎週同時に五本の連載をしている。その全ての作品が雑誌の看板を飾る。毎週たくさんの読者が彼の作品の続き楽しみにしている。彼はこの時代で一番人気の作家だ。

彼に専属の出版社はない。それぞれ別の出版社の雑誌に作品を掲載する。一人でも多くの読者に作品を届ける。それが彼のモットーであり、出版社もそれを理解していた。

毎週同時に五本を連載する。それは尋常ではないことだ。しかし彼は一度も原稿を落とさなかった。彼のそんな生活が三年間続いた。

そして遂に五本の連載が完結に近づいた。読者はもうこの国だけに留まらなかった。この三年の間に翻訳されて世界中に彼の読者がいた。テレビ、ラジオも彼の作品が終わりに近いことを報じた。ファンからの期待はすこぶる高かった。下手に終わらせては世界中からバッシングを受けるだろう。そんな中で彼はこう宣言した。五本の作品を同時に完結させる。世界中がそれに沸いた。どこからその自信が沸いてくるのだろうか。彼を一番近くで見ていた私にも分からない。

彼は作品を愛していた。莫大な印税もどこかの慈善団体にほとんど寄付してしまった。だから私達の暮らしは三年前からほとんど変化しなかった。

「お金なんて必要ないんだ。僕はずっと画用紙に落書きをする子供のように小説を書きたい。僕だけの作品を書ければ僕はそれで満足なんだ。」

彼はいつもそんなことを言っていた。私は彼のそんな姿が好きだった。

いよいよ来週で作品が完結する。世界が彼を注目していた。完結後の取材、サイン会、受賞式で彼の予定は一杯だった。輝かしい未来はもうすぐそこまで来ていた。手を伸ばせば掴める程の距離まで。そんな時だった。彼が死んだのは。翌日彼は浜辺に打ち上げられた。溺死だった。警察によると自殺だという。足跡は一直線に海へと向っていた。私はその足取りにためらいを感じなかった。彼の手には原稿が握られていた。しかし海水にインクが滲んで読むことは不可能だった。誰かが海にちりじりになった原稿を集めていた。かろうじで言葉が判別できたとして、その点が線になることはなかった。

私は彼の死について想像してみる。砂浜を裸足で歩く感覚。ひんやりとした水の温度。それが足先から徐々に全身に伝わっていく。そして高い波が彼を仆す。そして彼は水と一体となる。水中で意識を失うまではおよそ三分程度。それから数分して心臓が停止する。次の波で彼の体は浜辺へ引き摺りあげられる。そしてまた次の波で沖へ流れ、また浜へ叩きつけられる。遺体が発見されるまで彼の形骸はそれを繰り返す。

 徐々に失われる意識の中で彼は一体何を考えていたのだろう。プレッシャーに耐えきれずに自殺したのだろうか。いやそれはないだろう。恐らく私はこう考える。彼は作品を自分のものにしたかった。世界全ての期待を一身に受けながら破滅を選んだのだ。作品と共に散りたかった。作品の善さは終わり方にある。作品を自分だけのものにするために。彼は自分の作品を誰のものでもなく自分ものだけにしたかった。結末を抱いて彼は死んだのだ。そのために彼はこの三年間を生きてきた。そしてその先の景色を私に。彼が見たかった景色を私に託したのだ。だからしっかり見届けさせてもらう。これが君のいない世界だ。


彼の五つの作品は未完の傑作として世に知られている。そしてそれは今後も完結することはない。彼の無数の言葉の断片は海の底に眠っている。今もずっと眠っている。

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