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旅ギツネと5つの宿の物語

作者: 野津敬


人間の住む世界に憧れ、仲間から追放されたキツネは、自分の理想とする場所を求めて旅を続けていた。だが今は、心も体も傷つき疲れ果てて、何よりも休息を必要としていた。


・・ 条件の宿 ・・


キツネは人間に姿を変え、広い街道ぞいに建つ一軒の宿屋の戸を叩いた。

「はい、いらっしゃい」

着物をきれいに着こなした番頭が出てきた。番頭はキツネの裸足の足を一瞥いちべつしながら聞いた。

「宿代はお持ちかの」

キツネは首を振った。これまで銭など持ったことはなく、ただ道端の草を噛み、小川の水で喉をうるおしては、遠い道のりを歩いてきたのだ。

「さあ行きなされ。宿代を持たぬ者がどうして客となれようか」

番頭は戸をぴしゃりと閉じた。


「お前さんを泊めてくれる宿は、この街道にはないわ」

とぼとぼと歩きはじめたキツネに、桶屋おけやの軒先を歩いていたニワトリが話しかけた。

「そこの細い道を行きなさい。その何処どこかに泊めてくれる宿があるはずだから」

言われるままに、キツネは細い道に入った。



・・ 見込みの宿 ・・


しばらく行くと小さな宿屋があった。戸を叩くと、中から愛想の良い主人が出てきた。

「御心配はいりませんよ」

宿代を持っていないことを話したキツネに、主人はにこやかに頷いた。

「お代は、またのお立ち寄りの際に払って下さればよい。さあさあ、疲れを癒されよ」

キツネは導かれるままに、風呂に浸かり温かい布団にくるまって眠った。


「今日は素晴らしい天気になりそうですな。御出立はいつになされますか」

翌日の朝、食事の際に主人が聞いた。キツネは答えられなかった。目指す所は勿論のこと、出立の予定などなかったのだから。


「お代を持たない客でも、自分の出立の予定ぐらいは知っているはず」

不安になった主人は、土地の顔役かおやくを呼んだ。


「おまえは心に深い傷を負っているようだ。それで旅に出たのだろう?」

顔役の問いかけにキツネは頷いた。


「苦労した旅人のようだ。この泊はいつまで続くかわかるまい。まあ良いではないか、宿代は後で払ってもらえばよいのだろう?」

「うーむ」

顔役からの報告を聞いた主人は悩んだ。宿代は後でよいと思っていても、いつ出立するとも知れない旅人を泊めておくのは無理なことだった。


「こちらでできるのは、一泊のもてなしだけでして」

主人はキツネを追い出した。


キツネは人間の姿のまま、とぼとぼと歩き始めた。



・・ 興味の宿 ・・


陽が暮れた頃にキツネは一件の宿屋にたどり着いた。その疲れ果てた顔を見た主人は、すぐに悟った。

「きっと訳があるのだろう。宿代も持っていない様子。まあそれもよかろう。得心できる理由があれば、それで良いというものだ」

優しい主人はキツネをもてなした。


主人はキツネから毎日のように苦労話を聞き出しては、さもありなんと頷いていた。

やがて一週間が過ぎ、主人は話を聞くのにも飽きてきた。二週目の終わりに主人は言った。

「お話はよくわかりました。本当にご苦労なさっておいでだ。しかし、いつまでこの宿にいるおつもりか」

もはや興味深い話もなく、いつ出立するとも知れない客を泊めておくことは、この主人とてもできないことだった。



・・ 憐憫れんびんの宿 ・・


体力を取り戻したキツネは、また歩き始めた。しかし心に負っている傷は癒えぬまま・・足元が怪しくなりだしたところで別の宿屋の戸を叩いた。


「あなたにはこの宿屋が必要なのだ」

主人は、その打ちひしがれた様子を見て全てを悟った。泊めてあげるだけではなく、片時もあけず気にかけて、キツネの面倒を看続けた。

ひと月ほど経った頃から、主人はふさぎ始めた。思いつく全ての事をしてあげているのにキツネは元気な顔を見せなかったのだ。

「わしがしてきた事の何が足りなかったのだろう。体の疲れは勿論、心の傷も充分に癒してあげているはずなのに」

そこで主人は、離れに住んでいる古主人に相談した。

「お前は本当に全ての事をしてあげたのか。彼に次に歩むべき道を示したか」

「なるほど確かにその通りだ。今、親父おやじさんがわしに教えてくれたのも同じ事」


主人はキツネに様々な道を示してあげた。

心優しい人々が住む静かな村への道。

若い働き手を求めている商人の町への道。

慈しみの心に満ちた僧侶の営む山寺への道などなど。


更に主人は、その道中に必要な金銭も用意するつもりであることを伝えた。キツネは主人が話すたびに深く頭を下げていた。


ある日、キツネはせめてものお礼と、こっそりと長い尻尾を出して宿屋の玄関を掃除した。

ちり一つ落ちていない玄関を見た主人は、硬い顔をして言った。

「お前さんはもはやお客ではない。わしは可愛そうだと思ったからお前さんをもてなした。掃除をしてくれるような人は普通のお客だよ。宿代がないなら、さあ出ていった」

キツネは宿を追い出された。



・・ 命の宿 ・・


キツネはまた細い道を歩き始めた。寂しい道は荒れ山へと続いている。しかし、歩けども歩けども宿屋は現れなかった。やがて道はゴツゴツした岩が囲む山道となった。

石切場の近くに今にも崩れそうな小屋があった。もはや人間に化けるのにも疲れたキツネはそのままの姿で戸を叩いた。


「お入りなされ」

中には囲炉裏に当たる一人の老人がいた。入って来たのがキツネでも驚く様子はなかった。キツネは老人のかたわらに足を伸ばして横になった。

「火というものは温かいものじゃが。お前さんがいれば、なおさらに温かくなる」

老人はキツネの訪問を喜んだ。


そしてキツネが何をするでもなく、日は流れていった。


数カ月経ったある日、老人が聞いた。

「お前さんはどこに行くつもりだったのかね」

キツネは分からないと首を振った。

「思いついたら教えておくれ。まあ、キツネの歩もうとする道は、聞いても理解できんかもしれないがの」

老人は朗らかに笑った。


ある日、キツネは土間に付いた自分の足跡に、小さな草の芽が出ているのを見つけた。どこか旅の途中で付いた種が落ちたのだろう。老人に踏まれることのないように、草の芽の周りに小石を並べた。


日が経つ事に芽は大きく成長し、やがて美しい花を咲かせた。

「この粗末な小屋に花が咲いたわい」

小躍りして喜んだ老人は、これまで自分が訪れた様々な土地に咲く花の話をした。


話を聞くキツネの心にこれまで歩んできた道が描かれ、さらに見知らぬ土地に咲く色とりどりの花の輝きが見えた。いつの間にか、心に負った傷は、傷ではなく、味わい深い過去の思い出へと変わっていた。


翌日、キツネは小屋を出る決心をした。

これから歩もうとする道について丁寧に説明したが、やはり老人には理解できないようだった。

「達者でな。珍しい花の種があったら、またここに持ってきておくれ」

別れを惜しみながら老人は言った。


すっかり元気になったキツネは、自分の進もうとする場所にむかって、また旅を始めた。


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