おばけカボチャに気をつけろ!
ジリリリリリリン!
ジリリリリリリン!
けたたましく鳴り響く目覚ましの音で、イヴリンはむくりと起きた。めくったカーテンから見える空は、すでに真っ暗。秋が深まると日が沈むのも早くなる。
「今年も、この日がやってきたのね……」
家の外からはお隣さんの悲鳴が聞こえてきた。普段は無口な彼にしては珍しい。一昨日、包帯を巻き直したと言っていたばかりだが、大丈夫だろうか? ミイラのジェイソンさんは水と炎にめっぽう弱い。普段から気をつけていても、今日の戦いでは何が起こるかわからないのだ……油断は禁物。
イヴリンは、枕元に愛用の武器があることを確認する。昨朝、準備しておいた魔法のステッキ。りんごの樹から作られたステッキの先端には、キラキラ光る星の石がついている。可愛らしい見た目がお気に入りの一品だ。使い心地も抜群によく、魔女の小さな手にぴったり。凝り性のドワーフのおじさんに特注したかいがあった。
自慢のステッキにうっとりしていた彼女だが、ガリガリと寝室の扉を引っ掻く音で我に返った。使い魔の黒猫がごはんを催促している合図だ。
……のんびりしてる場合じゃなかったわ。
ベッドの温もりから、そろりと抜け出す。はだしの足元から冷気が忍びよってきて、イヴリンは背筋をブルリと震わせた。
「あなた、ほんとによく食べるわね」
用意したごはんをペロリと平らげた黒猫は、ねだるような目で彼女を見上げた。いくら愛らしくても、そのお願いを聞いてあげるほどご主人さまは甘くない。
「ダメよ、これはわたしのチーズ」
ライ麦のパンの上にチーズをのせて、暖炉の炎で温める。チーズがとろりと柔らかくなって、ふつふつしてきたぐらいが食べごろだ。食いしん坊な使い魔には敵わないが、イヴリンも食事の時間は楽しみだった。
一人と一匹のごはんを用意したついでに、確認したのは食料庫。パイ生地は昨日のうちに作っておいたから問題ない。あと必要なのは、たまごに牛乳、砂糖、生クリーム……それから、忘れちゃいけないのがとっておきのスパイス。これがないと物足りないのよね。よしよし全部そろってる、とイヴリンは満足げに頷いた。
おかわりを欲しがる黒猫を躱しながら食事を終えた彼女は、クローゼットの前に立った。
お決まりの黒いワンピースに着替えて、膝まであるマントを羽織って、首元で赤いリボンをきゅっと結ぶ。いつもは、お洒落に先がくるんと丸まった靴を合わせるが、今日は動きやすいようにブーツを履いた。最後にとんがり帽子を被れば、素敵な魔女の出来上がり。
「行ってくるわ、留守番はよろしくね」
家を出て行く前に声をかけると、任せろ!と言わんばかりに使い魔はニャーンと鳴いた。
さあ、長い長い一日のはじまりだ。
妖しく満月が照らす夜の街。
魔女のイヴリンが住む家から少し離れたところにある大通りには、すでに人集りができていた。魔女、ミイラ、狼男、バンパイア、ゴースト、ゾンビに透明人間まで。にぎやかな街にはさまざまな種族が住んでいるが、今夜は住人たちが一堂に集結している。
「またヤツらが来たぞ!」
そう警告したのは、ふわふわと宙を漂っていたゴーストだ。いつもはお調子者な彼も、今日ばかりは緊迫した雰囲気を漂わせていた。
それから、まもなくして。
キシキシキシ!キシキシキシ!
不気味な笑い声とともに、闇の中にオレンジ色のモンスターの顔が浮かび上がる。つり上がった目と鼻、ギザギザの口。しかし、その本体は──ほくほくした栄養たっぷりのあの野菜。
この街に押し寄せてきたのは、巨大なカボチャの大群なのだ。
そう、これこそが10月31日の夜になると、この街に大量に出現する"おばけカボチャ"。
大人の身長の半分ほどもあるカボチャたちは、毎年どこからともなくやってくる。数百年前から現れた謎のモンスターに住人たちは団結して抵抗してきた……が敵もさる者で、近年では徒党を組むという技を習得してきたのだ。
毎年違う個体が現れるんじゃなかったの?
なんで学習してきてるわけ?
そもそも、アイツらは意思疎通ができるのか?
おばけカボチャの生態に関する謎は深まるばかりである。
とにかく言えるのは、ヤツらはなかなか手強いということだ。なにせ、あの本体は固い。オレンジ色の皮の部分も、中身もすっごく固い。岩みたいに固い。それなのに、あの顔を破壊しなければ、モンスターたちは何度だって立ち上がってくるのである。
ほっとするような甘い味をしているくせに、その気性はきわめて攻撃的。住人を見れば一目散に体当たりを仕掛けてくる。建物の中にいても、壁を突き破ってこちらを狙ってくるのだ。一体、何がヤツらを駆りたてるのか、それは誰にもわからない。
キシキシキシ!キシキシキシ!
悪魔よりもタチが悪いカボチャたちが勢いよく転がってきた。
「大人しく、カボチャプリンになりやがれ!」
イヴリンの目の前で、繰り出されたのは重たいパンチ。とても固いはずのカボチャは、あっという間に木っ端微塵になる。
「絶好調ね」
声をかけると、とがった歯をむき出しにして彼はニカっと笑った。
「おう、イヴリン。なんたって、特別な愛妻料理を食べてきたからな」
狼男のヴォルフは、イヴリンとの付き合いが長い。大雑把なところはあるが気のいい男で、街のみんなからも頼りにされている。彼女もよくお世話になったものだ。ちなみに、この世界で今いちばん幸せだと言ってはばからない男でもある。
なあ、とヴォルフは後ろを振り返った。
「倒したてのおばけカボチャで作ったポタージュよ」
音もなく忍びよっていたバンパイアのカミラさんがウインクする。数年前にこの街にやってきた彼女は、妖艶な美しさで男たちを片っ端から虜にした。丘の上に住むリッチから城を贈ろうとまで言われた彼女が、普通の狼男を選んだのはイヴリンとしても不思議で仕方がない。しかし、幸せそうな笑顔がその答えなのだろう。
イヴリンもよかったらあとで食べにこない?と誘われたが、この二人のやりとりだけでお腹はもういっぱいだ。ベタベタの新婚夫婦はキャラメルみたいに甘ったるい。今日のメニューはもう決まっているから、と慎ましく誘いを辞退した。
こちらの様子におかまいなく、カボチャたちは次々とやってくる。あちこちから聞こえる怒号と悲鳴。クワッと口を開けて、ゴロゴロと転がってくるヤツらにイヴリンだって容赦はしない。
「かかってきなさい!パンプキンパイにしてやるわ!」
こうして激しい戦いの火蓋は切られた。
あれから数回にわたる、おばけカボチャの襲来を乗り切って。
押し寄せる大群を蹴散らしたイヴリンたちは、手分けして街の中を見回っていた。去年、すっかり姿が見えなくなって油断していたところに、残党が最後の突撃をかましてきたのだ。決着がついたのは、もう朝日が昇ろうかという時間。街外れに住むスケルトンのおじいさんは、あの戦いで右腕を失った。
コロコロ、コロコロ。
苦々しく一年前を思い出していたところ。
ふと、イヴリンの視界を憎きオレンジ色が横切った気がした。さっと目を走らせた彼女は戸惑う。
「おばけカボチャ……にしては小さい?」
ひと気のない通り。いつのまにか、ごくごく普通の畑で見かけるような大きさのカボチャが目の前にいた。意地の悪そうな顔も小さいせいか、いくぶんマシになったように思える。おばけカボチャに……子ども? いや、そんなまさか。魔女は首を振った。
しかし、たとえ子どもだとしてもモンスターはモンスター。見逃してしまえば、町に甚大な被害が出るかもしれない。そんなイヴリンの気持ちを察したのか、カボチャは逃げるようにコロコロと転がっていく。
「あっ、待ちなさい!」
ムカつくことに、途中で放った魔法はすべて避けられてしまった。小さな獲物を追いかけながら、彼女は頭の中で計算する。たしか、この通りの先は行き止まりだったはず。そこで確実に仕留めてみせる。
カボチャはそのまま、角を曲がった。
追いつめた!と思ったイヴリン。しかし、振り向いた子どものおばけカボチャは、キシ、と笑った。
キシキシキシ!キシキシキシ!
不気味な大合唱に振り向くと、あの頭にくる笑みを浮かべたおばけカボチャたちがズラリと並んでいた。
しまった!
イヴリンは、まんまとおばけカボチャたちの策略に嵌められたのだ。こんなことを考えつくなんて、ヤツらは間違いなく進化している。してやられたのが悔しくてたまらない。
しかし、いくら彼女でも一度にたくさんのモンスターたちを相手にするのはさすがにキツかった。
魔女はゴクリと息を呑む。
死因・オバケかぼちゃ……そんなの絶対イヤだ。もしそんなことになれば、末代までマヌケな魔女だと笑われるに違いない。そんなの絶対、絶対イヤだ。おばけカボチャごときにやられるわけにはいかない。この戦いには、彼女の魔女としてのプライドがかかっている──。
ステッキを構えたイヴリンとおばけカボチャたちは睨み合う。
まさに一触即発。
どちらが先に仕掛けるか、お互いの気配を窺いあっていた。先頭にいた一番大きなカボチャがキシシ!と鋭い声を上げる。くる! 魔女が呪文を唱えて応戦しようと口を開いたところで──
「待て」
低い男の声がした。
イヴリンとおばけカボチャが動きを止めた間に、闖入者は上から降ってきた。振り向いた彼女の目に映ったのは、頭からのびた二つのツノに背中から生えた黒い羽根。まだ若い悪魔だった。
魔女は援軍がきてくれた!と目を輝かせたが、
彼は──緑色のカボチャの大群を引き連れていた。
キヒキヒキヒ!キヒキヒキヒ!
一体どうやって上ったのか、屋根からカボチャたちまでドスンドスンと落ちてくる。どうせならそのまま割れてしまえばいいのに……。そんなイヴリンの願いもむなしく、頑丈なモンスターたちは無事に着地した。
前方にはオレンジ色のおばけカボチャ、後方には緑色のおばけカボチャ。
万事休す。
イヴリンは頭を抱えた。……あそこで、そのまま突っ込んでおけばよかった。ここに来て敵が二倍に増えるなんて、どんな嫌がらせだ。しかも新種ときた。邪魔だと思って家に置いてきた箒が恋しい。
しかし、現実逃避しかけていた魔女の腕を引き寄せた者がいる。悪魔はこっそりと耳打ちした。
「今のうちに逃げるぞ」
彼が視線で示した先。オレンジ色のカボチャと緑色のカボチャが向かい合っている。しかも、何やら険悪な雰囲気だ。もしや……カボチャにも派閥争いがあるのだろうか? いや、そんなバカな。
男に手を引かれて、壁づたいに行き止まりを脱出してすぐ。2色のおばけカボチャたちは、背後で激突を始めた。砕け散ったカボチャの残骸が降りつもっていく様子を、イヴリンは絶句して見守る。
狂ったおばけカボチャたちの戦いは、両方のボスがぶつかり合ったところで終わった。生き残っているものはいないようだったが、念を入れて彼女はその場を爆破しておく。
恐ろしいものを見てしまった……。
疲れ果てたイヴリンは深いため息をつく。隣からも、同じようにため息が聞こえた。そこではじめて、彼女はまだ悪魔がその場に残っていたことに気がついた。
「助けてくれてありがとう」
心からのお礼を言うと、男はこちらこそ助けられた、と笑った。緑色のおばけカボチャたちが屋根の上まで追いかけてきたときはどうしようかと思った……、その言葉にイヴリンは頷く。恐るべし、おばけカボチャ。同じ危機を乗り越えて通じ合うものがあるせいか、どことなく打ちとけた雰囲気につつまれる。
最近この街に来たばかりだという悪魔。会話を重ねていくうちに、年頃の魔女の胸は高鳴った。
この人のこと、もっと知りたい。このまま別れるのは名残惜しいし、なんとかして引き止めたいけど、でも……。
おばけカボチャから助けてくれたお礼に、あの戦いを一緒に乗り越えたから、この街ではじめて10月31日を過ごした記念に……といろいろ前置きをしたあげく。結局、イヴリンの口から出てきたのはこの一言だった。
「えっと……もしよかったら、パンプキンパイ食べていかない?」
情けなく眉を下げた魔女に、彼は笑いかけた。
「ぜひ、いただこう」
長い夜は、まだまだ終わらない。
ハッピーハロウィン!