エピローグ 目覚めない時士に再会はまだ早い
チヒカさんを静かに見送った後、お館様は五年ぶりに封印の儀式を行うと言って、早々に里へと引き上げていった。
ミノリもねぐらに帰ると言って去り、そうしてぼくは一人に戻った。
ぼくは一週間ぶりに学校に登校することにした。
三人の顔が、ついでに田中の奴が、ぼくの周囲にまとわりついてくる。
「よ、久しぶりだな親友。一週間も学校休みやがってこの……そんなに俺と補習仲間になりたいかって、ぐあ」
早速押し出された田中がどこかに吹っ飛んで、その先で誰かの机に思い切り当たって轟音を立てたが、多分半分は自分でわざとやっているのだろうから、気にすることはない。
ぼくは酷く懐かしい気分で、そんな田中の仕草を見ていた。
それを不思議そうに見返す田中の顔が、滑稽に思えてくる。
この場合滑稽で不思議なのは、ぼくの方なのだろうけれど。
そんなぼくと田中の微笑ましい交流を遮るように、三人が押し倒す勢いでぶつかってくるから、こちらのほうがよほど困る。
「心配したんだからね、どこ行ってたのよはーくん」
「もう泣いてない? 大丈夫?」
「どんなことでも話聞くから、全部吐き出してしまっていいんだぞ」
恐らく高架下の情報も、この三人の協定によって共有されてしまった後だろう。
キスの部分は省かれている可能性が高そうだが。
彼女たちの心配そうな顔と、我先にというスキンシップ具合は少々過剰すぎる。
ちょっとアキミ、胸、胸こすれてるから。
「そんなのどうだっていいよ。私は始くんが……」
「おっと、それはいけないよアキミ。淑女同盟を破る気? カステラが見逃してもこのトウカさんが許さないよ」
「アキミが言うなら私も言うよ!」
わいわい騒がしい日常が帰ってきた……のか? なんか以前より悪化しているような気がしなくもないが。
ぼくは少々呆れながら、それでもこの雰囲気を懐かしむように目を細めていた。
「さっきからなんだよその顔。お前道ばたのたこ焼きでも拾い食いしたのか?」
普段とまるで違う様子のぼくをじーっと見ていた田中が、ついに耐えきれなくなったのか、からかうように探りを入れてくる。
振り返ってぼくに頭部を見せる三人が口を揃えて「お前と一緒にするな」と綺麗にハモった。
いやそれぼくのセリフだからさ。
ほら、田中もさすがにそれは泣きそうになっているよ。
ぼくはその顔に声を出して笑った。
回りが驚くくらい楽しそうに、そして普通に笑った。
それからしばらくして、ぼくはミノリと会った。
相変わらず金髪の二本尻尾をふらつかせながら、ウェイトレス姿が道を歩いているのは中々奇異な光景だ。
ほら周囲の人もみんな振り返る。
何度も言うけど、黙っていれば綺麗な子なんだけどな。この娘も。
しかし普段なにをしているんだろうなこの娘は。
まさかこの格好で飲食店の裏で残飯漁りとかやってないだろうな。
「始じゃないか、相変わらずアホ面だな……いや、その、昔は悪かったな」
突然そんなしおらしいことを言うミノリに、ぼくはふふっと笑ってしまう。
本当に濃い時間だった気がする。
そう、最初に突然降ってきたのは、ピンクのゾウさんパンツだっけか。
あそこから全てが始まったんだ。
「ななな、なにを言いやがるこのスケベ野郎。すぐ忘れろ。いや忘れさせてやろうか」
おいおい、街中で発砲はやめなさいって。
「ふん、まあ今回は許してやるから、それはもう忘れろよ。大体あれは荊の趣味で……」
うそだろ……? そのほうが驚くよ。
もしかしてあの弁当箱のワニもそうなのか……あの荊にも女の子らしいところがあったなんて。
彼女とはなに一つわかりあえなかった。
その顔を思い出すと今でもぞっと寒気がする。
だけどそれもいつかは薄まって、いずれ思い出になってしまうのだろうか。
今はそんな風には思えない。
だけどきっといつかはそうなるのだ。
いつかの父さんと母さんのように。
そしてぼくの心に、少しだけ痛みになって残り続けるのだろう。
だけど今のぼくは、それを以前ほど恐れてはいない。
何故かって? それは……。
まじまじとぼくの顔を見つめるミノリ。首を軽く傾げる姿は本当に可愛いな。
「だだだ、だ、誰がカワイイだこの女殺しめ、スケコマシめ。お前みたいな奴が何人も女を泣かせるようになるんだ」
これで口さえまともならなあ。
ぼくの様子に、怪訝な顔をするミノリが、腰に両手を当てながら呟いた。
「……お前、思ったより元気だな。あんなことがあったばかりなのに」
ぼくだって少しは成長している。
ここまでさんざん振り回される一方だったけど、もうからくりはきちんと読めているさ。
ぼくはこの時のために用意しておいたセリフを呟く。
「ミノリ、以前ぼくとなんかあっただろ?」
ぼん、と破裂音がしそうなほど真っ赤になったミノリが、狼狽してじりじり後退を始める。
全身をぶるぶる震わせた後、
「な、なにを言いやがる。なにかしたのはお前のほうだろうが! 責任取れるのか年下風情が。それくらいすごいことをお前はしたんだぞ!」
ミノリのこのセリフではっきりわかったんだ。
ぼくは時士。
時間を操る能力を持っている。その力で、いつかぼくは時間を逆行する。
そして過去のミノリと会って、ミノリを説得するわけだ。
そう、この物語は肝心の部分が抜け落ちている。
それどころかやっとここから話が始まるのだ。
詰めの一手を打つのは間違いなくぼくなんだけど、その本物のヒーローであるところのぼくは、まだこの次元には存在していない。
いつか未来、力を使えるようになって、ぼくは必ず過去に行く。
そしてその時、もう一度チヒカさんに出会える。
だから寂しくはない。
別れは永遠ではないと、ぼく自身の内に秘められた力が、身を持って知っているのだから。
「いつかチヒカさんを助けにいくよ。ぼくが時間を変えて、全てうまくいくように改変してやる。それまで……その間だけさようなら、チヒカさん」
ぼくの独白を聞いたミノリが、そんなこと出来るわけないだろうがばーかとかなんとか言っているが、ぼくはもうそれを聞いていなかった。
最後に聞こえたのは無視すんなこの野郎、だったかな。
その時さらに気がついた。
もしかして今回の事件の黒幕は、未来のぼく自身なのかも知れない。
説得して行動を操ったのが、ミノリだけではないとしたら……?
途方もない想像とは思わない。
最初から最後まで、全てがうまく行き過ぎている気はしていたんだ。
ふと思い出すと、いくつも鍵になるセリフ、場面はあったような気がする。
もしかしたらあれも、あるいはあれも、全てぼくが時間をいじった痕跡だったのかも知れない。
さて、時士となったぼくは、まずどこから手をつければいいのだろうか。
駄目だ、今はなにも思い浮かばないよ。
ま、いいか。
後のことはこれから考えよう。文字通りぼくには時間がたっぷりある。
間に合わないということはないのだから。
ミノリにやけに優しく蹴られながら見上げた空は、どこまでも青く白く澄み渡っていた。
終わり




