天気に左右される世界
〈夏希の日記〉
今私は、病院にいるけどなんで、いるのかはっきりわかりません。荒木さんという、人がたん当で朝からいろいろ話を、してくれたけど、大事故のせいで手術をしてたすかったみたいです。
荒木さんは、お母さんに、会いたかったら、感じたこととか、全部日記にしないと、会えないと言っていたので、日記を書きます。
この日記は、別のえらい方の所にとどくみたいで、正直に、書かなかったら、ウソ発見きでけんさされて、ウソが見つかれば、お母さんに会えず、裁判所とかに行かされて、大変になると、思うんですけど、ウソは、普段つかないと思いますし、記おくがはっきりないですので、正直に書くので、裁判とかは、やめてください。お願いします。
ささいな事でも、全部書くように言われて、そうしないと、荒木さんが、しかられてしまうみたいなので、正直に細かく書くので、荒木さんを、叱らないでください。これは、荒木さんとか、ここの人は、読まないと思うので、はずかしいですが、全部書きます。
質問リストの答えは、ここから普通に、書けばいいのでしょうか?わかりませんが、ここから普通にかきます。
1 食欲は、あまりありません。というか、全然ありません。食べたくないです。(フラストレーションというのは、ストレスみたいな、意味ですか)フラストレーションは、ありません。
2事故の、直後の、記おくは、ありません。でも、怖い感じが、心に残っている感じが、します。それまでの記憶は、あると思うんですけど、順番がよく分からない感じが、します。最後に喋った人は、誰か分かりません。
3やりたい事は、音楽が聞きたい事と、映画を見たい事と、あとは、料理を作りたいです。
4荒木さんの事は、全然嫌いじゃありません。(嫌な事もされてないですし、これを荒木さんが見ない事も、分かっていますし、ウソをついたら、後でバレるので、正直で、荒木さんを、叱らないでください)他に憎い人もいません。
5運動はしたいですが、歩いたり、外の空気が吸いたいだけで、スポーツは、したくないです。
6会いたい人は、お母さんです。これを誰が読んでいるか、わからないのですが、なるべく速く会えるように、手続きして欲しいです。お願いします。
7楽しさは3で、理由は、お母さんに会いたい事とか、料理作る事とか、頭の中で考えていると、楽しみになるからです。寂しさは3で、お母さんに会いたいですが、泣くほどでは、ないからです。怒りは1で、怒る人がいないからです。悲しさは2で、まだ実感が、わかないというか、事故について、あまりわからないからです。怖さは、5で、ここは、どこかわからないのと、朝から、よくわからないのですけど、今までと感かくが違うというか、病気にかかっている感じがして、不安に思っています。大丈ぶでしたら、お薬とかおくってほしいです。
8あの世界の事は、全部せん明におぼえています。さっきあった感じで、学校の事とかより、おぼえています。戻りたくはないです。
9のどはかわきません。
質問リストがおわったので、ここから続きを、書きたいと思います。
朝起きて、最初は、頭がうまく回りませんでした。荒木さんがいて、色々話してくれました。でも、普通の病院と違って、まわりに人がいなくて、かこまれている感じが、怖かったです。し力けんさとか、運動テストとか、あと紙に木を書いたりする、心理テストとか、物語をつくるテストとか、いろいろやりました。状きょう判断テストが、簡単で楽しかったです。でも、物語を作るテストは、どういう風に作って良いのか、わからないので、出来ませんでした。お昼には、運動をしましたが、反復横飛びがむずかしくてリズムが、とれないというか、タイミングがわかりませんでした。運動の後の映画は、途中で、話がわからなくなって、感動できませんでした。全体的に事故のせいか、前と全部変わっている感じがします。薬をはやく欲しいです。のどの中が、ヌメヌメして、気持ち悪いかんじかします。なんで食欲がないんですか?のどはかわかないんですか?たまに口をゆすぐだけで、飲む必要がないと、田中さんも、言ってました。体を動かすのが、前より難しくて、怖い感じがします。それと、たまに、頭が止まるというか、気がつけば、何も考えないまま、時間がたっていて、それが一番怖いです。あと声が、自分のじゃないきがするのと、たまに言葉がつまったり、言葉をえらべなくなります。正直に教えてください。病気になったんですか?薬はでますか?あの世界にいた事は、なんで皆知ってるんですか?今日の事は、正直に書きました。ウソは、ついていません。
日記の最後に、あの世界の事を、書けばいいと思うので。物語りとか、私は、苦手だと思うのですが、ウソだと思って、お母さんに会えなくしないでください。
最初に、起きたら、知らない部屋にいて、怖かったです。ライオン男が本当にいて(荒木さんも信じています)その後、コーヒーをくれて、甘いのとかが懐かしい感じが、しました。頭の中で、色々思いだした感じがして、不思議でした。ずっとお母さんに、会いたくて、戻りたかったんですけど、記憶があいまいで、むずむずする感じです。外に出たとき、空気がおいしいのと、日差しが、気持ちよかったです。時計台のあるりっぱな、広場があって、そこに図書館があります。その奥に、海があります。図書館の前の、すごい古いたて物は、怖い感じがします。図書館で、ハリーポッターを、読んだのが楽しかったです。ばんご飯は、コロッケで、ライオン男と一緒に、作りました。正直に言わないと、怖いので、書きますが、笑わないでください。ソファのある、いまで、泣きました。お風呂に入って寝ました。ラジオの音楽が、嬉しかったです。次の日の朝は、なんだか残念でした。夢だと、思いたかったからです。朝は確かトーストで、でも2日目からは、順番がわからないです。トーストは3日目の事かも、しれません。ウソでは、ないのでお願いします。その後、ライオン男が、天気で人の気持ちが、変わると教えてくれました。それは、悲しく思いました。午後から風が強くなって、ライオン男とケンカしました。ライオン男は、嫌いじゃないし、頼れるけど、天気なんかに左右されたのが、ショックでした。でも、なつきも同じなので、人の事はいえなかったです。あの世界が悪いと、思います。お昼はカレーか、パンとぜんざいのどちらかです。もしかしたら、朝トーストなら、パンは3日目かもしれません。雨がふったら、みんなあの世界の人は、暗くなって、なつきも暗くなりました。2日目に、ふったか忘れたので、ウソだと思って、しからないでください。森にいったのも、3日目かもしれません。森には、食べただけで、楽しくなる赤いトマトみたいな、果物があって、食べ過ぎで、でもそれは食べたら、後でいっぱい悲しくなったり、他にも、色々な事がおきるので、ライオン男に注意されました。
毎日少しずつでいいと、思うので、ここまでにします。すごく、時間がかかりました。言う事をきいたので、お母さんと、速く会わせてください。お願いします。
9 天気に左右される世界
音が鳴っていた。空に強い風が吹いている、みたいなメロディーだった。目を覚ました時、夏希は一瞬そこがどこか分からなかった。体を起こして、部屋を見渡した時、大体の全てを思いだした。音源はラジオ機からだ。夏希が多く考えたのはライオン男の事だった。リビングのソファに座っている彼の姿を想像した。その時夏希が感じていたのは、少しの失望感だった。昨日が終わる時、夏希は無意識的に、これが夢であって欲しいと、望んでいたのだろう。でも全ては現実として彼女の目の前にあったし、その内の一つも欠けていなかった。ラジオの音は鳴り止んだ。
夏希がリビングに行かなくては、と思ったのは、ライオン男の言葉を思い出したからだった。朝ご飯を食べなければ罰が下りる。時刻は8時ほとんどちょうど。鏡で自分の姿を見た。黒い水玉模様のパジャマ。昨日と同じの、お風呂から上がって着替えた、布団の中で泣いた時鼻水をつけた、昨日から今日への繋がりを証明するパジャマ。寝癖がついていた。例によって懐かしかった。今まで、自分が体験した朝を思いだした。そして、それに付きもの眠たさと倦怠感も。朝だ、と夏希は思った。
タンスを開けて、白いボタンシャツと花柄のスカートを身につけた。うん、可愛い。スカートを履くことは気分のいい事だと思った。シャツを入れるか出すか、迷ったけど、なんとなく夏希はシャツを出す事にした。昨日3、4回通った、少し慣れた廊下を渡り、階段を降りたら、その途中で水色のカーテンとガラス戸の向こうの景色が少し見え、赤と茶色のカーペットが見え、ガラステーブルが見え、ソファが見え、という具合に、リビングの一つ一つの顔が作られていく。
ライオン男はソファに座っていた。
彼の方から声をかけた。「おはよう」
「おはよう」と夏希も言ってみた。外は昨日よりも良く晴れていて、強い銀色の帯がガラステーブルに当たっていた。夏希はソファに座る事にした。ガラス戸の向こうの風景が---2本の木や、足元の芝生や、向かいの2階建ての家などが---昨日よりも強く光っていて、イキイキ輝いていた。目の前にライオン男は居るのだけど、夏希の目にはその存在は改めて異常に映っていた。それは改めて、ライオンの姿を持った、人間だった。夏希はライオン男の硬そうな髭と、ほんの1ミリだけ牙が見えているその勇まし口元を見ていた。そして牙は大きくなった。
「昨日は良く眠れたかい?」うん、と言って、それから自分も何か言おうと思った。ライオン……男は?昨日と同じように、フフフ、と彼は笑い「私の心配をしてくれるのか、よく眠れたよ」と言った。夏希はその笑い声が少し好きだった。ライオン男が笑うと安心出来る気がして。「どうだい、気分の方は」大丈夫。「そうか、昨日話した事は覚えているね?」少し間を置いて、うん、と言った。「朝ごはんはトーストだからね、待っててくれ」そう言ってライオン男はキッチンへ。
夏希はそのよく晴れた、明るい銀色の風景を眺めていた。トーストというその言葉は知っている筈だった。でも、そのものが何か分からなかったから、夏希はガラス戸の風景に目を置きながらも、ずっとそれを指で探っていた。あと少しで掴めそうだった。その後キッチンのライオン男を見た。ステンレスの冷蔵庫の横で彼の上半身だけが動いている。不思議だけど、そうやって少し離れた位置の彼の存在を眺める事で、いつになくそれはそこに確かに存在しているんだ、と認識するようだった、何故だが改めて。トーストの音だろう、ジュウジュウ、という心地良い音がした。夏希が思っていたより、ずっと早くトーストが運ばれた。
トレーの上のそれを見た時、トーストが何か分かった。同時に何故分からなかったんだろう、と思った。バターと砂糖はお好みでつけな、ライオン男が言って、夏希はその両方をつけた。トーストを齧った時、食感が凄く良いと思った。その後、バターの風味と砂糖の甘みを感じた時も、その濃い口にコーヒーを流した際の感触が美味しいと思った時も同様だった。夏希はやっぱりライオン男の口の動きを見てしまった。食事中はどうしてもそこに意識がいってしまうようだった。「また、私の口を見ている、そんなに珍しいかな」ライオン男は冗談ぽくそう言ったので、夏希もなんとなく冗談を言いたくなり、うん、とうなずいたけど、その後すぐ恥ずかしくなって、顔が赤くなった。食べ終えるとライオン男は「皿を洗おう」と言った。夏希は彼が洗う物だと思って、え?、と困惑したら、「全部私にやらせるつもりかい」た言ってきたので、夏希は急いで首を振った。
皿洗いは面倒くさくなかった。どちらかと言うと、作業をする事で気が晴れるようだった。洗い終えるとソファに座った。
ソファでライオン男と二人でいると、なんだかどうして良いかわからなくて、夏希はライオン男に何か言って欲しく思った。ライオン男はガラス戸の向こうを、アゴ髭を触りながらしばらく見ていた。夏希もなんとなくガラス戸の向こうを眺めた。少しして彼は、夏希の顔にその顔を向けて、改まったような穏やかな顔を少しの間置いていた。何か言ってくれるんだと、夏希は思った。
「天気が良いから、外に出かけると良いよ。昨日言った通り、扉を探さないと行けないからね」
声も穏やかだった。ライオン男が言った事は、元々分かっていた事だけど、やはり彼が何かを口にすると、夏希は安心できた。うん、と頷いた。
「ただ、家に居たければ、居ればいい、それは自分で決めたら良いよ、図書館で本を読むのも良いし、好きなようにすれば良いよ」
扉は壊れるの?と夏希が訊くと、ライオン男は、ああ、と言った。「でも心配しなくて良いよ、まだまだ先の話だ」どれくらいで壊れるの?と訊くと、彼は「何百日も経てば、扉は古びて、もう開かなくなってしまう、それは修理出来ない、そうなれば完全に手遅れだ」と言った。ライオン男のその声は、少し低くて、嘘をついているとは思えなかった。夏希は、扉が錆びて開かなくなった所を想像して、ゾッとした。だが彼のその後の言葉で、その気持ちは消え、それどころか安心する事となった。「でも大丈夫だよ」
そう言って、ライオン男は、まるでその感触を味わう見たいに、二本の指で頬を撫でていた。「気持ちの問題だよ、要は元の世界に戻りたいと思い続けていれば、絶対に扉は見つかるんだ。修辞的にそうまとめているわけではない。文字通り、気持ちに応じて、扉が見つかるんだ。その逆に、元の世界に戻りたいと願う気持ちが無くなれば、夏希はこの世界にずっと居る事になるだろうね」それは夏希にとって嬉しい事だった。何か頭を使って難しい事をして扉を見つけるより、気持ちをもって見つける事の方が、ずっと簡単だと思ったから。でもその仕組みがよく分からなかった。扉は物理的に見つけるものだし、夏希にもそれは分かる。その末、夏希は、それはこの世界の不思議な力なんだろうと思った。神様みたいな存在がここにはいるのだろうか、とも。罰というものもあるのだから、尚更そう思えた。夏希は心の中で、神様にお願いした。神様、お願いします、家に帰してください………。「あ、そうだ大事な事を言い忘れたよ」とライオン男は言った。
「この世界ではね、天気で人の気分が大きく変わるんだ」
そう彼はいった。