第二章・第五話 ルームメイト
夜のランニングから帰ると、メイド姿の神楽坂さんが玄関先で正座をしていた。
いるはずのない存在に驚き、俺は咄嗟につけた電気を消した。そしてつけた。
部屋を出ていけ、とあれほど言ったはずなのに、俺の言葉を無視してまだいるのかよ。
どうにかして逃げようとしたとき、彼女は武器を召喚して玄関をふさぐ。
逃げ場が無くなった俺は彼女に確保され、ジャーマンスープレックスホールドをされる。
二人で取っ組み合いになり、その衝撃で靴棚に置かれていた花瓶が神楽坂さんの頭に落ちる。
中の水がピシャッと彼女にかかり、メイド服を濡らす。神楽坂さんはくしゃみをした。
そんな姿を見てしまったら、なんていうか『出ていけ』とは言いづらい雰囲気だ。
俺は甘いよな。彼女にシャワーを浴びていけ、と言ってタオルを渡す。
彼女はそれに従い、風呂場へと向かった。風邪をひかれたら罪の意識を感じてしまう。
× × ×
メイド服が壁にかけられ、風呂から上がった神楽坂さんが机の前の椅子に座る。
俺は彼女の後ろに立ち、ドライヤーで紅色の長い髪を乾かしていた。
イチゴのパジャマを着ている神楽坂さんの後姿はなんとも魅力的だ。
「神楽坂さん。今日は、いろいろごめん。試合で下着姿にしてしまい、恥ずかしい思いをさせてしまった……手加減はしたつもりだったんだけど……」
「別にいいわよ。下着なんて所詮は布なんだし」
そういわれるな悲しくなる。ただの布でも俺ら男にはかなり価値のあるモノなんだよ。
彼女の下着に対する価値観に落胆しつつ、俺は髪を乾かす手を止めない。
「にしても綺麗な髪だな。長いからもっと傷んでいるかと思ったけど」
「……気に入らないわね」
「何が?」
「なんで意外とうまいのよ」
「だから何が?」
「女の子の髪の乾かし方。手慣れている、というかなんというか……初めてとは思えないわ」
「そうか? それはよかった」
うまいのは当たり前のことだ。昔、妹達の髪を乾かしたりしたし、何より俺は、数カ月前までこの部屋に住んでいたルームメイト・鼓此木四音の髪をこうして乾かしていたからな。
神楽坂さんの髪は毛先が細かく、トリートメントが行き届いている。
顔を少しでも近づけると、シャンプーの甘い香りが鼻に届く。いい香りだよな。
そういえば、俺が部屋に来たとき、なんでコイツはメイド服を着ていたんだ?
俺が言ったからか? でも、だからと言って、どこでメイド服は入手したんだよ。
いくつか想像はできるが、一応彼女に直接聞いてみよう。
「なぁ、神楽坂さん。なんで君はメイド服なんて着ていたんだ?」
「だってアナタが言ったからじゃない」
「いや、まぁ、言ったが……あれはほんの冗談と言うか……なんていうか」
「でも勝負は勝負よ。私の負けた。仮定がどうであれ、旦那様が勝ったことは事実だから」
「だからその旦那様ってやめてくれよ。何度言えば分かるんだ」
「ご主人様? お代官様? 大黒柱? 君主?」
「それ、わざとやってるだろ。さっき普通にご主人様って言ってたよな」
何度言ったら分かるこの役立たずメイドが! なんて口が裂けても言えない。
彼女は口をとがらせ、ふーんと口を尖らせた。やっぱりわざとか。
もしかして負けたのが悔しくて、これは彼女なりの嫌がらせなのだろうか。
「そもそも、なんでメイド服なんて持ってんだよ」
「幼女校長が『入学祝いだ!』って言ってくれたのよ。結構可愛いかったでしょ?」
あの幼女め。余計なことをしやがって。……というか、幼女と神楽坂さんは明らかに体格が大人と子供だ。なんで幼女である校長が、女子高生サイズのメイド服を持ってんだよ?
謎すぎるだろ、あの幼女。俺の養親の師匠だが、いまだに分からなことが多いんだよな。
「ねぇ、志樹」
「ん?」
「ここから逃げようとしても無駄よ。アナタがどこへ行こうと、私は追いかける。天国でも地獄でも銀河系の外でもね」
「この子ストーカーなんだけど。俺、警察呼んだ方がいいかな?」
「いいわよ、呼んでも」
「マジで? じょお呼ぶよ」
「ただし、今朝の件を警察に言おうかしらね」
「ギクッ……」
「私が泣いて『志樹に襲われた!』と言えば、みんな女である私を信じてくれるわ。しかも私には警備員さんと言う強い味方がいるわ。さぁて、彼らはいったい誰の言葉を信じるかしらね?」
「お前鬼だな」
「誉め言葉よ。それで、呼ぶの呼ばないの?」
悪魔だ。悪魔すぎる。自分の性別を武器にするなんて卑怯にもほどがあるだろ。
しかし、実際問題、女性の涙に勝てる人間はいない。或る意味有能なのか。
「警察は呼ばない……」
「分かればいいのよ、分かれば」
これじゃどっちがメイドで、どっちが主人だか分からないじゃないか。
不満を抱えていたが、言い返すことなどせず、彼女の髪を乾かす。
「それともう一つ。私のことは神楽坂さんじゃなくて、イザベラって呼びなさい」
「下の名前で?」
「だって、私が志樹って呼んでんのにアナタだけ苗字で呼ぶっておかしいでしょ」
「おかしい、かな。おかしいのか」
君がそれでいいならいいけど……。ただ、それじゃまるで友達じゃん。
もしかして神楽坂さん――いや、イザベラは俺と友達になりたいのか?
彼女も転入生して来たばっか友達がいない。きっと寂しいのかもしれない。
そんな誰も頼る人間がいない彼女が、俺を頼ってんだ……。
そう思った瞬間、部屋を変えろなんて言えなくなっていた。
受け入れるしかないのか、この現状を。これも何かの縁なんだよな。
「イザベラ。忠告しておくけど、俺と暮らしても良いことないよ」
「それでも私はアナタと一緒に住みたい。そしてアナタを分析したい」
「分析か」
多少強引な彼女の言葉や行動がどことなく嬉しかったりする。
俺はもう誰とも暮らさない、と誓っていたが、そんな決意が揺らぐ。
彼女の根性と信念に俺はいつしか敗北していた。君の勝ちだよ。
世界の果てまで追われても追いかけられそうな気がする。
認めざるを得ない。彼女は新しいルームメイトだ。
「じゃあ、俺の事は『シキ』と呼んでくれ」
「何よそれ? いつもの名前と変わらないじゃない」
「カタカナでシキだ。微妙に発音が違うだろ」
「志樹、シキ。シキ、志樹……? 同じなんだけど」
「まぁ、気持ちの問題だ」
「よく分からないわ。まぁ、いいけど。それじゃ、よろしくね、シキ」
「ああ、よろしく」
彼女の髪を乾かし終え、俺はドライヤーの電源を消した。イザベラは振り返り、目が合う。
満面の笑みを浮かべ、嬉しそうにハニカンだ。俺も伝えて軽く笑みを浮かべる。
こうして俺らはルームメイトとなった。これで……良かったんだよな。
× × ×
部屋は暗い。時計の針が10時を指している。二段ベッドの上にイザベラ、下で俺が横になっている。
今日は突然の事が多すぎたせいで情報の整理が追いついていない。あと一時間で寝なければいけないのだが、なかなか睡魔に襲われない。部屋に誰かがいるって変な感覚だな。
一人が長かったせいか、誰かがいる感覚を忘れてしまっている。これは慣れが必要だな。
小此木のときは、二日ぐらいで慣れたんだっけか。つまり今回も二日の辛抱である。
「ねぇ、シキ。起きてる?」
ベッドの上から声だけが聞こえる。イザベラも眠れないのだろうか。
「イザベラもまだ起きてたのか」
「うん」
訊いてきたのにも関わらず、彼女は五秒ほど黙り込んでいた。
何これ。何か気まずいことを聞こうとそる人間のような反応だ。
神楽坂さんが静かになる時は、必ず何かを考えているときだ。
誰かを傷つけると分かっていても、知りたいと思う。
「アナタはどうしてアナタは学校を辞めないの?」
その話か。まぁ、予想はできていたから、驚きはしない。
「最弱は学校からさっさと出ていけと言う遠回しな言い方か?」
「そ、そんなつもりはないわ! ただ、そこにアナタの秘密があると思ったから」
「冗談だよ。少し君をからかった。俺を警察に突き出そうとした罰だ」
「び、びっくりさせないでよ……バカッ」
「それで、俺が学校を辞めない理由だっけか?」
「そう」
「単純に、卒業するためだよ。卒業して【魔闘士学園卒業証書】を手に入れるためだよ」
「なんで? それだけのために?」
「卒業すれば、一人前の人間として世間からも認められる。世界に怯えることなく、普通に暮らす事が出来る。まずは認められなければいけないんだ」
「やっぱりシキも認めらえたいんだ……」
「そりゃな、俺も人間だし」
「でも、世間に認められる方法なんて、魔闘士学園卒業証書以外にもいろいろあるでしょ?」
「卒業証書は、死んだ両親の最期の願いなんだ。だから俺は、何があってもこの高校を中退する訳にいはいかない」
本当のことを伝えた。イザベラになら話していいと思ったからだ。
なのだが、相手は俺の言葉に反応をしない。なんで無言なんだよ。
「イザベラ? どうした? もう寝たのか?」
「…………ごめなんさい」
か細い声が耳に届いた。声を震わせ、振り絞るように発言をする。
「なんでお前が謝るんだよ?」
「何も知らずに、学校を辞めろなんて言ってしまった……私は、なんて酷いことを……」
「別に気にしてないから。それに、俺には養親である校長代理や、味方でいてくれる美琴校長もいる。両親が死んだのは結構前だし、もう死は乗り越えた」
「シキは強いのね……私は誰かの死を、未だに乗り越えらえない……」
すすり泣く声が聞こえる。もしかして、泣いているのだろうか。
「私は……父の死も、兄の死も、妹の死も、部下の死も……乗り越えられないでいる……」
「イザベラ……? 大丈夫か?」
これ以上涙を流す女の子を放っておくことはできずに呼びかける。
「あ、ごめんなさい。変な話しちゃって……。シキ、おやすみ」
ブフッと布団を覆いかぶさる音がした。
「イザベラ?」
それ以降、彼女が返事をすることはなかった。やがて寝息だけが聞こえる。
彼女は眠りについたのだろう。俺は仰向けになり、やがて瞳を閉じる。
女の子が泣いているとき、俺には何ができるのだろうか?
昔のルームメイトの事を思い出す。俺と一緒に住んでいたあの子のことを。
彼女も泣いていた。だが、俺は何もすることはできなかった。
同じ失敗は二度と繰り返したくない。俺には何ができるんだ?
校長代理と幼女校長は俺に何か可能性を感じてイザベラをルームメイトにした。
彼女は心に傷を負っている。俺にそれを癒すことはできるのだろうか。
どうすれば同じ運命を回避できる。イザベラまでいなくなってほしくない。
何か考えないとな。どうすれば彼女を救えるのだろうか……どうすれば……。
考えていると睡魔に襲われ、いつの間にか俺は、自然と眠りについていた。