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ひかりが祈りを捧げるようになって一週間が経った。そのたびに、雨は降ったがそれは王都だけで地方の干ばつはひどくなるばかりだった。街では王都だけが、雨を独り占めしているのではないかと噂がたっていた。そして、王のもとにも、領地に雨を降らせてくれるよう貴族たちが押し寄せた。
王はコレオスを呼び、聖女を各地のワゴニア神殿へ巡礼させるよう命じた。
ワゴニア神殿は王都を中心に五芒星を描くように五か所ある。コレオスは、どこから回るか検討に入った。ひかりの体調も今のところ、変化はない。だが、巡礼となるとディオンと離れることになる。それを納得させるのが存外骨の折れる作業となった。
「ディオンと離れるなんていやよ!」
ひかりはひしとディオンの腕に絡みつく。だが、ディオンはその手をそっと離し、じっとひかりを見つめて言った。
「僕は王太子として王都を離れることはできない。代わりに弟のモビリオが君をエスコートするから」
「嫌よ!ディオン以外の人と旅をするなんて」
「お願いだヒカリ。僕らの国を助けられるのは君だけなんだ。離れるのがつらいのはわかるけれど。我慢してくれ」
そう言ってディオンはひかりをぎゅっと抱きしめた。自分も離れがたいとでもいうように。それでようやくひかりは少し考える時間が欲しいと答えた。わかったと言って、ディオンとコレオスはひかりの部屋を後にした。
「大人しく巡礼に出てくれるといいんだがな」
ディオンはコレオスをちらりと見て言った。
「あの様子なら、必ず巡礼を承諾してくださるでしょう」
「だといいが……」
何かというとディオン、ディオンとまとわりつかれて少々辟易している。ただでさえ、結婚がのびていて落ち着かないのにとディオンは思った。
「ところでモビリオの方は大丈夫なのか?」
「はい、先日王宮にもどられましたので、事情をお話して同行にご承諾いただいております」
「そうか、ならいい。準備を進めてくれ」
かしこまりましたとコレオスは、一礼してディオンと別れた。そして翌日、ひかりはしぶしぶ巡礼にいくことを承諾した。出発の準備はすでに整っていたので、そのままひかりとメリーバを馬車にのせ、巡礼の旅は始まった。
王都を離れて二日は不機嫌なままだったひかりだが、馬車の窓からのぞく風景ががらりと変わるころには、言い知れぬ不安に襲われた。大地はひび割れて、木々は秋でもないのに枯れ葉となって舞い落ちている。宿に泊まるたびに街は小さくなり、廃れていく。
それでも、七日目の早朝についたワゴニア第一神殿では、一行は歓待された。ひかりには王都での自室とそん色ない部屋があてがわれた。そして着いてそうそう白いドレスに身をつつみ、神殿奥に鎮座するワゴニア像の前に立たされる。コレオスの話では、一か所の神殿で三日三晩祈りを捧げると言う。そうすることで、王都に戻る時期が早まると言われた。
「雨が降れば、ちゃんと王都に帰れるのよね」
不安げにひかりが尋ねると、コレオスはもちろんと微笑む。そしてその隣で赤い髪の青年がひかりをじろじろと見ていた。
「この人は誰?」
「第二王子のモビリオ殿下にございます」
「モビリオだ。兄上と違って粗忽ものだがよろしく頼む」
モビリオは、にやりと白い歯をのぞかせて笑った。ディオンとは違い野性的な美青年だった。案外と気さくな雰囲気にひかりは少し安堵し、よろしくお願いしますと頭を下げた。モビリオは外で待つと言って祈りの間を出る。
「では、始めましょう。聖女様」
コレオスがそういうとひかりは聖殿と同じように五芒星の描かれた床に立ち、ワゴニアの像を見上げた。
(とにかく、雨を降らせなくちゃ。私は聖女なんだもの)
ひかりは、懸命に祈りの歌を歌った。
(さて、聖女の力とはどれほどのものかな)
モビリオは、祈りの間を出て神殿の廊下から、中庭を見つめた。そこには、枯れ落ちたバラや植木が無残な姿をさらしている。雨の降る気配などなく、三時間くらいすると祈りの間の扉が開いた。
「モビリオ殿下、聖女様をお部屋へ」
「わかった」
モビリオは、ひかりに手を差し伸べた。ひかりはその手を当然のようにとり、ため息を吐いた。
「疲れたのか?」
「はい、着いてすぐに祈るのは疲れます。これから、少し休んでまた祈るだなんて……」
「まあ、元気出せよ」
モビリオは軽い口調でそういって、聖女のためにあつらえられた部屋へと手を引いて歩く。
(本当にこいつが聖女か?一回の祈りで雨が降らないのなら、貴族の誰が祈っても大してかわらんだろうに)
そんな疑惑はおくびにも出さず、ひかりを部屋へと連れていきメリーバに引き渡した。
ひかりは部屋に入るなり、ソファーに倒れこんだ。
「疲れたわ。メリーバ、お茶を頂戴」
メリーバは、はいと返事をし、すぐに紅茶をテーブルに置く。まるで、ひかりが戻る時間を知っていたかのように素早い対応だ。ひかりは体を起こして、紅茶をぐいっと飲み干した。
「一時間休憩したら、また祈るんですって」
「さようでございますか。それでは、ベッドで少しお休みになられては?」
「いいわ、眠ってしまったら起きる自信ないもん」
「でしたら、こちらを」
そういってメリーバはマグカップくらいの大きさの瓶をとりだした。瓶の中には、エメラルドのように美しい緑色のビー玉のようなものがいっぱいに詰まっている。
「ディオン様からお預かりしている回復薬入りの飴でございます。これを食べれば少しはお疲れもとれることでしょう」
ひかりは少し気分を良くしたのか、そうと微笑んで一粒もらうと大事そうに飴をなめた。飴はほんのり甘く、ミントの味がした。
(ディオンのためにも頑張らなきゃ)
モビリオは時間を持て余すように、窓の外を見ていた。与えられた部屋はベッドがあるだけの簡素な部屋で王族や貴族が使うには簡素すぎた。だが、モビリオは気にしない。彼は軍人として魔物を討伐する職にあるため、野営の経験もある。建物ですごせるだけで十分だと言う考えの持ち主だった。
「まだ、雨はふらないか……」
モビリオは、ひかりを迎えに行く時間になっても、雨が降らないことにため息を吐いた。
雨が降ったのは二度目の祈りの途中からだった。パラパラと雨がふる。雨はすぐに大地に吸い込まれていった。
(なるほど、この程度の雨なら三日三晩祈りを捧げないと大地はうるおわないか……それにしても、太古の召喚魔法なんぞで呼び出した聖女にしてはお粗末だな)
この程度の雨ならば、魔力の高い女性に各神殿で祈らせれば、なんとかなる。ただ、いつまで続くかわからない干ばつのために、娘を差し出す者がいるかは、また別問題だろう。それに、一度聖女にされてしまえば、一生未婚で聖職者として勤めねばならない。魔力の高い貴族たちが、簡単に娘を差し出すとも思えないから、王は聖女召喚などと言う太古の秘儀に手を出したのだろう。
(第一、今もっともこの国で魔力の高い女性といったら兄上の婚約者だからな)
モビリオは、シルフィ・バレンシア公爵令嬢を思い出す。ピンクブロンドの髪にピンクの瞳をした美しい令嬢だ。当然、王家もバレンシア公爵家も彼女を聖女にするつもりなどない。王太子に相応しい令嬢の中の令嬢である。何より、ディオンが溺愛しているのだから、当然、聖女にと言う話などはされていないだろう。
(それにしても、素直に聖女になってくれるとはな。異世界人と言うのは人助けが好きなのか、騙されやすいのか、どっちだろうな)
モビリオは、ひかりを待ちながらそんな皮肉なことを考えていた。