51
紫音がレクサスとたくさんの口づけを交わして、微睡みかけたとき、寝室にドアを叩く音がして、はっとした。レクサスもまたどこか残念な、それでいて少しほっとしたようなため息をこぼして、ベッドから体をおこした。
「夕食か?」
ドアに向かってそう尋ねると、カムリの声で大事な話があると返事が返ってきた。レクサスは紫音を抱き起して、乱れた服装を整えると寝室を出た。
「何事だ?」
「ディオン君が話があるそうだよ。なんでもとても大事な話らしい」
「わかった。ひかりたちはどうしている?」
「庭に散策にでているから、呼んでくるよ。とりあえず、二人で先に行ってきたら?」
「どうするシオン?」
「いいわ。行きましょう。もしかしたら、何か思い出したのかもしれないわ」
二人は急いでディオンのいる部屋へ向かった。
そのころ、庭の東屋で休んでいたひかりとモビリオにも異変が起きていた。ひかりの身に着けていた白の剣がぼんやりと光り輝きだす。人の気配を感じたひかりが、でてきなさいと静かに言うと、二人の前に幽霊のような半透明の一人の青年が姿をあらわした。青年は静かにごきげんようと言った。
「あなたは誰?」
『私は白の剣を作った者です』
「どうして今姿を現したの?」
『あなたの魔力のおかげでしょう。よくわかりませんが。ただ、こうして話もできるようなのでおねがいがあります。どうか、兄を助けてください』
「兄というのは黒の剣を作った者か?」
モビリオがそう問いかけると、青年は静かにうなずいた。
『きっと苦しんでいる。兄は根はやさしい人なのです。ただ、幼い時から私と競わされ、周りが私ばかりを称賛したがゆえに、人が変わってしまった。私はただ少しだけ器用な子供だったと言うだけなのに。努力はきっと兄の方がずっとしてきたはずなのです。まさか、あのような恐ろしい剣を作り、魂を囚われてしまうとは思いもしませんでした。どうか、その強い魔力で兄を解放してください。お願いです』
ひかりもモビリオも困っていた。まだ、剣の破壊方法が分かったわけではないからだ。それでも、ひかりはこの青年が哀れに思えた。自分も白の剣に囚われているのに、兄を心配しているのだ。ずっと長い間、この時を待ち続けていたのだろうと思うと、どうにかしたいと言う気持ちが強くわいてきた。
「モビリオ、どうなるかわからないけれどレクサス様たちと話をしてみましょう」
「そうだな。とにかく、戻ろう」
ひかりはまっすぐと青年の瞳を見た。
「今すぐにと言うわけにはいかないけれど、きっとあなたたちを解放してみせるわ。だから、今はまだ眠っていて」
青年はそう言われて、少し安堵したような微笑みを残して姿を消した。ひかりとモビリオは急いで城に戻った。途中でカムリと出会って、ディオンが大事な話があるとレクサスを呼んだことをつたえ聞いた。
「じゃあ、ディオンの部屋へ転移します。カムリさんも来てください」
そう言ってひかりが魔方陣を展開すると、モビリオとカムリはすぐにひかりに寄り添った。
部屋にはディオンが静かにテーブルについて待っていた。レクサスが何があったか聞こうとしたとき、ひかりとモビリオ、カムリが部屋に姿を現した。
「丁度よかった。皆さんに話があります」
そういったのはディオンだった。
「実は夢を見たんです……」
ディオンは、黙っている紫音たちに淡々と夢の話をした。最後に信じていただけるかわかりませんがと付け加えて。それを助けるようにモビリオが庭で起きたことを話した。
「つまり、剣に囚われている魂がそれぞれに語りかけたというわけだな」
レクサスはそう言って話をまとめた。紫音は、それでも剣の破壊方法がわからなければ難しいと思った。それは、そこにいた全員が思っていたことだった。
「キザシが来てくれないと話が進まないね」
カムリがぼそりと呟いたとき、タイミングよくキザシが登城してきたと衛兵が伝えた。
「とにかく、キザシの話を聞こう」
レクサスはそう言って転移の魔方陣を展開した。魔方陣の中にディオン以外が立った。
「何をしている。お前も来い」
レクサスにそう言われていいのですかとディオンは尋ねた。
「お前も当事者だ。それにこの先、あんな面倒なものを作られても困る。しっかり話を聞いて今後にやくだてろ」
そう言われたディオンは、強く頷くと魔方陣の中へ入った。
キザシが謁見の間で待っていると、すぐにレクサスたちが姿を現した。キザシは一瞬見慣れない男女をともなっていることが気にはなったが、レクサスに駆け寄り、初代の日記と真偽のはっきりしない本を差し出して説明した。
「つまり、剣はデスパロスではなくアスタロテでできている可能性が高いということか」
「さようにございます。確定できず、申し訳ないことですが、少しはお役にたちましょうか」
「ああ、よく短時間で調べてくれた。礼を言う」
「なんのなんの。いつも貴重な石を提供してくださるのじゃ。これしきのことたいしたことではございませぬ」
そう言ってキザシは、ほっとしたように微笑んだ。
「カムリ、ジュークに至急アスタロテについて調べるよう伝えてくれ」
「あいよぉ」
カムリはそういうとハヤブサに転じて、天窓から飛び出して行った。
紫音は、ふっと疑問に思ったので、レクサスに尋ねた。
「ねぇ、レクサス。魔法石が取れるようになったのは二百年ぐらい前の話じゃなかったの?」
「ああ、それはもともと王が仕事としてやっていたことだ。騎士団は魔法石を探す王の護衛として働いていたにすぎない。今のように、定期的かつ大量に手に入っていたわけではないんだ」
「じゃあ、もしアプローズたちが来なかったら、レクサスが魔法石探ししてたかもしれないの?」
「かもではなく、実際に俺が探していた。俺は触れないと石の性質がわからないからな。今のように大量の石を見つけるのは難しかったな。俺の仕事が楽になったのはほんの最近のことだ」
レクサスは二百年前をほんの最近という。紫音は、時間的な流れが違うことを痛感した。
(普通の鬼人でも三百年は生きるんだっけ……)
それなら、レクサスが二百年前のことをここ最近の出来事と認識するのは当然のことである。
「それより、いいのかシオン」
「え?」
「ヒカリと話すことがあるのだろう?」
「あ、うん。そうだね。石のことは任せるわ」
レクサスは優しく微笑んだ。紫音は、慌てたようにひかりの手をとって作戦会議よと微笑む。ひかりも少し困ったような顔で微笑み返した。
そんな二人を見て、モビリオはディオンに話しかけた。
「俺たちもこれからについて話し合っておく必要があるんじゃないか?」
ディオンはそう言われて素直に頷いた。そして、モビリオとディオンは、ディオンの部屋へ、紫音とひかりは、ひかりの部屋へ行くことにした。レクサスは執務室にいるから、何かあれば来るように言った。
モビリオと二人きりになったディオンは、何を話すべきか戸惑っていた。モビリオは黙って二人分の紅茶をいれるとカップをディオンに渡してソファーに座った。ディオンもモビリオの対面に座る。
「いろいろあったが、それはお互い水に流さないか?」
モビリオにそう言われてディオンは一言すまないと謝った。
「別に謝ることはないさ。それより、これからトリビスタンをどうしていくか考えているか?」
ディオンは深いため息を吐く。
「わからない。ヒカリは民を重んじろといったが、僕は民の生活を知らない」
「そうか、まあ、それがわかっているなら大丈夫だろう?視察でもお忍びでもなんでもいいから、自分の目で民の生活をみればいいし、民の声を聞けばいい」
「そんなに簡単なことだろうか?」
「簡単じゃないさ。難しいからこそ、ヒカリは民を重んじろといったんだろう。お前が考えて行動するしかないんじゃないか?」
ディオンは、そうだなと言って紅茶をすする。本当はモビリオに民の生活についていろいろ聞いてみたかったが、心の中のわだかまりはなかなか解けなかった。モビリオのほうもそれは同じだった。
しばらくの間、二人の間に沈黙が訪れる。
今度は、ディオンが口を開いた。
「こちらの民はどういう生活をしているんだ?知っているなら教えてくれないか。モビリオ」
「そうだな……俺が見たこの国の民は、みな幸せそうだった。活き活きしていた。魔法道具の普及で生活も安定しているようだし、何より親切で物おじしない。だが、トリビスタンは違う。魔力の強い者しか成り上がるとこはできないし、それにも限界がある。現状の生活が困窮すれば、盗賊に身を落とすしかない。ディオン、お前はそれを改善していくしかないと俺は思うが……」
「トリビスタンは貧しいということか?」
「そうだ。貧しい。だから、王としてやっていくなら、まず民の生活を見るしかないだろうな。まあ、ありのままの民の生活を見せてくれる貴族は少ないだろうが」
「それはどういうことだ?」
「自分の領地が荒れていれば、罰を受けると思うからだ。お前が王として民の生活を見たいと言えば、いい生活をしているものたちだけを見せて、貧民に会わせることはないだろう」
「そうか……」
ではどうすればいいのだろうとディオンは考えた。だが、いい方法は浮かばない。つくづく自分は温室育ちなのだと思った。たぶん、モビリオは知っているだろう。騎士として魔物と戦いながら、民と交わってきたのだから。そう思うと、やはりきちんとモビリオから話を聞かなければならないとディオンは思った。
「モビリオ、お前が見てきたトリビスタンの民とはどんな生活をしていたんだ?教えてくれないか」
モビリオは小さくため息を吐いた。だが、黙っていることはしなかった。
「一日に二食、固いパンにスープがあればいいほうだな。多くの者が税に苦しみ、疲弊している。貴族は毎日のように豪華な食事をしては、食べ残す。今回、レクサス殿から物資を提供してもらったことで、しばらくは飢えて死ぬものはないだろうが、まったくとはいいきれない。軍部には食いっぱぐれがないからという理由だけで志願しているものも多い。これがトリビスタンの現状だ」
お前はそれをどうするのだというように、じっとディオンを見つめる。
「制度改革が必要だと言うことか……」
「それだけでは、問題は解決しないだろうな」
そう言われてディオンは必死で考えた。
「税の引き下げということか?」
「それも必要だろうが、その税を徴収し国庫におさめるのは誰だ?」
「貴族たちだ」
「ならば、貴族たちが正しく税を徴収し、納めるような方法をお前は考えなければならないということだ」
ディオンは納得したようにうなずき、他にはと尋ねた。
「農地の改良や、貴族改革も必要になって来るだろう」
「貴族改革?」
「領民を奴隷のように扱うものは貴族として失格だ。財産を没収して放逐するしかないだろう。ただ、誰がそうなのかを見極めるのは王の仕事だと俺は思う」
「そう……だな……」
ディオンは力なく頷く。
「焦らずにやっていくしかないだろうな」
モビリオは、王という重責を担うディオンに同情を覚えるが、それ以上は何も言えなかった。
「それはそれとして……コレオスと連絡が取れないんだが、何か知っているか」
そう尋ねられたディオンは、どう答えたらいいのか迷った。だが、言わなければならないこともわかっていた。
「……コレオスは何者かによって毒殺された」
「なんだって?」
モビリオは受け入れがたい事実に驚愕する。
「父上は黒の剣を封印しようと彼を呼びに行かせたんだが、その時にはすでに亡くなっていた。いつ誰に毒殺されたのかは、わからないまま、僕はこちらに来てしまったから……すまない」
「お前が謝ることはない。ただ、トリビスタンに戻ったら誰が彼を殺したのかはっきりさせてくれないか?」
「もちろんだ。だが、お前がそれを知ったら……」
その先を言い出す前に、モビリオは復讐はしないと言った。
「法で裁いてくれ。殺人は死罪だ。誰であろうとそう言う定めだからな。俺はトリビスタンの秩序を乱す気はない」
沈痛な面持ちでモビリオははっきりと言った。
(コレオス……)
幼いころから、いろいろと世話になった彼はもうこの世にいない。父のような存在だっただけに、モビリオのショックは大きかった。それでも、復讐はしないと自分に言い聞かせる。モビリオはトリビスタンを棄てた身なのだから。
「約束する。必ず犯人を見つけて死罪を言い渡すよ」
ディオンはそれが最初の仕事だと決意した。モビリオは深いため息を吐きながら頷いた。




