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わけのわからないまま、召喚され、魔物の跋扈する森に捨てられた紫音だったが、ゆったりとしたクリムゾンの生活にも慣れてきた。この世界のことも少しずつ勉強している。教師はエルフのアプローズ。まず最初に教えてもらったことは、この国、クリムゾンのことだった。クリムゾンは鬼人の国で、鬼人とは額から小さな二本の角が生えており、平均寿命は三百年くらいだという。魔法は使えないが、力が強く体も丈夫で怪我をしてもすぐに再生するらしい。ただし、首に深手を追えば死んでしまうという。
「あいつに角なんてないよ?」
「レクサス様は王だからね」
「王だと角が生えないの?」
「逆ね。角がなく、魔法が使える者が王となるのがしきたりなの。王と言うより、守り人かしらね。この国の東西は魔物の住む森でおおわれてるから、いつやつらに蹂躙されるかわからない。丈夫な鬼人といえども、魔物を相手にしていては生きていくのも厳しいわ。だけど、王が結界をはって魔物が入り込めないようにしているから、のんびりと平和に暮らしていけるの」
「へぇ……」
紫音は、ただのスケベなイケメンだと思っていたので、意外だった。というのも、レクサスは隙あれば頬や髪に触ろうとしてくるのである。そのうえ、隣の部屋で寝起きしている紫音のベッドに平然と潜り込んでくる。だからといって、辱めを受けることはないのだけれど。紫音としてはベタベタと触れたがるレクサスへの対応に困ってしまう。
「そういえば、ティーノさんもカムリさんも角は生えてないけど、どうしてなの?」
「ああ、ティーノは異世界人だし、カムリは魔人で何にでも変身できる能力者だから鬼人ではないのよ」
紫音は、あれっと首を傾げる。
「クリムゾンでも異世界人を召喚したりするの?」
「いいえ、ティーノは二百年前に人間が勇者として召喚したの。レクサス様を倒すためにね」
アプローズは何かを思い出したように懐かしそうな目で笑った。ぽかんとする紫音を見てアプローズが過去のことを話してくれた。
二百年前、トリビスタンは魔物の被害にあえいでいた。そこで、冒険者であるエルフや魔人、獣人を雇い魔物討伐を行った。しかし、魔物はなかなか減らなかった。そこで、当時の魔導士長が過去の文献をつぶさに調べ、隣国クリムゾンの王を倒さなければならないという結論に至った。そのためには、異世界より勇者を召喚することが必要となり、ティーノが召喚されたのである。
「ティーノはガイヤと言う世界で料理人をしていて、やっと自分の店を開いたばかりだったから、なんとか元の世界に帰してくれと懇願したそうよ。だから、当時の王は悪魔を倒せば帰してやると約束したらしいわ。もちろん、嘘だったけどね。それで、私と他に三人の仲間をつれて森をぬけてここを目指した。三人の仲間は森の魔物との闘いで死んでしまったわ。だから、私とティーノだけがクリムゾンへたどり着いたの」
けれど、クリムゾンは豊かな国だった。魔物を操り、国土を広げようとしている国にはとても見えなかったという。何よりも一番驚いたことは、人間やエルフに警戒心を全く持たなかったというのだ。
「私たちの聞いていた話は、角の生えた醜いものたちが闊歩する恐ろしい国ということだったの。けれど、森を抜けてボロボロになっていた私たちは、すぐ近くの村人に助けられたわ。『森を抜けるなんて勇気があるもんだね。無事でよかったわ』って世話をしてくれた鬼人の老女に言われたわ。もちろん、これは罠かもしれないと最初は疑っていたのよ。だけど、王城を目指す道すがら穏やかに暮らしているのが鬼人だけじゃなく、獣人や魔人もいて、何が本当なのかわからなくなってきたの」
そんな迷いの生じる中で、王城にたどり着いた。二人で攻め込むには城は大きかった。情報を集めているうちに、王は誰にでも会うと言うことが知れて、やはり罠かもしれないと疑ったという。けれど、城門で王に会いたいと願い出れば、名簿に記入させられただけで武器を押収されることもなく、あっさりと謁見の間に通されたのだった。
「シオンちゃんだったら、そんな状況でどう思う?」
「そうね。絶対罠だと思うな。二人の刺客なんてどうにでもできるぞって言われてると思う」
「でしょ。私たちもそう思ったわ。それでも、ティーノは悪魔を倒すしかないって言った。私も同意して覚悟を決めたのよ」
そしたらねとアプローズは苦笑する。
「謁見の間にはレクサス様しかいなかったの。普通ならたくさんの兵士が待ち構えていると思うでしょ」
紫音は、こくんと頷く。
「そのうえ、第一声が『エルフと駆け落ちか。大変だな』なのよ。もう、緊張感のかけらもないったりゃありゃしないわ」
「それで、どうなったの?」
「戦ったわ。ティーノは自棄をおこしてね。『お前の首をとって、元の世界にもどるんだ!』ってね。私は魔法で攻撃して、レクサス様の隙を作ろうと必死だったけど。二対一なのに全く歯が立たなくて、ティーノの剣は折れてしまったの」
レクサスはこれといった大きな魔法もつかわずに、アプローズの魔法を簡単に無効化してしまうし、ティーノの剣戟は舞うようにさらりとかわしたり、そらしたりして全く疲れもみせなかった。そして、ティーノの剣が折れたときに二人はおしまいだと絶望したと言う。
「だけど、私たちを殺すこともせず、事情を聞いてきたわ。もう、死ぬのだと思っていた私たちはすべてを話したの。そしたら、『そんなに料理がしたいなら、この城の料理長になればいい』ですって。笑っちゃうでしょ」
「笑うっていうかなんていうか、どうしてそうなるって突っ込みたいわ」
紫音は、苦笑した。そして、はたと気がつく。
「あれ?でも、二百年前の話ってことは……え?三人とも二百歳超えてるの!」
「そうね。レクサス様はもっと年上ね。レクサス様に負けちゃったからトリビスタンには戻れないし、ティーノはガイヤにも帰れないことがわかってどうにでもなれって感じで料理長になったの。それから、しばらくして私はティーノにプロポーズされたんだけど、私と彼は寿命が違ったの。エルフも五百年くらいは生きる種族だから。ティーノはせいぜい百年だって話で。それでわたし、躊躇したんだけど、レクサス様が『それなら二人とも俺と契約して式神になればいい』って言ったのよ」
「しきがみ?」
「そう、年をとるのもレクサス様と同じになるから、彼が死ねば私たちも死ぬし、契約を解かない限り生き続けることができるの。とはいっても、私たちが死ぬような大けがや病気をすれば、普通に死んでしまうんだけどね。レクサス様には影響はないらしいわ。そういう契約をすることを式神になるっていうんですって」
「へぇ、じゃあ、二人とも契約して結婚したのね」
「そう。なんだか夢みたいな話だったけど、好きな人が先に老いて死ぬのはさすがに私は嫌だったから。本当にレクサス様には感謝してるわ」
アプローズは頬を染めて、嬉しそうに微笑んでいた。
「大逆転のハッピーエンドだね。だけど、トリビスタンを襲っていた魔物はどうなっちゃったの?レクサスのせいじゃないなら、そうとうやばかったんじゃない?」
「それも、レクサス様が解決してくれたわ。定期的に魔物狩りをするようになったの。それまで、形だけ存在していた騎士団は騎士らしいことができると喜んだし、魔物も減ったからトリビスタンも平穏を取り戻したわ。ただ、私たちは悪魔と相打ちになって死んだことになってるけどね」
紫音は、レクサスッて人の話は聞かないし、なんだか嘘みたいになんでもできちゃう王様みたいだけど悪い奴じゃないのかもと思った。初めてあったときのことは、まあ、事故のようなもので仕方がないかとも思い始めていた。
「シオンちゃんは、やっぱり元の世界に帰りたいの?」
不意にそう問われて、紫音はちょっと考え込む。正直に言うと生活の利便性は元の世界の方が楽だったけど、今はこの生活にもなじんできている。それに帰る方法が見つかったとしても、帰った場所に自分の居場所はないのだ。
「あんまり帰りたいとは思ってないかな。こっちにきて森に捨てられたときは、もう死んでもいいって思ってたから」
「何か辛いことがあったのね」
「うん、両親が離婚しようとしてて、どっちがあたしを引き取るかでもめてたし、学校でもいろいろあって……森に捨てられた時にはもう死んでもいいやって思ったの。でも、今は死ななくてよかったかなって思ってるよ。ここの生活も悪くないし、みんな親切だし」
紫音は、にっこりと笑って言った。アプローズもよかったといって微笑んでくれた。そして、そんな和やかな雰囲気をぶち壊すように荒々しくドアが開く。登場したのはレクサスだ。
「遅い!せっかくの茶がさめてしまうだろう」
「だから、お茶くらい一人で飲みなさいよ。ただの仕事休憩でしょ」
紫音は、レクサスをきっと睨む。だが、彼はそんなもの意にも介さないで紫音を捕まえるとさっとお姫様抱っこして部屋を出る。
「おろしなさいよ」
「遅れたお前が悪い」
紫音はちょっとは見直したのにとため息を吐いた。




