32
チェンバルに着いたひかりとモビリオは、王都行の馬車を探した。ぎりぎり、最終便に飛び乗ることができたが、王都に着いたのはかなり暗くなってからだった。御者に安宿を教えてもらい、二人はなんとかそこに泊まることができた。そして、モビリオのもとには二通の手紙が届いていた。一通は王から、もう一つはコレオスから。
モビリオは急いでクリムゾンの王に会わなければならないと思った。
(陛下は俺の言葉を信じていない)
二通の手紙を読んで、モビリオは確信する。このままだと、世話になった老婆の村は一番にトリビスタンの襲撃に会う。それは何としても食い止めたい。できることなら、森で足止めされてしまえばいいのだが、自分たちが見た状況から、そうすぐに魔物が跋扈し始めるとも思えなかった。
「何を難し顔してんの?」
不意にひかりが声をかける。モビリオは、手紙についてかいつまんで説明した。
「だったら、朝一で王様に会わなきゃね。宣戦布告もなく、不意打ちなんて卑怯だわ」
「森で足止めをくってくれるといいんだがな」
うーんっとひかりは思案した。何かいい手はないだろうか。サバラ村で世話になった老婆の優しい笑顔が思い浮かぶ。
「少なくとも先遣隊を出すってことは、魔物に警戒してるってことでしょ。だったら、まだ時間に猶予はあると思うけど」
「そうだな。魔物も徐々に戻ってくるだろうし」
「うん、多少の時間稼ぎぐらいにはなると思うわ。今日、王都にたどり着けてよかったんじゃない?」
モビリオはふっと微笑む。
「お前は前向きだな」
「そうでもないわよ。今まで、いつも悪いことばかり考えてたし、考えてたらその通りになっちゃったし……だから、少しはいい方に物事を考えてみることにしたのよ。それに、この国の人は親切だった。聞くと見るとじゃ全然違った。だったら、小さな可能性に賭けるのもありかなと思ったのよ」
ひかりは、なんとなく自分でも思っても見ないようなことを口にして、驚いていた。それを悟られないように話題を変える。
「朝一番って何時ぐらいになるのかしら?」
「わからんが、とにかく起きたらすぐに城へ行ってみよう」
そうねとひかりは答えて、ベッドに入った。安宿だけに風呂はない。だが、魔法で服も体も綺麗にしていたので、何も気にはならなかった。
(戦争なんて嫌だな)
ひかりは、なんだか不安になってあまり寝付けないまま、朝を迎えた。
モビリオもあまり寝ていない様子で、とにかく、老婆からもらった保存食を朝食として食べ終わると、すぐに城へ向かった。朝日は昇っていたが、まだ早朝である。門が開いているか気にはなっていたが、驚くことに開いている。
「こんな時間から開いていても、王様に会えるのかしら?」
ひかりは疑問を口にする。この国の王とて暇ではないはずだ。それに身分の高いものほど、スケジュールは決まっている。
「とりあえず、門番にいつなら会えるか聞いてみよう」
モビリオはそう言って門に近づいた。
「早朝からすまないが、王に会いたい。いつ会える?」
そう言うと門番は、いつでもと答え名簿を差し出した。
「ここに名前を書けば会えますよ」
「こんな早い時間でもか?失礼にはならないだろうか?」
「失礼にはならないね。いろんな用事で地方からも来る奴がいるから。ただ、王が外出されていれば門は閉じてるし、いらっしゃるときはどんな時間でも会ってくださるよ」
モビリオはそう聞いて早速名簿に名前を書き込んだ。ひかりもそれに習う。
「しばらく、そこで待ってな」
そう言われて、門の中にあるベンチに二人は座った。五分もしないうちに、眠たげな顔の男がやってきて、謁見の間まで案内しますと言った。
後について歩くこと十五分。どうぞと通された部屋は、ホテルのロビーぐらいの広さだなと思った。想像していたより狭い。二人が部屋に入ると、一段高いところに銀髪金目の男が座っていた。傍らにはエルフの女が立っていた。
「また駆け落ちか?」
男がそういうと、女はそんなわけないでしょと突っ込む。
「で、俺に何の用だ」
男はよく通る声で二人にたずねた。
モビリオは、角のない男を見てこれが王なのかと首を傾げたくなったが、用件を伝えた。
「早朝から申し訳ありません。わたしはモビリオ・トリビスタン。トリビスタンの第二王子です。こちらは、ヒカリ・ミソノオ」
「ああ、シオンと一緒に召喚された娘だな」
「知っているんですか?」
思わずひかりは声を上げる。
「まあな。それより、用件はなんだ?シオンなら今はいないぞ」
男はひどく不機嫌な顔で言った。
「実は、わたしはこの国の王の首を取ってくるように命を受けています」
「ほう、俺の首をか。それなら、さっさと手合わせでもするか」
「いえ、その必要はありません。わたしはこの国に来て考えを変えました。悪魔の国と言われて育ちましたが、ここへ来るまで何の危険もなかった」
「では、考えを変えて俺に会う理由は」
「トリビスタンは森を抜けてこの国に侵攻しようとしていることを伝えに来ました」
男はふっと呆れたようにため息をこぼした。
「森を抜けてこの国に侵攻したところで、長期戦になれば補給が立たれてそちらの負けは確実だ。そんな無謀をお前の親は考えているというのか」
「はい、すくなくともすでに森に先遣隊を放ったと知り合いの魔法士から報告がありました」
「なぜ、この国に侵攻する気になったんだ?」
「わたしが、無事に森を抜けたことを報告したからでしょう」
「森の様子は?」
「草食性の魔物を見かけました」
「それなら、数日のうちに黒狼が群れをなすだろう。先遣隊が派遣されたなら、途中で引き返すことになる。心配はない」
モビリオはそう言われて疑念を抱く。
「それは、あなたがそうするということですか?」
「どういう意味だ?」
「あなたが魔物を操るということです」
「そんなことができるなら、結界などはらん。学者たちの研究結果で、魔物を討伐した後は草食性の魔物からその場所に戻ってきて次は肉食性という報告を受けている。その期間も研究済みだから、数日のうちと答えたまでだ」
モビリオは失礼しましたと頭を下げた。そんなやり取りを見ながら、ひかりは紫音のことが気になった。この男がこの国の王ならレクサスという名だ。でも、角がない。王のふりをしているのだろうかと思うが、自分が異世界からの召喚者であることを知っているということは、国の上層部の人間には違いない。
「あなたは本当に王様なの?」
ひかりは、不意にそう尋ねた。
「ええ、間違いなくレクサス王よ」と答えたのは隣にいる金髪碧眼のエルフだった。
「角がないから、違うと思ったんでしょ」
エルフは華やかに笑う。モビリオは、彼女をどこかで見た様な気がしたが、思い出せなかった。
「英雄召喚もせずに、自分の息子を直接送ってくるなんて……トリビスタンはそんなに危機的な状態なの?魔物はこの間討伐したから、当分は大した被害はでないと思うけど」
「トリビスタンについて詳しいようだが、貴女は?」
「私はアプローズ。二百年前に英雄のティーノと二人でこの人の首を取りに来たんだけどね。今は、この国の魔法師団を指導しているわ」
モビリオはその名前を聞いてはっとした。アプローズにティーノといえば、悪魔を退治した英雄の名前である。トリビスタンの人間ならだれでも知っている名だった。エルフの寿命が長いことは知られているがまさか生きているとは思わなかっただけに、驚きは大きい。
「何か知らんが、誤解があるようだな。ところで、朝食はすませたのか?」
レクサスは、不意にそんな質問を投げかけた。モビリオとひかりは、戸惑うように肯定した。
「俺はまだだ。食事をしながらでかまわないなら、話をしよう」
そういって、玉座を降りると二人を連れて食堂へ向かった。
食堂はがらんとしていた。二百人は入れそうな広さだ。レクサスは厨房に近いテーブルの席に着いた。すると、食堂から男が声をかける。
「あれ?お客さん?」
レクサスはそうだと答えた。そして、ひかりとモビリオに座るよう促す。
「飲み物は?コーヒーと紅茶、あとはジュースがあるが……」
そう言われて、二人は紅茶を頼んだ。そして、レクサスのところへ男が食事を運んで来る。オムレツにパン、コーヒーとソーセージにサラダとスープ。ありふれた洋食の朝食だった。男は、ひかりとモビリオに紅茶を持ってくると、まじまじと二人を見つめて言った。
「もしかして、またトリビスタンが勇者召喚とかやったのか?」
その疑問に答えたのはアプローズだった。
「こちらは、モビリオ・トリビスタン。第二王子よ。そして隣がシオンちゃんと一緒に召喚された聖女さま」
「なんだ、今度は自分たちで討伐にきたのか」
「そうらしいけど、それはやめたんですって。あ、この人はティーノよ」
そう言われてモビリオはぎょっとする。
「あ、まあ、いろいろあって、今はここの料理長してます」
ティーノはあいまいに笑って言った。モビリオは何がなんだか正直わからなくなってきた。そういえば、勇者の召喚は二百年前から失敗に終わっているとコレオスが言っていたのを思い出す。
(もしかして、ティーノ殿が生きているから失敗しているのか)
そんな疑問が頭をよぎったが、口には出さなかった。
「それで、トリビスタンは何に困っているんだ?」
レクサスは食事をしながら、二人に問う。モビリオは、干ばつで雨を降らせるために聖女召喚をし、聖女となったひかりは、神の力で無限の魔力を手に入れたこと、些細なことから自分が悪魔討伐をいいだしたことなどをかいつまんで話した。
「雨は降ったんだな」
「ええ、降りました。なんとか今年は作物の収穫ができそうですが、備蓄が底をついているのですでに餓死者も出ています」
「どこも食糧難ということか」
レクサスはため息をついた。
「クリムゾンも食糧難なのですか?」
「いや、幸いシオンのおかげで雨が降った。今年は豊作だとの報告も上がっている」
「では、食糧難というのは?」
「東の隣国、ナイトメイアだ。備蓄の三分の一を提供する予定になっている」
レクサスは不機嫌そうにオムレツをフォークでつつく。
「あの、紫音はどうしているんですか?」
ひかりがそう尋ねると、ますます不機嫌な顔で、ナイトメイアにいるとレクサスは答えた。アプローズが苦笑しながら、事の次第を説明する。
「ナイトメイアは、長雨でね。雨を止ませるためにシオンちゃんは向こうに行っているの。予定よりかなり時間がかかっててレクサス様はご機嫌斜めなのよ」
「余計なことだ。アプローズ」
「あら、本当のことじゃない。まあ、向こうの騒動もけりがついたんだから、すぐに戻って来るわよ」
レクサスは無表情でオムレツを口に運んだ。咀嚼してコーヒーで流し込むと、モビリオを見た。
「お前はこの国との戦争を望んでいないようだが、そうするとトリビスタンはどこから食料を手に入れるつもりだ?同盟国でもあるのか?」
「同盟国はありますが、通常の倍の値段で食料を提供するという話までは進んでいるのです。ただ、それでは貴族たちの税金を重くしなければならないので、陛下は内乱を恐れてそれ以上の話に進まなかったんです」
「国宝くらいうっぱらちゃえばいいのよ」
ひかりは遠慮なく、そう言った。レクサスは、感心したように目を細める。
「シオンなら、言いそうなことだな」
「実際に言ったわ。王様なら自分でどうにかしろって。もしかしたら、王はその言葉を不愉快に思ったかもしれないけど」
レクサスはそれがなければ、出会えなかったのだと思うと少しだけトリビスタンの王に同情的になった。
「俺の一存では決められぬが、議会と相談して何らかの援助をしよう」
「よいのですか。我々は長年、この国を悪魔の国として憎んできました。今も本国ではそれが当たり前の状態です。進軍しようとしているのですから……」
「その誤解を解くのに丁度いいだろう。なんらかの援助をすれば、誤解もとける。現にお前の誤解は解けているようでじゃないか」
モビリオは確かにそうだと思った。たった、三日とはいえこの国の人間と触れ合って自分の国と何もかわらない現状を見て納得したのだ。森を超えて進軍を止めるためにも、何らかの援助を取り付けて、国へ戻らなければならないと考えた。
モビリオはありがとうございますと頭を下げた。
「まあ、どういう形で援助できるかはまだわからん。議会を招集して意見を聞いてみないことにはな」
「検討していただけるだけでもありがたいのです。進軍を止めるよう手紙を書きましょう。そして無事に国に戻ったらかならず、誤解を解きます」
「別に、誤解されたままでもかまわんが……わざわざ森を超えてきたんだから手土産ぐらい持って帰れ」
レクサスはにこりともせずに、食事をしながらそう言った。




