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鏡を見つめていた紫音たちの元に、カムリが戻ってきた。それは、丁度偽の紫音が首をつかまれ崩れ落ちる姿が映っていたころだった。
「あーひどい目にあったぁ……ってこっちもなんだか物騒なことになってるねぇ」
一同がその声に、はっとした。
「外の様子は?」
すぐに冷静になったジュークがカムリに尋ねると、カムリは状況を説明した。すると、ラティオが難しい顔で言った。
「叔母上がそれほどの魔力を消費してまで、この鏡を見せているということは、敵とみなすには無理がある」
「というと、どういうことかなぁ」
「簡単なことだ。同じ魔力を消費するなら、僕たちを捕縛してしまうほうが楽だし、高みの見物がしたいのなら、こんなまどろっこしいことなどする必要もないだろう。これではまるで、父上が安全な場所で姫巫女を預かると言ったことと変わらない」
「なるほど、それは確かにそうかもねぇ。でもさぁ、他にも考えられるんじゃない?切り札は自分の手の内に置いておきたいっていうさぁ」
「叔母上が本気で王位を狙うなら、真正面から父上に挑んでいる。あの人は迂遠なやり方を嫌うからな」
全員がラティオの話を信じるかどうか迷ったが、少なくとも一国の王太子である。身内のことについては、誰よりも判断が正しいと感じた。
「じゃ、ラティオ殿下を信じましょうかねぇ」
全員がカムリの言葉に頷いた。そして、もう一度鏡に集中する。プレオネスタはあっけないほどに簡単に対峙していた青年をとらえ、王城にもどり、瞬く間に騒ぎを平定した。
黒いローブの一団は、膝を折り首を垂れて動かない。軍務大臣でさえも、プレオネスタが何か一言発しただけで、膝をついて首を垂れた。だが、数名の魔人がプレオネスタに剣で切りかかる。魅惑の力が効かない相手のようだったが、プレオネスタは剣をかいくぐり、つぎつぎと相手をなぎ倒した。
そして、鏡はぐにゃりと歪んで映像をかき消した。
「父上はかなりお怒りのようだ」
ラティオがため息交じりにつぶやいた。コルサとクリッパーは、王の反撃に舌を巻いた。魔法を使えば殺せる相手を、自らの鉄拳においてぶちのめしたのである。その動きは、ただ漫然と王座に座っているだけのものではない。
「なあ、レクサス様とやりあったらどっちが勝つと思う?」
コルサがこっそりとクリッパーに問う。
「想像したくもないが、レクサス様は苦戦されるだろうな」
クリッパーは肩をすくめた。
それから、しばらく何事も起こらなかった。紫音はいつでも魔法を展開できるように様々な状況を想像していた。ジュークたちも紫音の側に盾のように立ち尽くす。カムリだけはゆったりとクッキーを食べながら、ドアがいつ開くかと見守っていた。
そして、ついに扉が開く。そこには兵士を連れたプラウディアが立っていた。
「あら、そんなに警戒しないで頂戴。あたくしは、敵ではなくてよ」
彼女は疲れすら感じさせない妖艶な微笑みを浮かべる。
「といっても、すぐには信じていただけないわね。とりあえず、王城へまいりましょう。わたくしの潔白は兄上にしか証明できないから」
「ということは、父上と組んでいたということですか」
ラティオはむくれた子供のようにプラウディアを睨む。
「仕方ないじゃない。貴方はまだまだ修行が足りないんですもの。そこの魔人が変身能力者だと見破ることもできないで、心ここにあらずという状態ではねぇ。大事な作戦に参加させるわけにもいかないというものでしょう?」
プラウディアはくすくすと甥っ子を笑って諭しながら、ゆっくりとジュークたちに近づき、膝をおった。
「このたびは、我らの謀に巻き込んでしまい申し訳ございません」
そう言って、深々と頭を下げた。ジュークは、頭を上げてくださいと言った。
「我々も、国の利益を見込んで話に首を突っ込んだのですから、致し方ないことです」
紫音も何か言わなければと思うが、何を言っていいのかわからなかった。
「できれば、もう少し詳しくお話を聞かせていただけないでしょうか。我々もさすがに戸惑っています」
「ええ、もちろん。事の発端は、干ばつの危機ですわ。それで貴族たちは王が雨を降らせれば問題ないと言いましたのに、兄上ときたら天候を操れるほどの魔力はないと宣言してしまいまして。なぜ、そのような嘘を言うのかと問いつめましたら、暗部の者たちから貴族の腐敗が報告されているというのです。ですから、王の力が弱っているという噂を流して、それにつけ込む動きを監視しておりましたの」
プラウディアは優雅な動きで自ら紅茶を入れた。そして、話を続ける。
「調べていくうちに、精霊信仰派の人身売買が明らかになり、まず子供たちを保護して証言を取ろうとしたのですけれど、彼らには古い特殊な暗示がかけられていて証言は取れなかったのです。それどころか、暗示を解けば記憶を失ってしまって……しかたなく、王都の中で信頼のおける者たちに面倒をみさせました。そうしているうちに、軍務大臣のシグナム・バルテオが今の王では国を救えないからとわたくしに王になるよう進言してきたのです。もちろん、最初は警戒をするふりをして雨が降れば、それを止ませて王位についてもかまわないと冗談交じりに言ってみたのです。彼はそれを真に受けた。だから、家宝の魔力増幅水晶を持ち出して、雨を降らせたのです」
プラウディアは優雅に一口紅茶を飲む。
「わたくしはもちろんそのことを兄に報告しましたわ。そしたら、半年時間を稼げといわれましたの。というのも、黒幕は軍務大臣ではないとわかっていたからです。精霊信仰派の何者かだということは確かでしたけれどね。実は、この国の宗教は大地母神アデレードなのですが、宗派が三つほどございますの。その上、各派閥の教主たちは、魅惑の力の利かぬものばかりが代々踏襲しておりますから、直に問いただしても、無駄なのですわ」
「そこで囮を使うことを考えたというわけですね」
ジュークは渋い顔でそう尋ねた。
「ええ、でも、まさかクリムゾンの姫巫女様を巻き込むとはわたくしも思っておりませんでしたの。せいぜい、ラティオを使って何かするものだと思っていたんですけど。でも、おかげでかなり膿が出ましたわ。これから、政治的に面倒なことがあるでしょうけれど、それは兄の仕事ですから」
ふふふとプラウディアは笑った。
「さて、そろそろ王城も静かになったことでしょう。後は、兄からふんだくれるだけふんだくっていただいて構いませんわよ」
そう言ってカップをテーブルに置くと、ソファーに座っていた紫音に手を差し出す。紫音はその手をとって立ち上がり、ようやく口を開いた。
「あの、食料が半月しか持たないっていう話を各地で聞きました。食料は大丈夫なんですか?」
「まあ、そんなことまで気にしてくださるなんて……あなたはとても優しいのね」
「ケイマンだったら、いくらで食料買うか交渉をはじめてるだろうな」とコルサがつぶやく。
確かにとジュークやクリッパーも思った。
「その辺は、ちゃんと国としてクリムゾンのお力を借りたいと思います。もちろん、きちんと代価を払いますわ。兄が値切ったら、わたくしが盛って差し上げますから、ご心配なさらないで」
紫音は、何が何だかよくわからなかったけれど、これでクリムゾンに帰れるのだと思うととても安心した。そして、早くレクサスに会いたいと思った。安心と同時にひどくレクサスのことが恋しくなった。そしてかすかな不安が胸をちくりとさす。自分が不在の間に、レクサスがパートナーをみつけてしまっているのではないかと。手紙には早く会いたいと書いてくれていたけれど、離れていたことが、ひどく長い時間に感じられた。
「それではまいりましょう」
プラウディアは紫音の手をとって、転移魔方陣のある部屋へと歩き始めた。
レクサスのもとにケイマンからの手紙が届いた。長老院三名は無事に王城につき、ナイトメイアの内乱も完全に沈静したという。紫音たちも無事であることを書き記し、これから交渉に入ると説明してあった。レクサスは深いため息を吐いた。安心半分、不安半分。すぐに紫音に会いたいと思った。それでも、動かないように必死で耐えた。
「帰って来る。絶対に」
自分に言い聞かせるようにつぶやくが、足は転移魔方陣のある部屋へと向かっていた。だが、途中で謁見の申し出がいくつかあり、仕方なく踵を返す。謁見の間へ行くと、学者たちが各地の様子を報告に来ていた。
「今年は雨のおかげで豊作になります」
「薬草の育ちも順調です」
「そうか、それは良い知らせだ」
レクサスはどこか上の空で報告を聞いていた。学者たちは、お互いの顔を見合わせて小さくため息をつく。
「先ごろ、噂で人間が駆け落ちしてきたと聞き及んでおりますが、すでに謁見されましたでしょうか?」
「いや、噂さえ聞いていないが。何か問題があるのか?」
「いえ、また王のお命を狙うものであるならば、捕縛した方がよいのではと思いまして」
「問題はない。捕縛の必要もない。俺に会いたいものとは誰とでも会うのが俺の流儀だ。心配ない」
そう言われて学者たちはかしこまりましたとその一件についてはそれ以上言及しなかった。代わりに、ナイトメイアへの援助の準備はどのようになっているのかと質問する。
「それは、議会が準備を進めている。各地の備蓄庫から三分の一を王都に運び込んでいるところだ」
「交渉のことでございますが、我らもナイトメイアへ行くことはできませんでしょうか。かの国の文化や歴史を学んできたいと申し出る者もおります」
「今は無理だ。あちらは内乱が収まったばかりだからな。おいおい交流を深めていくことにはしている。そのときまで待つように」
「かしこまりました」
学者たちはその答えにほっとして謁見を終えた。
レクサスは謁見を終えると執務室に戻った。山のような書類に目を通し、心を落ち着けようとした。だが、紫音が使っていた机を目にすると、今すぐにでも会いたい気持ちでいっぱいになり、書類の半分も目を通さないまま、やはり足は転移魔方陣のある部屋へと向かっていた。
紫音たちが王城に戻ると、ケイマンと三人の長老、バネッサ王妃が出迎えてくれた。
「このたびは、本当にご迷惑をおかけしました。そして、たくさんのお力添え感謝いたしますわ」
バネッサが紫音に淑女の礼をとった。紫音は慌てて、お辞儀をした。パンツスタイルでは、淑女の礼はできなかったからだ。
「お疲れになったでしょう。とにかく、一度、お部屋でお休みください」
「あの、王様は?」
バネッサは聖母の微笑みで、後始末をしている最中ですのと微笑んで見せた。そうですかと、紫音は少しがっかりした。すべてが終わればすぐにクリムゾンへ帰してくれると約束していたから、本当なら今すぐに帰りたいと言いたいところだった。しかし、内乱を収めたばかりだ。無理を言うわけにもいかないと紫音は思った。それを察したのか、ジュークが言う。
「シオン様だけでもクリムゾンへ帰すことはできないのでしょうか?」
「申し訳ありません。アベンシスも後始末で忙しくて。それに残党がいないとも限りませんから、いましばらくは、王城に留まっていただけないでしょうか」
「そうですか。わかりました。それでは、しばらく休息させていただくことにしましょう」
ジュークは紫音をちらりと見て、そう言った。とにかく、紫音を安全に素早くレクサスのもとへ送り届けたいと思うが、今は仕方がないとあきらめる。そして、一度貴賓室へ全員で戻った。プラウディアとバネッサも一緒についてきて、侍女たちにてきぱきと湯殿の手配や食事の準備を指示する。
「とりあえず、お風呂に入ってゆっくりしてくださいね」
バネッサにそう言われて、紫音は素直にお風呂に入った。その間、ジュークたちも疲れを癒すようプラウディアから、回復魔法をかけられ、風呂へ放り込まれた。全員が着替えて居間に集合すると、豪華な昼食が準備されていた。そこで、バネッサとプラウディア、ラティオもともに食事をした。ラティオは、自分だけ作戦から外されていたことにぶつぶつと文句を言う。
「いつまでも、そんなことで拗ねている暇はないのですよ。これからは、陛下の右腕としてあなたはクリムゾンとの交易を成功させなければならない立場なのですからね」
バネッサにそう諭されて、ラティオは気のない返事をする。
「ああ、それにしても、エッセさんは幻だったなんて」
「あら、まだそんなことを言ってるの。仕方のない子ね。近いうちに、わたくしが貴方にぴったりなご令嬢を紹介してあげるから、いい加減あきらめなさいな」
プラウディアは面白そうに微笑んだ。
「当分、女性の話はいいです。僕も父の手伝いをしっかりしないといけないですからね」
ふんっと拗ねたようにラティオは、答えた。
ジュークたちはそんな会話を聞きながら、交渉の状況についてケイマンから説明を受けていた。紫音は、クリムゾンが食料を提供することになったと聞いて、ほっとした。もちろん、それ以上の政治的なことはよくわからないので、食事に集中する。
(ああ、やっぱり味が濃いなぁ。ティーノさんのご飯が恋しい)
そして、やはりレクサスのことが頭をよぎっていた。




