30
翌朝、予定通り乗車場へと二人は向かった。街は朝から市が立ち活気にあふれていた。
「なんだか楽しそう」
ひかりは、ぼそりとつぶやく。モビリオもそうだなと相槌をうった。そんな二人の耳にカランカランと鐘の音が響く。
「チェンバル行は、間もなく発車します!お急ぎください!」
二人は慌てて乗合馬車に飛び乗った。ホロのついた馬車はすでに客でいっぱいだったが、なんとか二人が座る場所はあった。
「出発します」
御者がそういうと馬車はことことを動き出した。乗客は珍しいものを見るような好奇に満ちた瞳をひかりたちに向ける。ひかりは、なんだか珍獣扱いされているようで落ち着かなかった。そんな中、モビリオの隣に座っていた少年が口を開く。
「ねぇ、お兄さんたち森を抜けてきたの?」
モビリオは正直にそうだと答えると、すげぇと少年は感動した。
「あの森を抜けるなんてお兄さんたち強いんだね。もしかして魔法が使えるの?」
「使えるが、お前は使えないのか?」
「僕は魔法が使えるかどうか試験を受けに王都に行くんだ。もし、魔法が使えたら魔法師団に入るのが夢なんだ」
少年は希望に満ちた満面の笑みを称えている。
「あら、あなたその前にちゃんとパートナー探ししなくていいのかい」
横で話を聞いていた中年の女性がくすくす笑いながら言った。
「パートナー探しもしてるよ。でも、なかなか見つからないんだ。もしかしたら王都にいるかもしれないだろう」
「そうだね。ちゃんと見つかるといいわね。まあ、時間はたっぷりあるんだし焦らなくてもいいけどね」
「そうだよ。まだ、一年しか旅をしてないんだからね。そんなにすぐには見つからないもんだろう?」
「まあ、そうだね」
ひかりは二人の会話が気になり、聞いてみた。
「確か十五歳になったら、パートナー探しをするって聞いたけど」
「そうだよ。僕たちは限られた周期にしか子供はできないからね。お姉さんはどうなの?周期があるの?」
ひかりは何と答えるべきか迷った。初潮が来たら、誰でも妊娠するかというとそうでもないし、こればかりは説明がしづらい。
「俺たちの場合は、周期はないがいつ子供ができるかもわからない。神のみぞ知るというやつさ」
モビリオがそう答えると、へぇっと周りから声が漏れた。乗りあっている乗客たちはひかりたちの話に聞き耳を立てていたらしい。
「そっちこそ、周期が来れば子供ができるのか?」
「できないときもあるねぇ。あたしは二度目の周期でやっと子供ができて、それからはちゃんと授かるようになったねぇ」
「だったら、俺たちと大してかわらんな」
「そうかもしれないねぇ」
女性はおおらかに笑った。モビリオも笑う。少年は、「それで駆け落ちって楽しい?」っと目をキラキラさせて言う。ひかりは、楽しくないわよと苦笑した。またここでも、駆け落ち扱いである。
「でも、本には幸せになるためにすることだって書いてあったけど?」
「それでも、周りに反対されたら辛いわよ。親や兄弟とも離れ離れにならなきゃいけないんだから」
少年はよくわからないという風に首を傾げる。
「親兄弟と離れ離れになるのってそんなにつらいかなぁ」
「あなたは一人旅で辛くなったりしないの?」
「しないよ。周りの大人が親みたいなもんだし、同じ年頃の奴らは兄弟みたいなもんだし」
「寂しいと思ったことないの?」
「ないなぁ」
「パートナーが見つかったら、寂しいって気持ちはわかるようになるもんだよ。あたしは旦那がチェンバルで役人をしているからね。仕事が休みのときは、いつもこうして会いに行かないと落ち着かないよ」
「いっしょに暮していないんですか?」
「去年までは一緒に暮らしていたけどね。役人は移動することがあってね。旦那も早く家へ戻れるように上司にお願いしてくれてるけど、今年一年は無理だっていうからね。お互い休みには会いに行くんだよ」
女性は少女のように初々しい微笑みを称えている。まるで、初恋の人に会いに行くような表情をしていた。ひかりは、早く一緒に暮らせたらいいですねと心から言った。
「あんたたちも命がけで駆け落ちしてきたんだから、この国で幸せになるんだよ」
女性は穏やかにそして力強く、モビリオの肩をたたいた。モビリオは思わずホロの支柱に頭をぶつける。
「あらやだ、力は加減したんだけどね」
そういうと客たちはいっせいに大笑いした。
「人間は体が子供並みに弱いってのはほんとだったんだねぇ」
誰かがそういうとまた笑いが起こった。
「ごめんよ。あたしたちは人間を見るのが初めてだから、力の加減もわからなくてね。悪気はないんだ。ゆるしとくれ」
「いや、気にしないでくれ。ちょっと驚いただけだ。女性に肩を叩かれてひっくり返りそうになるとはおもわなかったのでな」
モビリオは苦笑した。
(彼らの力は、何馬力あるんだか……)
モビリオは軽く肩をさすった。鬼人というのは相当の力持ちであることは、老婆を見ていてわかってはいたが、軽く接触しただけでも体のバランスを崩されてしまうほどだとは思わなかった。
ひかりは、大丈夫っと小声で尋ねると、モビリオは心配ないと微笑んだ。
「ところで、人間ってのは黒髪が多いのかい?」
不意に緑の髪をした男が尋ねた。モビリオがそれに答える。
「いや、そんなことはないが、どうしてだ?」
「実はな、姫巫女様も黒い髪をしていらっしゃるんだ。なんでも王が森で保護された方らしくてな」
「姫巫女?」
ひかりが問い返すと男が大きくうなずいた。
「このところ干ばつ続きだったんだがな。雨を降らせてくださったんだ。おかげで、今年は豊作だよ。まあ、この国には湧水がどこにでもあるから、水まきさえすりゃ、植物は実るんだがな。それはそれで、大変なもんでなぁ。本当に助かったよ」
「あの、その姫巫女様にはどこに行けば会えるの?」
ひかりは、鼓動が速くなるのを感じた。もしかしたら、紫音が生きているかもしれないと思ったのだ。
「王城へ行けば会えるよ」
「王にも会えると聞いているが、そんなに簡単に会ってくれるのか?」
「ああ、王様はどんな奴にでも会って話を聞いてくださるよ。心配ないさ」
男はどこか誇らしげに頷いた。自分たちの王をとても慕っているようで、周りも問題ないよとか心配いらないさと口々に言った。
「そういやぁ、姫巫女様は異世界からきなすったって噂もあるねぇ」
「噂だろう。まあ、何にせよ。俺たちにとっちゃ、素晴らしい人には違いないさ」
「いつかお顔をみてみたいもんだね」
「噂といえば、王様は姫巫女様にぞっこんだっていう話だよ」
「ああ、そんな噂もあるなぁ」
「それじゃあ、なかなか会しちゃくれないかもしれねぇな」
それから、話は一気に姫巫女の噂になった。黒い髪の美しい少女で、王様に次ぐほどの魔力をもっているとか。まだ、成人していないらしいとか。いや、成人しているが王が外に出さないでいるとか。馬車の中はそんな話で盛り上がっていた。
途中の村で、馬車はいったん止まり、休憩となった。みんなトイレをすませたり、昼食をとったりした。ひかりたちも、一度馬車を降りて、大きく伸びをする。そして、木陰に腰を下ろし、保存食を食べた。
「どう思う?」
モビリオがひかりに問いかける。
「どうって、何が?」
「姫巫女様だよ。お前の友達の可能性があるんじゃないか?」
モビリオは知っている。父が紫音を森に捨てたことを。ただ、ひかりには森に迷い込んで死んだと伝わっている。
「わからないわ。だけど、可能性はあるかもしれない」
「会えたらどうしたい?」
「それもわからない。生きていてくれたらうれしいけど、あたしは彼女にひどいことをした人間だから、会ってくれないかもしれないわ」
「ひどいこと?」
「向こうの世界でちょっといろいろあったから……」
ひかりは、少し気が重くなった。生きていてくれたら嬉しいというのは本当だが、嫌われているのはわかっている。きっと会ってはくれないだろう。
「何はともあれ、王都に行くしかないな」
「そうね」
二人は立ち上がり、馬車に戻った。
モビリオからの手紙を受け取ったコレオスは二十五年前の資料を読み漁っていた。二十五年前とはナディアの亡くなったころの資料である。公式な記録にはただ魔物退治で死亡したとだけ書かれていたが、当時同行していた魔法士が日誌に残していた記録によるとナディアには、回復薬も毒消しも効き目がなかったと記されている。また、回復の魔法が使えるものも同行していなかったと記されていた。それが、どういうことなのかコレオスは推測した。当時の王は、現王の婚約を快く思っていなかった。王妃になる者として、ナディアの家格は低すぎると考えていたのだ。その上、当時、現王には三つになる弟がいた。ただ、流行り病で夭逝して今はいない。それを考えると、第二王子派が何か仕組んだと考えることもできた。
(回復薬や毒消しが効かないということはない。それらが、通常の濃度でなかったとしたら、効き目がなくても不思議はない。それに、王太子が魔物退治をするのだから、当然、回復魔法の使える者がそばにいなければならない。それが、いなかったということは、前王も王を見放されていたのかもしれぬな)
そんな結論に達したコレオスは、深いため息を吐いた。ナディアが亡くなってすぐに新しく王太子妃は選ばれた。それに反発するように、新王太子妃との婚礼後、数日のうちにモビリオの母を側妃として王自らが迎えている。そして、二年後に二人の王妃は懐妊し、二カ月違いで先にディオンが生まれ、そのあとモビリオが生まれたのだった。
それにしてもとコレオスは思う。
モビリオの手紙は、歴史を覆す。これを王がどう受け止めるかで、この国の行く先は大きく変わるとコレオスは思った。
その頃、王は建国史を開いていた。その当時から、隣国には角を持つ悪魔が巣食い、魔物の襲撃が後を絶たなかったと記されていた。それが、モビリオの手紙には全く違った姿で描かれていた。ただ、角の生えた鬼人と自称するものたちが、自分たちと変わりない生活をしている。親切で穏やかな性質だとも書かれていた。これを王はどう受け止めればよいのか、迷っていた。本当にそうであるならば、モビリオが今もその国を旅していることは確かだろう。だが、それは悪魔の罠ではないのか?油断させて、自らの手でモビリオ達を始末するためではないのか。あるいは、この手紙が無理やり書かされたものだとは考えられないか?
王はただただ、迷うばかりだった。だが、迷いを吹っ切るように、ペンを取る。そして、モビリオに宛てて手紙を綴った。お前が見たものが真実だというのなら、無事に戻ってみせよとただ、それだけをしたためて、手紙を空へと放った。
本当ならば、戻って来るなと書きたかった。自由に生きろと書いてやりたかった。愚かな男のために命を落とした母親の分まで生きて幸せになれと言いたかった。だが王にはそれができない。
モビリオの無事を確認したいという気持ちと、この手紙だけを心底信じることができない。そして、何より長年抱き続けた恨みの矛先を容易に変えることのできない自らの愚かさが一番の障害となって立ちはだかる。真実を探すこともせず、亡くした者の身代わりに溺れて、自らを欺き続けた男は、王とい名の仮面を外すことができなくなっていた。
翌日、王は大臣たちを集めて会議をした。手紙に書かれていたことが事実なら、モビリオが森に残した痕跡をたどり、隣国へ攻め入ることは可能かということを審議するためだった。軍務大臣は、先遣隊を派遣することを提案した。王はそれに了承を与えた。あとは、森の状況次第で隣国に攻め入るか否かを決めるだけだった。コレオスは、この議会の決定を密かにモビリオに伝えた。もし、二人が無事に隣国の王に謁見しているのであれば、攻撃はあだとなってこの国に返って来るだろう。




