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紫音は、ふっと目を覚ました。それと同時に腹の虫がなく。瞼が重くて痛い。泣いたせいだとわかって、すべてのことが夢じゃないことにどうしようもない腹立たしさを覚えた。自暴自棄になって死んでもいいとさえ、感じていたくせに生きていることに安堵している自分に腹が立つのだ。
(自業自得よね。死んでもかまわないなんて思って罰があたったんだわ)
紫音はふっとため息をはいた。これからどうなるのかと考えると、少し背筋が寒くなったが腹の虫は泣き止まない。まるで、死にたくないと心底訴えるように鳴るので、とりあえず、起き上がろうとしたが自分が素っ裸であることに気づく。もそもそとベッドの周りを見てみるが、脱がされた服はなかった。
(もう!おなかすいたのにどうしろっていうのよ!)
ボスッと忌々し気にクッションをたたいた。そのタイミングで、扉が開いて誰かが部屋に入ってきた。紫音は、慌てて布団に潜り込む。
「あら?まだ寝てるの?おなかすいてないのかしら」
困ったような女の人の声だったので、紫音はそっと布団から顔をだした。見れば、金髪碧眼の美女が立っている。もう一つ特徴的だったのは、耳だ。とがった長い耳をしていた。
「おはようシオンちゃん。あたしはエルフのアプローズよ。着替えを持ってきたわ」
さあ、起きてと引っ張り起こされた。そして、かぼちゃパンツを履かされ、だぶだぶのワンピースをきせられる。よくみると、アラブの男性が着ているような民族服の形だった。
「レクサス様の寝間着だと大きいわね。サイズは後で測るとして……」
二、三日はこれで我慢してとアプローズは、言った。
「レクサスって銀髪の?」
「そうよ。あなたはシオンちゃんっていうんでしょ?」
「そうだけど……」
紫音は、名乗った記憶などなかったので、なぜわかったのか首を傾げた。
「人間たちがあなたたちを召喚したことは、もうわかってることなの。何も心配いらないわ。おなかすいたでしょ。とにかく、何か食べなきゃね」
にこやかに微笑むアプローズに連れられて、隣の部屋に入ると食欲をそそるいい香りが鼻先をくすぐった。パスタやスープ、サラダに魚の蒸し焼き。他にも肉料理や果物がテーブルいっぱいに置かれていた。そして、銀髪金目のレクサスが不機嫌そうにテーブルについていた。
「やっと起きたか。突っ立ってないで座れ」
紫音もむっとした表情で、テーブルに着く。
「何が好きかわからなかったから、適当に作らせた。食べられるか?」
紫音は、こくんと頷き、手近にあったパスタに手をのばした。それをみて、レクサスはほっとしたような顔になる。紫音は、それに気づかず、もそもそとパスタを食べた。カルボナーラの味がして、とてもおいしい。だが、それ以外のモノには手が伸びなかった。おいしそうなのだが、パスタだけでおなかがいっぱいになってしまったのだ。
「それだけでいいのか?」
紫音は、こくんと頷く。
「遠慮はいらないんだぞ?」
「遠慮なんてしてない。おなかいっぱいだから食べれないだけ」
そうかとレクサスは微笑んだ。紫音は、一瞬だけどきっとした。
(イケメンってだけで得してそうよね)
紫音は、どきっとした自分に歯噛みしながら、そんなことを思っていた。
「ところで、これからどうするんだ?」
「どうするって……」
そんなことを言われても、どうすることもできない。元の世界には戻れないし、召喚したやつらのところになんか死んでも行きたくない。
「行く当てがないなら、ここに住めばいい」
レクサスはにこりと笑ってそう提案した。
「ここって……」
「俺の城だ。変わったやつらが多いが危険はない。特に俺のモノには手を出さないからな」
「モノってなによ!あたしはあんたのモノになんかなった覚えはないわ」
紫音は、昨晩の出来事を思い出して赤面しながら、ふんっとそっぽを向いた。レクサスはなぜ怒ると戸惑った。傍で見ていたアプローズが助け舟をだす。
「モノじゃなくて、宝物でしょ。レクサス様はシオンちゃんを気に入ってるのよ。まあ、なんにせよ。どこに行くにしたって、この世界のことを知らなきゃやっていけないでしょ。シオンちゃんが独り立ちできるまで私がいろいろ教えてあげるわ。それまでは、ここに住むっていうのはどうかしら」
確かにアプローズの言う通りかもしれないと紫音は思った。どのみち、死ぬ気は失せてしまったのだし、行く当てもなければ、帰りたい場所もない。レクサスやアプローズの態度を見ていると、騙して何かされるような心配もなさそうだった。だから紫音は、アプローズに向かってわかったと頷いた。レクサスはそれをみて、何か釈然としなかったが、今日はどうすると紫音に尋ねる。
「なんか疲れてるから、寝たい」
紫音は、気が緩んでしまって警戒心などどこかに忘れてきたようにそう答えた。これからどうするのか、どうしたいのか考えるより、泥のように眠りたい気分だ。今は何も考えたくないと紫音は思った。
「そうか、じゃあ、ゆっくり眠っていろ。夕食には起こすが、それでいいか」
「うん。それでいい……」
紫音は、席を立つとふらりとめまいを起こした。アプローズがさっと支えると、そのまま意識を手放した。
「そうとう疲れているようね」
アプローズが紫音を抱えようとするのを、横からレクサスがかっさらった。
「とにかく寝かせてくる」
「いたずらしちゃだめよ」
「するか……」
レクサスはむくれた子供のようにふんと顔を背けた。
その頃、城の厨房ではティーノとカムリが話をしていた。
「異世界人っていってもなぁ。俺と同じ世界からとは限らないし、まあ、まずいものは作ってないから大丈夫だとはおもうが……」
「今頃、好きなモノくらいは聞き出せてるだろうさ。ところで、聖女ってのはなんだ?」
「さあ、俺にもよくわからん。俺は勇者として召喚したと言われたからな。魔物を操る悪魔を倒せってさ。まあ、まさか悪魔の料理番になるとは思わなかったがな」
ティーノは懐かしそうに目を細めて微笑む。
「それはこっちも同じさ。つか、レクサス様の考えはときどきどっか斜め上なんだよなぁ。今回もそうだし……」
「というと……」
「食うの意味が違ったんだよ。まあ、魔物の森に放り込まれりゃ誰だって観念して食われると思うよなぁ」
ティーノは、どういう意味だと首を傾げた。
「レクサス様はシオンちゃんの食っていいって言葉を、閨をともにしていいって受け取っちゃたんだよ」
「なるほど。まあ、鬼人の常識ならそうなるよな。私を食べてとか君が食べたいとかって普通に告白だもんな」
「それでも、相手が異世界人だってわかってるんだから、その常識が通用しないってことぐらいわかりそうだけどなぁ」
カムリはクスクスと笑う。たしかになとティーノも苦笑した。
「それにしても、なんでもいいから、うまいものを作れってのはよほどシオンと言う子を気に入ったんだろう。今までにそんなリクエストはなかったからな」
ティーノは、珍しいこともあるもんだと笑う。
「つか、ありゃ自覚なしで本気かもしれない」
「いいんじゃないか?めでたくて」
「まあ、めでたいっていうか、面白くなったっていうか」
二人はお互いににやにやと笑っていた。
「アプローズ、夕食はパスタをメインにするようティーノに伝えてくれ」
「いいけど……ちょっとまって?まさかシオンちゃんがパスタ食べたからそれが好きだと思ってない?」
「思っているが、違うのか?」
アプローズは思わず指でこめかみを抑えた。
「あのね、レクサス様。好き嫌いはちゃんと聞かなきゃわからないでしょうが。彼女は異世界人なのよ。それに、たまたまあの料理の中でパスタが食べられそうなものだと思ったのかもしれないでしょう」
うーんとレクサスは首を傾げる。
「とりあえず、今晩はパスタメインにするけど。ちゃんと聞かなきゃだめよ」
「わかった」
本当かしらとアプローズは、困った顔をした。
「じゃあ、執務室にいって。仕事、溜まってるんじゃない?」
レクサスは寝室を気にしながら、ふと本棚に目を向けた。
「そういえば、トリビスタンは干ばつにあえいでいるという報告があったな」
「ええ、我が国も湧水がなければ、同じ状況になったでしょうね。それがどうかしたの?」
レクサスはおもむろに歴史書を一冊手に取り、ペラペラとページをめくっていった。そして、不意に手がとまり、目が文字を追う。
「なるほど、聖女召喚は雨乞いのためか」
「どういうこと?」
「二千年前のトリビスタンの記録だ」
レクサスはそう言って、開いたページをアプローズに見せた。アプローズが文字を追いかけてなるほどと頷く。そこには干ばつと聖女の話が載っていた。二年も雨が降らず、誰の祈りも届かないため、異界から魔力の強い者を召喚した。その者の祈りにより雨は降り、国は干ばつから救われたと記されている。
「今回もこの例をなぞってということね」
「おそらくな」
「それにしても、召喚に巻き込まれた子を森に捨てるなんて、酷なことをする国ね」
「確かにな。だが、二千年前に干ばつに襲われているのだから、それなりの対策をするのが普通じゃないのか?」
「どうかしら?私はいろんな国を旅してきたけれど、土木技術の進んでいる国は少なかったわね。とくに強い魔力を持っている者が治める国は、技術と言うものをないがしろにしている印象が強かったわ」
アプローズが元冒険者としての簡易な意見を述べると、レクサスはなるほどと頷く。この国、クリムゾンでも土木技術はあまり進んでいない。湧水があるため、誰もが水には困らないと思っているのだ。しかし、山に雪や雨が降らなければ、湧水とていつかは枯れるのである。そうなったときに、魔法を使って水を集めようとしても、この国、クリムゾンの民のほとんどが魔法をつかえないのである。
「あまり、他所事だと思わない方がいいようだな」とレクサスは言った。




