22
ひかりは、モビリオとの約束通り、翌日、ディオンの部屋を訪れた。ディオンは怯えた様子で何をしにきたと怒鳴った。それを諫めるようにシルフィが落ち着いてと囁く。
「元に戻しに来ただけよ。うるさいから騒がないでくれる」
「う、嘘をつくな!僕にもっとひどいことをしようとしているんだろう!」
「あら、何でそう思うわけ。あなたはあたしに恨まれるような心当たりがあるっていうの」
「そ、それは……僕に振られた腹いせだろう!大体、き、君の勝手な思い込みだったんだ。それをこんなひどい仕打ちで仕返しして、まだ何かしようって腹積もりだろう!あんなにやさしくしてやったのに!」
ひかりは、小さなため息をついた。どうしてこんな男に恋をしたのだろう。結婚まで夢見たなんて正直言って自分が恥ずかしくなった。
「確かにそうね。でも、今はあなたなんかどうでもいいわ」
そう言って、かざした手をすっと横に払った。すると、ディオンの鼻は元に戻った。あれほど夢中になった美しい顔は、なんだか精彩を欠いて見える。
「ちゃんと戻したから、変な逆恨みしないでよ」
ひかりは、シルフィを見て言った。
「そんなことしませんわ」
涙目で怯えるようにシルフィは答えた。内心、自分に矛先が向くのではないかと不安を感じてはいたが、とにかく、ディオンの顔が元に戻っていることを確認する。そして、手鏡を棚からもってきてディオンに渡した。
「戻っている……僕はどこか変じゃないだろうか」
「いいえ、ちゃんとヒカリ様が戻してくださいましたわ」
そう言って二人はひかりを見た。ひかりは何も言わず、部屋を出て行った。
その頃、モビリオはコレオスから人選の報告を受けていた。魔法士を二人と兵士を百人、同行させることにしたという。
「兵士の人選はラルゴ将軍におまかせいたしました」
「ラルゴか……おそらく、欠けても惜しくない兵を選ぶだろうな」
「では、他の将軍にもお頼み申しましょう」
「いや、いい。兵士は森の外に置いていく。魔法士は途中で帰らせよう」
「しかし、それではあまりにも危険でございましょう」
「ヒカリが付いてくると言ったのでな。今の彼女なら、十分すぎる戦力だ。ただし、万が一命の危機にさらされたら、迷うことなくお前のところに転移するよう約束してある。そのときは、すまないが俺のかわりにヒカリを異国へ逃がしてほしい」
「それは、構いませんが……本当によろしいのですか?」
「自分で言い出したことだ。仕方あるまい」
モビリオは苦笑する。
「それに、ヒカリをこのまま城に閉じ込めておいても、災いとなるだけだろう」
「確かに……あれだけの魔力をお持ちになった以上、諸侯たちが放っておくことはないでしょう」
「そうだな。今のところ、水瓶を破壊し、神にも等しい力を手にしたことを知っているのは我々だけだ。まあ、どこから情報が洩れるかはわかったものではないがな」
モビリオは小さなため息をついた。
「それよりも心配なのは、食料だな。備蓄はほとんどそこをついているのだろう?」
「それが、王都の備蓄は確かにほとんどございません。しかし、諸侯の中には備蓄を闇に流して利益を得ている者もいるとか。陛下は悪魔を恐れておりますが、それよりも足元がぐらついているのは確かです」
「その辺りは、兄上とバレンシア公爵がどうにかするだろう。そうでなければ、あの結婚に意味はないからな」
コレオスは、そうですなと頷いた。
「出発は明日の早朝とする。準備を頼む」
「かしこまりました。ご武運を」
モビリオは、頷いてコレオスの元を去った。
(これからこの国はどうなるのだろうか……)
コレオスは、深いため息を吐く。魔法士長として、できることは勇者召喚について調べ直すことぐらいだろうかと考えていた。おそらく、モビリオもヒカリも、無事に帰って来ることはないだろうと思うと、召喚時の判断を誤った自分を許すことはできなかった。もし、もう一人の少女を見殺しにせずにいたなら、そんな後悔が頭をよぎる。
(起こったことはどうにもならぬ)
コレオスはもう一度深いため息を吐いて、討伐の準備に取り掛かった。
王はコレオスからの報告書に目を通して、ふっとため息を吐いた。討伐の準備が整い次第、モビリオはひかりを連れて森を抜けるという。兵士百人は、バハゼルトに待機させ、魔法士二人は途中で帰還させる。それは、死を覚悟した無謀な話であることなど、王にもわかっていることだった。
(約束がこんな形になろうとは……)
王は頭を抱えた。魔力が強いモビリオをたった七つで騎士学校にいれ、臣下に下した。それは、側妃に対する償いであり、情である。もし、干ばつなど起こらなければ、今頃は適当な理由を作ってモビリオを国外へ逃がしてやれたはずだった。王家などという檻の中に閉じ込めずに、側妃の願いを叶えてやれていただろうに。
「そういえば、あれはわしを陛下としか呼ばぬな」
当たり前だ。そう言う接し方をしてきたのは、自分である。できる限り、政争に巻きもまれぬように突き放したのは誰でもない王自身である。モビリオに悪魔討伐を命じはしたが、本心からではない。むしろ、逃がす口実になりはしないかと思ったからだが。
(やはり、逃げぬか……)
側妃の強さをまっすぐに引き継いでいる我が子を、頼もしいとも思うのだが、こうなってしまうと、一層、自分の弱さを突きつけられているようで痛ましい。聖女など召喚するのではなかったという小さな後悔が頭をもたげる。だが、それも今更の話なのだ。恐らくモビリオがひかりを同行させるのは、どこかでひかりを逃がすてはずなのだろう。それならば、いっそ二人で逃げてくれればいいと王は思った。だが、モビリオは、逃げない。自分が口にしたことを簡単になかったことにはしない。
王は討伐の許可書にサインを入れた。これで、モビリオもひかりも死んだも同然であろう。
『あなた、王様なんでしょ。他人に頼ってないで自分たちでなんとかすればいいじゃない』
今更ながらに森に捨てた少女の声が突き刺さる。もし、聖女召喚などせずにシルフィに雨ごいを命じていれば、もし、王家の財を使い果たしてでも食料を同盟国から買っていたら。水瓶は割れず、モビリオは無謀な討伐などしなくてよかったのではないかと迷いは膨れ上がるばかりだった。
(どうしていつも、後悔することばかりしてしまうのだろうか。お前がいたら、きっと叱るだろうな。ナディア……)
『御身は王となるお方。それは万人の命をあずかり、苦渋の決断を迫られることもあるでしょう。迷いも後悔も乗り越えていくというのなら、わたくしは貴方を支えるものとなりましょう』
王は弱弱しく疲れたように笑う。迷いも後悔も乗り越えられぬまま、誤った選択にまたサインをしてしまったのだと……。
出発の朝は来た。小雨の降り注ぐ中、静かに百人の兵士と二人の魔法士、そしてモビリオとひかりが、転送魔方陣によりバハゼルトへと送られた。王は、静かに見送った。
モビリオは、百人の兵士に命じて森の中をある程度、探索させた。その結果、魔物の姿は一匹も見当たらないという報告をうけた。それを理由に、兵士に待機を命じた。異論はいくつか出たが、当初の予定通り、ひかりと二人の魔導士を連れて、森へ入った。報告通り、森は静かすぎるほど穏やかだった。
(三日後には、二人の魔導士も帰国させよう)
そう思っていると兵士の姿をしたひかりが不思議ねとつぶやいた。
「本当に魔物が住んでるの?」
「ああ、確かに住んでいる」
「それにしては、静かすぎない?」
「この間、かなり森の奥まで入って討伐したからな。そのせいだろう」
モビリオもこの静けさには不信を抱いていたが、ひかりの不安を煽ってもよいことはないだろうとそう説明した。ひかりは、そうと言ってあたりを見回した。魔物の住む森と聞いていたので、もっと薄暗くて禍々しい雰囲気だろうと思っていたが、ただの広大な森にしか見えなかった。ひかりは、紫音がこんなところに迷い込んで死んだとは、とても思えなかった。




