20
ひかりが涙を流してベッドに潜り込んでいる間に、ディオンは部屋にひきこもり、王は沈痛な面持ちでコレオスとモビリオを伴って執務室に戻った。
「このままでは国は亡ぶ」
王は頭を抱えた。だが、モビリオは違った。
「陛下、雨は降ったのです。今年はおそらくそれなりの実りはあるでしょう」
「それなりにか……確かにお前の言う通りかもしれぬ。だが、この先はそうはいかぬ。あの娘は万死に値する行いをしたのだ。すぐにも処刑せねば、王家の威信にかかわる!」
「陛下……ヒカリを処刑するのは無理でしょう。転移さえ簡単にできてしまうほどの魔力をもってしまったのです。どうかお怒りをしずめくてください。それにヒカリは自然に雨は降るといっていました。干ばつをどう乗り切るかが、私たちの仕事です。とにかく、同盟国の言い値で食料を買いましょう」
「それはできぬ。そんなことをすれば、悪魔が襲撃してくるに決まっておる」
モビリオはため息をはいた。悪魔が本気で襲撃してくるのなら、バハゼルトでの一件があっさりと片付くわけがない。
「それでは、私が悪魔を退治してまいりましょう」
モビリオは、なかばなげやりにそういった。
「そうだ。それがよい。悪魔を倒して奴の国を奪えばよいのだ。コレオス、すぐに勇者の召喚を始めよ」
「恐れながら、陛下、それは無理でございます」
王はぎらついた目でコレオスを睨み付けた。
「勇者召喚の法は二百年前に一度発動したきり、一度も成功しておりませぬ」
「なんだと?どういうことだ?コレオス」
「勇者が本当に悪魔を倒したのなら、魔物は消えるはずと考えられておりましたので、魔導士だけで森へ進撃しましたが失敗に終わり、再度、勇者召喚を試みるも一向に反応がなく、表向きは悪魔と勇者が相打ちになったということにしたと記録にございます」
王はぎりりと歯ぎしりをした。そして、しばらく考え込んだ末にモビリオに悪魔討伐を命じ、二人をさがらせた。
執務室から出たモビリオはコレオスに問う。
「父上は、なぜあれほど悪魔にこだわるのだ?」
「それは王が王太子時代に婚約者のナディア様を失ったからでございます」
モビリオは黙ってコレオスの話を聞いた。
「ナディア様は稀代の魔力の持ち主で、家格は男爵家でした。幼いころから魔物を狩り、バハゼルトの女傑とまで言われておりました。そのお方は王より二つほど年上だったのですが、王の初陣の際、命をお助けになり、王に婚約者として望まれたのでございます。しかし、婚約して間もなく第五神殿の西の町、グレルハランで魔物の害が発生し、お二人は討伐に出かけられました。そして、凶暴な魔物によってナディア様はお亡くなりになったのです。以来、王は悪魔と魔物を憎み続けておられるのです」
モビリオはふっとため息を吐いた。頑迷な父はナディアという人に心底惚れていたのであろう。ディオンが醜い顔になっても慌てふためくこともなかったし、モビリオ自身、王を陛下とよび、めったに父上ということがなくとも気にもとめない。
「それにしても、稀代の魔力の持ち主を死に至らしめるほどの魔物とはどんなものなのだ?」
「白虎だと聞いております。爪の猛毒によってお亡くなりになったとか……」
「お前は、一緒に戦っていたのではないのか?」
「はい、私は当時の魔法士長の命で勇者召喚の儀について資料を集めておりましたゆえ」
モビリオは何かが奇妙に思えた。白虎の爪には確かに猛毒が染み出ている。だから、接近戦はしない。できるだけ距離をとり、土魔法で足元を狙い動けなくして攻撃するのが一般的な戦い方だ。黒狼と違って白虎は群れない。
「どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない」
モビリオは、何かにひっかかってはいたが、それ以上にひかりのことが気になっていた。このまま城に留めていては必ず王は彼女を殺すだろう。せめて、そうならないように異国に逃がす手はずも整えなければならない。
「とりあえず、ヒカリのところへいってくる。せめて、今後のことを話し合っておく必要はあるだろう。討伐隊の準備を頼めるか?」
「かしこまりました」
そう言って、モビリオとコレオスは別れた。
その頃、ひかりの部屋には、王太子妃のシルフィが目を真っ赤にしてディオンの顔を元に戻してほしいと懇願しにやってきていた。ひかりはオーリスに促され、重い体をソファーに沈めて話を聞いていた。
「ディオン様と聖女様の間に何があったかは、存じ上げませんがあのような姿にされるのはあまりにもひどうございます。どうかお願いでございます。魔法を解いてくださいませ」
「魔法の解き方なんて知らないわ」
ひかりは素っ気なく答える。
「そんな、そんなはずございません!聖女様は、ワゴニア様から偉大なる力を授かったと聞き及んでおります。魔法を解くことなど造作もないはず。どうか、どうかお願いでございます。あんなに苦しんでいるあの人を見ているなんて辛すぎます。いっそ変われるものなら、わたくしが醜くなってしまいたいくらいです」
「へぇ、そう。じゃあ、貴女の顔も醜くしてあげましょうか?」
「それでディオン様をもとに戻してくださるのなら」
シルフィは震えながらも毅然とした態度で言い切った。ひかりは、意地悪なことを言えばいうほど、むなしくなった。けれど、本当に魔法の解き方を知らないから、どうしていいのかもわからない。
「本当に知らないのよ。魔法の解き方なんて……」
(なんだか悪役みたい)
ひかりは自分が滑稽でならない。ディオンを醜くしたからと言って気分は晴れなかった。シルフィの言う通り、彼女を醜くしても結果は変わらないだろうと思った。
「悪いけれど、今すぐにもとに戻すことはできないわ。しばらく時間を頂戴」
そう言うと、シルフィは項垂れてわかりましたと部屋を出て行った。
(あんな醜いままの男と夫婦だなんて絶対に嫌よ。どうにかしてもとに戻させないと。どうせ、あの女もディオンの容姿に恋したに過ぎないんだわ。それに、王太子として活躍してくれなくちゃ、わたくしの立場だって危ういし、このままではいい笑いものよ)
シルフィは人気のない廊下まで来ると、さっと顔にかけた魔法を解いた。充血した目は綺麗になり、憔悴した顔はバラが咲いたように美しくなった。
(しばらく待つしかないわね。下手に動いて醜くされても嫌だわ)
シルフィはすっと背筋を伸ばして、自室に戻って行った。
ひかりは、ディオンのことをどうするべきか考えていた。もう、何の気持ちもわかない相手に意地悪をしたままというのは、あまり気分のいいことでわない。けれど、魔法の解き方を知らないのだからどうしようもないとため息を吐く。すると、オーリスが「本当に魔法の解き方がお判りにならないのですか?」と聞いてきた。ひかりは、本当よと答える。
「魔法の知識なんて何にも持ってないわ。ただ、思ったことが叶うっていうのはわかってるけど……」
「そうでございましたか。では、僭越ながら、わたくしがお教えしますわ」
オーリスはにこりと笑い、からのカップに手をかざした。
「紅茶を」と彼女が囁くと、カップには注ぎたての暖かい紅茶が現れた。そして「もとへ」と囁くと紅茶は綺麗に消えてしまった。
「どういうこと?」
「はい、魔法を解くことはとても単純なことなのです。元へ戻そうという気持ちがあれば、簡単にもとにもどります。魔法を解く意思があるかないかの違いだけなのですよ」
「じゃあ、あたしがディオンを元に戻そうと思えば、それで解けるということ?」
「さようでございます」
「他の人が解くことはできないの?」
「そうですわね。魔法をかけた方のお力よりも上の方であれば、簡単に解くこともできますが。ヒカリ様ほどのお力を上回る方はいらっしゃいませんから。ディオン様にかけられた魔法を解くことができるのはヒカリ様だけでございます」
オーリスは特に指図がましいことは言わず、事実だけを告げているとひかりは思った。そして、手元に飲みかけの紅茶を見て、何度かそれを消したり、戻したりしてみた。確かに、とても簡単なことだった。今すぐディオンにあって、元に戻すこともできるのだと確信はしたが、どうにも心は動かなかった。そこへ、モビリオが尋ねてきた。ひかりは、ソファーに座るよう促し、オーリスに紅茶を出してもらう。
「また、ディオンのこと?」
うんざりしたようにひかりが尋ねると、モビリオは首を横にふった。
「ぶったことを謝りに来た。すまない」
モビリオは深々と頭を下げた。ひかりは内心驚く。
「別に気にしてないわ。あたしも少しやりすぎたと思ってるし……」
そうかといって、モビリオは微笑んだ。
「ディオンのことは単に魔法の解き方がわからなかっただけで……さっきオーリスから解き方を教えてもらったからそのうち元に戻すわ」
ひかりは、なぜか言い訳のようにそういうと顔がほてるのを感じた。なんだか癇癪を起した後の子供のように恥ずかしくなった。
「それより、あたしはこれからどうなるの?」
「陛下は君を処刑しようとしている。だから、俺が異国に逃がす手配をするから安心していい。ただ、三日は動けない。その間は、君が自分を守る以外に方法がない」
「別にいつだっていいけど、どうして三日も動けないの?また魔物が暴れてるの?」
「いや、魔物は暴れていないが、森をぬけて悪魔討伐にいくことになってな。その準備に時間がかかるというだけの話だ」
「だったら……だったら、あたしも行くわ」
「馬鹿なことを言うな。生きて帰れる保証はないんだぞ」
「じゃあ、なんであんたはその保証もないことをしようとしているのよ」
モビリオは答えにつまった。なげやりに言った言葉が結果的に自分を死地へ追いやるはめになったなどとは言えない。
「悪魔がどんな奴かしらないけど、今のあたしならなんとかなるかもしれないわよ。どうせ、異国に逃がしてもらっても何していいかわからないわ。もしかしたら、この国に復讐を企むかもしれないわよ」
「君はそんなことはしない。俺が怪我を負ったとき泣いて謝っただろう。そんな人間が国を亡ぼせるわけがないさ」
モビリオは以前癇癪を起したひかりに風魔法で切り刻まれたときのことを引き合いに出した。ひかりは、むくれた子供のような顔でそんなことあったかしらととぼけた。
「とにかく、ついていくわ。あんたがダメだって言っても無駄よ。あたしはどこにだって転移できるんだからね」
ひかりは、半ば強引にモビリオについていくことにした。この国の人間に殺されるのはいやだったし、魔法を思う存分使ってみたいという欲もあった。
モビリオは降参とばかりにため息をつきながら、わかったと答えた。
「では、兵士の服を用意させておこう。言っておくが森を抜けるのに何日かかるかわからない。十日分の食料と水は用意していくが、それは自分できちんと管理することになる。宿もないから、野宿だぞ。それでもついてくるか?」
「行くわ」
「菓子も紅茶も飲めないぞ」
「別にわがままいったりしないわよ。もう、聖女じゃないんだから」
ひかりは苦笑した。自分はずいぶん聖女という身分に執着していたのだなと思うと、なんだかバカバカしく思えた。
「そうか。それじゃあ、準備が整うまでに兄の顔を元に戻してやってくれ。王太子として仕事をしてもらわないと困るからな」
「王太子ってそんなに重要な仕事をしているの?あたしには貴方の方が働いてるように見えるけれど」
「政治というのは、駆け引きやら何やらで面倒なのさ。俺には合わない。戦っている方がずっと楽だ」
モビリオは苦笑した。そしてすぐに真剣な顔になって言った。
「もし、命の危機を感じたら、迷わずコレオスのところに転移しろ。約束できるか?」
ひかりも真剣な顔で頷いた。だが、内心ではそんなことが起きても、コレオスの元に戻る気はなかった。




