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御園生ひかりは、興奮してほとんど眠れなかった。
(あたしが聖女だなんて!)
昇降口で紫音の腕をつかんだまま離せないでいるとまばゆい光に包まれて、気がつけば見知らぬ部屋に立っていた。はじめは何が起こったのかわからなかった。状況を把握するのに数分はかかっただろうか。足元を見れば、複雑な模様を施した円が幾重にも描かれている。そのまわりには、白いローブを纏い、錫杖のような棒を持った五人の男が疲れた顔に笑みを浮かべて安堵しているようだった。それから、宝石をちりばめた黄金の冠をいただいたひげ面の中年男性が、ひかりと紫音の前に姿を現す。
「二人か……して、どちらが聖女なのだ?」
わかりませぬとそばにいた老人が答える。ですがと老人は続けた。
「魔力を測定すれば、確定できるやもしれませぬ」
「うむ、では急ぎそのようにせよ」
はっと老人は答えて、近くの若者に丸い水晶を持ってこさせた。
「さて、異界の娘たちよ。そなたらは、我が国を救う聖女として召喚された。ただし、聖女は一人。どちらが聖女か判定せねばならぬ。その水晶に手を当てて名を答えよ」
そう言われて、紫音は眉をひそめた。
「なにそれ?聖女?馬鹿じゃないの。あなた、王様なんでしょ。他人に頼ってないで自分たちでなんとかすればいいじゃない」
「そうできるものなら、召喚術などという危険な儀式は行わぬ」
王は反論されたことにわずかに不機嫌な顔で答えた。
「へぇ、じゃあ聖女じゃない方はどうなるわけ?」
「もちろん、巻き込んでしまった以上それなりの償いはする」
「それって元の世界には戻せないってこと?」
その通りだと王は頷いた。ひかりは、自分が聖女でなかったらどうなるのかと不安になった。そして、元の世界に戻れないことに少しだけ安堵を覚えた。もう、日崎たちにパシリとして使われることはない。
「さあ、水晶に手を乗せて名を名乗れ」
二人の前にずいっと水晶玉が差し出された。ひかりは、ごくりと唾を飲み込んでそっと水晶に手を乗せた。
「御園生ひかり」
その一言で、水晶はまばゆい金色の光を放った。周りから、どよめきがあがる。ひかりが、水晶玉から手を放すと光はさっと消えた。
「さあ、おぬしも名を名乗れ」
王は紫音をじろりと睨む。紫音は、しぶしぶ言われた通りにしたが、水晶玉は何の反応も示さなかった。
「どうやら、おぬしは巻き込まれた者のようだな」
王はにやりと笑い、衛兵に何やら耳打ちをした。ひかりの方には、ローブを纏った男たちが集まってひざまずいた。それから、ひかりは老人に手を引かれて部屋を出て行った。残された紫音は、衛兵に腕を捩じ上げられた。
「痛いじゃない!なんのつもりよ」
「おぬしは邪魔だ。森で魔物の餌にでもなるがいい」
王は冷笑を浮かべて、立ち去った。
ひかりは、紫音がどうなったのかなど、気にもならないくらい浮かれていた。
(夢じゃないのね!)
ふかふかの大きな天蓋付きのベッドから出て、部屋を見渡す。高そうな壺には、色とりどりの花が活けられ、部屋は甘い香りに包まれていた。ひかりは、胸いっぱいに香りを吸い込んだ。そこに、コンコンとノックの音がする。どうぞというと、昨日からいろいろと世話をしてくれている侍女のメリーバが「おはようございます聖女様」と深々と頭を下げる。そして、ひかりの手をとり、優雅な動きで朝の身支度を整えにかかった。冷たくて柔らかいタオルで優しく顔を撫でられる。それから、ドレスを着せてもらい、化粧して髪をアップにする。真珠やルビーがちりばめられた小さな冠を頭に飾り、朝の支度が終わる。
(まるで、お姫様みたい)
ひかりは、鏡に映る自分にうっとりとしていた。その間にもメリーバはてきぱきと朝食の用意をする。
「さあ、聖女様。朝餉をお召し上がりくださいませ」
ひかりは、ええと微笑んで朝食のテーブルについた。昨日の晩餐もすばらしかったけれど、朝食も食べきれないほどの品が並んでいた。ひかりは、ゆっくりと豪華な食事に舌鼓を打ち、食後に紅茶をいただいた。
「ねえ、メリーバさん」
「メリーバとお呼びくださいませ。聖女様」
メリーバは柔らかく笑う。
「あ、はい。えっと……メリーバ、聖女って何をするの?」
ひかりは少し不安げに尋ねる。
「魔導士たちとともに、聖殿にてお祈りを捧げていただきます」
「それだけ?」
ええとメリーバは微笑む。
ひかりは、ほっとした。そこへ、ノックの音が響く。メリーバがすっと扉を開くと、明るいブラウンの髪と目のすらりとした青年が立っていた。彼はこの国、トリビスタンの第一王子ディオン・アルト・トリビスタンである。
「お迎えにあがりました。聖女様」
中性的な顔立ちの美しい王子が、にこりと微笑む。ひかりは、それだけで胸がどきどきと高鳴った。王子は、ゆっくりと部屋に入り、ひかりの前に跪くと「聖殿までエスコートいたします」と手を差し伸べた。ひかりは、その手をそっととり、王子とともに立ち上がる。そして、聖殿へと向かった。
「昨晩はゆっくりお休みになられたでしょうか」
ディオンがそう尋ねると、少し上の空だったひかりは、ええと慌てて返事をする。
「もし、困ったことがあったら、いつでも僕に相談してくださいね。僕にできることは何でもしますから」
そう言われてひかりは、頬を赤らめた。
「あの、では一つお願いがあります」
「なんでしょう?」
「ひかりと呼んでいただけませんか」
ディオンはふわりと微笑む。
「喜んで。では、僕のことはディオンとお呼びください。ヒカリ」
「は、はい……」
ひかりは、とてもふわふわした気持ちに浸っていた。
「では、ヒカリ。昨日も話したと思いますが、部屋をでるときは、必ずメリーバをともなってくださいね。城内は広いので迷子になってしまいますから。それから、聖殿に向かうときは僕がエスコートしますから心配しないでください」
ひかりは、満面の笑みを浮かべてはいと答えた。




