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 予定通り辺境伯邸に着いた一行は、疲れを癒すよう配慮された。夕食もそれなりに豪華だったが、少し味が濃くて紫音は残さず食べるのに苦労した。その間にアベンシスは王宮に使者を出し、明日、登城する旨を伝えた。プレオネスタからは歓迎の準備をするので、夕刻過ぎに登城するよう返事が来た。

 紫音は、窓に打ち付ける雨をみて、まるで嵐のようだと思った。こんな雨を止ませる自信は正直ないのだけれど、とにかくできることをやってみようと固く誓う。そんな紫音を気遣うようにエッセが紅茶を入れてくれた。

「今晩はゆっくりおやすみください。お疲れが出てはいけませんわ」

「そうですよね。ありがとうエッセ」

「まあ、そんなお礼なんて必要ありませんわ。わたくし、ちょっとワクワクしておりますのよ。不謹慎ですけれど、異国をみるのは楽しそうですもの」

 エッセはふんわりと楽しそうに笑った。紫音もつられて笑う。

「でも、ご家族は心配されてるんじゃないですか?」

「わたくし、独り身ですから。その心配はございませんのよ。周期が来てもなかなか出会えないこともあるのですわ。そういった女性たちは、王が自分の伴侶ではないかと思って謁見される場合もありますけど」

 エッセはいたずらっ子のように微笑む。紫音は、小首をかしげながら、レクサスにもそういう相手がいたということだろうかと思ったが、結婚していないので違ったのだろうと思う。

「レクサス様のところにも、何人もいらっしゃいましたわ。一夜をともにされた方もいらっしゃいましたが、周期が明けると伴侶ではないことに気がついて去って行かれましたね」

「それって……普通の人も周期が明けて違うことに気づくってことですか?」

「いいえ、二十歳までに伴侶が見つからなくても、一度伴侶を見つければ匂いは消えませんから、死別以外で別れることはございませんわ」

 紫音は、なんだかもやもやした。自分が留守中に、レクサスは伴侶を見つけたりするかもしれないとふっと思ったのだ。その思いはなぜか悲しみをともなった。それが顔に出たのか、エッセがどうかなさいましたかと尋ねる。

「いえ、何も……あたしの世界と恋愛事情がまるで違うからびっくりしただけです」

 紫音は、硬い表情で微笑んだ。それから、他愛のない会話をしながら紅茶をのんで、早めにベッドへ入った。けれど、なかなか寝付けなかった。結局、朝方近くに眠って、エッセに起こされて身なりを整える。持ってきたドレスは、どれもハイネックで露出の少ないものばかりだった。選んだのはレクサスだ。紫音はとりあえず、肩のあたりまで黒いレースで包まれたワインレッドのドレスを着用する。装飾品はエッセが選んでくれた。髪はサイドを編み込んでハーフアップにし、ルビーのあしらわれた銀の髪留めを使った。他にも銀の首飾りや、ブレスレットに指輪をはめられる。クリムゾンではほとんど髪飾り以外の装飾品を身につけなかったので、なんだか慣れない感じが否めない。それでも、エッセにお綺麗ですよと褒められると悪い気はしなかった。

 それから、朝食に招かれこれからのことをアベンシスから伝えられた。

「王は夕刻に歓迎のパーティーを開かれるそうです。荷物は先に王宮へお届けして、夕刻前に登城することになりましたが、よろしいかな」

 そういわれて紫音は、はいと答えるしかなかった。一応、自分が国賓であることは自覚している。ただ、ふるまいには自信がない。旅の間にエッセが簡単に作法を説明してくれたので、王宮に入る前に練習しておくことにした。朝食を終えると、ジュークと議員のケイマンは、アベンシスと細かい打ち合わせをするといって食堂に残った。残りの二人クリッパーとコルサは、護衛として紫音とエッセを部屋まで送り届け、見張りとして部屋の前に立った。

 それから、昼食までエッセに作法を習う。両手でスカートをつまみ、片膝をついて深くお辞儀をすることや、口元はできるだけ扇で隠しておくことなど、付け焼刃でしかないが、一応練習を試みる。ダンスに誘われた場合は、靴に魔法をかけましょうということで、いくつかのステップをエッセに習った。それらが一通り終わるとあっという間に昼食の時間になった。昼食は部屋に運ばれてきたので、ジュークたちと一緒に食べることにした。

「それで、どんな状況ですの?」

 エッセがジュークに尋ねると、何とも言いようのない顔をした。

「端的に言えば、パーティーの後、もしくは翌日に雨を止ませるように手配されているらしいのだが、アベンシス殿もその辺りは詳しく聞かされていないそうです。登城してみなければ何が起こるかわからないという感じです」

「シオン様の護衛はしっかり努めますからご安心ください」とコルサがいうと、調子にのるなとケイマンとクリッパーが彼をこずいた。

「とにかく、シオン様は落ち着いて行動してください。何があっても我々で対処します。エッセもおそばを離れませんから、安心してくださいね」

「緊張はするけれど、あたしは大丈夫です。それに、雨が止まなくても明日には帰れるんだから」

 紫音は、不安を隠すように軽やかに微笑んだ。

 それから、王に謁見したときの文言などをジュークがいくつか教えてくれて、それも何度か練習してうまく言えるようになった。あとはアドリブで乗り切るしかない。そうこうしているうちに、時間はあっという間に流れて、アベンシスとともに全員が登城した。紫音たちは一旦貴賓室に通される。床は毛の深い白い絨毯に覆われ、白い家具で統一されていた。部屋も寝室が三つあり、全員が寝泊りできる。エッセは紫音を連れて一番奥の寝室に入ると、夜会用のドレスをクローゼットから引っ張り出した。

 今度は青いドレスである。襟元はハイネックで白いフリルがついている。胸元には大きなサファイアのついた黒のリボンと白い花と蔓をデフォルトした刺繍が施されていた。スカート部分は三重になっていて一番上の布は腰のあたりに青薔薇をあしらってドレープ状になっている。

 紫音はそれに着替えると、慣れない青のハイヒールを履いて、ダンスのステップを思い浮かべながら靴に魔法をかけた。それから、髪はアップにする。大きめの白いバラを形どった布に銀やパールをちりばめた細い糸状のかんざしもつける。紫音は、すこし頭が重いのを我慢して、耳には小さなパールのイヤリングを付けた。両手にもいくつか指輪をはめた。化粧もしっかり施された。

(パーティーってこんなに着飾らなきゃいけないなんて……)

 紫音はふっとため息をついたが、気合を入れなおし深呼吸する。支度が整うと居間に入り、何事か話していたジュークたちは驚いたような目でシオンを見た。

(馬子にも衣装って感じですか)

 ちょっとだけしょぼんとする。エッセが背中を軽く撫でて、「大丈夫ですわ。立派な貴婦人ですよ」と囁いた。そして、黒服を着た執事めいた中年の男性が一行を会場へと案内した。豪華な金色の大きな扉の前に立つと、音もなく扉が開いた。紫音は一瞬目がくらむ。大きなシャンデリアがいくつもぶら下がった大広間には大勢の貴族たちが華やかな衣装を身に纏い左右に並んでいた。一行はジュークを先頭にゆっくりと王座の前まで進んでいった。会場はしんと静まり返り、好奇の視線が紫音たちを見つめている。そして、玉座にけだるく腰かけたプレオネスタが口を開いた。

「ようこそ、ナイトメイアへ。歓迎するぞ。クリムゾンの姫巫女よ」

 紫音は、エッセに教えられたとおりに深々と頭を下げた。

「歓待ありがとうございます。クリムゾンのシオン・ヒビキと申します。このたびは、大雨による害もあるとのことで、お見舞い申しあげます」

「まあ、そう固くなるな。顔を上げて楽にしているがいい」

 そう言って王は玉座から降りてくると紫音の手をとって立たせた。

(なんだろう?すごくいい匂いがする)

 だが、それと同時に背中に悪寒が走った。紫音は戸惑いながらも必死に笑顔で微笑み、ありがとうございますと礼を述べた。それを機に、跪いていたジュークたちも立ち上がる。

「まずは、俺の家族を紹介しよう」

 プレオネスタがそういうと彼の隣にすっと銀髪の美しい貴婦人が歩み寄る。

「妻のバネッサだ」

「はじめまして、バネッサでございます」

 にこやかに微笑む彼女は、まるで聖母のようだった。次に紹介された王太子のラティオは、紫の目をキラキラと輝かせ、なぜかエッセを見つめながら、ようこそと微笑んだ。

 眉目秀麗という言葉がしっくりくるようなラティオにも、紫音はかすかな良い香りと悪寒を覚えていたが、笑顔を保つ。

「まあ、固くなるなというほうが無理だろうな」

 そう言って、楽しそうに笑うプレオネスタは、すっと右手を上げると、オーケストラが優雅な音楽を奏で始めた。

「さあ、皆の者パーティの始まりだ。今宵は存分に楽しむがいい!」

 プレオネスタがそう宣言すると、若いカップルたちが続々とフロアでダンスを踊りだした。

「シオンたちも楽しむがいい」

 そう言って彼は妻の手をとり、フロアへ消えていった。残された紫音たちをラティオは立食のテーブルへと案内した。

「緊張されたでしょう。どうぞ、召し上がってください。その、もしよければ……そちらの女性と踊りたいのですが、かまわないでしょうか」

 そう言って熱いまなざしでエッセを見つめる。

「申し訳ございません。わたくしは、シオン様の侍女でございます。おそばを離れるわけにはまいりません。ご容赦くださいませ」

 エッセはにこやかに断りをいれると、ラティオはしょぼんとしてしまった。そして、その頭に容赦のない鉄拳が落ちる。紫音たちがあっけにとられていると「何をやっているのですか殿下。あなたがお誘いすべきは、姫巫女様でしょうが」と栗毛をオールバックにした紳士が、眉間にしわを寄せて怒っていた。

「いったいなぁ。そんなにボコボコ殴るなよ。ラッシュ」

 ラッシュと呼ばれた長身の男は「お見苦しいところをみせてしまいまして、失礼いたしました」と紫音たちに丁寧にお辞儀した。

「わたくし、王子の教育係のラッシュ・ワードと申します。何かお困りのことがございましたら、何でもおっしゃってください」

 ラッシュはまるで何もなかったように、真面目くさった顔で紫音たちを見つめた。一方、怒られたラティオも何事もなかったよう微笑んで紫音をダンスに誘った。紫音は戸惑いながらも差し出された腕に手を乗せてフロアへと歩いていく。

「あーあ、最高の美人と出会えたのに、外交だなんて……」

 ラティオはそうつぶやいたあとに紫音を見て美しい顔で微笑む。

「ダンスは得意ですか?」

 紫音はその変貌ぶりに驚いて、首を横に降るのが精一杯だった。

「では、ゆっくり話しながら、踊りましょう。大丈夫、僕がしっかりリードしますから」

 そういって、紫音の右手をとり、左手を腰に手をまわすとゆっくりと踊り始めた。

「正直に申しますが、父は雨を止ませることができないわけではないのです。単に何か騒動が起きないかと思っているというだけなんですよ」

「なぜ、そんなことを考えて……」

「退屈なんです。母が諫めなければ、今頃、クリムゾンに自ら戦いを挑んでいたことでしょう」

 ラティオは小さなため息をつき、紫音は驚きを隠せないまま、ダンスを踊る。

「プレオネスタ王は好戦的な方なんですか?」

「いや、そういうわけではないんです。単に退屈だからという理由で人心を引っ掻き回すのが趣味なだけです。悪趣味ですよね。わが父ながら」

「では、一体あたしは何のために呼ばれたんですか?」

「貴女が来ないとなれば、それを口実に戦闘しようと目論んでいたようです。あては外れたようですが」

 紫音はなんだか腹立たしくなってきた。退屈だからという理由で戦争しようなんて、なんて馬鹿なんだろうと本気で思った。そして、一つの決意をする。

「ラティオ様、申し訳ないのですが、あたしをバルコニーに連れて行っていただけませんか?」

「え?でも、雨が……」

「雨を止めます」

 ラティオは驚いた顔をしたが、ゆっくりと踊りながらバルコニーの方へと移動してくれた。そして、ダンスを辞めて窓の前に二人で立つ。雨は激しく窓に打ち付けていた。紫音はそれをものともせず、ばんとあけ放ってバルコニーに立った。いきなり、雨風が部屋に舞い込んで踊っていた者たちは何事かと足を止めた。紫音は、濡れるのもお構いなしに、雨雲を見上げて言い放った。

「雨よ。止みなさい。この国は十分に潤ったわ。雨を望む人たちのところへ速やかに立ち去りなさい!」

 すると、風は強まり雨雲は一気に四方へと流れて行った。後に残ったのは美しい星空とあっけにとられた人々である。紫音は、濡れた衣服を魔法で乾かして、プレオネスタを探した。プレオネスタも突然のことに一瞬気をとられたようだが、すぐににやりと笑い紫音の方へと近づいてきた。

「さすがは姫巫女。雨を止ませるなど造作もないか」

「ええ、大したことではありませんわ」

 紫音は、できるだけ自信満々に答えた。そして、「戦争をするより簡単ですもの」と鋭い視線をプレオネスタに向ける。

「ふむ、愚息が何か言ったのかな。まあ、よい。俺も戦争は嫌いだからな」

(じゃあ、何がしたかったのよ)

 紫音は、ラティオから王は退屈だから戦争をするつもりだと言われて、思わず頭に血を登らせたが、よく考えてみれば、王はそんなことは一言も言っていなかったことに気づき困惑する。

「さて、雨も止んだことだし、パーティーを続けようではないか。一曲どうだ?」

「ダンスは苦手なので結構ですわ」

 紫音がプレオネスタの誘いを断ると周りがざわめき始めた。まるであり得ないものを見るような目で紫音を見ている。プレオネスタは豪快に笑った。

「お前は面白い娘だな。それでは、真面目な話をしよう。お前たちもそんな怖い顔で睨むな」

 そう言って、いつの間にか紫音の側にいたジュークたちをなだめる。

「ここでは、話づらい。いろいろ誤解もあるようだから、場所を移すとしよう。ついてこい」

 そう言われて戸惑う紫音にいきましょうとエッセが手を引いた。


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