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 夕食後、レクサスはナイトメイアからの使者の話をかいつまんで紫音に話した。あちらが戦争も辞さないということは伏せて。

「雨を止ませるか……やってみなくちゃわからないけど。困っているならほっとけないんじゃない。同盟国なんでしょ?」

「ああ、といっても大した交流はない。お互いに干渉しないというぐらいのものだ」

「でも、今回は使者を立てて助けを求めてるんだから、何もしないわけにはいかないんじゃないの?」

 レクサスは即答できない。

「あたしに来てほしいっていうなら、行ってもいいよ。レクサスたちにはいろいろ世話になってるし、あたしにできることがあるならやってみたい」

「それは、ナイトメイアに行ってみたいということか?」

「そういうわけじゃないけど……少しは役に立ちたいの」

 紫音は駄目かなと問いかけるようにレクサスを見つめた。レクサスはさらに困った顔をする。紫音の気持ちはうれしいが、一日でも離れるのが嫌だと思う自分がいる。

「何かあっても、俺は助けにいけない」

「大丈夫よ。あたし一人でいくわけじゃないんでしょ」

「それはそうだが、そうじゃない」

「どういう意味よ?」

「俺が嫌なんだ。お前と離れるのが嫌なんだ……」

 紫音はいつになく真剣な表情と、何かをこらえるようにこぼれ落ちたレクサスの言葉に、鼓動が速くなる。レクサスの大きな手がそっと紫音の頬に触れた。レクサスはこつんと額をくっつけると伏し目がちに離れたくないと切なげに言った。胸が痛む。こんなに切ない声を聞かされて、離れたくないと言われて紫音の気持ちは揺らぐ。それでも、今までいろんなことで助けてもらった恩返しはしたかった。紫音は、レクサスの頬を両手で包み込んで、顔を放すと真剣な目で言った。

「あたし、ナイトメイアに行く」

「シオン……」

「同盟国に恩を売って損はないのよ。それに何があってもここに帰ってくる。約束する。だから、行かせて」

 真剣な紫音の言葉に、レクサスは頷くことしかできなかった。そして、レクサスは一枚の地図をテーブルに開いた。紫音は地図をのぞき込む。真ん中に大きく扇型に開いた土地がクリムゾンで、西にトリビスタン、東にナイトメイアがある。両国との境には森があり、クリムゾンの北には大きな山脈があった。丁度、トリビスタンとナイトメイアを分断するように北方に伸びている。南には海が広がっている。地図をよく見ると、ナイトメイアへとつながる道が森と山との間にあった。

「昔はけもの道だったが、内乱でこちらに逃れてくる魔人たちがいてな。整備して道を作ったそうだ」

「じゃあ、ここを通っていくのね」

「ああ、多少の危険はあるが、森を抜けるより安全だから心配はいらない」

「トリビスタンとの間には道はないのね」

「悪魔の国だと恐れられているからな」

 レクサスは苦笑した。

「それに、こちら側には深い渓谷が横たわっているから、人間は簡単にこちらへ来ることができない」

「海から来ることはできないの?」

「できないことはないだろうが、過去にそうした記録はないな。どういう理由でかはわからないがな」

「そっか、それでアプローズとティーノは森を抜けてきたのね」

 ああとレクサスは頷いた。

「海は結構遠いの?」

「ここから馬車だと三週間ほどかかる。海がみたいのか?」

「そうね。帰ってきたら、見に行きたいな」

 紫音が何気なくそういうと、レクサスは「いますぐでも構わないぞ」と言った。

「あのね、三週間かかるところに今すぐ行けるわけないでしょ」

「城と別邸に転移魔方陣があるから、問題はない」

 紫音は、がくっと肩を落とした。そういうことは先に言ってほしい。だが、やはり海に行くのは帰ってからにしたかったので、そういうとレクサスは残念そうにわかったと答えた。 


 それからナイトメイア辺境伯のアベンシス・ブラストが、約束の日にやってきた。レクサスは紫音をともなって謁見の間に姿を現す。

「ブラスト伯、そなたの願いは聞き入れた」

「寛大なご配慮いたみいります」

「ただし、姫巫女の王都滞在は三日。その間に雨が止もうが止むまいが、速やかに返してもらうぞ」

「かしこまりました。ナイトメイア辺境伯の名に懸けてお約束をお守りします」

「出立は明日の夕刻とする。構わぬか?」

「もちろんでございます」

「では、明日に」

「御意」

 アベンシスは深々と頭を下げて、ひそやかに微笑んだ。そして、謁見の間を出ると衛兵に伴われて客間へと戻った。

(ことを荒立てずにすんだな)

 そう思いながら、紙にペンを走らせる。王への報告をまとめると書簡をハヤブサの姿に変えて、窓から解き放った。ハヤブサは尋常でない速さで飛んで行った。そして、その晩にはナイトメイアの王であるプレオネスタの手元に届いた。くせ毛のある赤い髪の王は、書簡を読み終えて意外だなとつぶやいた。噂では、レクサスは姫巫女を溺愛していると聞いていたからだ。

 プレオネスタは、窓に降り注ぐ雨を見つめた。この半年ほど、晴れ間がでたのは数日だ。時には豪雨となり、国のあちこちで災害が起きた。諸侯は領地の整備で忙しく、またそれを理由に領地にとどまりこの雨に乗じて国家転覆を企むものもでてきた。魔人の中でも最強を誇るプレオネスタは、にやりと笑う。彼にとって雨を止ませることなど簡単なことだったが、わざと何もしないでいた。だが、その事実を知るものはほとんどいない。ゆえに、王の力は衰えたと信じるものも出始めているのだ。

「さて、うまく事がはこべばいいが、そうならない方が面白味もあるか」

 プレオネスタは姫巫女がやってきたときに何が起きるか楽しみで仕方なかった。


 ナイトメイアに紫音を行かせたくないと思いつつもレクサスは、紫音の同行者を選抜していた。そして、魔法局長官のジュークと鬼人の侍女を一人、他に二人の魔法士と議会から一名を選んだ。

「はじめまして、シオン様。わたくし、エッセと申します。よろしくおねがいします」

「こちらこそよろしくお願いします。あの、エッセさん」

「エッセで構いませんわ」

「じゃあ、エッセ。なんだか初めてあった気がしないんだけど、どこかでお会いしましたか?」

「きっと城の中で見かけられたのでしょう」

 エッセはにこりと笑う。ふくよかなおっとりとした雰囲気の彼女は、紫音の身の回りの世話係として同行してくれるという。

「ところでカムリさんはどうしたの?」

 レクサスにそう尋ねると、別の用事を頼んだから同行はしないと言った。

「心配ない。単に別行動をとらせただけだ。なにかあったら必ずカムリが駆け付ける。それにジュークもいる」

 紫音はこくんと頷いた。ほんの少しの間だけ、レクサスの側をはなれて異国へいくとなると、やはり不安もあるのだが、自分で決めたことだからと紫音は笑顔を絶やさないようにした。レクサスも薄く微笑んでいるが、握った手を馬車に乗るまで離さなかった。謁見の間に部下を伴ったアベンシスが現れて感謝の礼を述べる。そして、各自馬車に乗り込んだ。旅の工程は三日で国境を越え、辺境伯が所有する王都の邸宅に一泊し、翌日王宮に入るというものだった。なんでも、王都までは転移魔方陣を使うので時間はかからないという話だ。そして、三日間王宮に滞在してから行きと同じ工程で帰るということだった。

 四台の馬車が王宮を出て行く。レクサスは執務室に戻り、紫音が使っていた勉強机を撫でる。ひどく寂しい。こんな思いをするのは初めてだった。こんなことなら、紫音の意思など無視して部屋に閉じ込めていればよかったとさえ思う。しかし、レクサスにはそうすることはできなかった。それはたぶん、紫音に嫌われたくないのだと自覚する。この部屋で、ときどき彼女の国の話を聞いた。基本的には法の下に誰もが自由に生きているという。魔法はないが科学という技術が進んでいて生活に不便はないともいっていた。ただ、争い事は絶えないという。実際、彼女は学校でいじめという迫害をうけていた。ただ、クリムゾンに来てから本当の自由を知ったような気もするとも言っていた。だから、レクサスは紫音の意思を尊重したかった。ときどき街へでかけるときも、手をつないで彼女の歩調になるべくあわせて歩いた。

 レクサスは深いため息を吐く。この部屋に紫音がいないということが、こんなにも胸を締め付けるほどの苦しみになるとは思ってもいなかったのだ。

 一方の紫音もまた同じように寂しさを感じていた。スプリングの利いた馬車の乗り心地は悪くない。けれど、王都から遠ざかるにしたがって、本当に無事に帰れるのか不安にもなった。そんな彼女の隣にすわっていたエッセが大丈夫ですわと微笑む。

「何があってもシオン様だけは、レクサス様のもとにお返しいたします」

 紫音は首を横にふった。

「あたしだけじゃなく、みんなで無事に帰りましょう。あたしはそのほうがいいもの。それに、雨を止めにいくだけだわ。きっと大丈夫」

 紫音は不安を振り切るようにエッセに微笑みかけた。エッセは「では必ず全員でもどってまいりましょう」と答えた。

 二人の会話を無言で聞いていたジュークは、それでも紫音だけは無事にクリムゾンに帰さなければならないと思っていた。彼女はレクサスに匹敵する魔力の持ち主。異国の手に堕ちれば、敵になり得ないともかぎらない。もちろん、そう簡単に紫音がクリムゾンの敵になるとは思っていない。彼女は争い事を好まないということは知っているからだ。ただ、ナイトメイアの王は魅惑の力というものを持っているという。それがどのようなものかはっきりしない以上、油断はできないとジュークは思っていた。そして、それ以上にレクサスの心配をしていた。無事に紫音が帰国しなければ、国を捨ててでも彼女の元へ駆けつけるだろうと思えるほどの溺愛ぶりだ。魔法局長官としても、個人としてもそれだけは避けなければと思うジュークだった。



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