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 コレオスは、王に聖女が力を暴走させたことを報告した。王はそれがどうしたという顔で言った。

「暴走は止めたのであろう。ならば、問題はない。眠りを解いて祈りを捧げさせよ」

「しかし、情緒が不安定では祈りの妨げになりかねません。しばらくは休ませて落ち着かせねば……」

「そんなことをしている暇はない。王家の威信にかけて雨を降らせねばならぬのだ」

「……かしこまりました」

 コレオスは、頭を下げたまま、執務室を後にした。非情なことだとは思いつつも、雨を降らせてもらわなければならないことは十分にわかっている。問題はどうやって落ち着かせるかだった。コレオスは、悩みながらひかりの眠る部屋に戻った。

「薬はのませたか?」

 オーリスは、はいと頷いた。コレオスは、ひかりの手を取って脈をはかった。正常に動いているのを確認し、もうしばらく眠らせておくことにした。

「明日、起こしにくるまで、薬を四時間おきにのませておいてくれるか」

「かしこまりました」

 あとは、オーリスに任せて、コレオスは魔導士の詰所に戻り、召喚術についての文献を読みなおした。召喚の儀式に問題はない。だが、現実に問題は生じた。聖女が二人。一人には光属性の魔力があり、もう一人には魔力はなかった。だが、過去の文献に魔力のない人間が召喚された事例はない。それに、ひかりの魔力は現在女性の中でもっとも高い魔力保持者である王太子妃とさほど差があるように感じられない。もし、もう一人が召喚された理由が、それを補うものであったとしたらと仮定すれば、聖女が二人でもおかしくはない。しかし、それは今更の話である。王は、魔力のない少女を東の森に捨て去った。

(もうとっくに死んでおるだろう)

 そうである限り、ひかり以外に雨ごいをできるものはない。ワゴニアとの契約も果たした以上、彼女以外にこの国に雨を降らせることのできる者はいなくなったのだ。コレオスの目から見ても明らかにひかりはディオンとメリーバに依存していた。その二人が、苦しい旅を終えて戻ってみれば、そばを離れてしまったのだから、衝撃は大きかっただろう。おそらく、魔法の暴走もそうした出来事によって精神的に不安定になったことが原因だろうとコレオスは、推測した。

「どうやってお慰めするかだが……」

 コレオスにも妙案は浮かばなかった。


 その頃、モビリオはバハゼルトの最前線で黒狼ブラキオスの群れと戦っていた。倒しても倒しても数は減らない。どこから湧いてくるのか、まるで雨に誘われたように現れた。だが、雨はもう止んでいる。黒狼は水属性の魔力を持つゆえに、雨に引かれて集まったのだろうか。それとも魔王の差し金か。モビリオは前線で火炎魔法を駆使して、黒狼を駆逐する。第三騎士団も弓や剣に炎を纏わせ必死に攻防戦を繰り広げていた。バハゼルトの要塞では、傷ついた兵士たちを回復させるための魔法が連日のように駆使されている。だが、一週間ほどして黒狼たちは徐々に森の中へと後退していく。モビリオは、とにかく士気を高め、森の奥へと黒狼たちを追い返して行った。だが、今度は大蛇ナーガたちが邪魔をする。これ以上森の中に来ることは許さぬとばかりに、大蛇たちがとぐろを巻いて威嚇していた。大蛇たちは火属性をもち、鎌首をあげて猛烈な火炎を口から吐き出す。モビリオは風魔法で炎を退け、兵士たちは弓で大蛇の頭を貫いていく。それは、高速の風魔法により、威力を発揮した。それでも、苦戦はしいられた。大蛇に噛まれた者たちは、体が麻痺して戦えない状態になるものもあり、食い殺されるものもいた。モビリオは休息のために一旦、要塞に戻る。そこからは、隣国の空が見えていた。遠く雨雲が見える。どうやら、悪魔の国では雨が降っているようだった。

黒狼が撤退したのは、やはり魔王のしわざかとモビリオは思った。きっと、水の気を体内にため込んで、また襲ってくるに違いない。しかし、二週間も経つと大蛇たちでさえ森の奥深くに後退していった。どうやら、悪魔の国へと向かったらしい。なんとかバハゼルトを守り切り、モビリオたちは数十名の監視役を選定して、王都へ戻って行った。

(すっかり雨がふらなくなってしまったな。やはり、ヒカリの力は大したものではなかったのかもしれない)とモビリオは思った。

 異世界からの召喚などせずに、自国の魔力保持者でなんとか雨をふらせていれば、あの娘は普通に暮らせていたのかもしれないと思うと、少し胸がいたんだ。


 ひかりが昏々と眠りに落ちている間に、心の乱れが落ち着いていることを願って、コレオスは、ひかりにかけた、眠りの魔法を解いた。重たげな瞼をひかりはゆっくりと開ける。

「おかげんはいかがですかな。聖女様」

 ひかりは、倦怠感ですぐに返事はできなかった。ただ、もう何もしたくないと思っていた。聖女になれて浮かれていた自分が滑稽でならない。

「朝食を用意させましたが、食べられそうですかな」

コレオスは、できるかぎり優しい声で問いかける。ひかりは、ふっと口の端をもちあげて、「どうせ、また祈りを捧げろっていうんでしょ」と疲れた声で答えた。

「はい、あなた様にしかできぬことなのです」

「今はそんな気分じゃないわ」

「どうか、そうおっしゃらずに、この国を救ってくださいませ。すでに餓死者もでているのです。このままでは、国が滅んでしまいます。なにとぞ、御助力をおねがいもうしあげます」

 コレオスは、深々と頭を下げた。しかし、ひかりの目はうつろだった。知らない世界で、ただ、祈りをささげてなんになるのだろうと思う。ディオンにもメリーバにも裏切られたような気がしているひかりにとって、誰が死のうが苦しもうがどうでもよくなっていた。それでも、コレオスは、根気強くひかりをなだめすかす。だから、ひかりは言った。

「紫音は、どうしているの?祈るだけなら、あの子にだってできるんじゃないの?」

 コレオスは、沈んだ顔をした。まさか、王が東の森に捨てて今頃は生きていないなどとは言えない。

「残念ですが、シオン様は亡くなられました」

 ひかりは何かを聞き違ったように目をまるくした。

「どういうこと……手厚く保護されていたんじゃないの?」

「実は、東の森に迷い込んでしまって……捜索はしたのですが見つからず、魔物の数も増えてしまったがゆえに、おそらく餌食になってしまわれたものと思われます」

 とても残念なことですがとコレオスは、嘘をついた。

「それに、聖女様はワゴニア様と契約されたのです。もう、あなた様以外に誰も雨を降らせることはできませぬ。どうか、この国を救ってくださいませ。おねがいもうしあげます」

 ひかりは、愕然とした。紫音は、もういない。ワゴニアとは契約させられているという事実。あんなに何もかもがうまくいっていたときのことを思うと、また、涙がこぼれ始めた。また、ひとりぼっちだ。それも、今度は雨ごいの道具だ。いじめられていたときと、いったい何がかわったのだろう。もう、どうでもいいとひかりは思った。そして、「祈りはするわ」と答えた。その代り、いくらでもわがままを言ってやろうと思った。それくらいは、許されるはずだと。そして、コレオスを一旦部屋の外に出すと、オーリスに着替えを手伝ってもらった。朝食には手をつけず、部屋を出る。コレオスと共に聖殿へと向かった。ウエディングドレスのように真っ白だった儀式の衣装は、波が揺れるような青に染まっている。それを纏っていると、心なしか、体が重く感じられた。そして、聖殿で祈りの歌を歌った。最初ほどのやる気はもうない。ただ歌えばそれでいい。投げやりな気持ちで歌を歌った。祈り終わると、ひかりは一人で部屋にもどった。そして、オーリスに甘いお菓子を用意するように命じる。オーリスはメリーバほど気が利く人物ではなかったようだが、命令には忠実だった。それからの日々は、無理難題をオーリスに押し付けた。毎日のように、新しい服をつくらせ、靴をつくらせ、気に入らなければ捨てさせた。祈りの儀式も毎日は行わなかった。気分次第で適当に歌う。ひかりが歌う日には雨が降り、歌わない日は晴れか曇りだった。そして、雨はある地域で豪雨となり、ある地域では小雨となって不安定だった。そんな雨のせいで、植えたばかりの苗は水にながされたり、枯れたりしていた。

 モビリオが王都にもどったときには、ひどい嵐になっていた。モビリオは何があったのかとひかりに会いにいった。そして、そこには人形のように無表情の少女が、華美なドレスに身をつつみ、生気のない顔をして紅茶をすすっていた。その豹変ぶりに、モビリオは眉をしかめる。

「何があったんだ?」

「何がって?別に何もないわ。祈りを捧げてやってるんだから、あとは好きにしているだけよ」

 投げやりな返事が返ってきて、モビリオは深いため息をついた。あんなに一生懸命だった少女は、みるかげもなく、やさぐれていた。

「オーリス、モビリオにお茶でもさしあげて」

 面倒くさそうにひかりはオーリスに命令した。オーリスは急いで紅茶をいれる。モビリオはひかりの対面のソファーに腰をおろした。

(まるで、別人のようだ。どうしてこんなことになっているんだ?)

 モビリオは出された紅茶を飲みながら、じっとひかりを見つめていた。

「モビリオは何をしてたの?」

 退屈しのぎのように、ひかりは質問する。

「魔物の討伐だ」

「それって楽しい?」

「仕事だ。命がけのな」

「そう、それはそれは素晴らしいこと」

 ひかりは、どうでもよさそうに嫌味をいうように口角をゆがめた笑いを浮かべる。

「ヒカリ……君は聖女としてつらい巡礼もこなしたのに、なぜそんなに陰鬱な表情をしているんだ」

 陰鬱と言ってひかりは笑い出した。

「だって、あたしはただの雨ごい女だもの。聖女なんかじゃない!だったら、雨が降ればそれでいいんでしょ。あんたたちは、それだけでいいんでしょ。だったら、あたしだって好きにさせてもらうだけよ」

「ヒカリ……」

 モビリオにはかける言葉もでなかった。これほどまでに、彼女の心をゆがめてしまったのは、なんなのだろうか。聖女として頑張ってきたひかりは、まるですべてがどうでもいいと全身で訴えているようにしかみえない。

「何があったか知らないが。あまり、自分を貶めるものじゃない」

「あら、あたしに説教するの?そんなことしていいの?雨を降らせることができるのはあたしだけよ。あたしの機嫌をみんなが取ろうと必死だわ。笑えるくらいにね」

 ひかりはどこか悲し気に微笑んだ。

(心を病むほどの何かがあったのだろう)

 モビリオはそう思った。それでも、祈ってくれているのはなぜだろう。嫌なら嫌と言えばいい。そうしない理由は、なんなのかとモビリオは考えた。そして、一つだけ思うところがあった。彼女は今孤独なのだと。まるで、昔の自分を見ているような気がしてきて、モビリオは紅茶を飲み終わると部屋を出て行った。そして、その足でコレオスを尋ねる。

「モビリオ殿下。このたびはお疲れ様でございます」

「コレオス、そんなことはどうでもいい。それより、ヒカリはどうしてあんな状態なんだ?」

 コレオスは、モビリオにソファーに座るよう促し、自分は立ったまま経緯を説明した。

「ヒカリ様は、ディオン様に恋をされておりました。ですが、旅が終わってみれば、ディオン様は婚姻されており、信頼していた侍女のメリーバも退職しました。おそらく、それで心の支えを失ったのでしょう。いっしょに召喚された少女に会いたいともおっしゃいましたが、それは叶わないのです」

「なんだ?どういうことだ?ヒカリだけが召喚されたのではないのか?」

「はい、同じ年頃の少女が一人、ヒカリ様と共に召喚されました」

「その少女はどうしたのだ」

「王の命令で東の森に捨てられました」

 モビリオは深いため息をついた。

「それで、あのように荒れてしまったのか」

「さようでございます。今では、気にくわないことがあるたびに、祈りなどしないと脅すような状態です」

「孤独を紛らわせるために横柄になってしまったのだな」

 モビリオはかつて騎士養成学校のことを思い出していた。ただ、モビリオの場合、魔法の腕をあげていくことで、周りから認められるようになり、今では頼られる存在となっている。しかし、ひかりは異世界から突然、この地にやってきて心を寄せたものに突き放されてしまったのだ。そのつらさは、自分の比ではないだろうと思うとなんだか哀れな気持ちになっていた。



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