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 紫音の生活は、ほんの少し変わった。こちらに来てから、会話に不自由することはなかったが、文字の読み書きはできなかった。この世界には世界共通語というものと、各人種ごとに独自の言葉とが存在していて、なぜか紫音はどちらも話すことができているという。本人は日本語を話しているつもりだったが、何らかの作用で自動的に翻訳されているらしい。だから、会話をするだけならなんの障害もなかった。けれど、文字は読めない。読めなければ書けない。そこで、アプローズが鬼人の子供たちが学ぶ言語の教科書を使って文字を教えてくれていた。基本的なことは、大まかに理解できた。鬼人語の構造は日本語に似ていたし、世界共通語のほうは、英語に似ていた。今までは、アプローズが文字を覚える手伝いをしてくれていたし、色々な冒険譚を聞きながらのんびりとレクサスの部屋で文字を書く練習をしていた。しかし、アプローズが忙しい状況であることと、紫音に魔力があったことから、文字の学習はレクサスの執務室でやるようになった。


 静かな執務室の中で、ペンが走る音と紙がめくれる音だけが響く。紫音は世界共通語と鬼人語の同じ意味になる文字を十回程度ずつ、紙に書き連ねる作業を黙々とやっているつもりだが、時折、視線を感じて顔をあげるとレクサスがどこか満足げにこちらを見ていることがしばしばあった。そのうえ、声をかけてくるわけではないので、紫音はまるで試験を受けている気分だ。おかげで、初めのころはお茶の時間が恋しくなったが、一か月を過ぎた今、レクサスの視線など黙殺できるようになっていた。魔法の方はといえば、あまり芳しくない。使い方のコツはつかめたが、基本的なことがわからない。レクサスの教え方は実践的なもので自分がやってみたことを紫音にやらせるという手法だ。なので、火や水、風といった具体的な事象を操る方法は、イメージしやすくてよくわかるのだが防御や回復などの少し複雑なものになるとうまくいかなかった。


「やっぱり、私がいないとだめね」と久しぶりに執務室にやってきたアプローズが魔法指導の現状について知るとそういったが、レクサスは不機嫌そうに「別に問題はない」と言った。

「確かに実践に勝るものはないわよ。けれど、それは基礎を学んだから言えること。シオンちゃんには魔法の基礎や使うときの心構えをまずは学ばせた方がいいわ」

 そういわれて、紫音も頷く。

「俺の教え方は下手か?」とレクサスが言うので、紫音は首を横に振った。

「言ってることはわかりやすいよ。ただ、あたしにはうまくイメージできないものがあるってことだと思う。それに魔法を使うときイメージに一致する言葉を言わないと使いこなせないし、基本的な知識があったほうがいろいろ応用できると思う」

「そういうものか?」とレクサスがアプローズに尋ねると彼女は肯定した。

「基本は大事よ。ただ、明日は魔物狩りに行かなきゃならないから、私の授業は五日後からね」

アプローズは艶然と微笑む。とても楽しそうだなと紫音は思った。だが、魔物を狩るのだから命がけのことだ。きっとアプローズはとても強いのだろう。しかし、魔物とはいったいどういう生き物なのだろうと興味はわいた。それを察したのか「シオン、お前は魔物に興味があるのか?」とレクサスが問う。

「そりゃ、ちょっとわね。だけど、危ないんでしょ。結界を張らなきゃならないほどの強い生き物を倒しに行くのに、好奇心だけでついていく気はないわよ」

 アプローズは「そうでもないわよ」と笑う。

「鬼人の騎士団は、暴れたくてしょうがない連中ばっかりだから。それに魔法師団も同行するから危険ってほどでもないわ。ただし、戦闘だからそれなりに流血を見る覚悟は必要だけどね。もちろん、無理に連れていくつもりはないわ。ただ、シオンちゃんが来てくれるとたぶん士気があがると思うのよね」

「え?なんで?」

 アプローズはにこにこ笑うだけで理由は言わない。

「シオンが行くなら、俺も行く」とレクサスが言うので、紫音は「いや、あたし行かないから……」と困った顔をした。「あら、残念」とアプローズは笑った。

「どうせ行くなら、もっと魔法が使えるようになってからにしたいよ。せめて、自分の身ぐらい自分で守れるようにはなりたいし」

「そうね。そういう心掛けがとても大事なのよ。魔法を使える者にとってはね。じゃ、あたしは明日の準備があるから、これで失礼するわね」

「気を付けて」

「ありがとう。シオンちゃん」

 アプローズは嬉しそうに微笑んで執務室を出て行った。


 翌日、騎士団と魔法師団総勢二百二十人が城の広場に集まった。紫音はレクサスに手をつかまれたまま、バルコニーから騎士たちを見下ろしていた。ざわめく騎士たちは、馬に跨り、剣や槍、弓などそれぞれの武器を装備している。ただ、なぜか大きなスコップを持っている一団もいた。

 レクサスが右手を上げると、ざわめきが一瞬でおさまる。

「好きなだけ暴れてこい!」

 レクサスがそういうとおおっという雄たけびが上がった。紫音は、高いところから人を見下ろすことがあまり気分がよいものではないと思った。そして、みんな無事に戻ってきますようにと祈る。

「シオンも何か言ってやれ」

「な、何も言うことなんてないわよ。無事に戻ってきてくれるならそれで……」

「そうか」とレクサスは微笑み、騎士たちに言った。

「全員、無事に戻れ!それがシオンの願いだ!」

 騎士たちは一層大きな声で了解と叫んだ。そして誰かが叫ぶ。

「姫様のために!」

 それに唱和するように姫様のためにと叫ぶ声が聞こえて、紫音は、真っ赤な顔になった。姫様ってなによと思うが、恥ずかしすぎて声が出ない。そうこうしているうちに、ラッパが吹き鳴らされて討伐隊は西の森へと旅立った。

「ひ、姫様ってどういうことよ」

紫音は、真っ赤な顔でレクサスを睨む。レクサスは涼しい顔で「雨を降らせた姫巫女だと伝えてある」と言った。

「雨は偶然でしょ?」

「いや、シオンの力だ。あれがなければ、俺も魔法の測定などしなかったさ」

 紫音は、脱力したように深いため息をついた。

「だからって、姫巫女だなんて……」

「嫌なのか?」

「恥ずかしいのよ……まだ、魔法だってうまく使えないのに……」

 レクサスは不意に紫音の頬に口づけた。紫音は、びっくりして身を固くする。

「そんな顔、俺以外にみせるなよ。食べられるぞ」

「そ、そっちこそ、いきなりキスとかしないでよ!」

 レクサスはちょっと考えてから問う。

「キスするのにも、断りがいるのか?」

「断っても駄目!」

「俺のことが嫌いか?」

 紫音は、即答できずにうろたえる。嫌いではない。ただ、この胸の高鳴りが恋愛感情なのか、慣れないレクサスの行動のせいなのかわからないのだった。

「嫌いじゃないけど……だ、駄目なものは駄目なの!」

 レクサスは残念そうに「わかった」と答えて、紫音の手をひいて執務室に戻った。



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