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「今日、デート?」

「……そうだったら良いんですけどねぇ」


 僕は、次の月曜日の定時過ぎ。そう言って笑っていた。

 車は近くのパーキングエリアに止めてきた。かなり値段がかかっているだろうけど、仕方ない。


 会社から、彼の入院している病院までは車で20分ほど。

 じゃあお疲れ様です。と言えば前に一緒に映画を見に行った彼女が僕の事を目で追っていた。



 いつも必ず土曜日にしか見舞いに訪れない僕であったのに。

 月曜である今日、彼に会いたいと思ったのは昨日美沙子と話したからだろうか。










 *

 病院の床で自分の皮靴の音が響くのが嫌で、少しだけ気を使って歩いてみる。

 6時近く、同じようにスーツを着て病院のエレベーターを待っている男性がいた。

 ちんと音を立ててやってきたエレベーターに乗り込めば彼は「3」という数字を押した。

 僕は「5」を押した後に、エレベーターに貼られた張り紙を見て、3階は何科が入っているのかなんて勝手に確認する。


 産婦人科、NICU、小児科。


 NICUとは一体何なんだろう。なんて思っていればエレベーターのドアが開いた。

 スーツに身を包んだ男性は「開」ボタンを押している僕を見て少し礼をする。

 小児科病棟に向かって足を運んで行くのを閉まる扉の隙間から、僕はじっと見ていた。



 僕は、入院というものをした事がない。

 病院にお世話になったとしても、いつも一階か二階の「外来」のみ。


 病院の案内図をもう一度見てみる。


 ……外来にだけ来てた時は、病院の上にこんなにも沢山の人が入院しているなんか知らなかった。こんなにも沢山の人が、病気と闘っているなんて事知らなかった。


 エレベーターの扉が開く。

 5階だ。



 いつも通り「5A」と大きく書かれた扉の前に立てば自動で開く扉。

 ナースステーションにまで足を運べば、見慣れた医療事務の人が「こんばんは、面会ですか」と言って白い紙を用意する。



「あの、高島です。いっつも土曜に来てる……」


 見慣れた医療事務の人が「あ、高島さんですか」なんて手元の書類をぺらとめくった後に言う。

 僕は、いつも土曜に来た時には覚えていてくれるくせに。なんて言いたくなったがまぁいつもと違ってスーツだししょうがない。と思う事にした。

 それに、この人たちは毎日多くの人を相手にしているのだ。



「また、紙に書いておいてください」


 ちょっと愛想はないが、別に会社の受付嬢ではないのだから当たり前か。

 今日の担当看護師さんは、福島さんではなかったらしく医療事務の人は僕の知らない看護師さんの名前を呼んで「面会です」なんて言った。

 僕の方をちらりと見た、少し髪の明るい看護師さんは「分かりました」という意味なのか、パソコンから目を離して頭を下げる。


 僕は書き終わった紙を医療事務の人に渡して、頭を下げる。



「面会、八時までなので」

「分かりました」


 病棟の廊下を歩いていると、配膳車にトレイを返している中年の男性に会った。

 体中にいろんな管が入っているのに、よくそこまで歩けるな。なんて僕は点滴をごろごろ押しながら歩く彼の背中を見ながら思っていた。


 僕の幼馴染は、ベッド上に居るばかりなのに。

 同じ病棟で入院しているはずなのに、何が違うんだろう……。


 そんな事を考えても、医療知識のない僕には分かる訳もなく。

 また、そんな事を質問したって看護師さんやお医者さんが僕に答えてくれる訳もないんだけど。



 彼の病室の前に着く。

 いつも通りアルコールで消毒をおこなった後に、病室の扉の横に備え付けられているマスクの箱からマスクを取り出す。

 手袋やビニールのエプロンの箱もその横にはあるのだけど、僕は使った事がない。看護師さんやお医者さんが使うものなんだろうか。



 とんとん、と扉を叩いた後に扉を横に開く。



「あ、みさ……」


 彼はベッドの上で座って、土曜に僕がおいていったマンガを読んでいた。

 彼はマンガから目を離すとドア付近に立っている僕の姿を見て「あれ、八尋?」なんて少しだけ目を丸くして、さっとなぜかマンガを布団の中にしまいこんだ。



「きちゃった」


 手をぐっぱさせながらそう言う。

 彼女かよ。なんて心の中でセルフ突っ込みをしていたが、彼も感じるところは同じだったらしく「彼女かよ」なんて少し笑いながらそう言った。



「美沙子は?」

「なんか売店行ってくるって。それより八尋、仕事帰り?」

「うん」


 帰れと怒鳴っていた土曜日の彼は、居なくなっていた。

 ただいつも通りの彼がそこには居た。


 僕はパイプ椅子に座る。ぎし、という音がやはり耳についた。



「いきなり来るからビビった」

「不意打ち」

「スーツ見るの久々」

「いっつも私服だもんな」

「……あのさ、八尋」

「なに」

「土曜、ほんと悪かった……」


 彼は、消え入りそうな声でそう言った。



「俺、あの日なんかすげぇイライラしてて……ほんとゴメン」

「……いや、俺こそ。なんかどうしたらいいか分からなくてさ。もっと色々声かけれただろって反省して」


 彼のベッドは頭部が拳上されていて、そのせいでできているシーツのしわが少し気になった。

 彼は、僕の目をしっかりと見た後に「美沙子と同じような事言ってる」なんて小さく笑う。

 僕は何を話せばいいのか少しわからなくなってしまって、ぽたぽたと落ちる点滴をぼんやりと見ていた。そうして思いついた質問が「トイレ行きたくなったら、この機械どうしたらいいの?コンセントあるけど」である。



「ああ、これ? 普通にここ抜いたらいい。ある程度充電あるし多少抜いても大丈夫……らしい」

「ふうん。じゃあ普通に病棟とか歩き回れるんだ」

「うん」


 でも、いつも病院にあるコンビニとかに行ってるの美沙子だよね。と言おうとしたとき、僕の言いたい事に気づいたらしい拓也がちょっと笑いながら口を開いた。



「別に、トイレ以外で外でたりしないからどうでもいいけど」

「……なんで?」


 そういえば、拓也は全く外泊なんかもしていないな。なんて思いながら彼の顔を見てみる。

 少しくぼんだ瞳と目が合うのがいやで、すぐに目をそらしてしまったけど。



「ん、だってさ。外に出て普通に元気な人みたらさ。俺、死ぬんだなってなんか再認識するみたいでさ」


 その言葉に、僕は何も返せずにいた。

 だって、自分は拓也と違って元気そのものだったから。

 ベッドの横のテレビがちかちかと光る。美沙子が張り切って買ってきた病院用の片耳イヤホンがその前に置いてある。個室だから全然必要なかったんだけど。



「俺は、きみにそういう顔をさせる為に言ったんじゃないよ~」


 なにかの曲の歌詞みたいに拓也が冗談めいて呟く。

 少しだけ俺が顔をあげると、拓也は目を細めて笑っていた。美沙子と似た笑い方、好きじゃない。



「拓也、死ぬなよ」


 なんでこのタイミングでこんな言葉が出てきたのか、自分でも分からない。

 拓也は目をぱちくりとさせていた。「え?聞こえなかったからもう一回言って」なんて表情をしていたけど、もう一回言える自信はなかったからマスクの下でぎゅっと口をつぐんだ。


 すると、部屋の扉ががらりと開く音がした。振り返ればそこには美沙子の姿が。

 大きな目を開いた後に「ああ、八尋」なんて買ってきたなにかを机の上に置きながらつぶやいた。



「ってか、今日でよかったね」

「ほんとだね」


 二人のそんな会話。

 僕の頭にクエスチョンマークが浮かんだの気が付いたのだろう。美沙子は僕を少し見た後に「今度病棟変わることになったからさぁ」なんていつも通りの口調で言った。



「病棟変わるんだ」

「うん」

「じゃあ看護師さんとかも変わる?」

「えー、たぶんそうだよな? 美沙子」

「うん」

「福島さん担当じゃなくなるんだ」

「うん」


 美沙子は、小さくそう呟いた。僕と拓也を見ずに、ただ買ってきた水を冷蔵庫の中に入れていた。



「何階? 次から間違わないようにしないと」


 僕がそう言うと、彼は少しだけ微笑んだ。美沙子は、何故か僕を見た。



「4D病棟」


 美沙子が、まっすぐ僕を見ながらそう言った。

 その時の僕は、そのまっすぐな瞳の意味が分からずにいた。








 帰り道、美沙子はやけに静かだった。

 病室ではマスクを着けているから表情が読み取りにくいからちょっと怖い。少しだけ横を歩く美沙子を見れば「なに?」といつも通りの表情で返してきたので少し安心する。


 エレベーターに足を進めて、いつも通り1のボタンを押す。えっと、駐車券、鍵なんておもいつつポケットをごそごそしていれば3階で扉が開いた。乗り込んできたのは、少し疲れ切った表情をした夫婦だった。

 そういえば3階は小児科だっけ。なんて思ったとき、行きにみたエレベーター内の表示にまた目が行った。美沙子が言ってた4D病棟。そこに書いてあったのは「血液内科/緩和ケア病棟」の文字。

 その文字をそっとなぞる僕。美沙子を見れば、一瞬だけ目があった。


 彼女は何も言わずに、「お分かりいただけただろうか」とでも言いたげな表情を見せたあと、そっと目を伏せた。

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