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(6)



 午後五時ごろ。

 僕と美沙子は病院の中にあるコーヒーショップに入っていた。

 今時の大きな病院には、コンビニだけでなくこんなキレイなコーヒーショップまで併設されているのを知って驚く。

 ただ、寝衣姿の人は少なく、ほとんどの人は普通の私服を着ていた。面会に来た人が利用している事が多いのだろう。


 僕の目の前に座る美沙子は、ぼんやりと頬杖をつきながら目の前に座る僕の事を見ていた。


 このコーヒーショップは、駅前近くにもある有名なチェーン店で。メニューもあの駅前にある店を同じはずなのに。出てきたコーヒーの味を少しまずく感じた。

 店内に流れる柔らかなピアノの音を聞きながら、僕はまたコーヒーを一杯口に含む。



「八尋」

「……なに」


 美沙子の右の薬指にはめられた指輪が、窓の外から差し込む夕日に照らされてきらりと反射した。

 プロポーズされた時に、もらったんだぁ。なんてテレテレ笑いながら僕に自慢をしてきたブツ。

 結婚指輪って左じゃないの?なんて言う僕に、ほんとに結婚してから左につけるの!なんてドヤ顔で語っていた美沙子が懐かしい。



「今日、ごめんね。お昼いなくて。対応とか全部任せちゃった」

「ああ……別に……」


 特に対応とかできてないけどね。なんて心の中で自分を笑ってみる。

 僕が「今から迎えにいくから今すぐ来て」なんて言えば、電話越しの美沙子は「どうしたの、なにがあったの」なんてプチパニック状態であった。

 それでも、僕も何があったのかいまいち理解しないままとりあえず美沙子を迎えに行った為何も答える事などできず。

 真っ青の顔で助手席に座る美沙子を見て、僕は本気で「ちゃんと福島さんに話聞いてから来ればよかった」なんて後悔をした。



「八尋。わたしね」


 美沙子は、カフェオレと一緒に頼んでいたミルクレープを見た。

 そして、フォークでミルクレープを一口サイズに切ろうと格闘。ミルクレープはなかなかのツワモノで、ぐにゅと薄い生地と生地の間から生クリームが出てくる。

 美沙子もキレイに切ろうと格闘していたものの、数秒後「汚くてごめんよ」なんて諦めたような口調でそう言った。



「恋人と病気と絡めた話とか、嫌いだったんだ」

「なんで? 俺、結構ああいうの好きだよ」

「お涙頂戴~なんて思ってたの」


 美沙子は、そう言った後ミルクレープを口に運ぶ。

 そして、ごくと喉を動かした後に頼んだロイヤルミルクティーに手を伸ばす。



「病気で苦しんでる人たちをテレビで流して、何の意味があるのって思ってた」

「……ふうん」

「でもね、八尋」


 そう言った後、美沙子はミルクティーの入ったカップに口を付けた。

 良い間の取り方だな、と思った。



「私は、その番組を見てなかったらそうやって病気で苦しんでる人がいる。なんて事知らずに、日常生活を送ってたんだろうね」

「……うん」

「偽善でも、お涙頂戴でもいい。ただ、知ってもらう事に意味があるんだと思う」


 これはわたくしの持論ですがね。なんてわざとらしい物言いをしながら美沙子は笑った。

 確かに、自分もドラマがなければ白血病の事も脊髄小脳変性症の事も知らなかったかな。なんてぼんやり思っていた時、美沙子はまた笑った。



「ほんとに誰も、知らないのよ」

「ほんとに誰も、分かってないのよ」


 美沙子がまたそんなわざとらしい物言いをする。

 僕は、ただ黙って彼女の震える唇を見ていた。



「私はね、友達とか皆に言われるの『大変だね美沙子』って」

「……」

「『もうすぐ結婚する予定だったのに、かわいそう』って」

「……」

「『拓也くんが、病気で苦しんでる姿見るの、苦しいでしょ』って」


 美沙子は、嗚咽を殺しながら泣いた。

 ここは病院付属のコーヒーショップ。周りの人々も何となく、美沙子の様子を察したようで、誰も何も咎めなかった。

 隣の席のお姉さんがさっき貰ったらしいクーポン券を、そっと慰めのように僕たちの丸テーブルの上に置いてくれる。



「そうじゃないんだよなぁ、ほんと」

「……うん」



「辛いのは、苦しんでる彼に何もしてあげれないこと」

「婚約者なのに、何も彼にしてあげれないこと」

「ただただ、ベッドサイドに立ち尽くして。ぼんやりと看護師さんとかお医者さんの処置を見ている事しかできないこと」



「本当につらいのは、自分が、無力な人間だと思い知ること」



 それを周りの皆は知らない。そう言って、美沙子は大粒の涙をこぼした。

 黒のエプロンを付けた店員さんが、ごみ箱の上に置いてあった紙ナプキンをたくさん持ってきてくれて、これまたそっとこの丸テーブルの上に置く。


 静かなピアノの流れる店内。

 普通に話を続けているお客さんもたくさんいる。

 それでも、隣のお姉さんは文庫本に目を落とすふりをしながらちょっと目じりに手をやった。

 ひとつ飛んで左隣の若い夫婦は、美沙子の思いに対して通ずる所があるのか。鼻を少しすすすっていた。



 きっと、この病院付属のコーヒーショップでなければとんでもなくヘビィな話をしている二十代女性。という扱いであっただろう。

 もしかすると「コーヒーショップですっげえ重い話してるお姉さんいる…つら…」なんていうツイートをする女子高生だっていたかもしれない。



 それでも、ここは病院付属のコーヒーショップ。

 美沙子と同じような思いを抱える人間は、この場にたくさんいるのだ。



 僕は先ほど、どうしようもない無力感にまみれながら廊下に立っていたあの時の事を思いだしていた。

 美沙子にとっては、あれが毎日なのだ。

 自分にはどうしようもない無力感を、毎日毎日感じているのだ。



「八尋、私ね。最初は彼が病気だって事信じられなかった」

「うん」

「でも、ようやくその事を受け入れられて。頑張ろうって。絶対、支えてあげようって、そう思ったのに」

「……うん」

「私には、何もできないの」

「……」

「わたし、拓也の傍にいる意味ある?」


 美沙子はそう言って、泣いた。









 帰り道、大きな病院を見上げた後、駐車場までの道を黙って歩く。

 こんなに大きな白い建物の中に、どれほどの人が病気と闘っているのだろうと。

 そして、美沙子と同じように苦しむ家族はどれほどいるのだろうと、考えた。


 その数を考えて、胸がずんと痛くなった。

 そして、この日本中にはもっと多くの病院がある事を思いだしてまた胸がずんと痛くなった。

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