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神野美沙子と高島八尋

「ねぇ、これで終わりなの?」


 日曜日の夕方、もう少しで笑点でもはじまろうという時間帯に、神野美沙子は最後の一ページをめくった後にそう言った。目の前に座る、高島八尋を見ながら。



「そこで文章が終わってるなら、そこで終わりに決まってるじゃないか」


 きみは、そんな事も分からないわけ? とでもメガネをくいっと上げながら八尋が言う前に美沙子は「はいはい」と慣れた様子で笑った。

 年のせいもあるだろうが美沙子の部屋は、よく女性雑誌である「オサレハウス」からはかけ離れたものであった。まだ物が少なければ何となくシンプルな三十路独身女の部屋とでも言い張れそうだが、キッチンからは出しっぱなしの調味料から生活臭が漂っている。

 普段は自分しか使わないので、自分が食事する必要最低限意外のスペースにはいつもパソコンだったり仕事の資料が置いてある。今日は八尋が対面に座っているので、パソコンくんたちは床に直置きだが。



 部屋にかかる、ボサノヴァかカフェミュージックだか何だか知らないがそれっぽい音楽を聴きながら八尋は目の前に座る美沙子を見た。



「美沙子、としとったね」

「それさぁ、対面で言う?」

「いやだってさぁ」


 八尋はそこから後、あーえっとなんていうかさぁ。なんてよくわからない言葉を続ける。美紗子は八尋が書いてきた小説の自分を思い返してみる。なんとなく、八尋の言いたい意味が分かった。



「そういえば八尋、最後まで書き終わったって言ってたの12月くらい前じゃなかった? きみとわたしのカレンダーには時差があるのかな」


 八尋が書き上げた小説っぽいなにかをプリントしたものの束を、ぱらりとめくりながら美沙子はふと八尋っぽい言い回しをしてしまったなと思った。あと、時間が経ったなとも。



「なんか、いろいろ迷ってたらここまで時間がかかったんだよ。しょうがないだろ」

「うん、そだね。迷った結果のこのオチだよね」


 オチ、というか彼が死んだっていう事実を述べてるだけだよね。なんて美沙子はケロッとした顔で笑った。八尋はその顔を見て、やっぱり時間が経ったなと思った。



「小説書くのって、意外と難しかった」

「小説っぽい何か、って前書きにはありますが」

「小説っぽい何か、を書くの難しかった」

「……大変だった?」

「うん、まぁ、なんかいろいろね。別に美沙子が読むだけだからいいんだけど」

「……ありがとうね」


 美沙子が目を伏せながら、そう言った。八尋は「ありがとう」という言葉が好きじゃない。美紗子が拓也が死んでからというもの、大した事じゃないのになんでもかんでも「ありがとう」というサンキューレディになったからだ。八尋はいつも「その『ありがとう』は、今感謝の気持ちを伝えないといつか後悔してしまいそうだから言っているんだろ」なんて美沙子が「ありがとう」という度に思ってしまう。

 流石に今日はちょっとだけ違うかな、と思ったりもしたけれど。



「八尋」

「……なに」

「本当に、本当に時間が経ったんだね」


 美沙子はそう言った。

 カロリーを気にする美沙子が入れたのは、カロリーハーフのカフェオレ。ブラックにすればいいじゃん。なんて簡単八尋は言うが、八尋も同じカフェオレを飲んでいる。

 机の上にある、二つのマグカップから湯気が立つ。



「懐かしいよね」

「……うん」

「何年前かな」

「……何年前だろうねぇ」

「八尋」

「うん」

「……ほんとにさぁ」


 美沙子は、そう言って八尋の書いた「小説っぽい何か」に目線を落とした。

 八尋は、何となく美沙子の事を見る事が出来なくて対して良くない外の景色を見ていた。


 彼が死んでから、結局美沙子も八尋も苗字を替えることなく今日の日を迎えた。



「八尋、本当にありがとうね」

「いつも言ってるけど、ありがとうの安売りはやめろよ」

「……じゃあもう言わない」


 わざとらしくそう言ってみても、目の前の八尋は頬杖をつきながらも「どうせまた言うんだろ」なんて目をしているから美沙子は苦笑してしまう。この数年間で、何回もやってきたやりとりだ。

 ねぇ八尋、私はさぁ。

 美沙子はそう言いかけたけど、何も言わなかった。これも、この数年間で何回もやってきたことだ。







「……ねぇ八尋、八尋は私より先に死なないでね」


 毎年、同じ日に美沙子は若干さびれたサービスエリアでソフトクリームをなめながらそう言う。

 隣に座る八尋は、ベンチにべったりけだるそうにタバコを吸いながらその言葉に毎年同じ言葉を返す。



「俺は拓也と違って、酒も飲むしタバコも吸うから早死に決定してるから。来年も一緒に墓参り来れないかもね」


 そんな冗談のような、冗談じゃないような言葉。

 美沙子と八尋は、今日のお昼にも同じやりとりをした。


 そして毎年墓参りの後に美沙子の家で、何となく他愛もない話をしながらちょっとだけお酒を飲む。今年は違った。八尋が「例のアレ、書き終わったんだけど」なんて言葉を言ったから。



「八尋」

「なに」

「そういえば、最近悲しい歌を聴けるようになったよ」

「……あっそう」

「仕事先で同じ苗字の人を見ても、苦しくなくなった」

「……ふーん」

「24時間テレビもまた見れるようになった」

「……へー」

「もういない人を探さなくなった」

「あのさぁ美沙子、東野カナのポエム教室にでも通ってきたわけ?」


 そう言うと、美沙子はちょっとムッとした。

 でもまあこれが八尋か。なんて思ってまた八尋の書いた「小説っぽい何か」に目を落とす。



「美沙子」

「……あ、うん」


 美沙子はぱっと目の前の八尋を見た。

 今でも、よく会う自分の大切な大切な幼馴染の姿を。



「実はさぁ、さっき嘘ついたんだよね」

「あっそう!」


 でたよ、また八尋の。

 なんて美沙子は思いながら、同時に三十路にはふさわしくないような声をあげてしまった自分を少し恥じた。

 そんな時、目の前の八尋が一枚の紙をテーブルの上においてすうっと美沙子の方に寄せる。

 美沙子は、なによりも目の前の八尋がちょっと笑っていることに驚いた。


「それで終わりじゃない。前書きがあるなら後書きもあるに決まってるだろ。きみは、そんな事も分からないわけ?」


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