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「ねえ八尋。よるごはんを食べてかえろうよ」
車の中で、スマートフォンから目を離した美沙子が少し笑いながらそう言った。
時計を見れば、20時を回っている。
「ああ、別にいいけど。っていうか別にいつも食って帰るんだしいちいち聞かなくても」
「高速道路の、サービスエリアで食べたいな」
「……なにその細かな指定」
なんでわざわざ。普段適当なチェーン店ばっかり選ぶ美沙子なのに。
一体どういう心情?なんて質問がもう表情に出ていたんだろう。助手席に座る美沙子は「なんとなくだよ」なんて少し笑った。
「サービスエリアってさ、あれあるじゃん。ポテトとか、焼きおにぎりの自販機」
「……まぁあるね」
「あれが食べてみたくってさぁ」
「この時間なら、まだ普通に店開いてると思うけど? なんでわざわざそんなものを」
「あのよくわからない自販機、サービスエリアでしか見た事ないもん。食べてみたくって」
「どう考えたって、普通の店で食べた方がよくない?」
「きみは、じつにロマンに欠ける人間だなぁ」
にやり、と美沙子は笑った。
別にサービスエリアの自販機でポテトなんかを買う事は別にロマンチックでもなんでもないと思うけど。
*
「だめだ、八尋。紙袋の匂いの味がする」
そろそろ冬の終わり。まだコートは必要だけど手袋はいらない、そんな温度。
美沙子はさっき自販機で買ったポテトを口に入れた後にそう呟いた。
22時、僕と美沙子は少しさびれたサービスエリアの外のベンチに座っていた。
長距離トラックが駐車場に入ってくればそのライトが僕たちの背中を照らす。
22時といえども、サービスエリアは多くの人がいた。僕は自分のよこでは「名物!みかんソフトクリーム」なんてのぼりが揺れている。
「だからちゃんとさっきトイレに行きなさいっていったのに!」なんて怒られながら小さな男の子が母親に手を引かれながらトイレの中に入っていくのを横目に僕は口を開く。
「美沙子」
「なに」
「寒くない?」
「うん」
「そう」
「八尋は?」
「タバコ吸っていい?」
「いいよ」
コートの中から、ぐちゃぐちゃになったタバコの箱と、ライターを取り出す。
僕の隣に座る美沙子は「ほんとに紙袋の匂いの味がする」なんて文句をいいつつも、もしゃもしゃとポテトを口にしていた。
タバコをくわえて、じと火を付ける。
そこまで寒くなくなったといえども、この時間帯にわざわざサービスエリアの外のベンチに呑気に座っている人はいなかった。
僕は、ゆっくりと煙を吐きながら暗闇に溶けていく煙をただ、見つめていた。
そういえば、拓也はタバコなんて吸わなかったな。酒だって僕の方が飲んだ。
不摂生だって僕の方がしてるだろうし、なんで、なんで拓也が。なんて考えていた時美沙子が口を開いた。
「八尋」
「なに」
「次の所はね、患者の希望してる事とかをできる限り実現してくれるんだって」
「とらえもんでもいる病棟なの? すごいね」
僕が煙を吐きながらそんな冗談を言えば、美沙子はちょっとムスっとした後に「そうじゃなくってさぁ」と言った。
「わたしね、夢があるんだ」
「うん」
「聞いてくれる?」
「拓也と結婚する、じゃないの?」
「……」
「当たった」
「……ほんっと八尋って、やなやつだね」
「美沙子は24時間テレビとかドラマの見過ぎだね」
美沙子は不機嫌そうに、口を尖らせながら小さく「いいじゃない」と呟いた。
婚約者なんだから、結婚するのを望むのは当たり前なんだろうけど。あまりにも、ありきたりで、あまりにもベタすぎて。ぼくは何故か少し笑えてしまった。
「八尋」
「なに」
「最近さぁ、いろいろ考えてる事があるんだけど」
「うん」
「人間の寿命って、きっと、きっと生まれた時から決まってるんだと思うの」
突然スピリチュアルトークに片足つっこんだな。なんて思いながら僕は、ポケット灰皿にタバコをぶち込んだ後、さっき買ったきりずっとカイロとしての役割を果たしてくれていたコーヒーを開けた。
「だからね」
「うん」
「これでよかったの」
「……うん」
「最初から、きっとこの日に死ぬってみんな決まってるの」
「……」
「だから、ほんとによかったよ。事故でいきなり死なれたら、びっくりしちゃうもん」
「……」
美沙子は、どうにもポテトを食べ終わったらしい。
くしゃと紙袋を丸めると、立ち上がり自動販売機の横にあったゴミ箱に丸めた紙袋を突っ込んだ。
そしてコートに手を突っ込んだまま、ベンチに座っている僕に向かいあうようにして立つ。
遠くから、車のエンジンがかかる音が聞こえる。そろそろ夜行バスがこのサービスエリアから出発するらしく、気の抜けたような声で「出発しますよー」なんて運転手がバスの前で言っている。
目の前に立つ美沙子を見上げた。
どうにも彼女は花嫁志望らしいが、泣いているせいで鼻水が垂れている。花嫁志望のレディがちょっとそれはどうかと思う。
「やひろ」
「うん」
「だから、これでよかったの」
「うん」
「お別れの準備ができるから、これでよかったんだよ」
「言い聞かせてるね」
「わるいか」
「……いいんじゃない?」
ず、と缶コーヒーをすすりながらそう言った。
美沙子は、やけくそくさい笑みを浮かべた。ここがビルの上だったらこの笑顔を残して本気で飛び降りそうだなと思うくらい、やけくそに近い笑みだった。
ぐし、と鼻水をコートの裾で拭く美沙子。
クリーニング、ちゃんとだせよ。なんて思っていた時美沙子は、また口を開いた。
「今日が最後だと思って、生きていくって決めたの」
そう言って、美沙子は笑う。
僕は、少し目を伏せがちに「いいね」なんて言って笑った。
同じ言葉でも、SNSなんかでよく使われる軽い「いいね」じゃないってことを、たぶんきみも分かっている。