エリザの困惑
ミハイルが自宅に着いたときはすでにオレンジ色の太陽は西のかなたに沈む直前で、街には街灯がともり始めている時間だった。
出迎えたエリザはミハイルの泥と汗まみれの様子に驚き、驚くべき速さで湯を沸かし、食べていないミハイルの分の昼食を食べてから、湯を浴びた。
その後エリザが作っていた夕食を食べ、ソファーに座り一息ついた。琥珀色したブランデーを一口ずつ体内へ入沈ませていくと、今日の疲れが心地よい眠りを誘おうとしていた。手すりに手を置き首をもたれうとうととしながらブランデーの心地よい匂いと深い濃厚な味覚に酔いしれているときだった。
ミハイル。自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。向かいのソファーに湯を浴びた後のエリザ
が立っていた。髪をタオルでぐるぐるに巻き、右手にジュースが入っているであろう、カップを持っていた。腰を下ろし右手に持っていたコップをテーブルに置き、言った。
「なんかこの時間に二人きりって久しぶりだね」
「そう、だったか」
正面の壁にかけてある時計を見るとまだ夜の八時すらまわっていない。
「いっつも誰か来てたじゃん。みんな良い人だったけど」
エリザはどこか苦しげな、何かを我慢しているような言いようのない微笑をミハイルに向けた。ノアの言っていたことを思い出した。
その微笑は幼い外見とは違い、どこか大人びた、妙齢の女性のようにすら感じた。その表情にたまらずミハイルは目を背け、窓の外の真っ暗な闇に視線を移す。
三階の部屋からはまだ月は見えない。困惑の表情が窓ガラスに映る。なんとなく雰囲気からエリザが何かを聞きたがってきるのかが分った。一緒に住む条件として、必要以上にオレのことを詮索しないことが条件の一つだった。
しかし、今日の泥だらけの汗まみれの状態を見てついに我慢出来なくなったのだろう。話すことでエリザに危険が付きまとうのではないかと思ったがもうその心配はないように思えた。それでも、なぜかまだ踏ん切りがつかなかった。
「ごめん。もう寝るね」
エリザは立ち上がり、無表情で自室へと消えていった。




