どこかで見覚えの男
店はまだ開店の時間にはなっていない。外からでも分かるくらいに店内の灯りが漏れている。とりあえず安心し息を切らしながらミハイルは店の中に入った。
突然入ってきたミハイルにカウンターでマリンと話をしていたフードをしている男はどこかバツが悪そうだった。
男は強引に話しを切り終えた。
「時間はもうないんだ」
グラスの中に入っている琥珀色した液体を飲み干し、無言で店を出て行った。
自分を横切る際にちらと男の横顔をみた。
ミハイルは頭をひねった。どこか見覚えのある男だった。しかし、思い出せない。
「誰だあいつ?」
「あ、うん、昔からのお知り合いよ」
マリンは言葉を濁しそれ以上は言わなかった。ワインのボトルを開け、グラスに注ぎミハイルに渡した。
「まだ開店前だけどなにかあったの」
ミハイルは渡されたワインを一口呑んだ。芳醇なワインの香りが砂糖菓子のように口の中で溶けていくようだった。
「ノアから体調が悪いって聞いたからさ。この辺りで用があったからな」
「わざわざありがとう。大丈夫よ。頑丈なだけが取り柄だから」
マリンは微笑を浮かべわざとらしく胸を張った。私も少し呑もうかしら。ミハイルに開けたワインをグラスに注ぎ一口呑んだ。
「ノアちゃんとは話した?」
「ああ。今日の昼ごろくらいだろ。発ったのは」
「ノアちゃんは結構迷っていたみたいなの。仕事にもどこか上の空で色々思いつめてたわ。そんなこともあって昨日は店の準備だけ手伝ってもらったの」
「あいつ、マリンが落ち込んでいたって言ってたんだぜ。自分のほうがよっぽどじゃねーか」
「でも、ノアちゃんから見たら落ち込んでいたように見えていたのかも」
マリンは、ふふ。と笑い「なんか四人でいたときがずっと昔のような気がする。二週間ほど前は店を貸切にしてバカみたいに騒いだのにね」と目を細めた。「そのうちミハイルもいなくなっちゃいそうな気がするのよ、最近」マリンは力なく表情が曇った。
「そんなわけないだろ。ノアのことだ、明日当たりひょっこり顔を出すかもしれないぜ」
「さすがにそれはないでしょう~」
マリンはグラスを傾かせながら笑う。
「でもノアだって有名になったらきっとここに来るだろ。そのときは三人で昔みたいにバカ騒ぎしようぜ」
ミハイルはグラスを持ち上げた。マリンも応える。
「ノアが晴れて舞台女優になれることに。乾杯」
マリンもグラス持ち上げ、お互いに持っているグラスを合わせた。ガラスの鋭く高い音が響く。そして二人グラスの中に入っているワインを飲み乾した。
「そうそう。聞きたいことがあったんだ。この店の常連で大手新聞社に勤めているヤツっているか?」
飲み乾したワイングラスをテーブルに置きマリンに尋ねた。
「ん~」
マリンは小首をかしげた後思いだしたかのように「あ、一人いたような気がするわ。それがどうかしたの」
「じゃあ、そいつが来たら聞いといてくれないか。団長の死因はどうして発表されないかをさ」
「でもその人いつ来るかわからないわ」
「来たときでいいさ。何日かしたらまた来るから」
マリンは笑顔で小さくうなずいた。
「あんまり無理するなよ」
「ありがとう」
マリンの絵画のような柔らかい微笑みを見てミハイルは店を出た。
いつの間にか街中を闇に覆われている。繁華街はまぶしいくらいの明かりで覆われていた。




