天界への近道
部屋に入って一時間ほどたっただろうか。
ミハイルは果実酒を呑みながら、ソファーで一人考えていた。エリザも数十分前まではではしゃいでいたが今はボトルで入っていたジュースを一気に飲み干した後ソファーに寝転がりそのまま眠っていた。
リビングだけでもミモラにいたときの家の倍くらいの広さはあるだろう。加えてキッチンに寝室それにバスとトイレ。ベランダは広く、酒をちびりちびりと呑みながら風景を見るのも悪くはないだろう。広さからすると確実に家族向け、それ以上だ。ミハイルが果実酒 に口をつけようとしたとき、玄関のほうから音がした。気のせいかと思ったが、ドアをノックする音だった。
ここを知っているのはディエゴと先ほどの警備員の熊みたいな大男と白髪の爺さんだけだ。
オレをはめた奴らか?
自然と身体が強張る。側に置いた護身用の剣を持ち、足音を立てずに玄関のほうへと向かった。
「上等だ、返り討ちにしてやる」
小さくつぶやいた。
だいぶ前、組織を裏切った奴を殺しに行ったときの事を思い出した。数年前ミハイルは襲う側だった。今とは全く逆の立場だ。そう、あの時は隣人のふりをして奴にドアを開けさせたんだ。そして開けたところを斬りかかった。奴は注意力が足りていなかった。隣人とは言え警戒しないといけない。
ミハイルはドアより数歩後ろで「誰だ、何のようだ」と叫んだ。すると「隣人の者です。隣人として挨拶をしに来ました」
ますます怪しい。
過去の自分と丸かぶりだった。向こうはドアを開けた瞬間斬りつけてくるだろう。「ちょっと待っててくれ」左手でドアノブを握り右手で剣を握り締めた。
開けた瞬間ぶち殺してやる!
ドアを押し開けた瞬間、斬りつけようと一歩ふみ込もうとしたとき数時間前まで一緒にいた顔があった。
細く切れ長の目に一目見たらきっと忘れられないような顔。それに数時間前まで一緒にいて温泉まで入った人物、ディエゴ・ユーロピアスだった。ディエゴは突然懐に踏み込んできたミハイルに顔をしかめた。
「何の真似ですか」
「あ、お前かよ。隣人なんて言ったから誰かと思って警戒したわ」
急いで握っていた剣を後ろに隠した。
「私は事実を言ったまでですが」
「どういうことだ。まさか――」
「その通りです。こんなところで自分の名前を表立って言えるはずないでしょう。かと言って偽名はあなたに知らせてなかったので。とにかく中に入れてもらえませんか」
ディエゴはさも自分の部屋のように入っていった。
「居心地はどうですか」
ディエゴはソファーに座りミハイルに尋ねた。ミハイルは台所にあったまだ使用していないグラスをディエゴの前に置き、ディエゴと向かい合うようにして座り答えた。
「気持ち悪いくらい、居心地がいい」
「それはよかった。もちろんただの挨拶だけだったら、これで帰るんですが当然用があって来たんです」
ミハイルは顔をしかめディエゴを見た。きっといいことではないであろう。
「しばらく家に帰れそうにないので私の事務所を知らせておこうと思いましてね。今から言いますので暗記してください」
言われた住所をなんとか頭に叩き込むとディエゴは立ち上がった。
「さて今日はこれでお暇しましょう。エリザさんも寝ていることだし。あなたも団長殺しの犯人を捜し始めるんでしょう。くれぐれも気をつけてください」
ディエゴは「そうそう」とドアの前で足を止めミハイルに問いかけてきた。
「ここのアパートの別名、聞きましたか。天界への近道だそうですよ」