花の月 壱雨の日 今日から学院の授業が始まった (3)
教室に入ると、みんな調薬を始めていた。薬草をすり潰す薬研の音が教室中から聞こえてくる。
僕は教室をきょろきょろと見回した。ルツナ先生はどこだろう?
あ、いた。
ルツナ先生は教室の後方で、生徒の手元をじっくりと観察していた。
「ルツナ先生」
「どうしましたか?」
僕が声を掛けると、すぐに気付いて応じてくれた。
「あの、精錬技法、使ってもいい……ですか?」
「話を聞きましょうか」
ルツナ先生は厳しい表情をさらに厳つくして、僕に話を促す。
「クリクが青いのしかなくて」
そう言って、僕は取ってきたクリクの実を見せる。赤子の握り拳くらいの大きさのそれがころりと僕の手の平に転がった。
「それで?」
「これでは調薬できないので、精錬したいんだ……です」
「調薬できないとは、どういう意味でしょうか」
「え、だって、まだ青いし……」
「まさかとは思いますが、熟した実で調薬したいとでもいうのですか?」
え? だって……。
「普通、熟した実しか使わないよね?」
僕がそう言うと、その声が聞こえたのだろう、周りにいた生徒が一斉に手を止めた。
ルツナ先生も一瞬固まる。
「いえ、青い実を使うのが普通です」
な、何だってー!
「熟した実は薬効成分があまりに強いため、一歩間違うと簡単に毒になってしまいます。ですから、それを防ぐために薬効の薄い青い実を使う。常識ですよね?」
し、師匠ーっ! そんなこと聞いてないよー!
「あの、今までずっと熟した実を使ってきた……んですけど」
周りにいた生徒が一斉にこちらを振り向いた。
そ、そんなにおかしいことを言ったんだろうか。これだけ注目されるとなんか怖い。
ルツナ先生も頭痛がするかのように、額に手を当てて天井を仰いでいる。
だって、一歩間違うと毒になるってことは、その一歩を間違えなければいいんでしょ?
で、そのギリギリの線を見極めるのが薬師の腕の見せ所、だよね?
え、違うの?
「と、とにかく、青い実のままで調薬するのが普通のことです。ですので、精錬技法の使用は認められません」
そ、そんなー。
まずは下級風邪薬。
こっちは簡単だ。まずカルミオエル草、エボレ草、ミミコア草、イツユ草をそれぞれ全部、薬研ですりつぶす。
すりつぶしたカルミオエル草を鉛合金製の器に入れて、魔力を加える。加える魔力量が多いほど質が上がるが、かといって下手に魔力を加えると魔力圧で薬効成分が壊されてしまう。繊細な作業だ。
こうしてできたヨフ・カルミオエル粉末に、エボレ草とミミコア草、イツユ草を5:3:1:2の割合で混ぜる。沈殿のないよう均一かつ徹底的に撹拌するんだ。
これで下級風邪薬は完成である。
さて、お次はいよいよ下級傷薬。
用意するのは氷水。これにクリクの実を入れる。そして氷ごとクリクの実を粉砕。
クリクの実の薬効を抑える成分は、冷やすことでその効果を抑制することができるのだ。
キュディシー草を薬研ですり潰して魔偽真鍮製の器に入れる。そして魔力を加えてっと。よし、成功。ヨフ・キュディシー粉末の完成。品質もギリギリで下級に抑えられたし。
これに氷水ごとクリクの実を入れて、混ぜる。
次にタオ肝から抽出したエキスを混ぜて、火をつける。タオ肝のエキスには油脂が多く含まれているので、簡単に火が付くのだ。古典技法に分類される手法の一つ、フランベ技法である。温度を低温から高温に一気に変化させることで、クリクの実の薬効をさらに引き出す事ができるのだ。
これで、下級傷薬も完成!
「ルツナ先生、できました!」
完成した薬をルツナ先生に見せようと教室を見回すと、何故かみんな僕から遠ざかっていた。誰もが顔を引きつらせている。
失礼な。危険なことは何もしてないぞ。
ルツナ先生が表情を強張らせて、詰問口調で問いかけてくる。
「何故フランベ技法を使ってるのですか。今回の課題では必要なかったはずでしょう。技術力の高さは認めますが、必要のない技術を誇示するのは好ましくありませんよ」
「え、だって下級傷薬を作るのにクリクを精錬しちゃだめだっていうから、その代わりに」
「……なるほど、よく分かりました。いいでしょう」
「あのぉ……」
僕とルツナ先生が話していると、そばでそれを見ていた生徒が、そろそろと手を上げて口を挟んできた。
何だかばつが悪そうな表情だ。
「フランベ技法とは、いったい何なのでしょうか」
え?
知らなかったからあんな反応してたんだ。薬師ならだれでも知ってることだと思ってたのに。もしかして、知らないから危険なことをやってると思われてた?
「知らないのも無理はありません。今ではほとんど廃れた技法ですから」
そうだったんだ。ごく普通の技能だと思ってたよ。
「フランベ技法とは、まだ精錬技法が開発される前に使われていた古典技法の一種です。薬草を氷水に浸し、そこに油やアルコールなど引火しやすい物を入れ、それに火をつけます。この温度変化によって、温度変化に弱い成分を破壊するのです」
へー、精錬技法より、フランベ技法の方が先だったんだ。
ルツナ先生はここでいったん間を置くと、ぐるりと教室を見回した。
「魔力圧によって狙った成分を破壊する精錬技法の方が使い勝手がいいため、すぐに取って代わられてしまった技です。今でも使っているのは二級古典薬師以上の者くらいでしょうね」
うちの師匠は一級古典薬師の資格持ってるからなぁ。僕たちも師匠の見よう見真似で覚えたことも少なくないし、知っててもおかしくないよね。
「ちなみに、フランベ技法とは、調理の手法のフランベとやり方が似ているところから名づけられています。しかし、調理は香り付けを、調薬は温度変化を狙っているという点で、大きく違いますがね」
さて、とルツナ先生は僕の手から薬瓶を二本とも取り上げる。
「皆さんもできたころだと思いますので提出してください。提出した人から今日の午前の授業は終わりとします」
ルツナ先生がそう言うと、バラバラとみんなが薬を前に提出しに行く。広い教卓には、いつの間にか大きな箱が二つ用意されていた。みんなが提出し終えると、大きい箱には隙間なく薬瓶が詰まっていた。
薬瓶がいっぱいに詰まった箱を見て、ルツナ先生は満足げに頷くと、「そうそう」とうっかり忘れていた何かを思い出したように告げる。
「出していただいた薬の出来を見て、三組に分けます。これは指導をやりやすくするために分けるものなので、定期的に組み分けは変わります。初回の分け方は『壊滅的』『下手』『それなり以上』です」
何それっ。聞いてないよ。それに、『壊滅的』『下手』『それなり以上』って……。もう少しマシな名前の付け方はなかったのかな。
……『それなり以上』の組になっているといいな。みんなそう思っているだろうけど。
「組の発表は明日、掲示板に張り出しますので確認しておいてください。以上で午前の授業は終わりです。解散」
こうして、午前の授業は生徒に大きな衝撃を残して終わった。
お昼休憩を挟んでの午後の授業は全然分かんなかった。
薬学の知識を見るための筆記試験だったんだけどね。だって、師匠は全く教えてくれなかった分野がいくつかあったんだ。薬学の歴史なんて知らないよ。歴史上有名な薬師とか、薬学の発展に寄与した貴族や商人とか、そんなの教わってない!
調薬理論の問題は解答欄をびっしり埋められたから、前半真っ白で後半真っ黒な状態で時間切れだったよ。
うう、こっちも結果が不安だ……。