花の月 壱雨の日 今日から学院の授業が始まった (2)
薬草園の手入れを終えると、授業があるから教室棟へ向かう。
古典科と魔術科、精錬科はそれぞれ棟が違うので、イェリとは薬草園の前で別れた。
今日の午前の授業は魔術技法の実習だ。何をやるのか、今から楽しみでしかたがない。師匠が勧めてくれた学院なんだから、きっと楽しい授業なんだろうな。
薬草の手入れで楽しくて、わくわくした気持ちを持ったまま教室に入った。
教室はざわめいていて、他の人たちの期待と緊張が感じられる。
僕も一人だと寂しいので、だれか話し相手を見つけようとした。けれど、みんな僕と目が合うと露骨にそらすんだ。
やっぱり、一人だけこんなに年下だから浮いているのかな。
仕方がないので、空いていた前のほうの席に、一人ぽつんと座った。
一人は悲しいよー、先生早く来てー。
僕が席について間もなく、がらりと教室の前の扉があいて、老年の女性が入ってきた。この人が先生かな。白い髪をきつきつの一つまとめにして、厳格っていうかすごく怖そうな雰囲気。
その人が入ってきた途端に教室中がしんと静かになって、みんなその人に注目した。
その先生らしき人は、カツカツと足音を立てて教卓まで歩いていくと、脇に抱えていた数冊の本を教卓の上に置く。
そしておもむろに僕たちの方へ向きなおった。
「初めまして、みなさん。入学おめでとうございます。私は魔術技法実技の担当をするルツナ・フェーフォンといいます。よろしくお願いしますね」
ルツナ先生はニコリとも表情を崩さず、一息に挨拶をする。なんだか怖そうな人だなぁ。
「それではさっそく授業を始めます。
今日はあなた方の調薬技量を見るために、簡単な調薬をしてもらいます。試験と思っていただいて構いません。
作るのは下級風邪薬と下級傷薬です。流派ごとに色々と処方に違いはあるかと思いますが、今回は一番基本的なものに限らせてもらいます。また、精錬技法の使用は禁じます。以上、何か質問はありますか?」
ぽかーん。
なんだかてきぱきと話が進みすぎて、付いていくのがやっとだ。
ええと、技量試験ってことは処方と道具が指定されるってことなのかなぁ? あと、時間制限とかもあるのかな? 精錬しない調薬なんてここ数年してないけど、どうしよっか。
他の人はどうなんだろうかとあたりを見回してみるけど、誰も戸惑った様子を見せていない。さすが年上の人と言うべきなのか、さすが都会の人と言うべきなのか。都会はこれが当たり前なのかなぁ?
「ないようですね。
使える材料は、下級風邪薬はカルミオエル草とエボレ草、ミミコア草、イツユ草。下級傷薬はキュディシー草とクリクの実、タオ肝。これだけに限定します」
僕が普段使っている処方とずいぶん材料が違うや。上手く作れるかな?
「調薬道具はあなた方個人のものを使っていただいて構いませんし、学院では道具の貸出もしているので使いたい道具があれば申し出てください。また、薬草は薬草園からご自分で採取してきてください。クリクの実とタオ肝は材料庫にありますので、これもご自分で取ってきてください。
では、始め」
一斉に生徒たちが立ち上がった。材料を取りに行くために教室を出ていく。
皆すごいなぁ。もう、どう作るのか方針ができたのか。
僕はどうしようかな。
下級風邪薬は、まずカルミオエル草を粉末にして、魔術でヤフ・カルミオ粉末にするでしょ。本当ならイツユ草は精錬したいところだけど……。
「あなたは行かないのですか?」
あ、ルツナ先生。
顔を上げて見回すと、教室にいるのは僕とルツナ先生だけだった。
「どうやって作ろうか算段してたんだ……です」
「特に変わった材料は指定していないと思いましたが」
「いつもは精錬技法も使っていたから、それを使わずにどうやろうかって。精錬する場合と材料も結構違うし」
僕がそう言うと、ルツナ先生は目を軽く見開いた。
あの僕、悪いことは言ってない、よね?
「精錬技法も使えるのですか。さすが彼の弟子ですね」
うわっ、ルツナ先生も師匠のこと知ってるんだ。この様子だと、学院の先生全員が知っていてもおかしくないかも。
でも、精錬技法もつか使えるのって普通だと思うんだけどなぁ。精錬技法も魔術技法も、魔法を使って調薬するって点では同じだし。
「それで、方針は立ちましたか?」
「うん。下級風邪薬は、ヤフ・カルミオエル粉末に、乾燥エボレと乾燥ミミコアを4:2:1で混ぜるでしょ。で、生イツユを水に入れて、魔力を加えながらすりつぶす。これらを混ぜて完成、ってとこかな」
うん、これが今の僕にできる最良の方法かな。これなら精錬技法を使った時には劣るけど、それなりの品質の物ができるはずだ。
「ちょっと待ちなさい」
ルツナ先生から待ったがかかった。
あれ? 何か拙かったかな?
「それでは中級風邪薬になってしまいますよ」
あ。しまった。
技術力の確認って言われたから、出来ること全部詰め込もうとしてたよ。自分が作りたいものじゃなくて、お客さんの注文に応えなきゃ。
あぶない、あぶない。
「水を加えた薬草に対して魔術技法を使えるのは大した技量ですが、それでは品質が指定等級より高くなってしまいます」
だよね。それじゃあ……。
「水を加えずに、ヨフ・カルミオエル粉末に、エボレ、ミミコア、イツユを全部生で5:3:1:2で混ぜる?」
「ええ、それなら下級風邪薬になりますね」
「じゃ、これで作るか」
材料を取ってこようと席を立とうとしたところで、また「待ちなさい」と声を掛けられてしまった。
今度は何なの、ルツナ先生?
「下級傷薬はどう作るつもりですか? 中級薬になるような製法ではありませんよね?」
あ。
ええと……その……。
「ありがとう……ございます、ルツナ先生」
そう言うと、大きな溜息をつかれてしまった。
「それで、どういう処方で作りますか?」
ルツナ先生は、呆れているというか、疲れているというか、力のない声で僕に問いかける。
「クリクを炒って、タオ肝のエキスと混ぜるでしょ。ここで魔力を加えたら中級薬になっちゃうから加えずに。これとヨフ・キュディシー粉末を混ぜて完成!」
「そうですね、それなら下級傷薬ができますね。あなたの技量次第ではぎりぎり下級薬という品質になりそうですが」
え? これっていかに下級薬ぎりぎりに調薬できるかを見るものじゃないの?
僕がきょとんとしてルツナ先生を見返すと、ルツナ先生はハッと弾かれたように口を開いた。
「あ、いえ、気にしないでください。ただの独り言ですから。さすがにこの処方で下級薬ぎりぎりに調薬するのは無理がありますよね」
あらら。どうやらできないから、きょとんとしていたって認識されてしまったようだ。
ま、いいや。実際に作って見せればいいだけだし。
「方針が決まったら、材料を取りに行きなさい。早くいかないと、いいものは先に取られてしまいますよ」
「はーい」
この処方なら、手持ちの道具で足りる。取りに行くのは材料だけで大丈夫だ。
僕はルツナ先生に見送られて、教室を後にした。
僕はまず、材料庫に向かう。
材料庫は学園でも北側の日の当たらない場所に建っている。土壁の上から漆喰を塗ってある、材料庫にするにはもったいないほどの土蔵である。中は広く、うっかりしていると迷いかねないほどだ。
材料庫の中にはもう誰もいなかった。
僕が教室を出たの遅かったからなぁ。
材料庫の中からクリクの実とタオ肝を探す。あ、エボレ草とミミコア草の乾燥粉末があった。でも、この二つは生で使いたいからなぁ。残念。
お、奥の方からするこの特徴的なにおいはタオ肝では? やっぱりそうだ。タオ肝発見!
後はクリクの実なんだけど……。見つからないなぁ。
壁一面に作り付けられた、僕の背より高い薬棚を舐めるように見回して、探していく。
クリクの実、クリクの実……。
あ、あった。クリクの実の棚、発見。
急いてごそごそと引き出しを開ける。しかし中身は空っぽだった。
うそっ。どうしよう……。クリクの実がないと課題ができない……。
もしかしたら薬草園の方に、クリクの木があったかもしれないと思い、僕は薬草園に向かった。
今朝も思ったけど、ほんとに立派な薬草園だ。何百という種類の薬草が植えられている。この広大な学院の半分近い面積に当たるんじゃないだろうか。
薬草園にはまだちらほらと生徒が残っていた。
僕も採取用のナイフを取り出して、薬草を採取する。エボレ草にミミコア草、キュディシー草にカルミオエル草と……あ、イツユ草もあった。
クリクの木は……、きょろきょろと辺りの木を見回していく。これじゃない、あれでもない……。
あ、あれだ! よかった。やっぱりあったよ、クリクの木。
クリクの木が見つかって、僕はほっと胸をなでおろした。
クリクの木は背が高い。僕が背伸びをして届くような高さに枝葉はなく、実を採ろうと思ったら木を登らなければ採れない。
僕は採取した薬草を木の根元に置いて木にしがみつくと、よじ登る。
一番下の枝にたどり着くと、大して太くない枝を折らないよう気を付けながら、枝の方に身体を移していく。
実をもごうと手を伸ばしたが、その手が止まった。
青い。
村とは気候が違うからか、村では今の時期なら程良く熟していたのに、学園のクリクはまだ青いままだ。
これでは薬に使えない。
クリクの実は熟すことで、薬効を抑える成分が減る。逆に言えば、青いままだと薬効を打ち消してしまうのだ。
精錬技法が使えれば、有効成分だけを取り出すこともできるのだが、今回は使用が禁じられている。
どうするべきか……。
仕方がない。先生にお願いして精錬技法を使わせてもらうか、誰かに熟したクリクの実を分けてもらおう。
僕はそう考え、青いクリクの実を手に教室に戻った。