花の月 壱蔭の日 イェリの日記 / アルの日記
◇ イェリの日記 ◇
今日は王立薬学院の入学式だった。
本当はここに入学するの、あんまり乗り気じゃなかったんだよね。
師匠に勝手に決められた入学だし、私たちに入学許可証を渡してきたときの態度がひどかったし。
だって、入学式の二か月前に何の前触れもなく、いきなり「君たち、王立薬学院に入学することになったからねぇ」だよ!? まるで「今日は晴れだねぇ」とでもいうような口調で。もうどこから突っ込めばいいのやら。
まず、うちの村から王都まで二か月掛かる。つまり、入学式ぎりぎりの日程で入学を告げてきたのだ、あの盆暗は。準備をする時間くらい与えて欲しかった。仕方がないからカイと二人、急いで用意して、慌てて王都に向かったよ。
そして、入学するしないは本人の意向を確認してから決めようよ、師匠。
いくら師匠の推薦さえあれば入学許可証が貰えるとはいえ、本人に無断で入学させるなんて、いくらなんでも酷すぎるよ。
まあ、あのうっかり屋のことだから、うっかり私たちに聞くのを忘れてたとか言われても驚かないけど。それとも、聞いたら行きたくないって言うことを見越して聞かなかったのかな?
どちらにしろ、入学に間に合わないとか、王都で住むところがないとか、収入の当てがないとか、そういった致命的なうっかりだけはしないのは師匠らしいけど。
そんなこんなでいやいやの入学だったけど、入学してよかったと思えることがあった。
それは、アル先輩に会えたことだ。
アル先輩は片眼鏡の似合う知的で品のある格好いい人で、どんなことにも穏やかに答えてくれる優しい人で、私たちの知らないことをたくさん知っている賢い人。
今日会ったばかりだけど、アル先輩は、あんな人になりたいと思わせる理想的な、憧れの人だ。
だからこそ、専門が違うのは非常に残念だ。カイが羨ましい。
アル先輩は、年下の私たちにも丁寧に接してくれた。アル先輩は、田舎者の私たちに学院の常識を教えてくれた。あれで私たちと二歳か違わないなんて信じられない。
私も、アル先輩のように、後輩から憧れられるような人になりたい!
これが、私の学院生活を通しての目標だ。
それに比べてカイはどうしてあんなにもトロいのかな。
王都の通りを歩くだけで何度もスリに狙われるし。ま、キト熊も狩れなさそうな都会の軟弱野郎に引っかかるようじゃ、田舎の薬師はやってられないけどね。
それにしても、学院では学科が違うので別行動になるから、あのトロさで他の人たちに迷惑を掛けないか心配だ。姉貴分としてはカイにずっと付いていてやりたいくらいだよ。
ま、とにかく、せっかく学院に入学したんだから、目一杯学院生活を楽しんでいこうっと!
◇ ◇ ◇
◇ アルの日記 ◇
今日は学院の入学式だった。
入学式の手伝いに駆り出される破目になって非常に疲れたよ。
なんで俺がこんなことをやらされなければいけないのだろう。
新入生のほとんどが俺よりも年上だからやりづらいことこの上ない。新入生たちは俺を在学生だとは思いもせず、邪魔な子ども扱いをしてくる。
俺は上級生だぞと何度大声で訴えたくなったことか。
しかも、俺が在学生だと知ると露骨に態度を慇懃無礼だろうってくらい変えるのに、内心はずっと疑っているのが丸分かりだ。
俺を子供だと思って侮りすぎだろ。子供相手に内心を悟られるなよ。
だが、最も印象的だった新入生はそんなくだらない奴らじゃない。そんなのは学内に掃いて捨てるほどいる。
なんと、俺よりも年下の新入生がいたんだ。
カイ・テータ君とイェリ・シェシー君。それぞれ魔術薬学科と精錬薬学科の新入生。13歳だという。
普通ならようやく薬師に弟子入りするかしないかといった年齢だ。そこから師に認められて学院に入学できるまで平均して10年前後かかる。
彼らは一種の天才、それも運に恵まれた天才なのだろう。一級三種を持ち、僻まず弟子の才を認める師に出会えた運。弱冠13歳で診療所を開設できる程まで腕を上げられた才。
まあ、それを知らなければ、常識すら知らないただの田舎者だが。
しかし、それ以上に彼らに対してふざけるなと叫びたくなることがあった。
彼らは魔術薬学や精錬薬学を古典薬学より簡単だなどと言い放ったのだ。しかも、魔術薬学や精錬薬学は感覚でできるから楽などと!
古典薬学は、ほんの少しなら分量比が変わっても効能にさして影響はないが、魔術薬学や精錬薬学は違う。
魔術薬学は、少しでも加える魔力量を間違えると全く違う物質になってしまう。
精錬薬学は専門でないから詳しくは知らないが、それでも魔力操作を誤って間違った成分を少しでも破壊してしまったら、効能が失われてしまうことくらい俺でも知っている。
そんな繊細な技術と豊富な知識が要求される魔術薬学や精錬薬学の製薬調合を、感覚でやっているなど危うくて仕方がない。それ以前に、すべての薬師を侮辱する言葉にすらなる。
カイ君には妙に懐かれてしまったし、イェリ君にはどうやら好かれているみたいだから、そのあたりのことを忠告してみよう。自分たちが田舎者で何も知らないって自覚もあるようだし、きっと素直に聞いてくれることだろう。
そして、たいていの新入生は一級薬師を目指すとか、オリジナル処方を作れるようにという先生の言葉を聞くと驚くのが常だ。
俺だって驚いた。様々な処方を教わって、一人前になれるのがこの学院だと思っていたから。
一級なんて、一つも取れずに生涯を終える薬師も珍しくない。それを、当然のように目指すと言われたら言葉が出ないほど驚愕するのが普通だ。
え? どのくらい一級が難しいかだって?
……そうだな。二級を一つでも持っていれば貴族のお抱えになれると言ったらそのすごさが分かるかな?
とにかく。そんな信じられないほど高度なことを、さも当たり前のように目標として掲げられたというのに、カイ君は戸惑う様子もなく受け入れていた。
やはり、一級三種の師を持っていると、こういったところで感覚が違うのだろうか。
初めてできた同格で、なにより初めてできた年下。
俺は一人っ子だし、兄弟弟子にも俺より年下の人はいない。
だからだろうか、まだそんな深い関係ではないのに、なんだか可愛く思えてくる。
イェリ君から向けられる尊敬と思慕はなんだかくすぐったいし、カイ君の生意気ささえ微笑ましく思える。
俺も今までこういう風に他の人から思われていたのかな。
彼らに実力で抜かされないよう、そして彼らが誇りに思ってくれる先輩で在れるよう、一層努力していかなきゃな。特に同じ学科のカイ君には負けるわけにはいかない。
診療所を手伝っていた彼らと違って、まだ自分の薬を売ったことのない俺は経験で負けているかもしれない。だけど俺は一年長く学院で学んでいるんだ。そうそう劣るはずがない。
先輩として彼らを導ける存在でありたいと思うし、同じ学院で学ぶ者として切磋琢磨していきたい。
これが俺の今年の目標だ。
◇ ◇ ◇