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花の月 壱蔭の日 今日は王立薬学院の入学式だった (2)

 入学式の後は、学科に分かれての入学説明オリエンテーションになった。

 学科ごとに今後の学習内容の説明と、明日の授業についての連絡を聞くらしい。

 イェリとは学科が違うので、説明オリエンテーションが終わるまでここでお別れだ。

 よく知らないところでバラバラに行動するのはとても不安だけど、これからこうゆうことが増えるんだから慣れなくちゃ。


「イェリ、僕がいなくてもしっかりやるんだよ」


 イェリの肩に手を置いて、キッと目を合わせる。

 おにーちゃんは(イェリ)が心配です。

 しかし、僕の手は肩の持ち主に払いのけられてしまった。


「カイに言われたくないわよ」


 僕には言われたくないって、どういう意味だよ。

 非常に不本意だ。

 いくらトロいからってそこまで言うことないじゃないか。

 僕だってもう子供じゃない。


「だってイェリ、緊張すると変な大ポカするじゃん」


「うっ、それは……」


「だから、緊張しすぎないようにね」


「分かったわよっ。カイも、トロいことやって他の人に迷惑かけないようにね」


「うん、気を付けるよ」


 ほけっと笑ってうなずいた。

 分かってるって。

 何年トロいって注意され続けてきてると思ってるの。


「あんたには言っても無意味だったわね」


 イェリは呆れた溜息と共にそんな言葉を吐き出した。

 何故だ。

 僕たちは、説明オリエンテーションが終わった後にどこで合流するかを打ち合わせると、それぞれの説明会場に分かれていった。


「ってほら、カイ、早くしないと魔術科の人たちみんな行っちゃうよ」


「うわっ、しまった。それじゃあ、イェリ、またあとでね」


「分かったから早く行きなさいって」


 イェリに軽く手を挙げて返事をし、僕は指定された講堂に急いだ。




 講堂発見。

 後方の扉を開けて急いで飛び込む。


 その講堂は入学式で使った講堂よりは一回り小さかった。しかし人数が入学式の四分の一程度であるため、幾分か余裕がある。

 講堂の後ろには、係員だろうか、生徒らしき人たちが数人並んでいた。


 僕はその中に一際小柄な人影を見つけたので、折角だから挨拶をすることにする。

 まだ説明オリエンテーションが始まらなくて暇だし。


「アル先輩、お疲れ様です」


 努めて笑顔で話しかけると、何故だか一瞬だけ嫌そうな顔をされた。


「ああ、さっきの。確かカイ君だっけ」


「あ、覚えててくれたんだ」


 覚えていてくれたことが嬉しくて殊更に笑顔を深めると、アル先輩は、さすがにね、とどこか疲れた顔をした。

 何故だろう。


入学説明オリエンテーションが始まるまで暇だから話し相手をしてくれないですか?」


「君って、顔に似合わず図々しいね」


 アル先輩は呆れたようにそう言った。

 いやぁ、照れるなぁ。

 顔に似合わずって、僕はそんなに格好いい顔をしてるのかぁ。

 ふと、何かに気づいたようにアル先輩が僕の顔を凝視する。


「そういえば、君たちの師は誰なんだい?」


「師匠? なんでそんなことを?」


 師匠なんて聞いてどうするんだろう。どうせ知らないだろうに。それに師匠のことって、僕たち自身とは何の関係もないように思うんだけど。

 そう思って問い返すと、この田舎者がって感じの笑顔を作られた。

 それでも教えてくれるんだから、優しいよなぁ。


「ああ、君は知らないのか。

 薬師にとって最も大切なのは薬の処方(レシピ)だろう? それは師から弟子へ受け継がれていくものだ。だから、師を見れば弟子の将来が分かるとまで言われる。

 そう言う理由から、薬師同士で自己紹介する時には、師の名前を言うんだ」


「へえ、そんなそんな習慣があるんだ」


 とりあえず頷いておく。

 都会のことはさっぱりわからないや。

 処方(レシピ)なんて自分で考えるものだと思っていたよ。

 田舎と都会で薬師の常識もずいぶん違うんだなぁ。


「ああ、後、師匠の薬師等級も合わせて言うことが多いよ。これらは薬師の常識だから覚えておくといい。

 薬の知識だけ豊富でも、常識を知らなければいい薬師だとは言えないからね」


「へえ。えと、じゃあ、僕たちの場合……師匠は一級薬師の……」


「一級、だけじゃわからないよ。一級古典薬師? 一級魔術薬師? それとも一級精錬薬師?」


 アル先輩はあからさまに作った笑顔だったのに、僕の言葉を聞いて、急に真剣な色をその瞳に浮かべた。

 一級って言葉がアル先輩の琴線に触れたのかな?


「確か、全部の資格持ってるって言ってた」


「まさか、全部一級なのかい?」


「うん。それって凄いことなの?」


「今この国で一級三種を持ってる薬師は、三十人程度しかいないよ!」


 この国に薬師が何人いるのか知らないけど、三十人のうちの一人ってことは結構すごいことなんだろうなぁ。


「へー、師匠ってそんなすごい人だったんだ」


「それで、君の師は(いず)れの方なんだい?」


 アル先輩はわくわくした顔で僕が答えるのを待っている。

 ってかそんなに顔近づけないでよ。すごく興味があるのは分かったから。


「師匠の名前は……」


「お師の名は?」


 ええと……、師匠の名前、師匠の本名は……、確か…………。


「………………あ、忘れた」


 僕がそう言った瞬間、アル先輩はすごい顔をした。

 愕然って言葉が一番近いけど、そんな言葉じゃ言い表しきれないような、そんな表情だ。


「はぁ!? 自分の師匠の名前だろう!?」


「や、だっていつも師匠のことは師匠って呼んでたし。イェリなら多分覚えてると思うけど……」


 アル先輩はふらり、と額を押さえて後ろの壁に寄り掛かる。


「信じられない。薬師の卵ともあろう者が一級三種の師匠薬師の名を忘れるなんて……」


 そんなに衝撃的なことなのだろうか。

 普段から呼んでなかったら忘れるにきまってるじゃないか。

 そこまで言うくらいだったら、アル先輩の師匠も有名な人なのだろうか。それともそうじゃないから、こんなにも僕の言葉に衝撃を受けてるのかな?


「そういうアル先輩の師匠は誰なの?」


 いまだに衝撃から回復しきれていないアル先輩に聞いてみた。

 すると恨めしそうな目でこちらを睨んでくる。

 何がそんなに気に入らないんだろうか。師匠を聞くのが挨拶だっていうから聞いてみたのに。


「俺のお師様はキユゥ・エクス。二級魔術薬師兼二級古典薬師だ。苗字が俺と同じなのは俺の伯母だからだ」


 アル先輩は自慢げに自分の師匠を紹介する。きっと誇れる師匠なのだろう。

 羨ましい。

 僕たちの師匠はぐーたらで、人様に胸を張って紹介できるような人じゃないからなぁ。

 だって僕が『この師にしてこの弟子あり』って言われて、イェリが『師を反面教師とした成功例』って言われているんだよ!




 そうこう話しているうちに講堂の前の扉が開いて先生らしき人が入ってきた。

 黒ベスト姿のナイスミドルだ。


「カイ君、先生がいらっしゃったから早く座ると良い。入学説明オリエンテーションが始まるよ」


 アル先輩、僕を体よく追い払おうとしてない? そんなに僕が鬱陶しかった?ま、いいや。大人しく席につくよ。

 先生は講壇に上がると、ぐるりと見回して一つ頷いた。


「全員そろっているようだな。ではこれより入学説明オリエンテーションを始める。私は魔術科主任のメディオル・マグリタだ」


 メディオル先生はそう言って講堂中を睥睨した。


「まず初めに言っておく。ここで様々な処方(レシピ)を教わることを期待しているかもしれないが、基本的に処方(レシピ)を教えることはない。秘匿する必要のない、教えられる程度の処方(レシピ)ならば君たちはすでに知っているだろうからだ。そして秘匿処方(レシピ)を知りたいならば君たちの師から教わればいい。

 だからこの学院では処方(レシピ)を教えるなどといった無駄なことに時間は割かない」


 確かに処方(レシピ)を教えてほしいとは思わないな。

 処方(レシピ)なんて、所詮、基本の作り方でしかないから、あまり役に立たないんだよな。

 患者さんごとに症状も体質も少しずつ違うから、結局手さぐりで一から作った方が早いし。


「ではここで何を教えるのか。それは処方(レシピ)の作り方だ。

 オリジナル処方(レシピ)を持っていることが一級の薬師の条件と言われるほど難易度の高いことではあるが、ここは一級薬師を育てることを目標にした学院だ。そのために必要な知識や技術、薬材料は沢山ある」


 それは嬉しい授業だな。

 処方(レシピ)を一から作るのはとても大変な作業だから、それを簡単にする方法を教わりたいよ。


「そして、それと共に製薬技術の向上を目指す。君らも分かっている通り、調剤に失敗することほど無駄な金が飛ぶことはないからな。それに、同じ薬でもより正確につくることでより高い効能が得られる」


 うんうん。

 処方(レシピ)を作っても、自分ひとりじゃ作れないほど要求技術が高い、っていうのはめちゃくちゃ悲しいことだからなぁ。

 師匠にも何度注意されたことか。


「この二種類の授業を通して、一人前の薬師となって巣立っていってほしい」


 メディオル先生がそこで数拍置くと、周りがざわざわしだした。

 何だろう?

 そんなにメディオル先生の言ったことが意外だったのだろうか?

 都会の人って本当に難しい。


「静かに。では詳しい説明に入る。入学許可証と一緒に送られた入学案内を出してくれ」


 え゛。

 なにそれ、知らない。もらってないんだけど。


「あのぉ」


「なんだね」


「入学案内、もらってないんですけど」


 僕がそぉっと手を上げて言うと、メディオル先生は露骨に呆れた顔をした。


「素直に持ってくるのを忘れたと言いなさい」


「いえ、本当にもらってなくて」


「そんなはずはない。全員に入学許可証と一緒に、それぞれの推薦者である師に送付しているんだ。

 それとも君は、君は師が渡すのを忘れていたとでも言うのかね?」


 そういうことか。それなら多分……。


「あ、はい、多分、師匠が忘れてます」


 メディオル先生の眉がきりりと吊り上がった。


「他人の、それも自分の師のせいにするとは。ずいぶんと若いが、若いからといって許されることではないぞ。

 君、名前は?」


「カイ・テータ」


「ふむ、カイ・テータ君か。君の師は……」


 そう言って、メディオル先生は手元の名簿らしきものに目を通した。ぺらぺらと名簿をめくっていく。

 そして僕のことが載っているであろう頁に来ると、ぴたりと手を止めてじっと頁を凝視する。

 名簿と僕を見比べたかと思うと、いきなり頭を下げた。


「…………すまない。変な嫌疑を君にかけてしまったようだ。おそらく君の師が忘れていたのだろう」


 メディオル先生はうちの師匠と知り合いらしい。師匠のうっかり具合をよく知ってるみたいだ。

 師匠はこの学院の卒業生らしいから、知っていても不思議はない。


あいつ(・・・)の弟子とは大変だな、君も」


「いえ、師匠のことは大好きだから苦じゃありません」


 僕が本心からそう言うと、メディオル先生は相好を崩した。


あいつ(・・・)もいい弟子を持ったな」




 入学説明オリエンテーションはそれから一刻ほど続いた。

 いい加減疲れたよ。欠伸が出そう。


入学説明オリエンテーションはそれから一刻ほど続いた。

 いい加減疲れたよ。欠伸が出そう。


「以上で今日の予定はすべて終了だ。解散」


 ああ、やっと終わった。帰るか。イェリも待ってるだろうし。

 あ、そうだ。


「アル先輩」


「また君か、カイ君」


 だから、そんなに嫌そうな顔しないでよ。

 むしろ、お礼をしようと思って声を掛けたんだから。


「今晩うちに来ない? 今日はお世話になったしご馳走するよ」


 イェリが。きっと張り切ると思うよー。今日の食事当番はイェリだし。


「君たちの家に? いや、いいよ。……そう言えば君たちは下宿しているのかい?」


「家を借りてるんだ。そこで診療所を開く予定なんだよ」


 師匠がそれで生計を立てろって。

 ちょっと放任主義的過ぎると思わないかい?

 学院に通いながら診療所を開くって、かなり無茶だよね。


「診療所を? まさか君たちだけで?」


「そうだけど?」


 何かおかしなことでもあっただろうか。

 僕はきょとんとした。

 これでも村では普通に診療所で働いていたんだけどなぁ。

 あ、そっか。学院生徒の身分なのに診療所を開くことがおかしいのか。


「診療所開設の許可証はあるのかい?」


「許可証?」


 え、学院生徒だからって話じゃないの?

 それなら確かイェリが持ってたはずだけど。

 そう思い答えようとしたその瞬間、横合いから声を掛けられた。


「何の話してるの?」


「あ、イェリ」


「遅いから来ちゃったわよ」


 アル先輩に会いたかったからじゃなくって? そんなに話し込んでなかったはずだぞ?


「ごめん、アル先輩と話してて」


「あ、アル先輩。こいつが迷惑かけたりしませんでしたか?」


「いや、大丈夫だよ。イェリ君はまるでカイ君のお姉さんみたいだね。しっかりしてる」


「あ、ありがとうございます」


 好きな人から褒められれば嬉しいだろうけどさぁ、それ、どう聞いても社交辞令なんだけど。

 それでもいいのか、恋する乙女。

 というか、僕の方が兄貴のはずなんだけどなぁ。誕生日早いし。薬作るのも僕の方が巧いのになぁ。


「それで、さっきまでカイ君と話していたんだけど、診療所を開設するって?」


「はい、『アウィ村出張診療所』という名前で開く予定です。アル先輩も、ぜひ開店したらいらしてください」


 にこにこと笑顔を振りまくイェリとは対照的に、アル先輩は心配そうな表情だ。


「それなんだけど、許可証はあるの?」


「はい、師より預かってます」


「ちゃんと君たちの名前で取ってる?」


「もちろんです」


 僕もちゃんとそう答えようとしたのに。

 これじゃあ僕が記憶力悪いみたいに思われないだろうか。


「そっか、それならよかった。カイ君に聞いても知らなそうだったから」


 あ、やっぱり思われてた。

 失礼な。

 イェリが来た瞬間には知ってるって答えようとしたんだぞ。


「ちょっと、カイ。出掛けに師匠がちゃんと渡してくれたじゃない。なんで忘れるの」


「ごめんごめん。ちゃんと思い出したよ」


 はあ、これじゃあ僕が馬鹿みたいだ。

 こういうところがトロいんだよなぁ、僕。


「まったくしっかりしてよね」


「うっかりしてたよ」


「あんたのトロさに比べたら、同じうっかり屋でも、こういう致命的なうっかりをしない師匠の方がまだましよ」


「僕もそう思う」


 それには全面的に同意します。

 くすくす、と笑い声が隣からした。

 またアル先輩に笑われた。


「君たちは本当に仲がいいね。……開所はいつなの?」


「五日後の陽の日です。しばらくは学院が休みの時だけの営業です」


「ふーん、そっか。……それじゃあ俺はこれで。開所したら寄らせてもらうよ」


「ありがとうございます。さようなら」


「お金落としてってね。さようなら」


 いてっ、つねられた。本心言っただけなのに。

 軽い冗談じゃないか。アル先輩も笑ってくれているし、いいでしょう?


 アル先輩と別れた後、僕らも帰路についた。まだ家具も揃っていない新しい家に向かって帰る。

 往路とは違って僕たちの足取りも軽い。アル先輩みたいな人がいるなら、学院もきっと楽しいだろう。

 綺麗に舗装された道を足音高く歩く。

 街はがやがやとにぎやかで、露天商の威勢のいい声が響き渡っている。

 露店の肉を焼く音と香りが心地良い。


 明日からの学院生活が楽しみだ。

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