花の月 壱陽の日 今日から診療所の始まりだ! (2)
カランカラン。
「いらっしゃいませ!」
条件反射的に声をそろえてお客様を出迎えたけど、すっごく驚いた。
だってその人、絵本に出てくるお姫さまみたいなんだもん。
着てるのは青くって、ひらひら、ふわふわしたドレス。頭にはドレスと同じ色の帽子。ドレスと帽子におそろいの大きな白い花を飾っている。
ふわ―、凄い人が来てくれたなー。
と思ってたら、その人の後ろから男の人がひょいっと顔をのぞかせた。お姫さまのドレスの陰に隠れて気付かなかったや。
って。
「アル先輩!」
うわぁ! 来てくれた、来てくれた!
声掛けるのはイェリに先越されたけど、僕だって嬉しいよ!
「アル先輩、来てくれたんだ! イトエリス病予防薬買わない!?」
「カイ、敬語!
すいません、アル先輩。いらっしゃいませ、来店ありがとうございます!」
痛っ。
イェリ、何も叩かなくってもいいじゃないか。
ほら~、アル先輩が苦笑いだし、お姫さまの目が冷たいよ。
「えーと、とりあえず開店おめでとう。カイ君、イェリ君。
紹介するね。前にカイ君には少し話したけど、俺の師匠で伯母のキユゥ・エクスだよ」
「はじめまして、小さな薬師さん方。
二級魔法薬師兼二級一般薬師のキユゥ・エクスよ。師は一級魔法薬師ハロン・エクスですわ」
「はじめまして、精錬科1年のイェリ・シェシーといいます。えと、師匠は一級古典・魔法・精錬薬師のシンです」
「僕はカイ・テータ。魔法科1年で、師匠はイェリと同じ……です」
イェリ、そんな睨まないでよ。ちゃんと敬語使うからさぁ。
キユゥさんが、ぱちくりと瞬いて首をかしげる。
「シン、ですか? そのような名には覚えがありませんわ」
「愛称かも知れないですけど、苗字も本名も知らないです」
ああ~、そういえばシンって呼ばれてたかも。イェリ、よく覚えてたね。僕は今の今まで忘れてたよ。
ねぇ、イェリ。師匠の名前を覚えてないってそんなにおかしなことなのかな?
キユゥさんは困ったように首を小さく傾げているし、その後ろでアル先輩は目も口も大きく開いちゃってるよ。
僕はイェリと顔を見合せる。
なんか、気まずい。
話題を変えようと、イェリが口を開く。
「あ、え、えーと。それより、何をお求めですか? イトエリス病予防薬はいかがです?」
「イトエリス病予防薬、ですか。腕に自信があるようですし、いただきましょうか」
「ありがとうございます!」
「イスとテーブル出すね!」
イェリは材料を採りに奥へ引っ込み、僕は壁に作り付けてある収納式テーブルを広げに調薬台の後ろから店内に出た。
「伯母上、イトエリス病とはどんな病気なのですか? 聞き覚えがないのですが……」
僕がイスとテーブルの準備をしてたら、アル先輩がキユゥさんにそう聞いていたのが聞こえてきた。
ガタガタとイスを引っ張り出していた手を思わず止めてしまう。
聞き間違い、だよね?
恐る恐る振り向いてみると、僕が手を止めたので不思議そうにこっちを見ているアル先輩と目があった。
イェリも声が聞こえたようで、愕然とした表情で奥から顔を出している。
「アル先輩、ホントに知らないの?」
「不勉強ですまない。良ければ教えてもらえるか?」
「腕自慢だよ。他の薬師に、僕はこんなこと出来るんだよーって、自慢するだけのための強い作用はないけど、技術がぎゅって詰め込まれた薬のことをイトエリス病予防薬って言うの」
「では、イトエリス病という病気は存在しないのか?」
「うん、ない、よ……?」
「あの、アル先輩。本当に知らなかったんですか?」
「あ、ああ。
伯母上、教えていただいたことありましたか?」
イェリの問いかけに、アル先輩は気まずそうに肯定するとキユゥさんを振り返った。
「安心なさい、教えておりませんわ。独立した薬師が薬師同士の遊びとして作る物ですもの。その予定もない貴方にはまだ早いでしょう?」
うふふ、と上品に微笑むキユゥさん。
ふーん。そういうものか。
それなら、患者さんを診たことがないらしい学生のアル先輩が知らないのも仕方ないの、かな?
アル先輩とキユゥさんをイスに座らせて、再び奥へ引っ込んだイェリの後を追った。
さて今回使うのは、キト熊の胆嚢と肝、ミトハの根、リオニステの葉、ミツル草。
材料と道具を調薬台に並べる。
イトエリス病予防薬は腕比べが目的だから、お客さんの前で作る。
これが普通の薬なら、処方を秘匿しなきゃいけないから、人前で調薬することはないんだけどね。
調薬作業は僕とイェリで分業する。
イェリが扱うのはキト熊の胆嚢。潰して同量の水を加え、沸騰しないように気を付けながら火にかける。かき混ぜながら精錬して、苦みと臭みを和らげて旨みを引き出すんだ。
僕の担当はミトハの根。これをすりおろして、みじん切りにしたリオニステの葉を混ぜる。角が立つ固さになるまで練ったところで魔術を掛ける。
まず、ミトハの凝固成分とリオニステの魔力葉酸による反応を促進させることで、ミトハの魔力を活性化させる。そして、その魔力と同量の僕の魔力を注ぎ、魔素運動による低温加圧でミトハとリオニステの成分を合成。
ここでイェリから胆嚢のスープを受け取る。これにミトハのすりおろしを入れ、全体にどろっとしたところで火から上げて、魔法で一気に凍らせる。
これでソースは完成。
僕がソースの仕上げをしている間に、イェリはメインになるキト熊の肝の加工をする。ミディアムウェルに火を通し、バーナーで表面をカリっとさせ、薄く切ってお皿に盛り付け。
これに、なるべく温度を上げないように魔法で急速解凍したソースをかけて、粗く刻んだミツル草を散らして。
キト熊の肝のステーキの出来上がり!
知らない人に僕たちのイトエリス病予防薬を出すのは初めてだから緊張する。今までは村の常連さんにしか出させてもらえなかったから。
手に持ったお皿が少し震えている気がする。
イェリがフォークとナイフを二人の前に並べて、僕がステーキの皿を出す。
「これが僕たちのイトエリス病予防薬『キト熊の肝のステーキ、ミトハソース掛け』です」
「ご賞味くださいませ」
どう、だろう。
「まあ。食事という形のイトエリス病予防薬は初めてですわ。いただきますわね」
キユゥさんがステーキにナイフを入れる。
フォークが口元に運ばれる。
「美味しいですわ。特にこのソースの青臭さ。一般の方は忌避するでしょうけど、薬師でこれを嫌う方はいないでしょうね。薬師にとってクセになる味です」
そうっ、そうなんだよ!
「美味い、が、薬臭さがなければ料理としても受け入れられるのに、な。ミトハの根を使っているにしては苦みがないが、料理として出すべきソースではないな」
あれ?
「アル先輩のお口には合いませんでしたか?」
「ああ、このソースだけを薬として出されたら飲みやすいと思うだろうが、料理という形で出されると、な」
あれれ?
アル先輩の感想、なんかおかしくない? アル先輩って、薬師なんだよね?
最初はちょっと悲しそうにしていたイェリも、きょとんとした表情だ。
思わず二人で顔を見合わせる。
「アル、口を閉じなさいな。」
キユゥさんがきつい声を出した。
アル先輩がビクッて肩を揺らす。
「これは薬師の腕試しだと説明されたでしょう? 薬師として素材の選び方やその扱い、味、技術などを評価すべきなのですわ。それができないのは、その程度の薬師と相手から判断されてしまいますよ」
キユゥさんがおもむろに僕らに向き直る。
「アルのことは目こぼしくださいな。イトエリス病予防薬の作法もまだ教えてない、見習いですの」
あ、そっか。さっきまで知らなかったんだもんね。それなら薬師らしくないもの仕方ないのか。
服薬後に解説を求められるのは、いつものことだけど、初めてのある先輩に勉強になるようにっていう注文は初めてなので、ちょっと緊張。
「キト熊が手に入ったので、胆嚢をいかに飲みやすくするか、を今回は主眼にしています。味の強いミトハの根とミツル草を合わせることで生臭さを抑えました。効能は精力剤ですが、精錬後に凍らせて、リオニステの葉を組み合わせることで薬効を打ち消してあります」
「薬師じゃない人に出すときは、リオニステの葉を塩水であく抜きしてから炒って混ぜてるんだけど、キユゥさんとアル先輩は薬師だからこっちのがいいかなって思ったんだ」
「すまない、不勉強で申し訳ないのだが、なぜ薬師ならば青臭さが残っているほうがいいということになるんだ?」
アル先輩が訊いてくる。
「イトエリス病予防薬は遊びだから。遊びで人体に影響のあるものを供するのは腕が悪い証拠になっちゃうんだよ。一番大切なのは効能のない薬としての完成度で、次に技量、味の順番かな」
「薬師に供する場合は味よりも優先するものがある、ということか」
キユゥさんもが訊いてくる。
「薬師ではない方に、イトエリス病予防薬を提供していたのですか?」
「師匠が、薬師相手に出すのはまだ早いって、村の常連さんにしか出させてもらえなかったんです。ですので薬師の方に召し上がっていただくのはお二人が初めてなんです。いかがでしたか?」
イェリの問いに。
そうねぇ、と。
キユゥさんはナイフとフォークを取り上げ、もう一切れ、口に運びゆっくりと咀嚼する。
「キト熊の扱いも文句なし。一般に毒草と言われるミツル草を生で添える技量への自信。ソースは一見奇をてらっているようにも見えるけど、基本に忠実な調薬だわ。小さな生命ある薬師さんたち」
生命ある薬師。
これはイトエリス病予防薬の試しで相手に送る評価の一つで、「あなたを薬師として認めます」という意味だ。
けして高い評価ではないけれど、もしもの時に僕たちの薬を服薬してもいいと思ってくれているという意味でもある。
初めて貰った僕らの評価。
薬師として認めてもらえた。
嬉しくて嬉しくて、大声で叫びだしたいけど、それは薬師としてみっともないことだから。
僕とイェリは満面の笑みでありがとうございますって、頭を下げたんだ。