花の月 壱陽の日 今日から診療所の始まりだ!
今日から開店! これが僕たちの診療所だ。
診療所は借りている家の一階部分に机を調薬台がわりに並べているだけの、普通の家だけどね。
昨日、カトラの森から帰ってきた後、イェリと二人で一生懸命作った看板も表に立てたし、準備は万端だ。
第一号のお客さんはまだかな?
あ、勿論品書表も店の中に作ったよ。手元にある薬草から作れるのなんて限りがあるからね。
ちなみに品書表はこんな感じだ。
・下級傷薬100K
・中級傷薬200K
・高級傷薬300K
・下級風邪薬150K
・中級風邪薬250K
・高級風邪薬400K
・中級胃腸薬300K
・高級胃腸薬500K
・下級頭痛薬200K
・中級頭痛薬280K
・イトエリス病予防薬1,500K
いくつかの薬屋で値段を調べてきたから、都会の基準と大きく離れてはいないだろう。僕たちの田舎よりはちょっと高めってところかな。
それから、今回のイトエリス病予防薬はキト熊の胆嚢と肝を使うから高めの値段設定にしてある。
カランカラン。
扉についているベルが鳴った。
おお、記念すべきお客さん第一号だ。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
イェリと口をそろえて挨拶する。何でも挨拶は一番大事だよね。
僕たちが笑顔で応対しようとすると、入ってきたお客さんは少し不審な挙動をした。狼狽えているというか……。
「いらっしゃいませ。本日から開店しました『アウィ村出張診療所』です」
「販売できるお薬はそちらの品書表に書いてあります」
二人そろって満面笑顔で。お客さんにお店の紹介をする。
「き、君たちが店番なのかい?」
「私たちが店長兼薬師兼店番です」
「子供が?」
お客さんは疑ってくる。これはイェリの言葉を信じていないな。
「私たちが、です。許可証もあそこにありますよ」
イェリはそう言って許可証の飾ってある壁を指差す。
「最近は診療所開設審査も随分と杜撰になったようだな。こんな子供に許可が出るなど」
お客さんは顔を歪めてそう吐き捨てた。
そりゃあ、信じられないのは分かるけどさあ、そういう言い方はないでしょう。
「キユゥに聞いてきたが時間の無駄だったようだ」
そう言い残すとお客さんは何も買わずに回れ右して帰っていってしまった。
ああぁぁぁぁぁぁぁ。
やっぱり僕たちみたいな子供じゃ信用ないのかなぁ。
カランカランと悲しく鳴る扉のベルの音を聞きながら、僕は机に突っ伏した。
「ねぇ、カイ」
イェリは、お客さんが完全に見えなくなってから僕に話しかけてきた。
「なーにー」
僕は今落ち込み中ですよー。
「キユゥって、誰?」
「は? キユゥ? 誰それ」
「さっきのお客さんが、キユゥって人に紹介されて来たって言ってたじゃない。でも私たちキユゥなんて人、知らないよね?」
「僕たち、診療所のことそんなに宣伝したっけ?」
イェリとそろって首をかしげる。
「ま、いっか」
考えても仕方がない。
次のお客さん、まだかなぁー。
「『ま、いっか』って、カイってば暢気ねぇ」
そう言うイェリも、のんびりと座っているじゃないか。
それにだって、考えてもわかんないだろ?
カランカラン。
また、ベルが鳴る。
今度はどんなお客さんだろう。
「いらっしゃいませっ」
「やあ、随分と雰囲気のある店構えだね」
にこにこ笑顔で入ってきたのはおっさん。クラートさんだ。
なんだ。愛想よくして損した。
「おいおい、顔見た途端にそんなやる気無くすなよ。仮にも客だぞ」
そう言ってクラートのおっさんは苦笑する。
「それで、何をお求めですか?」
イェリが完全に余所行きの顔で応対する。
うーん。イェリもクラートのおっさんは好きじゃないことがよくわかるよ。
「あー、とりあえず、何なら売ってるんだ? 常備薬が欲しいんだが」
「傷薬、風邪薬、胃腸薬、頭痛薬は販売してますよ。中級薬がお勧めです」
「あー、中級薬はちょっと手が出ねえなぁ」
「でも、常備薬として置いておくなら中級薬が一番保存がきくよ?」
高級薬はすぐに薬効が落ちるし高いから常備薬には向かない。そして、保存期間を考えると結果的には下級薬より中級薬の方がお得だ。
なんで知らないの? 薬師じゃなくても子供でも知ってる常識でしょ?
僕がぼそりと不思議そうにそう言うと、クラートのおっさんは目から鱗とでもいうように大きく目を見開いた。
「そうだったのか。保存期間が違うなんて初めて聞いたよ」
「いつも買う薬師さんに聞いたことないんですか?」
師匠のところでは、薬効とか保存期間とか、いろいろ聞いて比べて買うのが当たり前になってて、説明できないことがあるとお客さんからものすごく突っ込まれる。だから、薬についてこの程度の知識だなんて驚きだ。僕たちの田舎ならこれくらいのことは10歳にもなれば知ってることだよ。
都会ってこんなものなのかな。何のために診療所に薬師がいるんだろう。
「薬の知識は飯の種だぜ。弟子以外にそんな細かく教えねえよ」
「都会ではそれが普通なんですか?」
「もし君たちの田舎では違うなら、そっちの方が特殊だよ。都会に限らず、知識を無料で教えることはあり得ない」
僕は愕然とした。思わずイェリと顔を見合わせる。
さすがに配合比率までは教えられないが、材料に何が使われているのかは隠すことなく教えるつもりだった。師匠のところではそれが普通だったから。
僕は恐る恐るクラートのおっさんに聞いてみる。
「それなら、薬の材料に何が使われているのかを教えたりしたら拙いかな?」
「そうだな。客としてはありがたいが、他の薬師たちから苦情が来ることは間違いないだろう」
材料を教えると聞いて、クラートのおっさんは驚いた顔をしていたが、言葉を選んでどれ程拙いか教えてくれた。
「それなら薬効について教えるのはどうですか? 薬効を教えずに売りつけるなんて薬師としてできません」
「他のところなら金を払った後でその薬についてだけ教えるな。君たちみたいに比較して教えてくれることはない。それも金を払う前には」
そんなんじゃあ、どの薬が一番合っているのかお客さんには判断が付かないじゃないか。
過剰免疫反応でも起きたらどうするつもりなんだよ。
「そのあたりのことは薬学院で教えてもらえばいいんじゃないか?」
あまりのことに顔をしかめて黙り込んでしまった僕たちに、クラートのおっさんは取り成すようにそう言った。
確かにそうだ。薬師ではない人に文句を言うのはお門違いも甚だしい。
それでは気を取り直して、と。
「いらっしゃいませお客様。本日は何をご用命でしょうか」
にっこり。
笑顔は無料で振る舞っております。
「え、カイ君。そこからやり直すの? というか、敬語使えるじゃないか、君」
僕がクラートのおっさんへの対応をやり直すと、クラートのおっさんは悲しそうに眉を下げる。
イェリはというと、呆れたように僕とクラートのおっさんを見比べていた。
イェリ、そんなあからさまに、やれやれって首を振らないでよ。
「おすすめされた風邪薬の中級薬を貰おうかな。2つくれ。俺の分と、昨日君らも会った俺の相方の分な」
「ありがとうございます。10個で2,500Kになります」
「2つだよ! 500K!」
ケチだなぁ。そうだから甲斐性なしって言われるんだぞ。
「カイ、お客様にそんな失礼なことを考えては駄目よ」
え、イェリって心読めたの!?
「表情に出ていたわよ」
そう言われて僕は自分の頬をムニムニと引っ張った。
腹芸とか本音と建て前とか苦手なんだよね、僕って素直だから。
「君たち、客である俺を目の前にしてそのやり取りはないんじゃないかな」
「あ、すいません。はい、こちらが中級風邪薬です」
「イェリちゃんもさらりとなかったことにしないで」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「露骨に追い出そうとするのもやめようね!」
イェリの丁重な対応に、クラートのおっさんは悪態をつきながら出て行った。
何だよ、失礼な奴だなぁ。イェリが下にも置かぬ扱いをしているっていうのに、態度悪いよ。
やっとクラートのおっさんが出てってくれた。
カランカランと僕たちの心の内を表すように、軽快な音を立てて扉はクラートのおっさんを外へと誘ったのだった。
カランカラン。
クラートのおっさんが出ていってから、キユゥさんなる謎の人物に紹介されたっていう人や、掛かり付けの診療所を持たないお客さんが何人か来てくれた。
まあ、そのうち薬を購入してくれたのは半分くらいの人で、あとの四分の一くらいの人は店を覗きに来ただけで最初から買うつもりのない人だったし、もう四分の一の人は子供が店番してるからって入店してすぐ回れ右だった。
むう。仕方がないこととはいえ、年齢で否定されるのは悔しい。腕には自信があるのに。
それにしても凄いや。こんなにも薬屋がたくさんあるのに、新設の診療所にこれだけのお客さんが来るんだ。田舎とは人口が違うってことかな。
カランカラン。
他には知り合いの人たちが祝いがてら冷やかしに来てくれた。
肉屋のイズさんはクラートのおっさんと同じで中級風邪薬を買っていってくれた。イズさんも無難だろうと下級風邪薬を買うつもりで来店してくれたらしい。
高い薬をこんな簡単に買わせるなんて商売上手だな、と苦笑された。
最終的な差し引きで見れば、お客様の方が得をするように紹介しているのになぜだ。そのまま買わせた方が僕たちは得をすることになるのに。
そうイェリに言ったら、ここは都会だから他の診療所に行かれる可能性もあるからじゃないか、と返された。
なるほど。田舎には師匠の店一軒しかなかったからなぁ。
お客様が次もこの店に来るとは限らないから、一度の販売で高いものをうった方が得をすることになるのか。
他にお客さんも来ないので、イズさんとのんびりとお話しする。
イズさんのお話はお店を経営していくのにとても役に立つ事ばかりだけど、その中でも王都における暗黙の了解は知らないことばかりだった。
イズさんが言うには、このあたりは王都でも下町の方だから特別変わった規則はないって。あえて言うならって教えてもらったのは、商業組合に登録していないお店には宣伝行為に制限が掛けられるらしい。
明文化されているわけではないけど、それとなく圧力をかけられるとか。
僕は知らなかったよ。
お客さんに「仲いい人にお勧めしておいてね」って言うことは、そもそも宣伝ですらないなんて! それじゃあ師匠は宣伝をまったくしてなかったってことになっちゃうじゃないか!
カランカラン。
イズさんのお話に僕もイェリも目を白黒とさせていると、料理人のラェアさんもお店に来てくれた。
都会のことを何も知らない僕たちを見てこれはマズいと思ったのか、イズさんは僕たちの無知をラェアさんに説明すると、今度は2人がかりで懇切丁寧に箱の隅をつつくように教えてくれた。
うぅ……、ありがとうございます。お言葉に甘えて、何かあったら頼りにさせてもらいます。
ので。
今日はここまでで勘弁してください。
真面目に覚書してたイェリなんて手首押さえてるからさぁ……。
僕とイェリがぐったりとしだしたころ、イズさんとラェアさんはようやく僕たちを解放してくれた。
イズさんとラェアさんが店を出るころには、太陽は中天にさしかかっていた。
あ、ラェアさんも。中級胃腸薬お買い上げありがとう!