花の月 壱地の日 今日は薬材を集めに森に行った
今日と明日は学院はお休みだ。週七日のうち、地の日と陽の日は休みなんだって。週休って言うらしい。田舎にはない、都会特有の考え方のようだ。田舎は毎日が畑仕事や家畜の世話に忙しいから、休みの日なんて存在しないよ。だから、このお休みっていうものになれるのは大変そうだ。
今日の地の日は薬の材料を採りに行って、明日の陽の日から診療所を始めようって、前々からイェリと話していたんだよね。
だから今日は王都の外の森、カトラの森に出かけるんだ。
王都に来るときにカトラの森の横を通ったけど、植生も豊かそうだし、色々採れるんじゃないかな。
薬草採取用のナイフ、森歩き用のブーツ、薬草とかを入れる籠、弓に矢に、解体用ナイフに……。
「カイ、用意できた?」
「うん、今いくよ」
もー、イェリはせっかちだなぁ。そんなに急がなくても森は逃げないし、他の人に採り尽くされることだってないよ。
朝靄で真白に染められた街の通りを、イェリと二人でとてとてと歩く。学院へ行く時間よりもさらに少し早い時刻だ。
僕らの家は街の中心から外れたところにあるので、門まではすぐである。少し歩くと、ほら、外壁の門が見えてきた。
門の脇には壮年の男性が二人立っている。外壁の出入りを監視する門番さんだろう。
「おはようございます、門番さん」
「おはよう、門番さん」
「おはよう、坊やたち」
「おはよう。こんな朝早くから外に用事かい?」
門番さんたちは僕たちの挨拶に朗らかに答えてくれる。朝早いから誰も通らなくて暇だったんだろうな。
小太りな右の門番さんは慌てて姿勢を正しているし、がっしりとした体格の左の門番さんはあくびをかみ殺している。
「はい、森に薬草を採りに行くんです」
イェリがそう言うと、門番さんたちは顔を曇らせた。
「森って、カトラの森にか?」
「あそこは熊も出てくるから、子供だけで往くのはあまり勧められないのだが……」
えっ、熊も出るの!
やったー。熊の肝って、薬の材料として最高にいいんだよなぁ。
「大丈夫ですよ。獣を狩るために弓も持ってきてますし、魔法も護身程度には使えますから」
そうそう、村にいたころじゃ、よく肝欲しさに、僕ら二人で熊を狩っていたから大丈夫だよ。慣れてる慣れてる。
「その齢で護身用として使えるほどの魔法が使えるのか。凄いな」
「弓も相当使い込まれているし、それなりの腕はあるんだろうと思うが……」
弓や魔法に関心を示しながらも、門番さんたち、特に右の門番さんは僕たちを外に出すのを渋る。
そんなに子供だと思われるなんて、心外だよ。自分の身くらい自分で守れるさ。村から王都までの旅だって、僕たち二人だけだったんだから。それに僕たちはもう十三歳だ。子供じゃない!
「あの、それで門の外には出していただけるんですか?」
あからさまに子ども扱いされて、イェリの声も不機嫌になってきている。
というか、声が低くなってて怖いよー。門番さんたち、イェリを怒らせないで!
「あ、ああ。規則上は問題ないんだが……」
右の門番さんはイェリの不機嫌そうな声に怯むが、それでもまだ躊躇っている。
「あっ、そうだ!」
右の門番さんが僕らの相手をしている間、何事か考え込んでいた左の門番さんが急に大きな声を上げた。
僕たち三人はびっくりして、左の門番さんを凝視する。
「外門管理官の仕事に、『外壁の周囲における住人の安全を守る』ってあるよな」
左の門番さんが、右の門番さんに嬉しそうに確認を取る。右の門番さんは左の門番さんのその勢いに押され気味になっていた。
「だったら、俺がその名目で、この子たちに付き添ったらいいじゃないか!」
「なるほど! それならいいな」
どういうことだろう?
「君たち、何時間くらい森に居るつもりだい?」
左の門番さんが聞いてきた。
えっと、それがいったいどうしたんだろう?
「一刻くらいで帰るつもりですが」
「それならちょうどいい」
何が?
「そうだな。あと一刻くらいは人はほとんど来ないから、一人でもなんとかなるな」
え、まさか、もしかして……。
「俺が君たちに付き添うぜ。君たちは相当自信があるようだけど、子供だけで森に送り出すなんて危険な真似はできないからな」
やっぱり! この人、付いて来る気だ。嫌だよ、邪魔だって!
「いえ、あの、私たちだけで大丈夫ですから」
「君たちの邪魔はしない。ただ護衛させてくれればいいんだ。獣や盗賊からな」
そう言って、左の門番さんは腰の剣を軽く叩く。
本当に? そう言ってさっさと僕らを森から追い出すつもりじゃないの?
「それなら良いですけど……」
ちょ、ちょっと、イェリ。まさかその言い分信じてるわけじゃないよね。僕は嫌だよ。狩りの邪魔をされそうじゃないか。
「じゃ、一緒に行こう。それなら外出を許可できる」
……はーあ、仕方がないなぁ。そうじゃないと森に行けないなら一緒に行くかぁ。
王都の外門を出て、四半刻も歩かないところにカトラの森はある。
王都に来るときもちらりと見たけど、本当に豊かな森だ。薬の材料になる植物もたくさん生えている。
「自己紹介が遅れたな。俺はクラート・コエ。外門管理官をしている」
門番さんの名前はクラートさんといいうらしい。こんなやつ、おっさんでいいよね、おっさんで。
「私はイェリ・シェシーです。こっちはカイ・テータ。二人とも王立薬学院の生徒なんです」
「ども」
僕はイェリの紹介に合わせて軽く頭を下げた。
こういうことを疎かにするとイェリが煩いから。
「その齢で学院の生徒なのか。優秀なんだな。……今日はどうして森に?」
「門のところでも言いましたけど、薬草を採りに来たんです」
「でも、薬師なら薬草園があるだろう? それに、学院生なら学院で薬草が貰えるって聞いたことあるし」
クラートのおっさんは頭上に疑問符を浮かべて訊ねてくる。
鬱陶しいなぁ。男のくせに細かいこと気にするなよ。
「学院とは関係ないことだから、学院には貰えないよ」
「こらっ、カイ、敬語!」
「嫌われてしまったかな」
ぶっきらぼうな僕の声に、クラートのおっさんは気まずそう笑う。
その通り。嫌ってますとも。だから、いなくなってくれると、とても嬉しいんだ。
「すいません、クラートさん。でもカイの言う通りの理由なんですよね。明日から診療所を開くので、その薬材集めですから」
「ああ、なるほど。それなら学院には頼れないな」
「そうなんです。王都には来たばかりなので、薬草園の当てもないですし」
「そうか。それで、どこで診療所を開くんだい? そういえば傷薬を切らしていてな」
クラートのおっさんは齢に合わない茶目っ気を出し、イェリに向かって片目をつぶる。
こら、おっさん。僕の妹分に色目を使うな。まあ、金蔓になってくれるんならありがたく毟り取るけど。
僕とイェリは森に着くなり早速採取を始めた。薬師として、こんなに豊富な薬草を前に何もせずにはいられないよ。
ぼけっと突っ立っているクラートのおっさんを後目に、おもむろにしゃがみ込む。
イテ草にミトハの根、リオニステの葉、チチトキ草……。
おっ、ミツル草まであるじゃないか。
薬草を採っては、ポイポイと籠に放り込む。
仕訳は家に帰ってからじっくりとやればいい。今はこの目の前に山ほどある、新鮮な薬草を手に入れることが先だ。
あ、テラト草。これ、群生はしないから探すの難しいんだよな。見つかるなんて運がいい。
って、ちょっと! クラートのおっさん、足、邪魔!
もう、そんなぼけっと突っ立ってたら、護衛にすらなってないじゃないか。ただの邪魔者だよ。だから一緒に来るの嫌だったのに。
あーあ、こんだけ踏みつけられてたら薬材には使えないな。これだから素人は。
ん?
今なんか気配がしたような……。
森の奥の方からかさりと草木の揺れた音が聞こえたような気がした。確認を取ろうとイェリの方を見ると、イェリもこちらを向いている。
間違いない。何かいた。それも結構大きな獲物だ。
イェリと一つ頷き合うと、短剣を腰に差し、弓矢を手に取る。
そして、腰を落として、気配のする方をじっと睨む。
僕らがそうやって身構えていると、のんきな声を掛けられた。クラートのおっさんである。
「二人とも、どうしたんだ? そんな身構えて」
このおっさん、今の気配に気付かなかったのか。そんなんでよく門番なんてやってられたもんだ。
「大きな獲物の気配がしたんです。邪魔はしないで下さい」
イェリの声も硬く不機嫌そうだ。
当然だ。獲物に逃げられたら、おっさんのせいだからな。
「え、そんなの気付かなかったが……」
なんか言ってるクラートのおっさんは無視して、森の奥へ、気配のする方へと足を進める。
まだ木々に遮られて獲物の姿は見えない。
あと少し……。
もう少し近づくと、焦げ茶色の毛皮が見えてきた。
熊だ。
それもおそらくはキト熊。
なんて運がいいんだ。キト熊は薬にもなるが、何より肉が美味い。やったね、今夜はごちそうだ!
イェリを見ると、イェリの頬は緩んでいた。多分僕もだろうな。
よし、絶対仕留めるぞ!
緩んだ頬を引き締めると、矢をつがえる。
まずは僕から。矢に雷の魔法を付与すると、その背の首の付け根を狙って射る。矢は吸い込ま れるように、狙った場所に刺さった。
よし。雷の魔法の影響で、身体が痺れて動きが鈍くなっている。矢を射ったのがこちらだと気付いて逆襲しに来たけど、その足取りも手の動きも遅い。
一撃で仕留められなかったのは残念だったけど、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
イェリが、振り向いたキト熊の足元を狙って、氷の魔法を付与した矢を何本も射る。足元を氷漬けにするためだ。
その間に僕は、キト熊の背後へと気付かれないように移動する。
足元が完全に凍ったところを見はからって、もう一度雷の魔法を付与した矢を射かける。
そうして動きがさらに鈍くなったところを、僕は背後から解体用ナイフを手に襲い掛かる。
首を掻っ切ると、血を噴き出してキト熊は動かなくなった。
急いで首を切り落とし、血抜きをする。
血の匂いで他の獣を誘き寄せてしまわないよう、結界の魔法をキト熊の周囲に張っておく。
これでようやく一段落だ。
本当は肝臓を刺してゆっくり殺した方が巧く血抜きができるんだけど、今回の獲物は熊だからそんな悠長なことは言ってられない。だから次善の策で、首を掻き切ったんだよね。
まだまだ僕らも未熟だな。師匠なら熊だって一人で、しかも肝臓へのとどめで仕留められるのに。
「君たち、凄いな」
あ、クラートのおっさん。忘れてた。
「このくらい誰にでもできるでしょ」
そんな難しい魔法も使ってないし。
と言うか、全然護衛になってなかったよね、クラートのおっさん。キト熊と戦ったのは結局僕とイェリだし。
「いやいや、弓の腕なんて俺以上だし。魔法なんて俺は使えるうちに入らないような腕だからな。少なくとも狩りに関しては君たちに大きく劣っちまうよ」
ふーん。護衛のくせに役に立たない。そんなんでも門番は務まるんだ。王都の安全が心配だよ。
ま、クラートのおっさんは無視して。
「イェリ、血抜きが終わったら帰ろっか」
「そうね、大物も狩れたし。でも、お肉どうしよう?」
「二人じゃこんなにも食べきれないよね。燻製とか塩漬けにするしかないんじゃない?」
こんなおいしいお肉を保存食にするのはもったいないけど、仕方がないよね。それにずっとキト熊のお肉ばっかりも飽きそうだけど仕方がないなぁ。
狩るときにはそんなことまで考えてなかったし。村ではいつも近所の人たちにおすそ分けしていたから。
「そ、それなら君たち、売ったらどうだ?」
クラートのおっさんは、もったいないと顔に書いて僕たちにそう提案してきた。
売る? どうやって?
「街の肉屋に持ち込めば、きっと良い値で買い取ってくれるさ」
ああ、街には肉を扱う専門のお店とか、野菜を扱う専門のお店があったっけ。みんな自分の畑とか持ってないから、そういったものが必要になるみたいだね。
僕らも王都に来てからは、そう言ったお店で食料を買ってたし。
そっか、僕らでもそういうところに売れるんだ。
「ありがとうございます、クラートさん。そうしてみます」
「じゃあイェリ、僕達が食べる分だけ取っておいて、残りの分は売っちゃおうか」
「ええ、いつものお肉屋さんに持っていってみましょ」
お、そろそろ血抜きが終わったかな。
イェリと手分けして、解体ナイフを使って内臓類を取り出す。
それにしても、これをどうやって持ち帰ろうか。こんな大きな獲物を仕留めることは予定になかったからなぁ。村でなら人手を呼んでこれば済む話だったんだけど……。
僕とイェリは熊の前で途方に暮れた。
採った薬草の類も持って帰らなきゃいけないし。
どうしよう。
……。
…………そうだ。
「ねぇ、クラート…さん。熊、運んでくれない? 僕たちだけじゃ持ちきれないから」
そうだよ、クラートのおっさんに持たせればいいんだよ。
か弱い子供の僕たちに、まさかこんな大荷物を背負わせたりしないよね、護衛の門番さん?
「お? おお、いいぞ。お安い御用だ」
うわっ、二つ返事で引き受けてくれたよ。調子がいいなぁ。
クラートのおっさんは、よいせっ、と肩に担ぎあげると、軽々と持ち上げた。
凄い。これなら護衛として名乗り出てきたのもわかる気がするよ。まあ、実際やってることはただの荷物持ちだけどね。
僕らはそれぞれに荷物をもって、外門へと向かった。
とっくに朝靄は晴れ、空も青く晴れ渡っている。朝露に濡れた草々の青いにおいが鼻孔をくすぐる。
クラートのおっさんがいるという楽しくない現実は忘れて、キト熊を捕った事だけを喜んで、足取り軽く外門までの道のりを歩いた。
「あっ、無事に戻ってきたか!」
外門のところまで辿りつくと、クラートのおっさんの相方の門番さんが、安堵に大きな息をついた。
そんなに僕らのことが心配だったのか。クラートのおっさんを邪険にして悪かったかな。
僕はちょっぴり反省した。
「よかったよ、君たちが無事か気が気じゃなかったんだ」
門番さんは胸をなでおろし、眉を下げて優しく微笑んだ。
うう、なんかちょっと胸が痛むや。ここでは村と違って、僕たちの実力が知られてないから。街の軟弱野郎と同じで、ひょろっこいやつと思われてるんだろうなぁ。
門番さんはよほど僕らの無事に心が弛んだのか、クラートのおっさんが背負っている熊にすら気づいていない様子だ。
「いやいや、心配する必要なんかなかったぜ」
「何言ってるんだ、クラート。お前がいるとは言っても、もしものことを心配するにきまってるだろ」
「俺の背負ってるものを見て見ろよ」
門番さんは怪訝そうに眉をひそめて、クラートのおっさんの背に視線を向けると、すぐさま驚愕の色に顔を変えた。
どうやら僕らのことを心配しすぎて、他のことにまで気が回ってなかったらしい。
本当にこんなんでいいのか、門番。王都の安全が心配だ。
「ど、どうしたんだその熊は! まさかお前ひとりで狩ってきたのか!?」
門番さんの叫んだ内容に、僕たち三人は思わず顔を見合わせた。
そして、誰からともなく笑いが漏れ出す。
「違うぜ。これはこの二人が狩ったんだ。俺は一切手を出してない。というか、何もできなかったっていう方が正しいな」
門番さんはクラートのおっさんの言葉が正しいのかを確認するように僕たちの方を見る。僕たちが肯定の意味を込めてこくこくと頷いて見せると、驚きに開いていた眼を更に大きく見開いた。
「まさかそんな、信じられん」
「いやいや、本当だって。凄かったんだぜ、この子たち。矢に魔法を付与して狩ってたんだ。弓の腕も、魔法の腕も大人顔負けだ」
「本当にか? だとしたら心配は余計なお世話だっただろうか」
その通り、大きなお世話だったとも。
「ま、それでも人間相手の警戒はしていなかったからな。盗賊に襲われたらひとたまりもなかっただろうぜ」
人間を警戒? 盗賊? まさか、街では人間が人間を襲うの!?
信じられない。それなら確かに護衛してもらってよかったよ。邪険にしてしまってごめんね、クラートのおっさん。
「そうか。まあ、何事もなくてよかったよ。さて、入都手続きをしようか」