アメリカ自由政府創設宣言
1942年、1月13日午前9時頃。ペンシルバニア邦、フィラデルフィア市
混沌としていたアメリカの国民たちに、ある一報がもたらされた。
「号外です!号外です!!」
...うるさいな。なにがあったんだ。
「どうした...」
「ペンシルバニア邦庁から全土へお知らせがあるそうです」
「こんな時にか...?」
「どうぞ」
「あ、ああ...は?...まさか...おい、これ他にどこか配ってるか?」
「アメリカ全土に配ってますよ」
「...そうか、分かった」
何をしようとしてるんだ、我が邦は...
同年、同日、同時刻。D.Cワシントン、ホワイトハウス
「隊長、第三防衛線突破され、うわぁー!!」
「おい、班長!班長!!...大統領、申し訳ありません。ここはもう...」
「...分かった。良くここまで守り抜いた...仕方ないさ...」
「......私が死ぬまで必ず守り抜きます」
「済まない...」
ドンドン!!
「...司令部へ。大統領保護隊隊長、ロコーソフ。作戦失敗した。...祖国の発展を祈る。偉大なる祖国、ロシアに栄光あれ...!」
バラバラバラバラ!
「...ん?この音は...大統領!頭を下げてください!」
「は...?」
「早く!!」
次の瞬間、執務室のガラスを暴力的な音を轟かせながら、鉛弾が飛び込んで、窓ガラス、扉と扉の奥にいるKKKが倒した。
ダダダダダダダダッ!カラカラカラカラ...
ヘリコプターから一人降りて来た。
「すまない!遅れた!」
「くそっ!もっと早く来いよ!この航空連隊共が!」
「い、今のは...」
「うちの航空連隊です。とりあえず脱出しましょう!」
「分かった...」
.........
「ところで、こんなものが配られてたが知ってるか?」
「ん?今日の正午にペンシルバニア放送局が何か放送する...?いや、分からないな」
「そうか...コミンテルンでも分からないか...」
「...あ、そういえば...」
「何か思い出したか?」
「...確か陽動課が色々工作しているとは言ってたが...まさかそれの一環かも知れん」
「...ふむ、分かった。上に上げておく」
「分かった」
「...ところで今はどこに向かってるんだ?」
「今は同盟邦の基地に向かっています」
「そうか...」
「...大統領も一緒にラジオを聞きましょう」
「分かった」
同年、同日午後10時30分頃。西大西洋上、『ティルピッツ』第一艦橋
「何?ペンシルバニア州でこんな号外新聞が?」
「同志フレーザー司令長官、ペンシルバニア邦、です」
「...そうだったな。で、こんな新聞が?」
「はい」
「...分かった。我々も一応聞こうではないか」
同年、同日午後11時55分
この時間、アメリカ人はほぼ全員ラジオの前に座っていた。
いや、多分アメリカに居た全ての者が聞いていた。
一般人であれ、軍人であれ、貧民、富豪達でさえも...
そして、その時間が来た...
「こちら、ペンシルバニア邦。他邦人民及び、アメリカ軍事政府に告げる。
現在アメリカ軍事政府はKKKに乗っ取られようとしている。
自由の国、アメリカがKKKに乗っ取られる事は真の屈辱である。
...ここで改めてアメリカを建国したい。
そして自由の国、アメリカを取り戻すのだ。
...ここにアメリカ自由政府の創設を宣言する。
そして、アメリカ軍事政府に宣戦布告する。
我々、アメリカ自由政府は自由の元に、神の名の下に進撃する!
アメリカ自由政府に栄光あれ!!」
―――これが、後に第二次独立宣言と呼ばれ、アメリカ東西戦争の始まりであった。
邦・・・アメリカの独立宣言当時まだ完全にアメリカ合衆国には固まっていなかった。その時の呼び方が州では無く、邦と呼ばれていた。
尚、完全に固まったのはアメリカ合衆国憲法が(当時)13州(又は9州)が批准、施行された時だった。
明日また投稿します。