橋頭堡防衛戦
1941年12月8日午前5時頃
フィリピン、ルソン島、第18師団
当たり前だが敵は起きておらず、見廻りは狙撃銃にて処理した。
無事に橋頭堡も確保出来た。
「...流石に静かじゃないか?」
「ああ...流石に静かばい...」
...ヒュルルルル...
「!?全員壕内に退避!!」
ズドーン!!
「くっ...成程...敵を倒す為には自分が作った陣地を破壊しても良い、と...容赦無いな...」
「それがアメリカばい。栗林師団長閣下が、出来る限り奴等に被害を出させたら敵は士気が落ちる、って言ってたばい。つまり、意味わかるか?」
「全力で敵に被害を出させたら大国のアメリカも負ける、という事ばいね」
「だからこんな砲撃は知らん振りすれば良いたい」
この後準備砲撃が約ニ十分間行われる事になる...
ニ十分後...
「...収まったな...」
「総員配置に付け!敵さんが来るぞ!」
「さ、いっちょ我が第18師団の強さを師団長閣下、陛下、そしてあのアメリカに見せ付けてやりますか!」
「おお!」
...
フィリピン、マニラ
米軍側
「失礼します。ウェンライト少将、緊急の連絡が」
「何だ?何か起きたのか?」
「実は日本軍が上陸してきました」
「...は?今何て言った?」
「...日本軍が上陸して、防衛陣地を占領されました!」
「何故気付かなかった!」
「す、すいません...!」
「すいませんで済めばポリスなんて要るか!」
「...」
「くそっ...全力で抵抗するぞ...」
「既に一個師団を向かわせています」
「...結構。下がりたまえ...」
「...失礼しました」
「...くそ...何でこうなるんだ...まぁ...良いか...まだ慌てるような時間じゃない...」
机を叩く...
「まだ違うんだ!」
...
同年同日五時半頃
フィリピン、ルソン島(橋頭堡陣地内)
ダダダダダ!
「うぐッ...」
「シィット!ジャップが!メディッーク!メディッーク!」
ターン!
「メディッ...ぐっ...」
ズサッ...
「シィット!撤退!一度撤退だ!」
「撤退しろ!」
米兵が敗走していく...
この橋頭堡防衛戦での損害は以下の通り。
米軍側
フィリピン第11師団(定員数 15000人)
1329人 死亡者
3294人 負傷者
384人 捕虜
5007人 合計
大日本帝国側
第18師団(約8000人)
261人 死亡者
572人 負傷者
883人 合計
米軍側の大敗北である。
因みに部隊の1/3の人員が“消滅”した場合は壊滅判定。
1/2は全滅判定である。
今回の大日本帝国軍の勝因は「構えた陣地が防衛陣地」であった事。
そして一番大きかったのは「兵器の差」であろう。
確かに「練度の差」も大きくあった。
が、敵には無い、ある程度暗くても見える「暗視ゴーグル」、連射性能の高い「AK-47」、「RPG-44J」(大日本帝国が改造した手榴弾。日本人のような比較的小さな体格でも投げられ、威力を少し強くした)。
こいつらの影響はとても大きいだろう。
RPG-44Jに至っては装甲車を普通に撃破した。
当たり前だ。
80mmの装甲を貫通出来るのだ。
装甲車など紙装甲だろう。
こうして橋頭堡防衛戦に勝利し、第18師団は前進を始めた...
そして同時に東太平洋でも戦闘が始まろうとしていた...