9
「わかるか、オレは今、死ぬワケにはいかないんだ。なんとか地球に戻り、この壊れかけた揺りかごで盲目的に生きている人類に、この世の真実を知らせなければならない。無限の愛と平和、そして精神的進化が、我々の未来にはあるんだ! そのために我々は、ガジュルメットの教えに従い、あらゆる物質の束縛から逃れ、この魚座の時代を第三世界から第七世界へ至る階段を--」
完全に、この人は不味い。いろんな意味で不味い。
私と羽場は何とかチクリンから逃れ、基地の中心部へと戻る。かれこれ二時間ほど、彼の体験談(と称する何か)を聞かされてしまった。とにかく空腹に耐えかねて食堂へと向かったが、夕食時間もすっかり過ぎてしまっていて、並べられているのは間食パックだけ。私たちは仕方がなくその幾つかを手に取り、隅の席に腰掛ける。
「なんか、途中までは凄いヒントになりそうな感じだったんだけどなぁ」
ビスケットをかじりながら云う私に、羽場はガシャガシャとノートパソコンのキーを叩きつつ応じる。
「でもアイツ、肝心な事を隠してたよ」
「えっ? 何です?」
「冥王星コアでの、酒池肉林の肉欲パーティー!」と、彼はグルリとパソコンの画面を回して見せた。「途中から暇だったから、ヤツが地球に送ったファイルを探して眺めてたんだけど。さっきの演説の十倍は面白かったよ。江戸川乱歩ばりのエログロのオンパレード」眉間に皺を寄せつつため息をつく私に、彼も呆れたように片手を投げ出した。「何であんなの、月面基地に来られたんだろ。普通、精神分析で速攻アウトじゃない?」
「まぁ、私らや羽場さんも来れてるくらいですからねぇ。テロの影響ですよ」なんだか、酷く疲れた。それでビスケットを口にしつつ、半ばテーブルに臥せってしまう。「参りましたねぇ。もう、何が嘘で何が本当なんだか、全然わからなくなりました」
「でもさ、部分的には本当っぽいんだよね。基地の記録を眺めてたんだけど、確かに何日か前、チクリンが監視塔に行ってる時、アームストロングに物資の輸送をしていたLRVが、謎のエンストを起こしてた。未だに原因不明らしい。もっとも、グレイや冥王星人なんて報告は一切ないけどね」
「チクリンさんは?」
「別に? 少なくとも何ヶ月も失踪してたなんてことはない」うーん、と唸りつつテーブルに臥せる私。「どうする? リストにある他の二人にも当たってみる?」
「いや、もう、おなか一杯です」私は辛うじて、身を起こした。「なんだかもう、全部私の思い違いだったんじゃないかって気がしてきました。そもそも隊長やドクターが、自分らの隊員を犠牲にしてまで米軍に協力するはずないですし」
「何云ってるの! あの人たちは純粋な国家公務員だよ? 自分らの身のためお国のためなら、何だってするさ! ボクなんかしょっちゅう怒られてるし、未だに毎日トイレ掃除させられてるんだよ?」
「それは羽場さんが悪いんじゃないですか」
そこで彼は軽く片手を上げ、私を黙らせる。そして人影まばらな食堂を見渡すと、耳に装着しているレシーバを軽く叩き、云った。
「やぁデイヴ。何かわかった?」
彼がパソコンを操作すると、私のレシーバにもデイヴの声が響いてきた。
「あぁ、それなんだけどな、羽場。悪いが全部、キミらの妄想だったよ」
「妄想?」
問い返す私と羽場。それにデイヴは、何か引っかかるような調子でゴニョゴニョと云った。
「あぁ、うん、Lv10はキミらの云うような、冥王星人とか何とかいうのとは、全然関係ない施設だった。いやいや、うん、本当に」
何か妙な口振りだ。私はすぐに察して、彼らの会話に割り込む。
「じゃあ、何だったって云うんですか? あの施設は」
「あぁ、あの施設ね。えっと、あれは」口元に引きつった笑みを浮かべつつ、宙を探る。「そう! アレは軌道エレベータ関連の研究設備だったよ。あっはっは、何て事はない」
「でもデイヴさん、そこに何か白衣の人が入っていったって」
「え? ボク、そんなこと云ったかな」
「それに扉の前に衛兵が立ってたって」
「そ、そりゃあ、軌道エレベータは建設途中の重要な設備だからな。テロの標的にされたらシャレにならない。だから警備厳重なのさ」
そして更に突っ込みを入れようとした私を遮って、彼は云った。
「とにかく! 全部キミの思い違いだ。冥王星人? カロン人? ハッ、馬鹿馬鹿しい。キミは疲労困憊したあげく、妙な夢でも見たのさ。じゃ、ボクは忙しいからこれで」
「あっ、デイヴさん!」
引き留める間もなく、プチン、と映像は切れてしまった。
どちらともなく顔を見合わせる、私と羽場。彼は酷く困惑した様子で、髪の毛をクルクルと捻りつつ、云った。
「参ったね、これ」
「完全に誰かに口止めされてますよ、アレ。きっとジョーさんに見つかったんですよ」
沈黙。
私も何だか酷く疲れてしまったし、羽場もすっかり気力を失った様子で、ペチャペチャとチョコレートを嘗めている。
私はそれを眺めながら、小さく息を吐き、云った。
「もう、ここまで手を回されたら。どうしようもないですよ。っていうかだいたい、冥王星人とかカロン人とか、冷静になってみれば物凄い馬鹿馬鹿しい話ですし。私ってホント、疲れ果てた挙げ句に夢でも見たのかも。云ったら悪いですけど、阿部さんの話も竹林さんの話も、完全に支離滅裂ですし。だいたいネズミーが私たちを洗脳してるだなんて」
そこで羽場はピョコンと身を起こし、酷く真面目ぶった顔で人差し指を立てた。
「そうは云うけどさ。いい? ゴッシーはアームストロングで何かを見た。そして具合が悪くなっちゃったのに、ジョーが持ってきたらしい謎の薬で一発で治った。これは本当じゃない?」
「そりゃ、そうですけど」
「9って書かれた封筒は、阿部ちゃんが残した〈プロジェクト9〉って言葉と一致する。それにリストに記されていたチクリンも、ゴッシーと同じ症状だった。そしてチクリンも、冥王星人との関係に言及してる。だろう? ほら、全部繋がるじゃない! 違う?」渋々頷く私に、羽場は顔を近づけ、云った。「なら、何かがあるのは確かなんだ! 真実は、すぐそこにあるんだよスカリー!」
「とても羽場さん、モルダーって顔じゃないですけど」
「とにかくさ、Lv10に何かあるのは確かじゃない? ならさ、何とかそこに忍び込む方法を探るとかさ」
「そうは云っても、どうするんです。デイヴさんはすっかり口止めされちゃってるし。私らだけでアームストロングに行ったって、徹底的にマークされるに決まってるし」
そこでふと、周囲が騒々しくなっているのに気がついた。人影まばらだった食堂に数人の隊員が駆け込んできて、仲間内で何かを伝え、大慌てで、何か野次馬的な感じで飛び出していく。
何事だろう、とその様子を眺めていた私たち。丁度そこに農家の戸部が現れて、私たちを目に留めると、さっきの隊員たちと同じような興奮した面もちで駆け寄ってきた。
「おい、聞いたか?」
「何をです?」
問い返した私に、彼は辺りを見渡し、小声で囁きかけた。
「何か基地の近くに墜落したらしくて、そいつを克也のオッサンが回収してきたってんだ。どうもそいつが」そこで再び辺りを見渡し、酷く楽しげに、云った。「なんか、UFOらしくてさ!」
「UFO?」
揃って云った私と羽場に、彼は踵を返しつつ云った。
「とにかくエアロックにあるって! 見物しに行こうぜ!」
足早に去っていく戸部。
何が何だかわからないが、これは事件に関係あるに違いない。
そう私は羽場と顔を見合わせ、すぐに腰を上げて彼の後を追った。




