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LRVがエアロックに向かう間にも、地上最強の国家アメリカの力が色々と窺える。プロメテウス宇宙船は小型ジェット並の大きさだし、遠隔操作型のビークルや昆虫型ロボットが走り回っているし、月面の主要資源であるヘリウム3の採掘車両らしき物が彼方へと走り去っていく。傍らでは基地の拡張を行っているのだろうか、小型体育館ほどのドーム施設が建設中で、何人もの宇宙服の隊員たちが取り付き、外郭にコンクリートらしき物を流し込んでいる。
エアロックもまた、巨大だ。かぐや基地はせいぜい十メートル四方の物が一個だけだというのに、その倍もありそうな物が三つ四つある。その一つに克也が運転するLRVが乗り込んでいこうとしたとき、不意に宇宙服の通信機が音を立てた。相手はアームストロングの通信士。見知った相手らしく軽いやりとりが続いた後、相手は云った。
『そうだ、悪いな、一番エアロックは使用中だ。三番から入ってくれ』
怪訝そうに首を傾げる克也。
「珍しいな。何かあったのか? 三番は予備だろう」
『なに。ちょっと調子悪くてな。じゃ、よろしく』
目前に迫っていた一番エアロック。それは半開きになっていて、中の様子が僅かに窺える。パワードスーツが二体ほど背を向けていて、その奥には何か巨大な影が見える。なんだろう、と思っている間に隔壁は閉じ、克也は仕方がなく三番エアロックに進路を変えた。
一番、二番よりもやや小振りな、三番エアロック。そこに私たちを乗せたLRVが入っていくと、すぐに二重隔壁が閉じられ、加圧される。ぽん、と緑色のランプが灯ると、奥の隔壁から数人の作業員が現れた。先頭を切って飛んできたのは、くしゃくしゃっとした感じの髪に優しげな瞳を持つ、ジョー中佐だった。
「よう! やっと来たな。待ちかねたぜ」
LRVから降り立ち、宇宙服のヘルメットを外す私たちに、それこそ待ちきれないように云うジョー。応じたのは羽場だった。
「云っておくけど、ボクはまだ納得してないからね。隊長の命令だから、仕方がなく持ってきたんだ」
「命令遵守。大切だ」
真面目ぶって云うジョーに口元を歪め、羽場は床を蹴って荷台に飛び乗った。
「まぁいいさ、ボクが米軍をコテンパンにやっつけてやる。さ、さっさと降ろして! そこまでボクはやる気ないからね!」
そう、ジョーの歓待は、何も私などを迎えるからではかった。
ベテルギウスを巡る、すったもんだ。その原因の一つとなった最新型ゲーム機がアームストロングに〈貸与〉されることになり、羽場が取材ついでに、その設置作業を行う予定なのだ。
「だから最初から、オレらが取りに行くって。云ったろう」
面倒くさそうに云うジョーに、羽場は頭を振る。
「ダメダメ! 黙って渡したら何に使われるか、わかったもんじゃない」
「何にって。ゲームに使うに決まってんだろ」
「なんか変だと思ってたんだ、アメリカがあそこまでPS7に拘るの。とぼけても無駄だよ。PS7は最新のスパコン並な性能があるんだ。オマエ等はコイツで超並列計算機を作って、水爆シミュレーションでもするんだろう。冗談じゃない」
「何で月で水爆シミュレーションなんかやらなきゃならないんだ」
呆れかえって云うジョーに、羽場は鋭く人差し指を突きつけた。
「そりゃ、地球上じゃ原水爆禁止条約でシミュレーションすら禁止されてるからね。でも月はその対象外ってワケ。よく考えたよね。さすが米軍、考えることがセコい!」
「オマエはオレらを買いかぶりすぎだ」ため息を吐きつつ云って、彼は私に顔を向けた。「で? アームストロングの取材だったな。ま、幾つか見せられない所もあるが、だいたいは将軍から許可を取ってある。羽場は放っておいて、行こうぜ?」
一瞬、私に云われているとわからなかった。口を開け放って硬直している私に、ジョーは軽く首を傾げる。
「どうした? 何か問題か?」
「あ、いえいえ」ようやく我に返る。「ちょっと寝不足で。惚けてました」
「ふぅん。結構広いが、大丈夫か? 少し短縮するか?」
「いえいえ。大丈夫、大丈夫です」
無理に目を見開いて、私はジョーの後を追った。
アームストロング基地の内部は、一言で云えば「でかい」以外になかった。通路も部屋も何もかもがかぐや基地よりも広々としていて--とはいえ地球基準で見ればそれでも狭いのだが--どの施設も数倍の規模がある。
居住区画、研究区画、設備区画。揃えられている設備はかぐや基地と相違なかったが、やはりアメリカは佐治の云う〈戦後の制約〉がないだけに、軍事に関するような研究規模が非常に大きい。
「おっと、向こうは見ないでくれ」
云われなければメカメカしい何かだとしか思わないのだが、ダメと云われると気になってしまう。沢山のノズルが付いた、大きな球形の装置。二本のスラスターらしき物を備えた飛行装置のようなもの。そうしたものが月面に持ち込まれ、様々なテストを受けている。
「いやまぁ、やっぱりアメリカは予算が違いますねぇ」
物珍しい物ばかりで感嘆して云った私に、ジョーは少し渋そうに頭を掻いた。
「かもしれんがな。けど今は軌道エレベータの建設に予算が大振りされてて。将軍がいっつも、金がない金がないってボヤいてる」軌道エレベータ、と目を輝かせた私を、彼はニヤリとして促した。「来いよ。いい物がある」
たどり着いたのは、アームストロング基地のマスドライバー施設だった。こちらも一本しかない日本と違って三本のカタパルトが広大な空間に用意されていて、忙しなく作業員が働いている。
私が案内されたのは、その様子が一望できる制御室。だがその一角には区切られたエリアがあって、幾つものディスプレイには何度か見たことのある軌道エレベータ・ステーションのCGが映し出されていた。
「日本にも金は出してもらってるが、コイツは金食い虫でな」ため息を吐きつつ、彼はディスプレイを叩いた。「地球側のステーションはいいさ、船で材料運んでくればいいんだからな。けど宇宙側のステーションを作るのがしんどい。昔は地球からチマチマと運んでたんだが、なにしろ質量を宇宙に持ってくるのはかなりの金がかかる。そこで月面基地も十分な生産能力を得たというのもあって、今ではかなりの資材をここから送ってる」
「でも、炭素はどうしてるんです?」
尋ねた私に、彼は首を傾げた。
「炭素?」
「だって、月じゃあ炭素が全然ないから」
「ないから?」
困惑して私が黙り込んだ時、コンソールの一つに座っていた男が大笑いし、椅子を回して私に顔を向けた。
「無駄無駄! ジョーにそんなこと聞いても、答えられるはずがない!」
戦闘服姿のジョーとは異なり、セルリアン・ブルーのカットソーを身にまとっている彼。ちょっと太り気味な短髪の男で、まん丸な瞳が妙に愛嬌を感じさせる。その彼にジョーは嫌そうな表情を浮かべつつ吐き捨てた。
「五月蠅い。オマエは黙ってろ」
「あっは、そりゃあキミは戦術戦闘のプロかもしれないが、科学に関して語る資格はないね。黙ってボクに任せりゃいい」
「頼んだろう。なのにオマエは忙しいだ何だって逃げやがって。なのに何やってんだよ」
「いやいや、はるばる日本から来たお嬢さんに、キミが嘘八百並べるんじゃないかって心配になってね。忙しい合間を縫ってやってきた」そして彼は立ち上がり、両手をズボンで拭ってから、私に片手を差し出した。「ようこそアームストロングへ。ボクはデヴィット・パッカード。この基地の科学主任だ。デイヴって呼んでくれ」
「あ、どうも。五所川原です。学生です」
日本人ですら呼ぶのが面倒な名字だから、英語圏の人ともなれば、まず理解不能だ。案の定、デイヴもゴニョゴニョと鸚鵡返しを試みていたが、すぐに諦めてジョーを眺めた。
「みんな、ゴッシーって呼んでる」
苦笑いで云うジョーに、デイヴは不思議そうに首を傾げた。
「ふぅん、ゴッスィー。ゴッシー。そうか。まぁいい。科学のかの字も知らないジョーに代わって、ボクがお答えしよう。炭素とは?」パチン、と彼は両手を打ち合わせた。「原子番号6、あらゆる生物に不可欠な元素だ。その最も大きな特徴は、価電子数が四という点だ。価電子数が四。この重要性が分かる?」
小馬鹿にしたような感じで問われたジョーは、パチンと指を鳴らしてニヤリとしつつ云った。
「〈一方、ソ連は鉛筆を使った〉」
「何だそりゃ。まぁ簡単に云うと、共有結合をしやすいってことだな。まるでキミみたいに八方美人で、色んなヤツと色んな組み合わせを作って、色んな役割を果たせる。まぁ大半のヤツは使い物にならないけどな。挙げ句、いくら彼女が出来たって、すぐフられるってワケだ」
苦い顔をするジョーを無視しつつ、デイヴは続けた。
「ただ、幾つか非常に有用な素材がある。例えば鋼鉄!」パチン、と、彼は鋼鉄っぽい壁を叩いた。「キミは銃も大砲もロケットも鉄で出来てると思いこんでるかもしれないが、実際の所、純鉄ってのは使い物にならないくらい脆い。鉄は月面にも豊富に存在するが、そのままじゃあ文鎮に使うのがせいぜいだ。ところが! こいつに炭素をたった数パーセント入れてやるだけで、非常に堅く、非常に柔軟な素材、鋼鉄が作れる。こいつは今となっても、構造物の基本構成要素だ。鋼鉄がなければ何も作れないと云っても過言じゃあない」
「成る程? それで炭素は? って聞いたんだな」
納得したように云うジョーに、えぇ、と頷く私。
「それに軌道エレベータのケーブル素材も、炭素。カーボンナノチューブですよね。それで、軌道ステーションに物資を送るって云っても、月面には炭素はないし、どうしてるのかな、って思って」
「うんうん。非常に良い質問だ」と、デイヴ。しかし彼はその得意げな表情のまま、云った。「けれどもそれは、機密だ」
「答えになってねぇじゃねぇか! 長々と講釈した挙げ句、答えられませんってか」
叫ぶジョーに、彼は鼻で笑った。
「だって。月面での炭素欠乏問題は長年の課題だ。そう易々と教えられるか」
「まったく、時間を無駄にした。悪かったな。次に行こうぜ」
そうジョーは舌打ちしつつ私の背を押したが、そこにデイヴは慌てて声をかけた。
「待て待て。このまま何の収穫もなしに帰ってもらうのも悪い。一つサービスだ」そして彼は、一つのディスプレイに私たちを促した。「見てくれ。月面から捉えた、軌道エレベータ・ステーションだ」
「そんなの、彼女だって飽きるほど見てるだろ」
「いやいや、やっぱライブは違うよ?」
そして映し出されたのは、まるで宇宙独楽のような構造物だった。
太陽光を浴びて、目映く輝く白銀色のドーナツ型構造物。そこから中心部に向けて何本かの梁が延びていて、中央からは、地球、そしてその反対側の宇宙に向けて、本当にか細いワイヤーが延びていた。
デイヴの操作で、カメラが引かれる。ワイヤーはすぐに瞳で捉えられなくなったが、代わりにCGが被せられ、その全長がグリーンに色づけされる。
比較対照がないので、どれくらいの長さなのかはわからない。けれども軌道ステーションが豆粒のようになった頃、ようやくその末端が捉えられた。宇宙側のケーブルの先端には、まるで巨大な砲弾のような構造物が付いている。
「わぁ、ずいぶん伸びましたね。今、どれくらいですか?」
「ようやく一万メートルって所だ。あと三分の一で、地球上の洋上ステーションに届く。とはいっても、そこから先がまだまだだ。更にワイヤーを何本も垂らして、補強して、ようやく完成。とりあえずエレベータで移動できます、ってなるまでは五年後を予定しているけれど、最終的な完工は二十年後だ。でもま、そんな先の事なんてわからないし、永遠に計画変更、改修工事ってのが続くんだろうな」
凄いなぁ、と思いながら、私はその映像を眺め続ける。
月面牧場を始めるにあたって一番苦心したのは、資材を地球上から打ち上げる費用だった。それが、この軌道エレベータが完成すれば。十分の一、あるいは百分の一という費用で、宇宙空間に持ってこれるようになる。そうなれば月面開発もどんどん進むだろうし、火星基地だって、夢ではなくなる。
「何れにせよその頃は、ボクもジョーも引退してブドウ栽培でもやってるさ。だからキミらが、後を引き継ぐんだぜ? 頑張ってくれよ?」
ポン、と私の肩を叩くデイヴ。一方のジョーは、苦々しく反論していた。
「馬鹿を云うな。オレは生きてるうちに火星に行って、超古代文明を発見するんだ。二十年も待てない。さっさと完成させろ!」
宇宙。そして科学技術に関する熱意は、かぐやもアームストロングも変わらない。それはどの施設、どの研究者から話を聞いても同じで、私は楽しさを感じ続けた。
それで、どうやら酷く疲れ果ててしまったらしい。食堂でアメリカ風なごってりした食事を食べ終わった途端、強烈な睡魔に耐えられなくなってきた。午後からは羽場が合流して主に月面探査プロジェクトに関わるエリアを案内されたが、それで私は宙を漂いながら、一瞬意識を途切らせてしまっていたらしい。ごつん、と天井に頭をぶつけて、わっ、と声を上げつつ辺りを見渡す。
そこは人気のない薄暗い通路で、二人の姿は目の前から消え去っていた。
「あちゃー」
呟きながら、とりあえず進んでいた方向に飛んでいく。しかし突き当たりから先は上下左右に分かれていて、一体どちらに行ったか、さっぱりわからない。誰かに聞こうにも人影はなく、仕方がなく私は、勘で縦穴から下に飛び降りた。
とすん、と爪先から降り立つ。さらに続く通路。闇雲に進む間に、通路はどんどん暗くなっていった。周囲からは何か機械が立てる轟音が響くばかりで、明らかに見当違いな方向に進んでしまっている。
「参った、この歳で迷子とか。いや、迷子に歳は関係ねーだろ」
焦りつつ、心細さから一人でブツブツ呟きつつ、元の通路に戻ろうとする。だが何処まで行っても、迷路が続くばかりだ。
いっそのこと、どこかの部屋に入れば、誰かいるか内線くらいあるはず。
私はそう思って、耳を澄ます。そして何か物音が響いてきているようなハッチに取り付き、まるで潜水艦のようなぐるぐるとハンドルを回す型の扉を押し開く。
その先は、狭い、短い通路。赤々とした非常灯が灯るばかりで、どんどん心細くなってくる。突き当たりの扉は先ほど以上に何か重要そうで、レベル10とか書かれている。
「開けてみたら真空だったとか。ないよね」
さすがにそんな酷い構造はないだろう。それに次のハッチからは、明らかに人の声らしき物が響いてくる。そこで私は再びハンドルをグルグルと回し、そっと、扉を押し開く。
途端に差し込んできた眩い光に、目が眩んだ。加えて胃がひっくり返るような強い重低音が響いてきて、吐き気を催す。
辛うじて見える、部屋の中。何か半透明なビニールシートのような物が幾重にもぶら下がっていて、その奥には、確かに人影があった。
「すいません、ちょっと、迷っちゃって」
叫びつつ、ビニールシートをかきわける。だがあまりの眩しさ、そして続く重低音に、意識が朦朧としてきた。引き返そうかとも思ったが、最早踵を返す気力すらなかった。酷い寒気。だというのに、背中は冷たい汗が流れ落ちている。私は厚いビニールシートに掴まり、何とか、一歩、足を進める。
「誰か、すいません」
日本語で叫んだか、英語で叫んだか。その時、私の意識は、辛うじて二つの物を捉えていた。
深い、深い重低音を切り裂く、甲高い叫び声。まるで昆虫のような、あるいはサルのような、キーキー、チキチキとした叫び声。
そして強烈な光を背にしている影は、酷く人間離れした姿をしていた。肩幅ほど頭が大きくて、手足がひょろりと長くて。
あっ、宇宙人だ。
私は思った瞬間、完全に意識を失っていた。




