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月でウサギを飼う方法 第三部 未知との遭遇
★あらすじ★
ベテルギウス超新星爆発から数週間後。月面通信の取材でアームストロング基地に訪れたゴッシーだったが、そこで米軍が行う謎の実験を目の当たりにし、意識を失ってしまう。口止めされた上で解放されたのは良いものの、基地に戻ってから酷い体調不良と悪夢に悩まされるゴッシー。
果たして自分が見たものは何だったのか? 我慢がならず探り始めたゴッシーが、最後に見た物は・・・
私を乗せた月面トラックが、ゴトゴトと揺れている。見上げれば未だにベテルギウスの残光が輝いていて、地平線には巨大な地球の姿が窺える。運転するのは日本の月面基地「かぐや」の設備担当、上井克也。それにシステムエンジニアの羽場で、トラックの荷台には十個ほどの箱が積まれている。
三人とも大柄な宇宙服に身を包んでいるものだから、運転席は非常に窮屈だった。私と克也に挟まれた羽場は度々身を捩り、その度に宇宙服の金具が当たってゴツゴツと音を立てた。
「もう、羽場さん、ちょっとはじっとしててくださいよ!」
少し寝不足だった私はその度に起こされてしまうものだから、いい加減に我慢がならず叫んでしまった。すると彼は宇宙服の中の、いたずらっ子のような顔を私に向ける。
「んなこと云ったって、腰が痛いんだから仕方がないじゃん。掴まる所もないしさ!」
「腰? そんなの、餅つき大会で調子に乗るから悪いんじゃないですか」
「調子に乗る? なにそれ。ボクは無理矢理やらされたんじゃない」
「ちょっと! こっちはもう隙間ないですって!」
「あれ、ゴッシー、ちょっと太った? 餅の食べ過ぎじゃない?」
「おい! それはアウトだ!」と、見かねたらしい克也が大声を出した。「今度はセクハラで謹慎処分になりたいのか? いいからオマエは少しじっとしてろ!」
狭いし、揺れで具合は悪くなってくるし、宇宙服は息苦しいし。
「もう帰りたい」
力なく私が呟いた所で、羽場は、ぼすん、と宇宙服の両手を打ち合わせた。
「ダメダメ! 元気出してよゴッシーちゃん。これから〈月面通信〉の再開特別番組、〈アームストロング基地を探検してみよう!〉の収録をしなきゃならないんだよ? 元気と笑顔、これが大切よ?」
「だいたい私、月面通信とかやってる場合じゃないんですけど」
ここ最近、急にやることが増えてしまった。
つい先日のことだ、ベテルギウス騒ぎによる暇を満喫していた私たちだったが、不意にリーダーの岡が勢いよく立ち上がり、叫んだのだ。
「よし、遊ぶの止め! 卒研すっぞ!」
設備担当のテツジは渋い顔でパソコンCADソフトの扱い方を勉強していて、理論担当の殿下はソファーに寝ころんで何か難しそうな本を読んでいて、私はタブレットを手に、別の問題に頭を悩ましている所だった。
その三人が一斉に、腕を組んで仁王立ちしている岡を眺める。テツジと殿下は岡に対して何か以心伝心のような物を持っていて、軽く首を傾げるだけで何も云わない。仕方がなく私はタブレットを脇に置き、彼に尋ねた。
「私ら卒研、やってるよね? 常に。休みなく。二十四時間。月に閉じこめられて」
顔を向けた私に、コクコクと頷くテツジ。すると岡は両手を投げ出し、更に切羽詰まった声を上げた。
「違う! 卒論!」
云われて残る三人は、そういえば、というように顔を見合わせた。
「そうやぁ。すっかり忘れてたわ」と、パソコンデスクの椅子を回し、深々と沈み込みながら云うテツジ。「まぁでも、データは腐るほどあるし。そいつ適当に纏めればオッケーじゃろ?」
「どうかな」パタン、と分厚い本を閉じつつ云う殿下。「逆にデータが多すぎて、絞り込むのが難しいかもしれない」
「そうなんだよ!」岡は応じて、手にしていたタブレットを私たちに掲げて見せた。「さっき子鹿からメールあってよ。色々要項書いてんだけど、ちょっとヤバそうだぜ?」
「ちょっとそれ、私らに転送してよ」
云った私。間もなく届いたメールを、私たちはざっと眺めていく。何よりもまず目に入ったのは、その締め切りだ。
「二月、十四日? あと一月しかないじゃん!」
叫んだ私に、岡が渋い顔で云った。
「そうなんだよ。子鹿の野郎、未だにオレらのこと僻んでんじゃねぇか?」
子鹿は地球上にいる私たちの担当教官だ。
私たちは正直、模範的な学生ではなかった。子鹿はそういった学生たちを毛嫌いしていて、何かと理由を付けては落第させようとする。私たちを卒業の危機に追い込んだのも他ならぬ彼なのだが、私たちが棚ぼたで月に行くことになってしまったものだから、さすがに落第の理由を捻り出せなくなってしまったらしい。そこでこんな小賢しい手を使って、私たちを苛めようとする。
「要項は年末には発表になってたようだ。まったく、大人げない人だな、あの人も」
苦い顔で云う殿下に、岡はため息を吐きつつ応じた。
「とにかく、牧場が半分暇だってのが幸いだ。早速取りかかろうぜ。本文、二万字程度だってよ」
「原稿用紙、五十枚分くらいか」と、私。「いつも書いてるレポートのフォーマットだと、十五枚くらい」そこで我に返って、私は叫んだ。「って、たった十五枚?」
「そうなんだよ。そこが問題なんだよ」
困惑した風で云う岡。
十五枚くらいのレポートなんて、これまでに死ぬほど書いている。公団に提出する月次レポートだって、様々なデータや考察を記載するだけで、簡単にそれくらい行ってしまうのだ。
「十五枚ねぇ。面倒くせぇから、月次レポートのヘッダとフッタだけ変えて出せばいいんじゃね?」
相変わらず早々に手を抜くことを考え出すテツジの頭を、岡はタブレットでパチンと叩いた。
「そうも行かねぇだろ。だいたい今の立場を考えろよ。適当な物出したら、公団の顔を潰す事になるんだぜ?」
「今までに我々が書いたレポート類を総合すると、三十万文字ほどあるな」と、殿下がパソコンを弄りながら。「だいたい月面事業コンペに提出した企画書ですら、倍の長さがある」
「それで、どうする?」
尋ねる岡。この手の話は殿下の得意とする所で、彼は僅かに考えてから、口を開いた。
「まぁ、我々が月面に来て、半年と少しだ。これを期に〈半期のまとめ〉を作るのは、良い機会だと思うがね。そして単にそれを卒論とすればいい」
「まとめかぁ。そう漠然と云われてもなぁ」
「岡、地球にいた頃も、実験のレポートを出していただろう。どんなスタイルだった?」
「え? まず理屈を書いて、こういう実験をしたらこうなるだろう、って話を書いて、じゃあ実際にやってみます、で、結果こうなりました、理論値と合ってます、だよな。だいたい」
「あぁ。それを我々がやってきた事に、当てはめればいい」
我々がやってきたこと。
まず、月面でウサギを飼ったら、こういう収支になるだろうという予測を立てた。実際に月面に来てからは、その予測が様々な点で食い違っていて、なかなか思い通りの運用が出来なかった。
「確かに、コンペで考えてた予想と今って、全然違うね」
云った私に、殿下は頷く。
「そう。我々は都度都度それに対処してきたが、総合的にこうだった、という〈まとめ〉は、未だにやっていない。先ずは〈誰か〉がその叩き台を作って、各自がその担当分野について埋めていくのが良いと思う」
「〈誰か?〉」
ニヤリ、としつつ早速食いつくテツジに、殿下は深いため息を吐いて応じた。
「私で良ければ、私がやるが?」
さすが殿下、と叫ぶテツジと、決まり悪そうに頭を掻く岡。
「いつもいつも悪いなぁ殿下には」
「ま、人には得手不得手という物がある」
殿下は確かに賢いが、こういう所がリーダーには不向きな所だ。
結果として彼が大筋の流れを作っている間に、残りの三人はそれぞれの担当分野についてのデータを整理しておくことになった。
これが、かなり膨大な量だ。私はウサギの食料と体重を管理していたものだから、これまでの半年の間に、月面に持ってきて、生まれて、捌いた、のべ二百匹ほどのウサギのデータを、全部洗い出さなければならない。
「あっ、そうだ! 羽場さん、新しいパソコン支給してくれるって云ってたじゃないですか! あれどうなったんです?」
思い出して叫んだ私に、隣の羽場は硬直した。
「え? なにそれ。いつの話?」
「また! なんでそうやって重要なことを適当に流すんです! 今のパソコン、エクセルの調子が悪くてダメなんですってば!」
「再インストールすればいいじゃん」
「だ・か・ら! それでも直らなかったって云ったでしょ!」
「ふぅん。全然記憶にない。ゴッシー若年性健忘症じゃない? つまんない事務処理ばっかやってると、そうなっちゃうらしいよ?」
「健忘症は羽場さんの方でしょ!」
云い争っている私たちの向こうで、克也は大きくため息を吐いていた。
「お客さん、見えてきましたよ。アレがアームストロング基地です」
私は羽場を押しのけて、フロントガラスに食いついた。
クレーターの外輪山。そこからウネウネと続く下り道の先に、土塊に覆われた幾つかの小山が見える。設備の殆どは地下に設えられてはいるが、その規模はかぐや基地の五倍で、ざっと東京ドーム一個分ほどの大きさだ。エアポートにはアメリカの誇るプロメテウス宇宙往還機が着陸していて、そのコンコルドのような巨大で美しい姿を晒している。加えて幾つかのアンテナ、観測塔が煌びやかな光を発し、月面移動基地とも云える巨大LRVの傍らでは、パワードスーツに身を包んだ人々が、何かしらの作業を行っている。
「おぉ、すげぇ。マジ物の宇宙基地だ」
私は不意に疲れも忘れ、呟いていた。




