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月でウサギを飼う方法  作者: 吉田エン
月でウサギを飼う方法 四章:月へと得るもの、失うもの
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19

「おう、ゴッシー。久しぶりじゃん」


 本当に久しぶりのことだった。岡、テツジ、そして殿下の三人が、私を取り囲むようにして席に着く。食事をしながらのミーティングは半月前までほぼ毎日行われていたが、公募を提出してしまってからは、寮内で彼らと顔を合わせることもなくなっていた。


 どうも、と少し緊張しながら軽く頭を下げる。


 私はここのところ、新人賞への応募作品を描くのに籠もりきっていたのだ。けれども彼らと顔を合わせることがなかったのは、それだけが理由ではない。私は事業計画を纏めた際の結末を未だに納得出来ずにいて、彼らのライフサイクルを意図的に避けていたのだ。


 しかし、見つかってしまえば仕方がない。相変わらず大量のラー油をラーメンに注ぎ込む岡を眺めながら、私は何気なく口を開いた。


「あれから、どうです?」

「ん? 今の所、テツジの一人勝ちだな。そろそろおばちゃんかゴッシー呼んで、潰させようと思ってた」

「いきなり、麻雀の話ですか」

 呆れて呟いた私。テツジは、ヒヒヒ、と例によって気持ち悪い笑い声を上げた。

「オレはもう神だから。ゴッシーにも負けるはずがねぇし」

「運というのは、確率の偏りだと云える。そして確率というものは常に五十パーセントに収束するようになっている。それが宇宙の真理だ。そろそろキミの運も尽きる頃と見て間違いがないな」


 殿下も相変わらずだ。私は以前と同じような彼らのヨタ話を遠くに聞きながら、ぼんやりと考えごとを続けた。


 完全にスランプだった。


 普段なら、頭に浮かんだシナリオを仕上げる前に、次のシナリオを思いつくというのに。ここ最近は断片は思いついても、繋げて線にすることがまるで出来ない。


 全ては桜庭の所為だ。


 プロットを書いて彼に見せると、必ずどこか修正を入れられる。たとえばこんな風だ。


「この女の子は最後死ぬことになってるけど、助かったのか死んだのか、うやむやなまま終わらせた方がいいんじゃないですかね?」

「え? それは私のパターンだよ。一般受け狙うなら、そういうの駄目なんでしょ?」

「いやいや。この場合はアリだと思いますよ。最後までの流れがシンプルだから」


 そう云われると、それがいいような気がしてくる。けれども彼の指摘をそのまま受け入れてしまうと、それは全て彼の作品になってしまうような気がして、結局は全てを白紙に戻して新しいシナリオを考え始めてしまう。


 やっぱり私には、普通の感性が完全に欠如してるんじゃないだろうか?


 そう考えはじめていた。私にとって普通なものは、一般の人にとって普通じゃない。そして一般の人にとって普通なものは、私の思考回路では紡ぎ出せない。


 だとするなら、私は無駄な努力をしてるんじゃないだろうか?


 桜庭と約束した手前、諦めるつもりはなかったが、正直なところ気持ちが萎え始めていた。


 ノロノロと考えごとをしながら食べている私に対して、彼らはさっさと食器の上を空にしていた。


「じゃあ、風呂後に集合ってことで。ヨロシク」

 立ち上がりながら云った岡に、首を傾げる。

「え? 何がです?」

「聞いてなかったのかよ」苦笑しながら、「囲もうぜ。今日はメンツが揃わなくてさ」


 仕方がない。

 久しぶりに気分転換で、テツジを凹ませるか。


 そう思って私は承諾し、それでものろのろと食事と風呂を済ませてから南寮110室に向かう。


 薄暗い廊下で、三回ノック。そしてふと気が付いた。〈新☆宇宙工学研究室〉というプレートが、いつの間にか〈畜産☆宇宙工学研究室〉に変わっていて、隅にはドナドナらしい真っ白な毛玉が描かれていたのだ。


 まったく、相変わらず暇なものだな、と思いながら、扉を開く。既に卓袱台の上には麻雀セットが広げられていて、三人は缶ビール片手に、ぼんやりとテレビを見てるところだった。


 ペタンと空いている席に座り込むと、岡が黙ってビールを差し出す。プルタブを開けて口を付けながらテレビに目を向けると、CNNのニューススタジオが映し出されていた。


 米の調停団襲撃される 死傷者多数

 停戦協定破綻、戦線拡大

 紅海上で輸送船が襲撃される 東アフリカでも戦火拡大

 イスラムゲリラがインドへ侵入、ヒンズー遺跡を破壊

 NATO軍、トルコとエジプトに展開 国境の封鎖へ


 通称毒ガス戦争は更に泥沼化していた。既にどの国とどの国が戦争状態にあるかもわからず、そもそも政府が統制機関として機能している国がどれだけあるかもわからなくなっていた。軍は師団ごとに独立した意志を持ち、更に師団はゲリラ化し、国家よりも部族が優先され、何百という部族の間で戦闘が繰り広げられている。戦後のことは誰も考えず、まるで中東とアフリカが瀕死の病を負っているかのようだった。


 私たちはその瓦礫の山になった街や、泣き叫ぶ女子供の映像を眺めていた。それでも別に誰も何の言葉を発することもなく、牌を広げてじゃらじゃらとかき混ぜ始める。膠着状態の半荘が終わった頃に、廊下からはもの悲しげなイエスタディが流れ始めた。午後の九時。


 地球の反対側で凄惨な殲滅戦が行われている今も、私たちはこうして平和に遊んでいられる。物価が高騰することも、株価が大暴落することもない。ヨーロッパ共同体、環太平洋同盟、インド、そして中華連邦の四機関が、様々な問題をはらみながらも穏便に機能している以上、それ以外の地域で何が起きようが、私たちの生活に影響はないのだ。


 残念ながら、私にはそれを悲しく思うような善意の心を持ち合わせていない。ただ、そうした現状に至ってしまった歴史に、不思議な魅力を感じるだけだ。


 何が、人と国家を、このように分け隔てたのだろう。


 地政学、進化論。何にでも理由は求められる。それがいわゆる神の力なのかもしれないが、今の所殿下の信じる運の神は、私の手のひらの上で歪められていた。私が秘かに積み込んだドラ爆弾が炸裂し、テツジは一瞬のうちに灰になったのだ。


「やはり、私の予想通りだな。今は運の偏りが修正されている過程なのだ」


 そう殿下がため息を吐きながら云った時、ノックの音もせずに扉が開き、ぬっとおばちゃんが顔を覗かせた。


「あら、丁度いい。全員揃ってる」そう笑みを浮かべながら、中に入ってきた。「息子があなたたちと話したいって云うんだけど。パソコン立ち上げてくれる?」


 ふむ、と殿下が喉の奥で声を発し、引き出しからノートパソコンを引っ張りだして電源を入れる。そして月面基地のコールサインを入力すると、間もなく画面には見慣れた克也の顔が映し出された。


「おう。揃ってるな。元気にしてるか?」

 相変わらずの兄貴面で云う克也に、岡は牌を積み上げながら云った。

「元気っすよ。克也さんも入ります? 代わりに配牌しますけど」

「残念だが月からじゃあ、どんなイカサマをされるかわかったもんじゃない」


 岡の軽口に乗らずに、真剣な表情を続ける克也。私たちが一様に首を傾げていると、彼は少し気が重そうに息を吐いて、カメラの位置を几帳面に直した。


「実はな。オレもこんな役目は面倒だし嫌なんだが、オマエらと一番話してるのはオレだからな。それでお鉢が回ってきたという訳なんだ」


 そういうことか。

 私たちは互いに顔を見合わせる。

 落選のお知らせか。


 しかし私の感じた絶望は、ほんの一瞬だけだった。


 所詮、高専生の提案だ。それほど学術的でもないし、第一赤字が確定している計画なのだ。誰が好き好んで採用するというのか。


「いや、違うぞ。いや、違うとも言い切れんのが困ったところだが」


 こちらの空気を察して、克也が慌てて付け加えた。

 どういうことだろう。

 そう怪訝そうにする私たちに、彼は堅そうな髭をさすりながら、考え考え云った。


「だから、オレは大使役なんて嫌なんだ。物事を整理して話すってことが出来ない。いや、そんなことはどうでもいいが」

「何なの? はっきり云いなさい」

 鋭く云ったおばちゃんに、彼は肩を竦めた。

「なんだ、いたのか母さん」

「まず、はっきりさせて。いいことなの? 悪いことなの?」

「それがわからん。いいことのようにも思えるが、悪いことのようにも思える」そう曖昧に云って、彼は顔をこちらに向けた。「まず、聞きたいことはだ。オマエらは本気で、月面基地に来たいか?」


 私たちは再び顔を見合わせる。そしていつものように、岡が代表して口を開いた。


「そりゃ、行ってみたいっすよ。だから応募した訳だし――」

「いや。そんな軽い話じゃない。オマエ等はここ何ヶ月かで、色々なデータで月面基地の現状を知ったはずだ。メシは不味い、風呂には入れない、狭い空間に人間が詰め込まれて、買い物はおろか散歩する場所すらない。そんな所に、一年。いや、場合によってはそれ以上、住むことが出来るか?」


 岡は困惑と希望が入り交じったような、複雑な表情を浮かべた。


「つまり、オレたちの提案が、通ったってこと?」

「いや、そうじゃない」

「え? じゃあ何なの?」

 克也は躊躇いながら、再び顎髭に手を当てた。

「つまり、だ。選考は続いているが、オマエらの提案は一次選考で落とされてる」


 更に訳が分からない。そう口を開こうとする岡を片手で遮って、彼は重苦しく続けた。


「だがな。知ってるとおり、日本の宇宙開発は、優秀な人材を一度に失って、非常な危機に陥っている。それは簡単に資金の増額で補えるものじゃない。新たな人材の発掘、育成が必要なんだ。そこで宇宙公団の幹部は考えた。この月面基地を、もっと希望溢れるものにしなければ。優秀な連中、そして将来を担う子供たちが、自分も月面開発に関わりたいと思うような、何か分かりやすくて、注目を集めるようなことをしなければ。そこで、目を付けられたのがオマエらだ」


 訳が分からない、というように、私たちを見渡す岡。


 そして彼が何か云おうと口を開こうとした時、おばちゃんが今までに聞いたこともないような厳しい声で云った。


「つまり、この子たちを見せ物にするってこと?」

「待ってくれよ母さん」克也は慌てて、両手を突き出した。「そりゃぁ、あんまり誉められた話じゃないってのは、わかってるさ。だからこうして、事前にヤツらの意志を確かめてるんだ」

「それはあなたの意志? それとも公団の?」

 参ったな、というように宙を見上げる。

「母さんには恐れ入るよ。そうさ、この通話は公団にも秘密だ。話を聞きつけたオレと農家の二人が相談して、岡たちの意志を確認するべきだって話になったんだ。何も知らないで受けちまったら、あんまりにも可哀想だからな」

「それで、もしこの子たちが嫌だって云ったら?」

「農家の戸部は、公募の技術選考委員の一人なんだ。だからヤツが強硬に反対することになる。尤も、それで公団の意志が翻るかどうかわからんが。その場合、最悪岡たちが辞退するって手もある。

 ただその場合、ヤツらの卒業研究は一からやり直しになるな。公団では公募結果の全てを順位付けて発表する決まりになっている。そのまま発表されたなら、恐らくヤツらの提案は下から数えた方が早いものになるだろう。とても卒業研究として認められるような順位じゃない」

「まぁ、なんて話なのかしら! その順位って、あなたの力で何とかならないの? どうせ採用とは関係ない話でしょう?」

「無茶を云うなよ。これは選考の公平性のために発表するんだから。劣った提案に、いい点数を付ける訳にはいかないさ。しかも、こちらの要求を蹴った相手に、だぜ?」


 二人が押し問答を続けている間に、私たち四人は互いに顔を近づけていた。一番話を理解出来ていないようなテツジが、髪を掻きながら呟く。


「どういうこと? 結局あの提案って通ったの? 通ってないの?」

「本当なら駄目だったんだろ? けど公団の事情で、強引に通そうとしてるんだ」

 そう説明する岡に、テツジは更に首を傾げた。

「訳わかんね。どういうこと?」

「だってよ、並みいる研究者を押し退けて、高専生が月面基地に行くってなったら、話題になるだろ? そうすりゃ基地に注目が集まるから、日本の宇宙開発への関心が高まって、予算も人材も集まりやすくなる」

「月でウサギを飼う、なんていうテーマも、公団上層部の気に入ったのだろうな。これ以上わかりやすい研究もない。赤字だろうが何だろうが、宇宙公団にとってみれば、十分すぎるほどの成果が得られると踏んだのだろう」


 達観したように云った殿下に、テツジは奇妙な笑みを浮かべた。


「じゃあいいじゃん! 月に行けるってことだろ?」

「馬鹿、話はそう簡単じゃないだろ?」岡はテツジの首根っこを掴んだ。「注目させるってことは、宣伝に使われるってことだぜ? テレビや新聞に出させられるかも知れないし、そうなったら悪い印象は全部カットしなきゃならないぜ? 煙草は当然だし、パチンコなんて行けるか? 特にオマエ、服とかさ。ちゃんとしなきゃならねぇだろ?」


「そういうことだ」


 不意に、全てを聞いていたらしい克也が、ディスプレイの向こうから云った。


「オマエらは宇宙に憧れている若き研究者だ。オマエらはパチンコや麻雀なんてクズのやるもんだと思ってるし、煙草なんてもってのほかだ。オマエらはマザー・テレサのように人間愛に溢れていて、この国の行く末に希望を持ち、人類の発展と平和を切に願っている。それにオマエらはとにかく研究が大好きで、徹夜で研究室に泊まり込むなんて当たり前なんだよ。月にだって、一年どころか永住したっていいと思ってる。


 そういう学生にオマエらがなれるんならいいが、少しでも無理だと思うんなら、悪いことは云わねぇ。断れ。例えそれで留年することになっても、だ」


 なんだか、全然想像もつかなかった方向に話が進んでいる。


 呆然として頭が空回りしているのは、私だけではないらしい。岡、テツジ、そして殿下すらも、克也に対して何の言葉も発することが出来なかった。


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