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月でウサギを飼う方法  作者: 吉田エン
月でウサギを飼う方法 一章:楽して卒業する方法
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「あー、うん。結論から云うと、キミらはこれから、大変だからねぇ」


 子鹿は老眼だ。手元にある紙を読むのに、鼻の頭を眺めるようにして遠ざけたり近づけたりしている。私たち四人は、その様子を恨めしく眺めるしかなかった。反論しようにも、これから証拠を突きつけられるのはわかってる。


「まぁ、時田先生が亡くなられたのは狂信者のせいで、キミらの所為じゃないのは確かなんだけどねぇ。でも、先生はキミらを信用して、海外に行かれてた訳で。それなのに丸々一年、研究に手を付けてないというのはねぇ。それはホラ、キミらの問題だからねぇ。しかも四人が集まったのも、今日が初めてだって? ホラ、研究室というのは、メンバーで協力して盛り立てていくものだからねぇ。それは不味いよねぇ」


 まったく、子鹿は文句を云うときは酷く嫌みったらしい。私は半ば口を尖らせて俯いていたが、隣に座っていた学生が酷く真面目ぶった口調で声を上げた。


「先生、まぁそれは色々ありますけれども。ボクらも時田先生を失って、凄く困惑している訳ですよ。これからどうなるのか、とか。それで先生がボクらを呼び出したということは、ボクらの面倒は先生が見てくださるということですか」

「なんだ岡、急に真面目ぶって」子鹿の答えに、途端にもう一人の男子が笑い声を上げた。「いいかオマエら。要するにだねぇ、オマエらは一年もサボってた訳だから、それを取り返すのは大変だよという、重要な話を私はしていたのであって」

「いや、先生。それは凄く理解してますから。結局オレら、どうなるんです?」


 まったく最近の若い者は、というように子鹿はため息を吐いて、真っ白な頭を撫でつけながら私たちを見下ろした。


「簡単に云うとだな、このままじゃ卒業研究の単位はやれないってことだ」


 あぁ、やっぱりね。

 そう私たち四人は、誰となしにため息を吐いた。


 私たちが在学する工業高等専門学校、通称高専は、普通の高校と違って五年制という独特の制度で営まれている。感覚的には、工業高校と工業短期大学が組み合わされた学校、というところか。卒業すれば一応〈準学士〉という称号が与えられて、短大卒と同じ学歴として扱われる。


 授業自体は、普通の工業高校とそう大差はない。一番の違いは、四年、五年の二年間で、大学と同じ卒業研究が単位として課せられるという点だろう。


 けれどもその難易度は、配属される研究室によって雲泥の差がある。例えば子鹿研は虎の穴と呼ばれるほどの過酷さで、飲酒喫煙バイト禁止、加えて夏休みや冬休みには合宿すらあって、まるで研究以外の何物も許されない過酷さだという。


 一方で、私が所属することになった時田研。


 専攻は、宇宙工学。時田先生は宇宙工学の世界的権威で、始終海外に出張しては論文の発表を行っている。噂では宇宙公団とも親交があつく、彼らの様々なプロジェクトにも関わっているという。


 宇宙。確かにその響きは、理系の学生にとって憧れの対象かも知れない。

 きっと時田研は、真面目な研究活動を行っていたとしても、人気はあったろう。けれどもそれ以上に希望者が殺到した理由は、先生が殆ど国内におらず、完全放任主義だったからだ。


 その手の情報は、先輩から後輩へと、代々受け継がれるものだ。

 時田研は楽だ。先生は学生に構ってる暇は全然ない。卒研は先生が書いてくれる草稿を、少し加工すればいいだけ。実質、研究室に行くのは、発表前の二ヶ月だけでいい。

 だから学生たちによる配属先争奪戦は、時田研の枠四人を中心に行われるのが常だという。


 そんな激戦区に、どうして私のような女が入れたか。

 それは単に、偶然が重なったとしか云いようがない。


 私は生粋の高専生ではない。普通の高校を卒業してから、高専の四年に入り込んだのだ。そういう数少ない学生を、彼らは〈編入生〉と呼ぶ。

 私が編入してみると、既に配属先は決まっていた。どうやら時田研の四つの席のうち、三つは岡という学生のグループが勝ち取り、残りの一つは宙に浮いたままだったらしいのだ。


「そんな訳で、当面は研究室に出てこなくてもいいから。よろしく」


 そう岡に宣告されて、最初は私も当惑した。けれども女子校という堅苦しい所から解放され、この高専という自由な空気に触れていく間に、そんなことは次第にどうでも良くなってきた。


 楽に卒業できるなら、それに超したことはない。

 きつい研究室に当たって、毎日のように先生にいびられている同級生の話を聞くようになって、私もそう思うようになった。


 だがそんな気楽な日々が続いたのも、わずか一年だけだった。アリとキリギリスではないが、怠慢は必ずしっぺ返しを食らう。


 一週間前のことだ。中東に出向いていた時田先生の乗る飛行機が、ミサイルの攻撃を受けて墜落したのは。


 丁度春休み中だったということもあり、情報は錯綜し、何がどうなってるのかさっぱりわからなかった。同じ研究室の学生で見知っているのは岡だけだったが、最初に一度話したっきりで、連絡先なんて全然わからない。何か掲示が出てないかと学生ホールにも行ってみたが、時田先生が亡くなったというお悔やみが出ているだけで、私たちがどうなるのかは全然触れられていない。


 そしてようやく五年生に進級して最初の登校日である今日、私たち四人が子鹿先生に呼び出されたという訳だ。


「いいか、キミたち高専生が、生徒ではなく学生と呼ばれている意味がわかるかね? それはね、普通の高校の生徒と違って、学生という、自主的に勉学に勤しむという立場を期待しているからであってね」


 延々と子鹿は学生論をぶち始めてしまった。

 こうなると誰も止めようがない。諦めて右から左へ聞き流していると、頃合いを見計らって岡が口を挟んだ。


「えぇ、そう、そうですよね。先生の云う通りっすよ」

「岡、オマエ、本当にわかってるのか?」

「えぇ。当然ですよ。確かにボクらは手を抜いていて。それでこれから大変だというのはわかります。それで、ボクらは、子鹿研に?」


 子鹿は岡を一睨みしてから、諦めたようにため息を吐いた。


「まぁ、そうしたいのも山々なんだけどねぇ。私もねぇ、色々忙しくてねぇ」

「そう! そうでしょう先生。ただでさえ六人もいるでしょう、子鹿研って。さすがの先生でも大変ですよねぇ」

「岡、オマエ、本当に今の事態がわかってるのか?」

「当然っすよ! それで、じゃあボクらは?」


 まったくこいつは、というようにため息を吐いて、子鹿は眼鏡を拭き始めた。


「まぁねぇ、そんな訳で、キミら四人には、独自に頑張ってもらおうとねぇ」

「独自に?」

「うん。時田先生は素晴らしい先生でねぇ。この高専の中でも、飛び抜けて素晴らしい業績を残された方でねぇ」そこで彼は眼鏡を静かに掛けなおして、急に声を堅くした。「だからね、凄い論文が沢山あるんだから、それを参考にして自分たちで研究を続けてもらう」

「は?」


 訳がわからず、首を傾げる。その様子を悲しそうに眺めて、子鹿は続けた。


「ほら、思考停止だ。それがいけないんだねぇ、最近の学生は。そもそも研究というのはねぇ、自らテーマを見つけて、自ら実験をして、そして結果を出すものなんだねぇ。誰にも何も云われないから、なにもやらない。それじゃあ駄目なんだねぇ」


「あの、つまり、自分らで何をするか決めろ、と?」

 狼狽えた岡の言葉に、子鹿は小さく頷いた。


「そうねぇ。とりあえず時田先生もいらっしゃらないという状況は考慮して、論文の査定は多少甘く見てあげるつもりだけれども。でもねぇ、やっぱりキミたちは他の学生と比べて、一年もサボっていた訳だから。その辺を曖昧にしたままだとねぇ。色々と不都合もあるしねぇ。まぁ、この一年、キミらがどれだけ頑張るか、遠くから見てるからねぇ。それでどうするか、最後には決めるよ。うん」


 事実上の、死刑宣告だ。先生もいない、誰も手伝ってくれないという状況で、高卒程度の学力しかない私たちに何が出来るのか。それは夏休みの自由研究程度の物は出来るかもしれないが、子鹿がそれで査読を通すはずがない。


 最悪だ。


 そう為すすべもなく絶望している私には意も介さず、子鹿はそのトレードマークである白衣を翻して、すっくと立ち上がった。


「じゃあ、そんな訳だから。今日から頑張って研究してね」


 オマエが死ねばよかったのに!


 子鹿が部屋を出ていくと、私は心の中で呪いの言葉を連呼しながら、大きくため息を吐いた。岡をはじめとする三人の男子も、誰にともなく困惑した瞳を交わしている。


 参った。せっかくあと一年、自由な時間を使って色々とやろうと思っていたのに。それが急転直下、卒業の危機だなんて。


「とりあえず、飲むか」


 不意に岡が呟く。その場違いな言葉に、残りの男子二人は笑い声を上げた。私も毒気を抜かれて呆然と岡を眺めていると、彼は大きく膝を叩いて立ち上がった。


「さて」と、私の方を見つめた。「五所川原さんだっけ? 何処住んでんの?」

「あ、寮生です、私」

「そう。じゃあとりあえず夜に南寮の110室に来て。飲みながら考えるべぇ」


 そう背伸びをして、彼ら三人の男子は部屋を出て行く。一人残された私は、しばらく呆然として膝の上を見つめているしかなかった。


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