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とはいえ私は探偵でもなければ、ハリウッドに人脈があるわけでもない。徹底的に調べるといったって、果たしてどうすればいいものやら。
とにかく少し冷静になって、考えてみる。
あの脚本をリチャード・ダウラントが書いたとすれば、彼は単純に被害者だ。他人に脚本をパクられて、自らの名を冠した映画が作成される機を逸した。
一方、本当にビリー・ミルコが書いたのだとしたら、どうだろう。当然ミルコの方が被害者ということになるが、その場合、どうしてダウラントが他人の脚本を丸パクリしなければならなかったのかが、わからない。『彗星会議』のような素晴らしいお話を書ける人が、どうして。
その先には、恐るべき推理が待っている。『彗星会議』すら、ダウラントの物ではなかったということだ。彼は埋もれた良作を掘り起こすのが得意なだけの詐欺師だった、という可能性。
「まぁ、それならそれで」
私はふと、何かが吹っ切れたような気がした。そう、私にとってリチャード・ダウラントという名は神にも等しい物になってしまっているが、彼自身のことは何も知らないし、そもそも顔すら知らない。もしダウラントという人物が詐欺師だったとしても、そうショックは受けないだろう。
だがその場合でも、本当に『彗星会議』、そして『映画版:火星年代記』を記したのが誰なのか、という問題は残る。私が見る限り両者は同一人物が書いたとしか思えない特徴があるのだが、果たして。
「つまりその場合、ミルコって人が『彗星会議』も書いたのかな」
とにかくもっと比較検討しよう、と思い、アメリカの電子書籍サイトで『彗星会議』の原本を探す。
だが、見つからない。今では物理と電子が同時に出版されるのが普通だが、それ以前に出版された本は、それなりに知名度がなければ電子化されない。『彗星会議』は、そこまでに達していないのだ。
中古の物理本は見つかったが、とても月面宛に届けてもらえるはずもない。宇宙公団に頼んだとしても、そんなレアな物は何ヶ月かかるかわかったものじゃない。
そこで私は、地球上の友に力を借りることにした。
「おう、楓。元気か?」
ディスプレイの向こうの同人仲間、楓は、ベッドの中でスマホを手に応答しているらしい。酷く眠そうな顔で、髪はグシャグシャになっている。
『おう。てか何時だよ。二時だよ。何時だと思ってんだよ。てか、あれ? 月面時間は違うんだっけ?』
「普通に日本と同じ十四時だよ。ったく文学部の春休み野郎は暇そうでいいな」
うん? というように彼女は首を傾げ、背後を眺めた。カーテンからうっすらと昼日が差し込んでいる。
『あぁ昼か。そういや昨日、朝までネトゲしてたんだった』
「いいから聞け」私は寝ぼけ眼の楓にビンタを食らわす調子で云った。「ネットで調べたんだけどな、神田の道海書店ってとこに、『彗星会議』の英語版が一冊だけあるはず。そいつを大至急手に入れて、スキャンして送ってくれ」
『え? なにそれ。私英語なんてわかんないよ』
「オマエに読めって云ってるんじゃねーよ!」
完全に寝ぼけている楓に、何とか用件を伝える。『オッケー任せろ』とは云っていたが、そのまま二度寝しそうな勢い。私は心配になって、メールでも同じ内容を送っておいた。
まぁ、とりあえずこれで、遅くても明日には英語版の『彗星会議』が手に入る。それは届き次第、子細を確かめるとして、あと出来ることといえば。
基本的に調べ事というのはネットでどうにでもなるものだが、舞台がアメリカで、しかも零細ジャンルときてる。探れば何が見つかるのだろうが、そういうのには色々とネットのテクニックがある。
残念ながら私には、それほどネットスキルはない。ウサギ牧場の仲間たちにしてもネットは疎い方で、一番詳しい殿下にしても、アングラ的な技はあまり知らない、というか興味ないらしい。
私の知り合いに、一人だけ、そういうのに詳しい人がいる。だが今、彼は地球に一時帰還していて、何処を彷徨っているのかさっぱりわからない。
とりあえず駄目元で彼のオフィスの番号を叩いてみる。するとその通信は上手く何処かに転送されたようで、まもなく眩しいほどの青空、輝く砂浜を背景として、黄色いアロハシャツを身にまとった男が現れた。
『はいさい! ちゃーがんじゅーねー? いちゅなさんね?』
「あ、そっすね」私は彼が何を云っているかわからないながらも、適当に答えた。「てか羽場さん、沖縄? 何でまた沖縄に」
宇宙公団職員で、情報制御系が専門の羽場。彼は例によって調子よく、スマホ片手に身を反らして海を映し出して見せた。
『何でって、別にバカンスじゃないのよ! これも仕事! キミらの後釜を審査しに来てるんだ!』
「あぁ、そういえば」
そう、色々あって突発的に始まってしまった月面ウサギ牧場プロジェクト。だが私たちは未だ学生の身分で、別に宇宙公団に就職してしまったワケではない。果たして私たちが地球に戻ったら、牧場はどうなってしまうのか。そう何度か考えてはいたが、公団でもようやくその方向性が決まりつつあるらしい。
そう、私たち高専生の後釜には、次世代の高専生を宛てる。私たちの後輩が、毎年代替わりして、後を引き継ぐ。どうも、そういうことになりそうなのだ。
「てか、沖縄にも高専ってあるんでしたっけ? 沖縄高専?」
『うん! わりと最近出来てさ! すっごい綺麗! 女の子も綺麗! ご飯も美味しいし、云うことなしだよ!』
「すっかりバカンスじゃないですか」
とにかく呆れながらも、私は彼に事情を説明する。彼は砂浜に座り込んで、ふんふんと興味深そうに頷いていた。
『つまり、こういうこと? そのリチャード・ダウラントとビリー・ミルコってオッサンのこと、4チャンとかで調べろって?』
「何です4チャンって」
『あぁ、アメリカの2ちゃんねるみたいなとこ』
「はぁ。まぁ何処を調べるかはお任せしますけど、なにぶん十年以上前の狭い世界のお話なんで」
『任せてよ! そういうの調べるの得意なんだから!』
確かに得意なのはわかるが、羽場の場合、どうも斜め上の結果を持ち帰る事が多い。
とにかく任せましたよ、と念を押してから、回線を切る。
そして、もう一つの連絡先。
そこに連絡してみるかどうかは、かなり悩んでしまう。
『彗星会議』の、日本での出版元だ。
何しろ月面に来る前に、私は某漫画編集部と一悶着起こしてしまっている。幸いにして手元にある連絡先はSF小説を数多く出している別の会社の物だったが、今では私の悪評が回ってしまっているかもしれない。
それでも、背に腹は代えられない。私は月面に来る前の広報業務で出会った編集者宛てに、ご無沙汰していますという挨拶と共に、事情を説明したメールを一本、投げてみた。
すると驚くほど早く、返信があった。きっと仕事中だったのだろう、そのメールには、こう記されていた。
お調べの彗星会議については、弊社としても継続していきたかった作品なのですが、版元との交渉で翻訳権の延長を出来ずに、絶版とせざるを得なかったと聞いています。担当外なので詳しい事情は把握していませんが、どうも本国でも著作権的に問題があると判断されたようで、向こうでも絶版となっているようです。
少し時間がかかるかもしれませんが、当時の事情を知っている者を見つけて、確認してみます。
著作権的な問題で、絶版。
どうにもダウラント犯人説が、にわかに現実味を帯びてきてしまった。