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「いやもう、マジで帰りたい」
ウンザリして項垂れる私。
ブリーフィングルームは重苦しい沈黙に包まれていた。なんとか完敗は免れたものの、スコアは四対九。加えて戦術のプロであるはずの佐治たち空軍士官が、私のような素人の機転に窮地を救われたものだから、彼らの意気消沈ぶりは半端ではなかった。佐治はげっそりした表情で床を見つめ続けていたが、そこは彼もプロだ、不意に頭を振ると、両手で頬を何度か叩いた。
「いかんいかん、勝負はまだこれからだ」
「えー。マジですか」
正直に不平の声を上げた私。佐治はおもむろに立ち上がり、例の演習場の構造を変えられるコンソールの前に向かった。そしてパネルを操作し、私がジョーたち四人の米軍士官を倒したシーンを、繰り返し再生させる。
「うぅむ、見事だ。姑息ではあるが」呟き、彼は人差し指を私に向けた。「五所川原、オマエ、どうやってこの戦術を考えついた」
「え? 別にたいした事じゃないですよ。『エンダーのゲーム』で」
軽く首を傾げる佐治。私は当惑して、一号二号三号という佐治の部下たちに顔を向ける。彼らも一様に頭を振るのを見て、私は呆れ果ててしまった。
「え? マジですか? 軍人で、月に来ておいて、あの名作SFを読んでない?」
「いや、すまん。タイトルは知ってるが、何かのつまらんゲーム物かと思って」
「違いますよ! ゲームはゲームなんですけど、それは実際の所は」
私は記憶を辿って、物語の粗筋を彼らに説明する。年少士官学校に抜擢されたエンダー。宇宙空間にある士官学校において、彼は類い稀な戦術能力を発揮し、チームの仲間たちを先導し、演習ゲームのランキングを駆け上がっていく。
「でね、結局そのゲームってのは実際のところはアレで、いやぁ私的にはオチは正直アレなんですけど、まぁでもエンダーの成長物語とか政治物としてのオチは素晴らしく良くて。あ、続編もあるんですけど、そっちはなんか宗教的な方向に流れて行ったりもして、まぁそれはそれでアリなんですけど、私としては」
「あぁ、わかったわかった。そこは実際に読むとしよう」軽く佐治は遮って、首を傾げた。「つまり、その宇宙ステーションでの戦術を利用したと?」
「え? えぇ。彼らもここと似たような演習場で、チーム戦をするんです。武器は冷凍銃って、撃たれるとそこが動かなくなっちゃうっていうヤツで。トリモチと似てるでしょう? で、エンダーはあえて、自分の足を冷凍銃で撃つことで、それを盾にしたんです。私のは、それを応用しただけで」
「ちょっと待て。自分の足を、盾に?」
「えぇ。両足を揃えて、予め固めちゃう。チームの何人かをそうしておいて、それを盾にして敵の銃撃を防ぐんです」
うぅむ、と佐治は唸り、次いで厭そうに頭を振った。
「しかし冷凍銃というのは演習用のダミーなのだろう? 実際の戦闘じゃあ、そんな戦術は無意味だ。演習の趣旨に反してる」
相変わらず、佐治らしい反応だ。頭が超絶に硬い。
「いやいや、それはそうなんですけど、そういう固定概念をひっくり返すのって。実際の戦闘でも役立つ能力でしょう? エンダーはそれを持っていたんです」
「いや、しかしな。ずるだろう、それは」
「じゃあ、また正面から戦います? 明らかにこの演習場での練度に勝る相手に?」口をへの時に曲げる佐治。「勝ち目ないですって。ジョーさんたち、明らかにこう、低重力で壁を蹴って素早く移動するのとか、凄い慣れてますもん。しかも姫がドクターでしょ? あの人、元軍医とか云ってませんでしたっけ?」
「あぁ。国防大学からの叩き上げだ。当然、銃撃の訓練くらいは受けてる。〈国境なき医師団〉で紛争地域にも良く行ってるし、その経験を買われて月面に来てるくらいだ」
「でしょ? 私は? ただの運動音痴なオタクですよ! 正面からやって勝てるワケないじゃないですか!」
沈黙。
そして佐治は、渋々ながらも決断した。
「わかった。本当は正面からジョーを叩き潰したかったが、この際、奇策もやむをえん。で、エンダーは他にどんな戦術を使った?」
私は思い出せる限りのネタを話し、次いでそれを最大限活用出来るだろう次戦のマップを考える。
そしてブリーフィング時間は終了。
演習場の左右の扉から双方が現れた途端、ジョーは困惑した風で云ってきた。
『なんとまぁ、思い切った手に出てきたな』マップは、殆ど空だ。外壁は完璧に元通りの大きな体育館で、多少の岩を模した凹凸があるだけ。『姫、敵は何か企んでるぜ? どうする?』
問われたドクターは、腕を組み、高飛車姫のように身を反らしながら云った。
『用心なさい。あぁ見えて、五所川原姫はただのオタクじゃないわ。軍事物から超能力物まで、ありとあらゆるSFの知識を持ってる。敵で一番油断ならないのは、彼女よ』そしてふと気づいたように、急に腰を低くした。『あっ、私だって結構読んでるのよ! でもほら、最近のは忙しくてなかなか読んでる暇もなくて。でも古典は殆ど』
『わかったわかった。じゃあとりあえずは、様子見ってことでいいな?』ウンザリしたようにジョーは云って、向こうの一号から三号の部下に云った。『よし、パターン・シグマだ。行くぞ』
ぱっ、と敵の四人は散る。ドクターを陣地に残したまま、矢印のような形状、いわゆる鋒矢の陣形を取った。一方のこちらは、佐治が指示を出し、一斉に左翼に寄る。意図したのは上下の動きだ。この演習場と地球上の大きな違いは、やはり重力が小さいということ。全力のジャンプで五メートルの天井に届くのは容易だ。当然それは佐治たちも月面演習で経験済みだったが、彼らは壁や天井の存在に慣れていない。だから可能な限り上下の連携を意図し、左翼側に寄ってきた敵の三人を翻弄しようとする。
しかしやはり、敵は手強い。壁や天井を使った加速、減速に慣れていて、三対四でも敵一人しとめられない。そうこうしているうちに、残った一人プラス姫が、右翼から回り込んできた。こうなるともう、防戦一方だった。一人が壁に叩きつけられ、もう一人が床に右腕を固着させられ、それで倒せたのは敵一人だけだ。
もはや、これまでだ。私たち三人は一斉に壁を蹴って敵の囲いを突破し、広い体育館を逃げ回り始める。
『おいおい、もう終わりか? ポイント目当てなんて、セコいぜおい』
そうジョーは挑発してきたが、向こうは向こうで、こちらに何か秘策があると思いこんでいる節がある。無理に追ってこようとはせず、ドクターを囲む陣を崩さないまま、タイムアップ。最後の攻勢で味方の一人が固められてしまったため、一対三で、こちらの二ポイントダウン。合計して五対十二。七ポイント差だ。
なかなか厳しい。
思いつつ無言のままブリーフィングルームに戻る私たちに、ドクターは怪訝な視線を送っていた。
『何かしら。凄い厭な感じがする』
呟いた彼女に、ジョーも怪訝そうに応じた。
『あぁ。何か妙だな』
第三ラウンドも似たような展開になった。それでも私を含めた味方は、だいぶ天井と壁の使い方に慣れてきた。最後の最後まで互角に近い戦いが続いたが、結局は零対二。再びこちらの二ポイントダウンで、合計五対十四。九ポイント差で、次戦で一ポイントでもダウンすれば、それで勝負は終わりだ。
『ヘイヘイ! どうなってんだ! そんなんじゃ、慣れる前に終わっちまうぞ!』
再び無言で去っていく私たちの背中に、叫ぶジョー。
なんとかこの二戦で敵の警戒心を和らげたかったが、どうやらそうもいかないらしい。彼らは明らかに奇策を恐れているようで、なかなか油断してくれそうになかった。
「完璧にバレてますね、練習で流してるのを」
「そのようだ。なかなか思惑通りにはいかんな」
呟く佐治。
とはいえ、これ以上、負けられない。
「しょうがないですし。やってみますか」
佐治は頷き、これまでの味方の習熟度から、攻勢のフォーメーションを指示する。
第四ラウンド。その開始のブザーが鳴った途端、私たちは素早く動き始めた。演習の中央付近まで一気に詰め寄ると、エンダーよろしく三号の両足をトリモチで固め、敵の陣に足を向けて投げつける。更にそれには二号が取り付き、三号の足を盾に、二人で激しく銃撃を行った。
敵は警戒していたが、不意な異様な攻撃に戸惑ったのは確かだった。ワケがわからないまま激しく撃ち返してきたが、彼らの射線上にあるのは、既に固められた足の盾だけだ。当然彼らはジャンプして、狙える表面積が広い上から撃とうとする。しかし佐治と一号は、その動きを待っていた。すぐに敵の一人を天井に貼り付けリタイアさせ、もう一人の右腕を動作不能にする。
『あぁっ! 思い出した! これ、エンダーのゲームじゃない!』
津田姫の叫び。ジョーは激しく銃撃しながら応じた。
『何だそりゃ! どうすりゃいいんだ、これ!』
『敵に見える表面積を狭くするのよ! あと、何だっけ! もう十年以上前に読んだのだから、忘れちゃったわ!』
津田姫を含めた三人は、演習場の隅に押し込まれる。敵の陣までたどり着いた二号と三号に一号が合流し、再び三号の足盾を敵の隠れる岩場に向けて投げつける。
『クソッ! 逃げるに逃げられねぇし、突っ込まれるし、どうすりゃいいんだ!』
そう、彼らの逃げ道は、完璧に私と佐治が狙いを定めている。ジョーたちは、突っ込んでくる足盾から僅かに覗く、三号の銃、それに一号と二号の頭に向けて銃撃を行うが、とてもそんな数センチの隙間に当てられるはずがない。そして足盾三号が岩にぶちあたろうとした瞬間、一号と二号が離れ、天井にジャンプする。盾を失った一号は激しい銃撃を受けて天井に固着させられたが、二号は無事に敵の真上にたどり着くと、天井を両手で押し、足を敵に向けて真っ直ぐ突っ込んでいった。
敵から見えるのは、二十センチ四方の的でしかない。しかも一番広い足に当たったとしても、二号の銃撃は止まらない。
完全に意識が、そちらに向いている。
そう見て取った佐治も飛び上がり、天井を両手で押し、二号と似たような感じで敵の隠れ家に突っ込んでいく。
最後は両軍が激突し、わぁっと叫び声が上がった。
岩の影で良く見えないが、どうやら片がついたらしい。そう私はそろそろと岩場から身を現し、警戒しながら終末の場に飛んでいく。そこには既にカメラを抱えた吉良が向かっていて、喜び勇んで私に手招きしていた。
「いやぁ、いい戦いだった! こんな戦闘、映画でもなかなか撮れないよ!」
岩場の裏を覗き込むと、そこは酷い有様になっていた。無数のトリモチ弾が一面に貼り付いていて、もぞもぞと何かが動き、鈍い呻き声が響いてくる。
「うわぁ。こうはなりたくないわ」
思わず呟いた私。しかし足から突っ込んだ佐治と二号は、上半身は完全に自由だった。彼は勝ち誇った笑みを浮かべつつ、僅かに覗いているジョーの足の先までトリモチで埋めようとしている。
「食らえ! 食らえこの野郎!」
「いや、もう終わりですって。完璧に死んでますよ」
結果。向こうは全滅。こちらは天井に固着させられた一号は再起不能扱いで、佐治と二号三号は動けないながらも無事、九対一で、合計十四対十五。ワンポイントダウンまで詰め寄った。
「き、記憶力の差ね。そればっかりは、若さには勝てないわ」
ようやくトリモチが溶けだし、よろよろと這いだすドクター。彼女はジョーたちに肩を貸されていたが、不意にそれを振り払い、苦笑いしている私を睨みつけた。
「でも、思い出したわ! その戦術は結局、誰にも破られなかったのよ! ってことは、こちらも同じ戦術を取れば、練度に勝るこちらが有利ってこと!」
「わかったわかった、ドクター、もういいから、さっさと戻ろうぜ」
なんだか完璧に意気消沈しているジョーに、腕を引っ張られる。彼女はそれを振り払おうとしつつ、叫んでいた。
「誰よドクターって! 私は津田姫よ! そう呼ぶって決めたでしょ!」
「はいはい、わかったよ津田姫。さぁ戻って次の策を考えよう」
ふらふらと戻っていく敵チーム。佐治はそれを眺めつつ、ふと、呟いていた。
「いかんな、これは危険だ」
「何がです?」
「下手に勝つと、基地に戻ってからのドクターが怖い」
確かに、それはこの勝負で、一番恐れるべきものかもしれなかった。