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クソッ、別に勝敗はどうでもいいけど、トリモチまみれになるのだけは勘弁だ!
私は何か使えそうな物がないか探した。手持ちの武器は、拳銃以外には佐治が残していったショットガンとロケットランチャー。着込んでいるハード型宇宙服もどきには、通信装置とライトくらいしか備え付けられていない。
こんな時、シュワルツェネッガーだったらどうするだろう。状況はゲリラ戦だ。ダッチがプレデターに使った戦術は、どんなのがあったろう。
「こ、こんばんわー」不意に声が届いて、私はびくりと身を震わせた。吉良の声だ。「あの、撃たないでくれる? ちょっと、撮らせてもらいたくて。ゴッシーちゃん何処? 行くよ?」
チラチラと明かりが見え始めた。そしてまもなく、もの凄く明るいライトが、私の隠れていく枝道に現れる。
「こっち? ここ隠れてる? ゴッシーちゃん、いる?」
無言のまま、私は躊躇なく引き金を引く。ガス銃とはいえ、結構な反動があった。足が浮いて後ろに飛んでしまう私、そして被弾した吉良の両方が、同時に悲鳴を上げていた。
うわっ、月面の銃撃戦とか大変そうだこれ。
そう感覚を確かめつつ、すぐに背後の壁を蹴って物陰に隠れようとする私。一方で転がった吉良は、私のいるだろう方向に片手を突き出しながら叫んでいた。
「ちょ、ちょっと! 止めてよボク一人だって!」
「んなこと云って、またそうやって油断させようってんでしょ!」
「いや、ホント! ジョー中佐は1ポイントも失いたくないってんで、超慎重に進んでるとこだよ!」
耳を澄ませる。どうやら本当に、彼以外はまだたどり着いていないらしい。私が息を吐いて物陰から姿を現すと、彼はすぐに雷神の太鼓のような格好で背負っている照明を向けてきた。
「ちょっと眩しいですって!」
「あぁゴメン」云って、パチンと大きな照明を切る。それでも小さなものは点けたまま、私をカメラから覗き込んでくる。「それで? 何か手は考えた?」
「ダッチって、最後は身体中に泥を塗ってサーマルセンサーを欺いたじゃないですか。あれ以外にどんな事やりましたっけ?」
「え? あぁ『プレデター』か。そうだなぁ、そのシーンは覚えてるけど、それ以外はあんま覚えてないや」
「ですよねー」
云いながら、彼の全身を探る。
「ちょ、ちょっと、何? 武器なんて持ってないって!」
「あ、これいい」と、吉良が背負っている羽のような照明装置を改める。「あとは? ケーブルにパッドと。これ何です?」
彼の鞄の中に入っていた円盤型の物。吉良は自ら携えてるカメラを指し示した。
「これの記憶メディアよ?」
「へぇ、プロのカメラのメディアって、こんなんなんだ」
「高いのよ? 三十分しか撮れないのに、一個で四、五十万するの」し、と叫んで慎重に扱い始めた私に、彼は楽しそうに笑った。「別にいいのよ。どうせ会社の物なんだから。壊れたって」
「じゃ、じゃあ、二、三個借りてもいいです?」
「いいけど、どうするの?」
「罠を仕掛けます」
私は思いついた仕組みの幾つかを、隠れ家から少し出た枝道全てに仕掛けていく。
「とはいえ、プロの軍人さんに通じるかどうか。吉良さんは何かアイディアないです? 相手の意表を突くのはプロでしょ」
ため息を吐きつつ元の場所に戻って云った私に、吉良も少し疲れた様子で腰を降ろした。
「んなこと云っても、映画は映画だからねぇ。『ランボー』や『プレデター』みたいな罠が、プロの人に通じるはずないよ」
「うわっ、何自己否定してるんです。映画の戦闘なんて、どうやって相手の意表を突くかが肝じゃないですか」自分で云って、あっ、と気が付いた。「そういやアイアン・ウォーズって。そういうシーンないですね。エピソード1に出てきた桑井師匠も、普通にドゥンケル・モールに負けちゃいましたし。あそこクライマックスなんだから、もうちょっと捻れば良かったのに」
「それは良く云われたんだけどねぇ。要はジョジョみたいな神経戦をやれってんでしょ? お互いにやれることは決まってて、その中で裏をかこうとするっての。駄目なのよあぁいうの、よっぽど上手くやらないと、観客は理解できないから。今なら幾つか案はあるんだけど、あの時は凄い時間がなかったから、それが思いつかなかったの」
「そんな難しく考えることないんじゃないですかねぇ。多少のギミックなら、だいたい誰でもわかりますよ」
「いやいやいやいや」吉良は連呼して、渋そうな顔で何度も頭を振った。「そりゃあね、ゴッシーちゃんは理解出来るかもしれないけど、その他のお客はね、馬鹿! 小学校四年生くらいでも理解できる物じゃないと無理なのよ。そりゃ、『マトリックス』のネオ対スミス、『ギャラクティカ』のニュー・カプリカ脱出戦! ほんの些細な一手が決定打になって、ってのは凄い面白いんだけど、一般人はスミスが一体何者になっていたのかとか、大気圏内ジャンプがどれだけ危険なのかとか、どうして必要だったのかとか理解できないの! むしろワケわかんなくてシラケちゃうよ! だからボクも考えることを止めて、アングルとか表情とか、そこに至る過程を重視してるんだ。知ってる? クリストファー・ノーランの『インセプション』」
「あぁ、ディックの『ユービック』のパクリの」
「パクリって云わないの! とにかくアレ、ボクは超大好きなんだけどね、『バットマン』や『マン・オブ・スチール』ほどの興収はなかった。何でかわかる? 難解なのよ! 観客が求めてるのは、ドカーン! ボカーン! 格好いい! 切ない! それだけ!」
「いやまぁ、その主張はわかりますけどね。あっ、でもエピソード2で藤岡弘二のお父さん、弘一が亜美姫とくっつくじゃないですか! アレってどうなんです? 凄い感じ悪いんですけど。弘一は完全に盛りの付いた中学生じゃないですか。なんでそれを落ち着いた感じの亜美姫が好きになるんです? アレも一般受けを狙った結果だって云うんです?」
「そうよ? 世界の弘一よ? 年下の超イケメン! 誰だってあんな風に情熱的に迫られたら、母性本能でコロッと行くでしょ!」
「そこなんですよ! 凄い軽薄! 薄っぺらい! 太陽系の平和のために、とか云ってて、結局男を選ぶのは顔かよ、って!」
「そう? 女性には好評よ? 切ない! 禁断の恋、超痺れる! って。あそこに文句云ってくるのはSFオタクだけよ? だいたいゴッシーちゃんが亜美姫だったとして、弘一みたいな年下のイケメンに熱烈に迫られたら。惚れるでしょ?」
「惚れない。キモい」
「嘘でしょそれ!」
「だから五所川原姫とか無理なんですって。私、ひねくれてるんですよ」
不意に吉良は、そこだ! というように、指を私に突きつけてきた。
「そう、そうなのよ! ボクはね、ゴッシーちゃんを姫にしたいのは、別に月面にいる可愛くて若い女性だからってだけじゃないのよ? ゴッシーちゃん〈だから〉なのよ! つまり、いわばこれは、ボクなりの挑戦なの!」
「挑戦?」
問い返した私に、彼は何か、少し悲しげな表情を浮かべた。
「そりゃあね、ゴッシーちゃんの指摘はさ、重々承知してるの。すっかりアイアン・ウォーズは『商品』になっちゃって。いろんな人が口を挟んでくるから、ボクの初期構想と全然違った物になっちゃった。でもさ、そこでモチベーション下げててもしょうがないからさ、ボクはアイアン・ウォーズの稼ぎを使って、初校だけは完璧にボクの趣味のためにネタを集めて、ボクの中のアイアン・ウォーズを作ることにしてるんだ!」
「吉良さんの中の、アイアン・ウォーズ?」
「そう。実際さ、何も考えないで今までの路線でやってたら、月面なんか来る必要なかったんだ。でも一応さ、ボクもプロデューサーだからさ、調査のためだって云えば誰も文句云えないってワケ! ホント、今でも夢のようだよ。このボクが、月面にいるだなんてね! そしてプロジェクトのお金を使って、好き勝手な脚本を作れる。最高じゃない?」
ははぁ、と、私は妙に感動してしまった。
もう半年も月にいて、すっかり初心を忘れてしまっていたが。私も来る前は、月に行けるなら何でもしてやろうという気持ちを持っていた。だいたい今でも、月面に来たことのある日本人は、延べでも五百人に満たない。
そこに滑り込むには、よほどの幸運か、努力がなければ。不可能なのだ。
「つまり、吉良さんは。十年も意に添わない作品に携わり続けたご褒美が、この月面視察だと」
慎重に呟いた私に、彼は酷く、軽い笑い声を上げた。
「そこまで嫌々じゃないよ? 出来上がったアイアン・ウォーズは、ある面ではボクの理想を具現化したものだから。でもボクだけの物じゃない。もう、アイアン・ウォーズは、世界中の何千万、何億って人の物になっちゃってる。その、何て云うかな。妥協点を見つけていく作業ってのは。ある意味凄く、面白いよね」
何億という人の中にある、アイアン・ウォーズ。それは一つの姿じゃあない。皆が皆、それぞれの形のアイアン・ウォーズを持っている。
続編は、それを裏切っては行けない。でも想像の範囲内でも不味い。
「私なら、逃げ出しちゃいそう。そんなお話の原作なんて」
思わず云った私を、彼はニコリとして見つめた。
「最初はさ、ただ遊び半分で来ちゃったんだけど。この基地にいる人たちと色々お話しして、ふと思ったんだ。ここにいる人たちは、全員、ボクの想像外の、別のアイアン・ウォーズを持ってるって。だからそういう人も、今作で取り込めたらな、って考えるようになったんだ。一般大衆に理解できて、マニアの人も及第点をくれるような。挑戦だよね。だから先ず、ゴッシーちゃん。理系女子、学者の卵のゴッシーちゃんなら、この危機をどう乗り越える?」
カメラのレンズを向けられ、私は思わず苦笑いした。
「別にたいしたこと、考えてないですよ。ただ、このシチュエーション、よくよく考えたら『プレデター』や『ランボー』より、『エンダーのゲーム』に近いなって思って」
「『エンダーのゲーム』? ハリソン・フォードが出てたヤツ?」
「映画は観てないんで、あの戦術をご存じかわからないんですけど」
そこで通路の奥から、ガラン、と例のメディアが転がる音がした。
「あっ、引っかかった」
単にケーブルの先にメディアを結びつけただけの、原始的な罠だったが。
「プロも、映画の中のプロとは違うんだねぇ」
関心したように呟く吉良。私は彼を促し、洞窟の床から腰を上げた。
「じゃあ、準備しましょう。その照明。あと戦闘スーツを脱いで貸してください」
「いいけど、どうするの?」
「それは見ての、お楽しみということで」