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とはいえ、五所川原姫なんて、出来るはずがない。だが一方で、巨額の税金で月に来てしまっている以上、喜んで協力を申し出ている公団や隊長に逆らうワケにもいかない。そこで私は吉良に最大限協力する見返りとして、映画出演を断るという風に戦略を転換した。暇を見ては脚本を精査し、科学的見地から明らかに見逃せない部分だけ、慎重に指摘していく。
私は映画界の事情には疎かったが、プロデューサーというのは作品の原案を担当する事も多いようで、吉良はまさに自分のイメージを様々なスタッフを使って実現しようとしているらしかった。
私も一応、クリエイターの端くれだ。その辺の事情にも興味が出てきて、あの吉良という少し躁病的で活動的なオジサンが、どれほどの人か調べ始めていた。
アイアン・ウォーズといえば、監督は東海林ルーカスと決まっている。日本SF界の大御所。何本もの大ヒット映画シリーズを抱えている。彼の映画の特徴は、とにかく重くならず、軽くならずといった風で、基本はコメディー路線。シリアスなシーンにでも不意に笑いが入れ込まれる。その所為で私は正直好きになれなかったが、貴重な実写の宇宙戦闘物としては楽しませてもらっていた。
一方で、吉良という人。彼は元々脚本家だったらしく、作品リストにはあまりよく知らないドラマや映画が並んでいる。だが、たまたまアイアン・ウォーズの原案が東海林の目に留まり、彼の名声もあって一躍大ヒット。それ以降はシリーズのプロデューサーに収まり、監督に専念する東海林のサポート的な事を、ずっとしているらしい。
「もうね、何でも屋よ! ネタを考えるでしょ? 撮影場所を確保するでしょ? スタッフを集めるでしょ? スポンサーを確保するでしょ? 予算をかき集めるでしょ? どんな宣伝をしたらいいか考えるでしょ? もうね、エピソード一つ撮り始めるまで、どれだけ時間がかかることか! 結局この十年、寝ても覚めても、ずっとアイアン・ウォーズばっかりよ!」
「へぇ、そういうの、映画会社の人がやるもんだとばかり思ってました」
「やるよ? やるんだけどさ、その辺、誰かが元締めをやんなきゃならない。それがボク。あっ! そういやこれから、インフラ設備を見せてもらう予定だった! ゴメン、また今度聞かせて!」
云うなり彼はパッドを抱えて、食堂から飛んで出て行ってしまう。
細かい突っ込みを膨大に入れる私が面倒になったのかな、とも思ったが、どうもそうではないらしい。彼はとにかく忙しいというか、暇さえあれば誰彼を捕まえて意見を聞いている。
「あぁっ、もう! せっかく見つけたのに!」
そういえば明らかに避けられてそうな人が、一人だけいた。
入れ替わるようにして現れたドクターだ。ひょっとしたら吉良は、彼女の姿を見かけて逃げてしまったのかもしれない。ただ当のドクターは気づいた様子もなく、私の隣に座って大きくため息を吐く。
「ホント、タイミング悪いわ。私も一杯、脚本に手を入れてるのに。全然捕まえられない。もう、ホントに忙しい人ね」
「はは、そうですねぇ」
辛うじて云った私に、彼女はニコリと笑みを浮かべる。
「まぁいいわ。まだ時間はあるし。そうだ、これ、ありがとう」
そう白衣のポケットから取り出したのは、先日貸していた『彗星会議』だ。
「あぁ、もう読んだんですか。どうでした?」
「凄く良かったわよ!」あまりお世辞でもない風に、彼女は叫んだ。「きっと宮沢賢治が生きてたら、こんなの書いたんじゃないかしら、って風で。素敵だったわ」
「あ! そうそう、そうなんですよ! 私も宮沢賢治大好きで」
さすが文学少女(元)を自認するだけある。結構彼女の感性は私に近いところがあって、ひとしきり文学談義に花を咲かせる。
そしてしばらくしてから、ふと疲れたように彼女はため息を吐き、珈琲のパックに口を付けながら首を傾げた。
「でも、このダウラントって人。ホントに不思議ね。私も調べてみたんだけど、全然情報がない」
「そうなんですよ。これだけ良い物、それは大ヒットしなくても、それなりに評価されててもいいはずなのに。これだって廃版になっちゃってて、中古で流れてたら毎回慌ててポチってますもん」
「あ、でも一つだけ見つけたんだけど。知ってるかな。この人、ハリウッド映画の脚本書いてるの」
初耳だった。えぇっ、と叫び声を上げると、彼女はパッドを取り出して一つのネット情報を表示させた。
「ほら、ここ。リチャード・ダウラント。でも映画自体は結局、制作されないでお蔵入りになっちゃったみたい」
「ホントだ」私は文面を読み下しつつ、首を傾げた。「あれっ? ブラッドベリの『火星年代記』? これって映画になってませんでしたっけ?」
「ドラマ化ね。随分前に。それでリメイクを企画したみたいなんだけど、結局映画に向かないって事になったらしいわ。私は好きだけど、まぁ地味なお話だからね」
確かに、そんな風な事が書いてある。
ブラッドベリの『火星年代記』。火星に植民してきた地球人。彼らが接触することになる、亡霊のような火星人たち。その絶妙な距離感を描く手法が、ダウラントの『彗星会議』と、確かに少し、重なる所がある。
ダウラントの火星年代記か。読んでみたかったな。どうにかして脚本を手に入れられないかな。
そうぼんやりと考えていたところで、ドクターは小さな笑い声を立て、席を立った。
「ホント、ゴッシーちゃん、昔の私にそっくり!」
「え? そうですか?」
「もうね、好きになった作家さんのは、何から何まで全部集めないと気が済まなかった。ま、同じ映画なんだし、吉良さんに聞いてみたら? じゃなきゃアームストロングの人とか」
じゃあね、と去っていくドクター。
確かに、それがいいかもしれない。都合のいいことに、最初はかぐや基地の視察だけだったはずだが、吉良は今では上手いことアームストロング基地にも入り込んで、アンダーソン将軍やジョー中佐を抱き込もうとしている。
月面での映画撮影は何度か行われているが、あくまで科学的叙述的な物ばかりで、本格エンターテイメント映画の撮影は初めてだったはず。NASAと米軍と日本の宇宙公団が前面バックアップともなれば、かなりのスケールが期待できる。
でも問題は戦闘だよな、と私は脚本を眺めながら思っていた。宇宙船同士の戦闘なんかはCGでどうにでもなるだろうが、最大の見せ場は、自由軍が帝国の秘密基地を襲撃するシーンだ。メイン・キャラクターが分散して、あちこちの戦線で死闘を繰り広げる。
このシーンばかりはCGというワケにもいかないだろうが、今はCGも凄いしな、結局CGで片づけちゃうのかな、と、ちょっと寂しい気持ちで考えていたところで、不意に館内放送が私の名を呼んだ。
『高専チーム、五所川原。高専チーム、五所川原。至急エアロックまで。繰り返す』
空軍から公団に出向している、佐治中佐の声だ。
はて、何の用だろうかと思いつつ通路を漂いエアロックへと向かうと、そこには佐治プラス彼の部下三名が揃っていて、傍らには吉良がニコニコとして待ちかまえていた。
「あれ、吉良さん、インフラ設備の見学に行ったんじゃあ」
云った私に吉良が答えかけた時、テキパキと何かの準備をしていた佐治が、私に鋭く人差し指を向けた。
「おい、宇宙服を着ろ」
「え? 何でです?」
「いいから五分で準備しろ。アームストロングに行く」
否応ない調子で背を押し、私は更衣室に押し込まれてしまった。完全に何かの戦闘モードに入っている。
参ったな、今度はなにをやらされるんだろう。そう渋々ながらも重い宇宙服を着てエアロックに戻ると、数分後には月面を飛ぶように走るLRVの乗客となってしまっていた。
「ちょっと佐治さん、何なんです!」
完全にオーバースピードで、時折宙に舞ってしまうLRV。まるでラリーカーか何かを操作するように忙しくハンドルを切る佐治に辛うじて尋ねると、彼は鋭い瞳を前方に向けつつ答えた。
「ジョーに宣戦布告された」
私は呆れて、呟くしかなかった。
「またですか」ゲーム機争奪戦からゲーム内戦争と、彼らは事あるごとに喧嘩ばかりしている。「で、今度は何です」
「いやぁ、それなんだけど!」と、跳ねる車内で半ば座席から投げ出されるような格好で、吉良が答えた。「アイアン・ウォーズの戦闘シーンの撮影協力さ、中佐がイマイチ乗り気じゃなかったもんだから、ジョーさんに頼んだら。オッケーもらえてさ!」
「別に乗り気じゃなかったワケじゃない!」佐治が叫んだ。「ただ、慎重に考慮する必要がある、と云っただけだ! だってのにどうして勝手に米軍に声をかける!」
「いやだって、仕方がないじゃない! ここで戦闘シーンを撮影するなら、いくらCGで多重化するにしても、軍人っぽいガタイのいいアクターが五人はいるもん!」
だんだん筋が読めてきた。
「で、やっぱ佐治さんたちがやるって云ったら、ジョーさんが喧嘩を仕掛けてきたと」
「いやぁ、ボクもどうしてこんな事になるんだか、良くわかんないんだけど!」
楽しげに叫ぶ吉良。一方の佐治は激しく舌打ちした。
「『月面での戦闘はオレたちの方が得意だから、任せろ』とか云ってきやがった。フザケやがって」
「で、模擬戦か何かやるんですか?」頷く佐治。「でも、何でそれに私が!」
「それがルールだ。メンバーは男四人プラス女一人」
「何ですそれ!」
「ウチは女性士官が地球に帰ったばかりだ。仕方がない。他に戦えそうな女がいるか?」
「いや、そうじゃなく」
「それはボクの案!」と、吉良。「姫を護衛するってシチューエーションが多いからね! その方がオーディションとして完璧ってワケ!」
「オーディションって。うわっ!」
LRVは小高い丘を思い切り跳ね、数メートルは宙に舞った。
アームストロング基地には、いつもの半分の時間でたどり着く。エアロックでは、ジョーが皮肉な笑みを浮かべつつ待ち受けていた。彼らはだいたい、いつもそんな風だ。何かにつけてオチョクってくるジョーと、それに生真面目に応じる佐治。相変わらずな二人のやりとりにため息を吐きつつ、私は仕方なしに後を追う。
「というか、そういう事なら私じゃなくドクター呼べば良かったのに」
呟いた私に、佐治は僅かに表情を歪ませる。
「何でドクターなんだ。あの人はアラフォーだろう」
「んなことないですよ姫ですよ」
「姫? とにかくオマエには戦闘の資質があると思っていた。ムーンキーパーでの戦闘も良くやっていたし、テロリストの竹林も半殺しにした」
「いやいや、あれは頭に血が上ってたから、勢いで」
「勢いは重要だ。特に女で、決死の覚悟をとれるヤツは少ない」
誉められてるんだか貶されてるんだか。
とほほ、と肩を落としつつ一同についていくと、一つの隔壁が開き、月面にしては希有な広大な空間が現れた。
「おお、なにコレ!」
思わず叫んでしまう。広さはそう、バスケコート二面分程はあるだろうか。天井も十メートルほどあって、ちょっとした大きな体育館レベルだ。そうした空間の壁面は真っ白な樹脂のようなもので覆われていて、多少の弾力がある。そして天井や床には様々な障害物を模したらしきオブジェクトが置かれていて、身を隠したり出来るようになっていた。
「ワオ! 『スターシップ・トゥルーパーズ』の訓練施設みたい!」
叫んだ吉良に、ジョーは誇らしげに胸を張った。
「オレたちは常に、ここで模擬訓練をしている。工場の隅で筋トレしてるだけの連中と比べられてもな」
すぐに佐治は眉間に皺を寄せ、苛立たしく応じた。
「月面の何処に、こんな戦場があるって云うんだ。ホンモノの戦場は月面だ。オレたちはそこで、宇宙服を身につけて訓練している」
「わからんぜ? ひょっとしたら月の裏側には、ナチがこんな地下都市を造ってるかもしれない。そしたらオレたちの出番だ。人類の命運はオレたちにかかってるってワケさ」
「ったく、オマエらはいつもそうだ。そんな絵空事のために、何兆円って軍事費を」
「ストーップ」胸ぐらをつかみ合いかねない二人に、吉良が割って入った。「いい? 喧嘩するなら、銃を持って、ここで全力でやるんだ! そのために来たんだから! 白黒付けちゃおうよ!」
「望む所だ!」と、佐治。
「少しは手加減してやるぜ?」と、ジョー。
それぞれのチームは、それぞれの陣に向かっていく。それを見送りつつ、吉良は楽しげに叫んだ。
「よし、完璧! 超楽しそう!」
「もう、止してくださいよ吉良さんも。どうやってジョーさんを乗せたんです?」
「脚本思いっきり手直しして、パワード・スーツ部隊がオーバーロードをやっつける風に変えたんだ! それで中佐も将軍もイチコロってワケ!」
「え? でもそれで話が繋がります?」
「いいのいいの、どうせ最終稿までに東海林や映画会社から一杯突っ込み入るんだから! あっ! これ、本編にも使えちゃうかも! カメラ設置しなきゃ!」
床を蹴って、慌ただしく四方に飛び回りはじめる吉良。私はため息を吐きつつ、仕方がなく佐治の所に飛んでいった。