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最早、克也の銃声はしない。間近に暗黒が迫っている。五所川原はその気配に気づき、溢れ出る涙を必死に納めようとしながら機首を返した。
「弘二! 攻撃パターンオメガ!」
叫んだ五所川原に、弘二は苦笑いした。
『いきなりか? まぁいい、パターンオメガ!』
ムーンキーパーは、月面に両膝をついた。途端に脹ら脛から飛び出た何本もの鉤爪が月面に突き刺さり、しっかりと固定する。それと同時に右腕のモジュールが高速で変形し、巨大なガトリング砲を作り上げた。
五所川原は声にならない叫び声をあげ、暗黒に向かってトリガーを引いた。
砲塔は高速で回転し、秒速百発以上の弾丸を浴びせかける。しかし悪魔は、その硬質な翼で身を包んでいた。無数の弾丸で悪魔は押されるものの、まるでダメージがある様子はない。
「クソッ! 硬い!」
叫んだ時、悪魔の赤い瞳が、キラリと光った。
『姫!』
弘二は叫ぶと同時に、ムーンキーパーの固定を解き、上空にジャンプさせていた。その直後、無数の薬莢が転がる一帯は巨大な爆発に包まれ、新たなクレーターが形作られていた。
『なんてパワーだ!』
叫ぶ弘二。五所川原は跡形もなく消し飛んだ足下に恐怖しつつ、再び翼を大きく広げて威嚇するように咆哮する悪魔を見下ろした。
「あの翼を何とかしないと」
『姫、聞いた覚えがある。あの翼はダイヤモンド以上に硬いが、その付け根は弱いと』
「本当? じゃあ、アイツの後ろに回り込めれば」再び悪魔の瞳が煌めき、強烈な熱線が飛んでくる。五所川原はそれを辛うじて避けたが、とても背後を取らせてくれるほどの隙があるとは思えない。「でも無理よ! 何とかしてアイツの注意を逸らさないと!」
『その役目、オレたちに任せてもらおう!』
不意に無線に割り込んだ声に、五所川原ははっとして宙を見上げた。
いつの間にか、軌道上にボロボロの円盤型輸送船が現れていた。そのハッチが一斉に開くと、無数のパワード・スーツがスラスターを煌めかせながら飛び降りてくる。
「ジョー中佐!」
『悪かったな、充電に時間がかかっちまった。でも何とか間に合ったようだ』
「けど中佐! 貴方たちのパワード・スーツなんかじゃ、とてもアイツの攻撃に耐えられないわ!」
云っている間に、宙を切り裂いた熱線に数体のスーツが巻き込まれ、跡形もなく消滅した。ジョーはそれを舌打ちして眺めつつ、更に襲ってくる熱線をスラスターを高速で制御させて回避する。
『どうやらそのようだ。だがスーツのランチャーじゃあ、アイツに傷を付けられるとは思えん。姫! オレたちが囮になる! その間に翼を』そして彼は、パワード・スーツ部隊に号令を発した。『いいかみんな! とにかく固まらないで、ヤツを翻弄するんだ! そして合図でオレを中心に集合、ランチャー一斉掃射!』
止めて、中佐!
そう、五所川原は叫びたかった。だが、云えない。云えるはずがなかった。彼らは皆、自分の使命を信じ、自由を夢見て、命を託してくれている。だから五所川原は次々と消滅していくスーツを涙しながら見つめつつも、月面の地形をサーチして、オメガ攻撃に耐えられる硬い地面を探した。
「弘二、あそこよ!」
『わかった、姫!』
鋭くバーニアを吹かせ、まるで隕石のようにして月面に突っ込む。そして衝突する寸前に全力で逆噴射しつつ、再び脹ら脛から何本もの爪を翻し、月面に突き刺した。
「中佐、今よ!」
『了解!』ジョーは叫び、号令した。『今だ! 一斉掃射!』
まるで巨象に群れる蠅のように飛び交っていたパワード・スーツ部隊。それが一斉に方向を定めると、ジョーを中心にフォーメーションを組み、肩に装着したランチャーを悪魔に向け、ただ一度の攻撃を行った。
バッ、と吹き上がる無数の白煙。そして何十本というミサイルが、弧を描きながら悪魔に向かっていく。
悪魔は不意に身を縮め、背に広げていた翼で身を包む。
だがそれと同時に悪魔は、瞳から強烈な熱線を発していた。
「ジョー!」
部隊の大半が、瞬く間に消滅していく。だがムーンキーパーの正面には、悪魔の翼の付け根が、現れていた。
「クソッ! これでも食らえ!」
五所川原がトリガーを引いた瞬間、何百という銃弾が悪魔の背に突き刺さる。それは瞬く間に翼の腱を引きちぎり、悪魔の右翼そして玉のような深紅の血が、周囲に飛び散った。
鼓膜を破るような叫びをあげる悪魔。しかし五所川原はトリガーを離さなかった。銃弾は悪魔の右腕を、そして右足を、吹き飛ばし、その度に暗黒が揺らいでいく。
悪魔は片翼で、錐揉みするように狂乱の飛行する。しかし、遂に、彼は最大の叫び声をあげると、力つき、月面めがけて墜落した。
五所川原は荒い息を吐きつつ、オメガモードを解除し、墜落した悪魔に向かう。
悪魔は完全に息絶えていた。血は瞬く間に凍り付き、崩れ、灰になっていく。
そして残ったのは、一体の黒い宇宙服だった。ヒトラーは月面に這いつくばり、喘ぐように肩を上下させながら、必死に逃げようとしている。
五所川原は拳銃を手に、ムーンキーパーから降りた。
『おい、姫』
弘二は声をかけたが、それ以上は何も云わなかった。月面を踏みしめ、這いつくばるヒトラーに向かう五所川原。そして彼の正面に立つと、ヒトラーは僅かに頭を上げ、酷く弱々しい笑い声を上げた。
「ハッ、これで勝ったつもりか? 我には無数のクローンがある。その数だけ、オーバーロードは召還される。抵抗は無意味だ。見るが良い」
強烈な閃光が、天を覆い尽くした。宇宙服のバイザーが自動的に遮光モードになる。そしてその光源を知ったとき、五所川原は今まで以上の絶望を味わっていた。
「かぐや基地が……!」
自由軍最後の希望。唯一残された最大の秘密基地である、かぐや基地。その水平線上にある位置を中心に、巨大な砂礫煙のドームが出来上がりつつあった。それは次第に拡大し、五所川原たちに迫ってくる。
砂礫が、小石が宇宙服に当たり、カツカツと音を立てる。五所川原がそれを呆然として聞いている間に、ヒトラーは狂った笑い声を上げていた。
「どうだ姫? もはや帰るところがないというのは、どんな気分だ? もはや自由軍など敵ではない! 我は無限だ! 我は……」
五所川原の放った銃弾が、宇宙服のバイザーを突き破り、ヒトラーの額に突き刺さった。瞬く間に青白く、凍結していくヒトラー。それを決然とした瞳で見つめつつ、五所川原は呟いた。
「なら、無限に貴方を。殺していくだけよ」
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「っていうのを考えたんだけど。どう?」
まん丸な瞳を更に見開かせ、嬉々として云う吉良。
場所は米軍所属、パワード・スーツ部隊の移動基地である巨大LRVの整備エリア。砂礫まみれになっているスーツを整備していたジョーは、苦々しい表情で応じた。
「何でオレらが噛ませ犬なんだよ。せっかく助けてやったってのに」
「いやいや、それは感謝してるけれども、これはエンターテイメントだから! 日本向けだから!」
「嘘つけ! オレだって1から4まで全部観てるわ! ケーブルでしょっちゅう再放送してる」
事実はこうだ。現地で待機していた地質学班と調査の算段を立てている間に、吉良が洞窟に滑り落ちて足を挫いてしまった。思いの外に洞窟は脆そうで、ムーンキーパーは降りられそうもない。さてどうしたものかと考えていたところで、丁度近くでジョーたちが演習していると聞き、パワード・スーツでの救助をお願いしたという次第だ。
「だいたい何なんだその、『貴方たちのパワード・スーツなんかじゃ』って台詞は。世界最強だぜ? ったく、救助代、払って貰わなきゃなんねーな」
「待ってよ! 気に入らないなら変えるって! だからさ、米軍も是非、撮影に協力してくれないかな?」
「将軍の機嫌次第だな。ただどうかな、そんな脚本じゃ」
困惑した風に、吉良は私とテツジに顔を向けてくる。テツジは興味なさげに欠伸をし、床に転がった。
「ま、ムーンキーパーが大活躍なのはいいけどよ。ウチ的にも無理なんじゃねーの、それ。かぐや基地が爆発とかって。隊長檄おこだろ、それ」
「わかってないなぁ。やっぱ意外性よ! かぐや基地といえば子供たちの憧れ! 政府も一杯お金を出してる! 国会議事堂みたいなもんよ! そんなの映画の中でも壊れるはずない! ってのが爆発しちゃう! それが観客の度肝を抜くのよ」
「なんでもいいけど、オレもそんな間抜けな死に方するの嫌だぜ?」
ぷい、と、こちらに背中を向けてしまうテツジ。
吉良は当然のように、残された私に顔を向けてくる。
参ったな、と思いつつ、私は素直な感想を云うしかなかった。
「いやぁ、私は好きですよ、意外と」
初めての好意的な感想に、吉良は喜びに表情を開かせながら私の手を掴んだ。
「ホント! 真面目に? 五所川原姫、やっちゃう?」
「い、いや、それはまた別ですけど。これ、『なら、無限に貴方を。殺していくだけよ』って台詞とか。格好良いなと」
「あっ! それボクも気に入ってるの! やっぱいい?」
「でも一般向けにはどうかな、と。やっぱアイアン・ウォーズってハッピーエンドだったり希望のある終わり方じゃないと駄目なんじゃ? 私は好きですけど、全滅エンド」
「姐さんらしいわ」
小馬鹿にした風で口を挟み、にやけ顔を向けるテツジ。
相変わらずコイツの突っ込みにはイライラさせられる。
「何さ。いいじゃん全滅エンド。ガンダムだって大概そうじゃん」
「ガンダムは救いがあるだろ」
「いいよ? じゃあアンタも考えてみなよエンディング。アンタならどうすんの?」
「いいねそれ!」パチン、と手を叩いて、吉良が口を挟んだ。「何かいい案出してよ! やっぱムーンキーパー活躍させるなら、設計者の意見を聞きたいし!」
テツジは黙り込み、じっと吉良を見つめる。
「かっちょいいネタ出したら、映画にしてくれんの?」
「もちろん!」
「機関砲とかレーザービームとか装備できる?」
「そんなの、CGで何とでもなるよ!」
ふむ、と唸り、パッドを手に取るテツジ。
いやはや、上手いもんだなと思いながら、私は吉良を眺めた。それはムーンキーパーを映画で使いたいなら、テツジの協力は欠かせない。けれども彼はあまり乗り気ではないのは確かだったから、吉良は上手いこと云って彼を巻き込んでしまおうとしたのだ。
そして、それは完璧に上手くいった。
視線に気づいて、ニヤリと笑みを浮かべる吉良。彼は私の耳元に、小さく囁いてみせた。
「映画のプロデューサーなんて、他人をどう上手く扱うかが仕事みたいなもんだからね。役者やスタッフなんて、癖のある人ばっかだし」
「そりゃそうでしょうねぇ」
「あっ! 閃いた! さっきの『無限に殺していく』なんだけどさ、津田姫が云ってた五次元立方体を使って」
やっぱプロは違うな、と思いながら、私は彼の発想を聞く。作品の完成に向けた熱意が、それこそ暑苦しいくらいに感じられる。
さすがに出演なんて全否定だが、企画を潰すのは可哀想かな。
私はなんとなく、そう思うようになってきていた。